お知らせ
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。
あい(23期生・三重大学教育学部卒)との最後の食事・・・
『藤が丘食堂』・・・午前11時半には出るつもりが、小学生がずっといたり、保護者の方が来られたりと予定していた『食遊人』までは動けない。仕方なく近場で済ますことになる。
なぜこんなに忙しい、そんな思いはある。身体が付いていけないのだ。昼からも途切れずに塾生が来て、予定していた動きができない。
なんとか英語の高3の授業だけはと、新中3や新中2がいるものの強引に入れる。
こんな広い空間で授業をすると目眩の連鎖、それでも話したいことはある。
今年の高3(27期生)のこと、あるいは明日のカラオケ大会のこと・・・目眩のために視線を高3に合わせられない。話すときは人の目を見て・・・今の俺には到底無理なのだ。吐き気がする、それでも頭を過る言葉の断片をひっ捕まえて話す。
昨夜は諒(三重大学工学部院1年)の授業、馨五(津高2年)の数学。
それが終わってから諒を送る。いっしょに直樹(津西2年)を送っていこうとしたらすでに帰っている。諒は三重大学留学生寄宿舎に住んでいる。語学を修得する・・・3言語目の習得にはいい環境だと思うが、なかなかなり手ががいないらしい。1年間のオーストラリア暮らしから復帰の諒、英語が堪能なのを見込まれたか、そこに住むようにと頼まれた。寄宿舎は4人部屋、その部屋に一人、日本人が暮らす。留学生の不安や質問を聞いてあげる存在・・・。「でもね、みんなすごいですよ。ちゃんと日本語は話せるしね、実際に僕がすることはあまりないですよ」
南門・・・工学部裏のほうで、昔はよく橋本ドクターを送ってきたところ、懐かしい。
プリウスの中で話したことを反芻してみる・・・不安はないようだ。とりあえずは志望企業については大学の推薦も取り付けた。それ以外の企業にも目を光らせている。やはりウチの塾での暮らしが長いぶん、やることは早い。
今日は娘と昼食を食べに出ます。午前11時半から2時まで塾を空けます。
ここふた月ほど、数日を除いて毎日のブログへの訪問者数が1000名を突破しました。感謝してます。
でも、そろそろ受験の日々も終わり鎮静化しつつあります。まあ、今年は難化すると予想していた公立入試は今年もまた全国で最も安易な問題、見事に恥をかいたわけですが、飲んだ数だけ恥をまき散らしてきた俺です。今年もめげずにまたぞろ生意気なコメントを書くつもり。受験生のメンバーも一新、新たな受験に臨むことになります。これからもたまには覗きに来てやってください。不特定多数の観客の無言の声援を背に受けて、28期生と31期生がどのような1年を過ごすか・・・お楽しみください。
諒(21期生・三重大学院1年)の背広を脱いでの授業。
その横では・・・
分からない問題を教えているんだろう。
俺は諒を三重大裏の「三重大学留学生寄宿舎」まで送る。諒はそこの室長なのだ。
明日・・・今日は昼に塾を開けます。娘のあい(23期生・三重大学教育学部卒)から昼飯をいっしょに食べないかと提案がありました。あいは明日の31日に研修先の東京へ向かいます。
最後の晩餐・・・『藤吉郎』かな。
三重大学の合格発表・・・あれから4年。
あいの就職活動はウチの塾に背を向けての活動だった・・・ではない、俺に背を向けての活動、そんな感じだ。
俺には一切の相談をしなかったが、塾の人脈を利用してOBたる銀行関係者に連絡してコンタクト。県内外の企業についての質問や就職活動について話をしていたようだ。
そして彼女が選んだ企業・・・何をしたい、やりたいのではなく、どのようにして働けるか、それを考えての就職活動だったと思う。
さすがにウチの塾にどっぷり浸かって育った以上、俺に背を向けていようとも就職活動に関する動きは早い・・・心配はしていなかった。それでもこんな時代だ、教育学部から一般企業・・・それなりの圧迫面接が予想された。たとえば・・・「教育学部に進学する以上は将来は教壇につくのが夢だったはず・・・それがなぜウチの会社なんですか?」 そんな質問は過去20年間以上、日常茶飯事。それに対する返しも想定していた。しかし・・・あいが受けた企業のどこからもその類の質問、一切出なかった・・・。
「その会社はね、将来私が誰かと結婚して日本のどこかへ転勤しても、その地域にある支店で働けるのよ」 ・・・何をやりたいかではなく、日本のどこででも働ける・・・その視点からの選択。
「だって私は一生働きたいから」 ・・・ちょっと嬉しくなる。