またまた、かなりしばらくぶりでこのシリーズを再開することとなった。
前回は11月26日だったから約50日ぶりのことになる。
馬見ケ崎川扇状地の突端にある妙見堂の小丘を背にしてしばらく西の方向に歩くと、左手前方ににここがキリスト教小国とは思えぬ天を突くかのような尖塔が聳える教会堂(ただし牧師も信徒も居ない、ふだんはキリスト教などほとんど信じていないウエディング・クリスチャンだけが集う魂の無いチャペル)が見えてくる。
この辺りからやや右手に歩を進めれば小白川街道、そしてやや左手に進めば千歳山の北の麓にある萬松寺の門前に至る。
炭焼藤太の妻である豊丸姫が婚姻前にはるばる京都方面から出羽の国に入り、宝沢の里に向かう途中、恥川を渡って千歳山の麓を迂回したのと反対のコースになる。ただし、平安末期と思われるこの時代にはたして萬松寺がここと同じ場所に在ったかどうかはわからない。
いずれにせよ萬松寺の門前辺りは近年まで熊野前と呼ばれていたから、熊野信仰と関係があるらしい。だが、現在は寺とも神道とも無関係なキリスト教もどきの西洋建築が天を突いている。炭焼藤太親子がこの光景を見たら何と思ったであろうか。[※この写真は3年前のものであり、現在このチャペルは白系の外壁に化粧直しされている。]
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前回は11月26日だったから約50日ぶりのことになる。
馬見ケ崎川扇状地の突端にある妙見堂の小丘を背にしてしばらく西の方向に歩くと、左手前方ににここがキリスト教小国とは思えぬ天を突くかのような尖塔が聳える教会堂(ただし牧師も信徒も居ない、ふだんはキリスト教などほとんど信じていないウエディング・クリスチャンだけが集う魂の無いチャペル)が見えてくる。
この辺りからやや右手に歩を進めれば小白川街道、そしてやや左手に進めば千歳山の北の麓にある萬松寺の門前に至る。
炭焼藤太の妻である豊丸姫が婚姻前にはるばる京都方面から出羽の国に入り、宝沢の里に向かう途中、恥川を渡って千歳山の麓を迂回したのと反対のコースになる。ただし、平安末期と思われるこの時代にはたして萬松寺がここと同じ場所に在ったかどうかはわからない。
いずれにせよ萬松寺の門前辺りは近年まで熊野前と呼ばれていたから、熊野信仰と関係があるらしい。だが、現在は寺とも神道とも無関係なキリスト教もどきの西洋建築が天を突いている。炭焼藤太親子がこの光景を見たら何と思ったであろうか。[※この写真は3年前のものであり、現在このチャペルは白系の外壁に化粧直しされている。]
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