参道というからには、行き着く先には神社仏閣があるものだが、むろん、ここでも文殊堂が待ち構えている。つまり知恵の菩薩であるから、拝めば「頭が良くなる」ことになる。だから受験生も母親らとともに参拝に来る。
だが、この文殊堂は「受験の神様」としてよりは最近は「あじさい寺」として有名になっている。山形市内の受験生すらわざわざ遠い高畠町の亀岡文殊堂まででかけるから、ここに訪れる受験生はさほど多くない。同じ文殊様だから霊験はまったく同じはずなのに、何でこの違いが生じるのか理解しがたい。どうせ親が車に乗せてでかけるのなら、少しでも近い方が二酸化炭素の排出が少なくなる。高等教育を志す若者なら、この程度の配慮があった方が神仏の御加護も増すはずだ。
さらに一人で自転車ででも訪れるならば霊験はなおさらであろう。山形盆地の西のはずれとはいえ、市の中心部から自転車でも若者ならものの30~40分だけだ。
少々小難しいことを述べたが、賽銭箱になんと百円玉一枚という“大金”を投げ入れたご利益で私の頭脳も“高等化”したからというわけではない。受験に伴うご利益はともかく、認知症予防くらいにはなるのかも。とにかく空気がきれいだ。
↑ 長い参道がまだまだ続く。住職さんによれば、まだ五分咲きとか。
↓ 参道の終点近くの脇に「夫婦杉」が
↑ これが参道の終着点にある文殊堂 本尊はむろん文殊菩薩、つまり知恵の菩薩
↓ 文殊堂を降りてすぐの所から山形盆地が眺望できる
↓ 往きはよいよい、帰りはこわい。前日の雨で古い石段が濡れて足もとがすべる
だが、この文殊堂は「受験の神様」としてよりは最近は「あじさい寺」として有名になっている。山形市内の受験生すらわざわざ遠い高畠町の亀岡文殊堂まででかけるから、ここに訪れる受験生はさほど多くない。同じ文殊様だから霊験はまったく同じはずなのに、何でこの違いが生じるのか理解しがたい。どうせ親が車に乗せてでかけるのなら、少しでも近い方が二酸化炭素の排出が少なくなる。高等教育を志す若者なら、この程度の配慮があった方が神仏の御加護も増すはずだ。
さらに一人で自転車ででも訪れるならば霊験はなおさらであろう。山形盆地の西のはずれとはいえ、市の中心部から自転車でも若者ならものの30~40分だけだ。
少々小難しいことを述べたが、賽銭箱になんと百円玉一枚という“大金”を投げ入れたご利益で私の頭脳も“高等化”したからというわけではない。受験に伴うご利益はともかく、認知症予防くらいにはなるのかも。とにかく空気がきれいだ。
↑ 長い参道がまだまだ続く。住職さんによれば、まだ五分咲きとか。
↓ 参道の終点近くの脇に「夫婦杉」が
↑ これが参道の終着点にある文殊堂 本尊はむろん文殊菩薩、つまり知恵の菩薩
↓ 文殊堂を降りてすぐの所から山形盆地が眺望できる
↓ 往きはよいよい、帰りはこわい。前日の雨で古い石段が濡れて足もとがすべる
この階段は何十段?何百段?一段登るごとに清しい気分になりますね。そのうえ認知症予防のご利益がいただけるなら、お賽銭は100円が500円でもいいですよ~