政宗の母義姫は岩出山から離れて(以前は会津黒川もしくは米沢からと伝えられていた)ここ村木沢の地に守護役の者のもとに長年住まい続けたわけだが、阿弥陀仏に帰依する念仏三昧の信仰の毎日だったと伝えられている。
彼女は山形に戻ったものの、兄の居る山形城内にではなく、当初は南館に住んでいたが、やがてここ村木沢悪戸に移っている。
彼女が信仰する阿弥陀仏像も彼女とともに移ったようである。
つまり彼女の信仰は阿弥陀仏を崇拝する念仏宗系の信仰だから、浄土宗、時宗、浄土真宗のいずれかのはずだが、彼女の墓のある仙台市内北山の覚範寺もまた位牌がある若林区の保春院(彼女の法名と同一)もともに臨済宗の禅寺である。
禅宗系の寺院では阿弥陀仏が信仰されることはほとんどないから、息子の政宗は母の信仰を尊重した上で死後の供養を行ったわけではないことがわかる。
◆写真は義姫の住まいのすぐ近くに移された阿弥陀堂(画質が悪く蒙御免!)