お知らせ
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。
いつもの木曜日が始まる。まずは・・・里恵(7期生)の現代文。
その里恵、玄太(24期生・三重大学医学部4年)の広島の学会土産をせしめて皆に配り始める。
広島・・・当然もみじ饅頭である。
未確定情報なれど少しずつ期末の範囲がアップしてくる・・・南が丘3年の社会の範囲、第一次世界大戦までくらいやな。これで今年もまた2学期中間試験でやっと歴史が終わるという体たらくになりそうだ。つまりは2学期期末と3学期の1月実施の学年末で公民を1冊全範囲・・・ありえん。
そしてひたすらに質問をさばく。
連絡がない欠席者多々・・・玄太の授業がなくなる。
だいたいやね、大切なウチの講師にどういう対応をしてくれるのか、それも先輩やで・・・一本ネジがはずれている高1が多すぎる。
気分よく旅行から帰った途端にこれや・・・ったく。
今回の旅で4回目の給油をしてから午前11時半過ぎに岡山インターに入る。
できたばかりの新東名の宝塚北SAで『神倉』のラーメンを食らい、甲南で15分ほど仮眠して午後3時半に塾に戻る。
洸太はやはり予想通りに元気そうでおもしろくなかった。頭を垂れて、・・・ホームシックで・・・と泣きそうやったらかわいかったんやけどな。
長崎駅近くの桜木町『亜紗』本店・・・客層はリーマンがほとんど、隣のテーブルは同窓会の二次会、みなが俺より年長だ。そんななかで俺たち・・・浮くな。
仲良しグループはほとんどが浪人、その出身予備校が北九州予備校・・・翌々日の大西君との話のなかで出る、九州を制圧した予備校だ。あげく東京進出となるが、やはり九州色を消して名前を変えての登場かと思いきや、北九州予備校の名前で挑戦状を叩きつけた。
長崎大学の建築には、九州大学や熊本大学にセンターで届かなかった生徒が多いとか。ところが長崎大学のおもしろいところは建築一直線でもなく、自動車系や航空機系にも就職している身代わりの速さ。ただ、ガチで建築に入れ込んでいる生徒は熊本あたりの編入を考えているとか・・・ともあれ享楽追求型のグループではなく良かった。元気であっても就職どこ吹く風・・・昔の俺みたいなんでも困るしな。
居酒屋でのバイトも始めた。しかし最低賃金が三重県と比べると100円安く、750円。そんな環境で800円からスタート。大学近くの飲み屋でほとんどの客が学生、さらには飲み放題と食べ放題の客ばかり。しかし同じ居酒屋でも場所は少々離れるが、この『亜紗』の客層のほうが後々役に立つはず。まずは学生街、次は駅前進出かな。
さすがに九州、言葉の壁はきつかったようで、疲れたの「えらい」は通じず、荷物を「しょって」も通じず、当然のごとく三重県弁の語尾の「やん」やら「やに」は馬鹿にされ・・・今の洸太のニックネームは「やんやん」
長崎大学の学食は高いそうで洸太は毎日自炊とか・・・お母さん、自炊する毎日を送りながら洸太はお母さんに感謝してましたよ。今までの人生で、当たり前だったお母さんの存在が下宿してみていかに大きな存在だったかを日々噛みしめてるそうです。夏に帰省したら毎日飯を作ってもらってください。
ただ、坂の多い長崎・・・移動は自転車では無理です。やはりバイクの免許を取らせてあげていただけないでしょうか。危険は本人もよくわかっているようなので、すぐにではなくどうしても必要とあらばその時は寛大なる処置をお願いします。
長崎駅前で最終の市電に乗ろうと走る洸太。・・・どうやら待っててくれたようで無事に乗り込む。
洸太を見送り奥さんと二人でホテルに帰る・・・洸太が「景色優先」とかで予約してくれた『長崎にっしょうかん』
長崎の午前0時の夜景・・・本当に見事な景色でした。
昨夜は授業。一人は英検準2級、一人は公立6年一貫制の4年で仮定法まで終わってる。
これからの授業をどう進めるか、そんなことを考えながら大西君の家で酒を飲む。
タクシーでホテルに戻り熟睡。今はモーニング。
これで520円。
今から岡山の塾に寄ってから高速に入る予定。