山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

土蔵の街やまがたでの活用例

2006-11-25 14:12:40 | 建物
 山形は土蔵が多い。建築年代は江戸末期のものもあるがごく少数で、多くは明治以降の建造である。特に明治後期の2度にわたる大火以降耐火建築としての建造が盛んになったようだ。むろん、それだけでなく、そのどっしりとした構えと外観は社会的ステイタスを他の市民に示すうえでも有効で、富の象徴でもあった。これだけ多くの土蔵(普通「クラ」と呼ばれる)が建てられたということは、昔から山形には富裕な市民が多かったということにもなる。
 ところが残念なことに、公道からその雄姿を眺められる土蔵は意外に少ない。多くは「ウナギの寝床」のような奥行きの深い敷地の奥の方に隠れている。
 だが、最近は道路拡張や新設、敷地の公道に接する部分の建屋の解体(→駐車場化)などにより公道を通る人たちに姿を現す土蔵が増えている。
 しかし老朽化により解体が迫られる土蔵が多く、所有者の苦悩は大きい。
 それでも土蔵の存在感あふれる荘重な雄姿と美しさに見せられている学生などの若者たちが中心の「蔵プロジェクト」(←クリック)という集まりが数年前に結成され、古い土蔵の保存と利活用に関する活動が進められている。
 この写真の土蔵も蔵主と彼らの協力により工芸作品等を展示する施設としてこのほどオープンしている。
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