山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

山形市史と縁ある街を訪ねて(3)+山形の豪雨

2012-05-04 07:52:16 | Weblog

宇都宮城は「吊り天井事件」で嫌疑をかけられた城主、本多正純が最上家改易に際し山形城明け渡しに駆けつけたということだけで山形と関係があるのではない。
 山形城主は最上家以降、鳥居氏、保科氏(下の写真参考)、幕府領と目まぐるしく替わったが、慶安元年(1648)山形に入部した松平忠弘はその20年後の寛文8年(1668)に宇都宮に転封されている。
 つまり、こんなところにも山形の歴史と宇都宮の歴史との間には関連があるのだ。

 ↑ 山形城跡公園(霞城公園)内の「高遠桜」 会津松平氏の祖、保科正之が信濃高遠から山形城主として入部したことに因んで植樹された。他の公園内の桜よりは開花が少し早いので、観桜会があった先月28日には既に新緑が多く噴き出していた。保科正之は三代将軍、徳川家光の異母弟で、彼の母の位牌は山形市の浄光寺にある。

 昨日(5月3日)に山寺にでかけた。好天ならば、山形の中心部よりは数日開花が遅いので、桜は見頃になっているはずだが、生憎の暴風雨で、多くの花びらが地上に落ちて散らばっていた。上の写真は山寺駅前の旧山寺ホテルの庭の枝垂れ桜。この日は同所でフルート演奏会があり、枝垂れ桜の艶やかな開花を愛で楽しみながら演奏を聴けるはずだったが、外の風雨が激しいために廊下の障子戸も閉めての演奏会となった。むろん、この枝垂れ桜も花びらの多くが落下していた。
 山形県側はこれでもかなりましな方で、宮城県など太平洋側はもっとひどい風雨で、昨年の大震災・巨大津波に続いてまたもや大きな災厄に見舞われている。

 この旧山寺ホテルの裏側を流れる立谷川の流れも激しい濁流となって恐ろしげであった。 

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