昔は鼻紙をポケットに入れて歩いていましたが、ポケットティッシュが誕生して随分便利になりました。
鼻紙と言っても言葉すらご存知ない方も多いと思いますが、鼻汁などをはらう紙です。
この鼻紙がポケットティッシュに代わってから47年になります。
今日はティッシュペーパーについて調べました。
ティッシュペーパーとは、薄く柔らかい紙のうち、難水溶性の日用品で、ティッシュまたはティシューとも略されます。
ティッシュとは「織物」のことで、金糸を布のように織ったものを「ゴールドティッシュ」と呼び、それを重ねるときに間にはさみ込む薄い紙を「ティッシュペーパー」といったことに由来します。
ティッシュペーパーを開発したのはアメリカのキンバリー・クラーク社です。
第一次世界大戦中 、欧州の戦場では負傷兵を治療するための脱脂綿が不足したことから脱脂綿の代用品として開発され、さらに吸収力を高めたものをガスマスクのフィルターとしても使用したということです。
1924年(大正13年) 、第一次大戦が終了した後、ティッシュペーパーは過剰在庫になりました。
そこで、製造元のキンバリー・クラーク社は窮余の策として、化粧落とし用のティッシュペーパーに加工して「クリネックスティシュー」の商品名で発売しました。
以降アメリカではティッシュペーパー=クリネックスという名前が定着したということです。
日本でティッシュペーパーが発売されたのは第二次大戦後の1953(昭和28年)のことだそうです。
一方、携帯用ポケットティッシュは日本が発祥です。
1968年(昭和43年)、高知県の製紙加工会社が考案し、それまでに宣伝用に配られていたマッチに代わり誕生したと言われています。
日本中に広まったきっかけとして、1970年(昭和45年)に富士銀行(現・みずほ銀行)が口座開設の粗品として20万個配布したしたところ評判となり、やがて、チラシ代わりの宣伝材料としても広まりました。
現在も、以前と比べて少なくなりましたが、宣伝用のポケットティッシュが繁華街やターミナル駅前などで配られているのをよく見かけます。
但し、厭がる若い女性には渡していますが、おじさんには渡してくれません。
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そんなポケットティッシュを、きのうだけで2個も出かけた先の駅前で手渡されました。直ぐに使わなくても、溜めて
必要に応じて持ち歩きしますから重宝しています。
負傷兵を治療するためにティッシュを発想したとは、こんなところにも戦争による副産物が造られたのですね。
功罪相半ばする品です。(^^ゞ
白山神社の「富士塚」は、「あじさいまつり」の季節だけのようですから、登ってきました。^^
クリネックスは日本製紙のブランドだと思っておりました。
ティッシュ配りは、(.らいちゃん)様を避けているわけではなく、命じられた購買層を対象に渡していたのだと思いますよ。(笑)
ティッシュ配りは中々難しいのです。
以前は受け取る側の人間でしたが、昨今では啓蒙活動の一環で、年に何度かは配る機会もございます。
タイミング良く目の前に出しているつもりですが、中々受け取ってもらえないと、嫌気がさしてきます。
普通のティッシュでは受け取ってもらえないので、ウエット・ティッシュや絆創膏セットなどと工夫するようになって参りました。
こちらですと、比較的受け取ってもらえますね。
そんなこんなで、配る苦労を知ってからは、なるべく受け取ることにいたしておりますよ。
上海の隠れ家に逃げ込んでおります。
半年振りなので住宅は、あちこちガタが来ており修理の依頼をしております。
修理人を待ちながら、今夜は何を食べに行こうかと、思案いたしております。
浮世のしがらみを離れ、中華料理で青島ビールやバドザイザーなどを楽しむのが、最高のひと時です。(笑)
そうでしたか。安心しました。
>浮世のしがらみを離れ、中華料理で青島ビールやバドザイザーなどを楽しむのが、最高のひと時です。
中国のビールのお味は如何ですか?
中国美人を傍に招いて飲むお酒は最高でしょう。
くれぐれも羽目を外さないようにしてくださいね。