街村としての旧延沢城下町の背後に典型的な山城であった延沢城跡が堂々たる姿を見せている(前回記事の写真Dおよび11月20日記事の写真)が、この裏側の東北方向一帯に尾花沢盆地が広がっている。
延沢集落のすぐそばの短いトンネル(写真A)を潜り抜けて間もなく右手前方に円照寺の山門と堂宇が見えてくる(写真B)。
この寺はなんと延沢城の武将の夫人たちが山越えして集い合った所で、城の女性たちには縁の深い寺であったようだ。そのせいか城主延沢遠江守夫人で山形城主最上義光の娘松尾姫の墓がある(写真Cの左側)。真ん中は延沢城を築いた遠江守の祖父薩摩守の墓である。撮影時、間近にカモシカ2匹の姿が見られた。
松尾姫はわずか29歳で死去しているから何とも哀れだ。夫の遠江守も父の最上義光もさぞかし悲嘆にくれたであろう。
この寺を離れて右の方向に向かえば銀山温泉方面だが、この度は左側(西北方面)の徳良湖方面を目指して帰路の途についた。
後に繁栄した銀鉱の銀山も、この広々とした豊穣な尾花沢平野(写真D)もともに掌握したのが延沢城主の能登守と遠江守の父子であった。
そこで、一つクイズを与えたい。
この山深い延沢城跡と円照寺、そして銀山も近い尾花沢平野に至る行程の交通手段は何と心得る? ⇒ 回答は後日
延沢集落のすぐそばの短いトンネル(写真A)を潜り抜けて間もなく右手前方に円照寺の山門と堂宇が見えてくる(写真B)。
この寺はなんと延沢城の武将の夫人たちが山越えして集い合った所で、城の女性たちには縁の深い寺であったようだ。そのせいか城主延沢遠江守夫人で山形城主最上義光の娘松尾姫の墓がある(写真Cの左側)。真ん中は延沢城を築いた遠江守の祖父薩摩守の墓である。撮影時、間近にカモシカ2匹の姿が見られた。
松尾姫はわずか29歳で死去しているから何とも哀れだ。夫の遠江守も父の最上義光もさぞかし悲嘆にくれたであろう。
この寺を離れて右の方向に向かえば銀山温泉方面だが、この度は左側(西北方面)の徳良湖方面を目指して帰路の途についた。
後に繁栄した銀鉱の銀山も、この広々とした豊穣な尾花沢平野(写真D)もともに掌握したのが延沢城主の能登守と遠江守の父子であった。
そこで、一つクイズを与えたい。
この山深い延沢城跡と円照寺、そして銀山も近い尾花沢平野に至る行程の交通手段は何と心得る? ⇒ 回答は後日