前回と前々回の記事では架空のアメリカ軍部隊の、それも日系人部隊(全員が俳優とエキストラ)が山形の歴史的シンボルの前を堂々行進した模様を紹介した。
ところで、正真正銘のアメリカ軍部隊、それも大部分が白人からなる部隊が山形の中心街を行進し、かつ三々五々に街なかを闊歩していたことがある。
終戦は昭和20年の8月だが、アメリカ占領軍部隊は早くも9月には山形市に進駐した。
それゆえ山形では彼らのことを「進駐軍」と呼ぶのが普通であった。
戦前から山形にはアメリカ人の宣教師が居たから中心街の山形市民はアメリカ人の姿や顔を見たことがある人が多かったが、郊外の農山村部では欧米人の顔など一度も見たことがない人が多く、しかも「鬼畜米英」のイメージがあったから、進駐軍が来ることによってどんな酷い目に遭うかわからないと怖れる市民が少なくなかったが、意外に山形の進駐軍の将兵たちは概して素行が良かったようで悪行などの悪い噂はほとんど伝えられていない。
米軍は昭和29年くらいまでに山形市や神町に残っていたようだが、今では山形の街にアメリカ軍の将兵たちの姿が溢れていたことを記憶している市民自体が僅かになった。
◆写真説明 「上左」米軍の軍政部が置かれた旧山形商業銀行(米軍撤退後は農林省食糧事務所となり、その後解体され現在は生保の現代ビル)「上右」軍政部の前(郵便局の向かい)を行進する米軍「下左」戦前の旧山形商業銀行の前で集合写真 「十二月八日」の文字が見えるので昭和17年以降の写真 高額貯蓄者たちなのだろうか「下右」七日町梅月堂前を行進する米軍(昭和24年)