山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

姫路城の外と内(1) 歩き回って大発見!

2007-12-11 23:06:33 | 郷土史

 関ヶ原から一気に西に向かって山陽新幹線から降りた所が姫路駅。
 それにしては上の写真は何かヘンだ。天守閣は確かに姫路城だが、下の城跡はどうも姫路城の敷地ではなさそうだ。しかも姫路市は人口は山形市を遥かに上回る大都市だが(※)、不思議なことに姫路城を見下ろせるような超高層ビルはない。
  ※ 山形市は25.5万人、姫路市は50万人
 それもそのはず、下の城跡は霞城セントラルから眺めた我が山形城跡に他ならない。
 何でわざわざ2つの写真を組み合わせたのかと言えば、現在姫路城の全体敷地と山形城二の丸部分(国史跡)の面積がほぼ同一であり、山形城跡には白鷺城と呼ばれるあの壮大な天守閣も無理なく収まる規模であることを知ってもらいたいからである。
 姫路に到着した日は堀の内に入らずに堀に沿った外周の道路を2周した。
 1周目にはボランティア観光ガイドの女性と出逢い、城の話を数多くうかがうことができた。ここであらためて感謝の意を表したい。
 そして2周目には1周どのくらいの時間を要するのかを計測してみた。その結果、私の短足にして鈍足ながら約35分であった。(好古園、動物園の外郭道路を含む)
 何と山形城跡の外周道路を歩いた時は約34分(城南陸橋を含む)であり、姫路城の外周の歩行時間とほぼ同一であることがわかったのである。
 また、帰宅してからパソコンで地図ソフトを開いたら、同じ縮尺の地図画面でも山形城跡と姫路城跡の面積がほぼ同一であることが確認できた。
 戦国大名としてはほぼ無名に近い山形城主、最上義光公はよくもまあ広大な城郭を築いたものだと感嘆してしまう。[現在の姫路城は池田輝政公が建造]
 
コメント (3)
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