山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

まほろばの高畠紀行(2)

2010-09-23 00:19:27 | 建物
 高畠は「日本のアンデルセン」浜田広介の出身地であり、それに因んでJR高畠駅もきわめてメルヘン調の外観である。それがどうして西洋城館風なのかがわからないのだが。(浜田広介記念館の写真は前回記事のとおり)
さて、写真は「旧高畠駅」であるが、JR高畠駅の前身かと問われれば、さにあらず。
 前身ならばJR高畠駅の構内のどこかにあるのか、それともすぐ近くにあるのかと多くの人は推測するであろう。
 ところが、この旧高畠駅はJR高畠駅から約4kmも東に離れている所にあるのだから、話はややこしい。しかも現在ではJRとは無関係の駅だという。
 しかし、昭和49年までは奥羽本線とほぼ連結していた鉄道の駅であった。
 その鉄道とは旧「山形交通高畠線」という私鉄の路線であり、その連結地点とは現在のJR高畠駅の前身「糠野目駅」である。
 その高畠線はクルマ社会の進展による利用者の減少のゆえに廃線の運命となったが、その跡地は現在サイクリング・ロードとして少し有名な「まほろば緑道」となっている。

◆写真「上左」これが旧高畠駅舎 ただしこの写真は3年前のもの 正面のユニフォームの女性たちは高名なサイクリストが率いるチームメンバー
「上右」と「下左」旧駅舎の周辺は緑地公園だが、客車と機関車が展示されている
「下右」旧駅舎の一部 昭和9年建造のレトロ建築 地元産の高畠石が主たる建築素材

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