中3には理科と数学を渡す。理科は奈良県から鳥取県まで、そして数学は宮崎から沖縄県まで。
昨夜させたのが鈴鹿英数さんが出している今から3年前の予想問題。去年もこの時期にさせた。そして智照(津高1年)が理科で28点、5教科総合で159点。これで津高勝負、激昂した俺、「明日から学校を休め! このまま学校へ行ってて落ちるのと、二三日休んで受かるのとどっちがいい!」
それから智照の朝からの授業が始まる。学校を休ませて塾で勉強をさせる・・・やり過ぎだとのコメントは甘んじて受けるつもり。しかし、このまま手をこまねいていては確実に落ちる・・・30年間、生徒のツキの浮遊を眺めてきた俺の直感。俺の商売は生徒を高校に合格させることだ。高邁なる教育の目標なんぞは持ち合わせていない。ただ合格させること、これしかない。そのために報酬を頂いていると思っている。
学校を休んで智照にさせたメニューが、中3に今日渡した理科・・・奈良県から延々と岡山まで。これを1日で仕上げろと言った。翌日は広島・山口から四国地区へ、そして3日目には九州から沖縄、・・・西日本を終えた。
ウチの塾では過去4年間の先輩たちの点数表を中3に見せて、今の自分の実力を認識させる。今日、あまりこの類に心動かすことがない廉が珍しくうなった、「この成績で津高に受かるって・・・智照先輩、すごいですね」 「まあな、火事場の馬鹿力やな」 ・・・誰も俺のことを褒めてはくれない。ただ、俺は言いたい。確かに反社会的な行動だったのかもしれないが、あの4日間が智照の入試の趨勢を分けたのだ。
落ちて自分に対して自信を持てないままの高校3年間を送るのか、合格して図に乗る危険はあるものの自分の実力に自信を抱いて3年間を送るのか・・・俺にとって選択肢は一つしかない。
ちなみに・・・今年は智照ほどに警戒警報発令の生徒はいない。
こんな喧騒のなか、。勇太(三重大学院2年)がやって来る。
「6年間お世話になりました。週明けに下宿を引き払います」
就職先は東海地区の大企業。・・・最近、社長が代わったとこね。
塾としては勇太に本当に助けてもらった。「塾で教え始めて一番手を焼きましたね」 ・・・今年の高1のこと。あの学年をそこそこにまとめてくれた。あげく、文系の生徒もなぜか物理基礎が一番点数がいいのだ。勇太が塾にしてくれたこと、それと同時に俺にできること、勇太の性格をできるだけ就職に向くように磨いたつもりだ。
「近い将来、理系の生徒がオマエの会社を受けたいって奴が必ず出てくる。その時は頼む」 「分かりました」
本来ならじっくりと酒でも飲みながら6年間の思い出を反芻したかったが・・・
・・・こんな時期だ。高2から模試の返却が続く。そして中学生は学年末試験直前。中3は2週間を切った、高3も延長戦が始まっている。3月に実家近くで飲む約束をして別れる。
3月のいつの日か、塾を一日休みます。勇太の実家のある豊川で、勇太の親父さんともども酒に溺れます。