古屋敷集落から約2km東の奥に入った所に萱平集落がある。
集落と言っても、居住世帯は精々2世帯で、しかも伝統型の民家で何とか原型を残しているのはわずかに2軒だったように思える。それも1棟は赤いトタン屋根に葺き替えられているし、通年居住かどうかわからない。
また、あとの1棟はたまに所有者の親族が夏に訪れる程度のようだ。 居住民家の一軒は完全に現代型だが、それも通年居住かどうかわからない。
その他、建物として完全なのは小さな神社の社殿だけだが、祭礼は行われているのだろうか。
この萱平集落もかつては十数軒はあって、それなりの賑わいはあったようだが、今や居住者が少ないばかりでなく跡形もなくなってしまった民家が多く、かつて民家が建ち並んでいたことなど想像もできないほどに変貌していた。この崩壊ぶりは古屋敷集落どころではない。
ここは平家打倒の旗揚げをやって敗れた源頼政が(または家臣)落ち延びて開いた集落との伝承が残されている(古屋敷にも同様の伝承がある)。
だが、“落人の末裔”たちも現代になって更にどこかへ落ちのびてしまったことになる。
むろん、彼らの根絶やしを図ったのは平家ではない。
集落に至る道路が拡幅の上に舗装され、コンクリートの橋が架けられてマイカーを購入する農家も増えて町場との交通の利便が格段に向上し、電気や電話も通されるようになって集落の崩壊は加速化したのである。
◆写真 ①赤いトタン屋根の民家 かなり豪壮である ②民家が激減した萱平には豊富な山の水を利用した溜め池や養魚場が多い ③上山盆地の向こうの山並みも望める ④倒壊寸前の土蔵(再掲) 以前はかなり豪壮な土蔵だったようで現代文明流入以前の集落の繁栄ぶりがうかがえる
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