昭和16年というから太平洋戦争突入を間近にした年の写真であるが、女性たちの浴衣のような姿が多いことから季節は夏と思われる。
それにしても人通りが多い。
左手には現在のミューズとなった旧「霞城館」、そして前方には最近閉館なったシネマ旭の前身「旭座」の2つの映画館が見えるから、これらの映画館に出入りする人たちで賑わっているのだろうか。
この辺りが大きな祭礼で賑わうということは現在でも聞いたことがないから、祭礼で賑わっているということでもなさそうであり、たぶんこの賑わいは珍しくなかったのかもしれない。それゆえ「旭銀座」との愛称がつけられたのかも知れない。
現在この通りが多くの人たちで賑わい長蛇の列ができるのは2年に1度の山形国際ドキュメンタリー映画祭の時だけである。
それにしても人通りが多い。
左手には現在のミューズとなった旧「霞城館」、そして前方には最近閉館なったシネマ旭の前身「旭座」の2つの映画館が見えるから、これらの映画館に出入りする人たちで賑わっているのだろうか。
この辺りが大きな祭礼で賑わうということは現在でも聞いたことがないから、祭礼で賑わっているということでもなさそうであり、たぶんこの賑わいは珍しくなかったのかもしれない。それゆえ「旭銀座」との愛称がつけられたのかも知れない。
現在この通りが多くの人たちで賑わい長蛇の列ができるのは2年に1度の山形国際ドキュメンタリー映画祭の時だけである。