らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

比翼連理

2020-06-28 | 雑学

男女の仲や夫婦仲が極めて睦まじいことを例えて使用する言葉に「比翼連理」があります。
この言葉は「比翼の鳥」と「連理の枝」を組み合わせた言葉です。

今日は「比翼連理」の由来について調べました。
比翼連理とは、中国の伝説上の鳥と木のことです。
比翼という鳥は雌雄それぞれ一目一翼のため、つねに並んで一体となって飛ぶといわれ、連理の木は2本の木でありながら、枝が連なって1本となり、木目(もくめ)も相通じているとされていることから、ともに男女の契りの深さに例えられます。

「比翼の鳥(ひよくのとり」
比翼の鳥は、一眼一翼(一説には、雄が左眼左翼で、雌が右眼右翼)の伝説上の鳥で、地上ではそれぞれに歩きますが、空を飛ぶ時はペアになって助け合わなければ飛べないと言われ、このことから、後の人は仲のいい夫婦を「比翼の鳥」に譬えるようになったと言われています。

・伝説上の比翼の鳥です。(ウィキペディアより)


「連理の枝」
一方、「連理の枝」は、中国・東晋王朝期(317-420年)に著された志怪小説集『捜神記』のある説話に由来します。
志怪小説とは、六朝時代(222年~589年)に書かれた奇怪な話で、「捜神記」は、4世紀に東晋の干宝(かんぽう)が著した志怪小説集です。

その中に著された説話です。
戦国時代、宋の国の大臣・韓凭(かんひょう)と夫人の何氏は仲睦まじい夫婦でした。
ところが、酒色に溺れ非道であった宋の国王・康王は、何氏の美貌が気に入り、韓凭を監禁してしまったのです。
何氏は密かに夫に次のように手紙を書きました。
「雨が降り続き、川の水かさが深くなっています。出かける時は気をつけてください」
ところが、この手紙は康王の手中に落ち、夫の元には届きませんでした。
実は、これは何氏の絶命詩で、「出かける時は気をつけてください」とは、自ら命を絶つ覚悟を表していたのです。

果たして、何氏は、康王に付き添って出かけた際に高台から飛び降りて自殺したのです。
一方、夫の韓凭も間もなく愛する妻のために命を絶ちました。
康王は激怒し、この二人を同じお墓には入れず、わざとすぐそばに別々に埋葬したのでした。
それは、お互いがすぐそばにいるにもかかわらず、いつまでも一緒になれない辛さを味わせるためでした。

ところが、なんと数日後には二つのお墓から木が生え、枝と葉が抱き合うように絡み合い、根も繋がって絡みついていたのです。
そして、その木の上ではつがいの鳥が何とも物悲しい声でさえずりあっていました。
これが「連理の枝」の由来と言われています。

・連理の木です。(ネットより)


「比翼連理の由来」
比翼連理の由来は白居易の長恨歌(ちょうごんか)です。
唐代の詩人白居易(白楽天)は唐の6代皇帝・玄宗と楊貴妃との悲恋を『長恨歌』に詠みました。
その中で、「天に在りては比翼の鳥となり、地に在りては連理の枝とならん」と詠っており、これが比翼連理の由来となっています。

参考までに長恨歌のあらすじです。
(参考)
「長恨歌あらすじ」
漢の王は長年美女を求めてきましたが満足しえず、ついに楊家の娘を手に入れました。
それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げたのです。

その有様に反乱(安史の乱)が起き、王は宮殿を逃げ出すことになります。
しかし楊貴妃をよく思わない兵は動かず、とうとう王は兵をなだめるために楊貴妃殺害を許可する羽目になったのです。

反乱が治まると王は都に戻ったのですが、楊貴妃を懐かしく思い出すばかりでうつうつとして楽しめません。
そこで、道士が術を使って楊貴妃の魂を捜し求め、苦労の末、ようやく仙界にて、今は太真と名乗る彼女を見つけ出します。

太真は道士に、王との思い出の品とメッセージをことづけました。
それは「天にあっては比翼の鳥のように」「地にあっては連理の枝のように」で、この言葉はかつて永遠の愛を誓い合った思い出の言葉だったのです。

これが漢詩を意訳したあらすじです。

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3 コメント

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長恨歌 (hide-san)
2020-07-01 17:10:19
高3のとき漢文の時間に、
大学の中国語科の教授が、長恨歌を中国語で呼んでくれました。

この詩は中国語で読むと音楽を聞いて居るようであったことを記憶して居ます。

それでこの詩」が大好きになり、
楊貴妃がお風呂に入るシーンがあるのですが、
次女が楊貴妃を支えて風呂に入れるのですが、
楊貴妃の体が柔らかくて、
「手で持つとつるりと滑り、湯船にするっと入る」
もう忘れますたが日本語で出来ない表現があったと思います。
思春期の時代ですから女性の体はそれほど柔らかいものと、
想像しました。

終わりの項に、比翼の鳥、連理の枝があり、
比翼の鳥は、男女は一身同体でそれぞれ左右の翼(つばさ)をさし、
連理の枝も同じ意味で、一つの枝が一身で、
そこから二つに分かれる枝は片方が男性、もう一方が女性と、
教わりました。
返信する
hide-san様へ (らいちゃん)
2020-07-01 19:52:41
コメントありがとうございます。
ヘメロカリスについては以前調べたことがありました。
名前の由来が、ギリシャ語の hemere(ヘメラ:1日)、kalos(カロス:美しい)からといわれ、1日、美しい花ということだったように思います。
英名では「デイリリー(Day lily)」と呼ばれており、百合の仲間のようですね。

比翼連理についてはhide-san様のような生々しい記憶がないのですが、楊貴妃にまつわる伝説はたくさんあるようですね。
彼女は世界三大美女の一人ですから、当然と言えば当然なのかも知れませんけど。
返信する
(らいちゃん) へ (iina)
2020-08-30 08:56:59
長恨歌は、有名な詩なので当方が勘違いしているのか、「漢文」で習ったような気がしています ❔

比翼連理(ひよくれんり)を初めて知りました。φ(..)メモメモ
    それにしても、「比翼の鳥」や「連理の枝」を、よくご存知ですね。

ちなみに「ひよく」と綴ると、「比翼連理」が漢字変換の候補に列挙されました。


寝ている客に怒って追い出したことが裁判で追認されたなんて間違ってます。裁判長も談志も無粋と思わざるを得ません。



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