らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

南御堂(真宗大谷派難波別院)

2013-10-09 | 地元紹介

今回の大阪行きでは、天王寺公園の茶臼山付近を散策した後、難波から淀屋橋まで御堂筋を北へ歩きました。
途中、中央大通りを挟んで「南御堂」と「北御堂」に立ち寄りましたので簡単にご紹介します。

「南御堂(真宗大谷派難波別院)
「南御堂(真宗大谷派難波別院)」の創建は、今から400年以上前の安土桃山時代の末の1595年(文禄4年)で、本願寺第12代・教如上人(1558~1614)が大坂渡辺の地に「大谷本願寺」を建立したことに始まります。
創建から2年後の1598年(慶長3)に、豊臣秀吉による大阪城の拡張と、城下の町制改革などにより、大谷本願寺は現在の難波別院のある地へと移転しました。
その後1602年(慶長7)には、関ヶ原の合戦に勝った徳川家康によって京都・烏丸七條の地が寄進され、教如上人は大坂から京都へと寺基を移しました。

教如上人は東本願寺(真宗大谷派の本山・真宗本廟)の建立と共に、大阪の大谷本願寺の地を「難波御堂(難波別院)」とし、大阪における念仏の中心的な道場としました。
その後も上人はたびたび大阪の地に赴き、念仏の教えを説き広め、上人亡き後も難波別院は、宗祖親鸞聖人の教えを伝えていく上において、今日まで大きな役割を果たしてきています。

・南御堂の御堂会館です


・難波別院南御堂(本堂)です。


「鐘楼」
大晦日には午後11時30分から鐘撞きがはじまり、108打以降も午前1時頃迄 鐘を撞くことができるそうです。

「梵鐘」
難波別院の境内には、開基である教如上人が大谷本願寺を創建された際、1596年(文禄5)に鋳造された「大谷本願寺」銘の梵鐘が今も残り、教如上人の遺徳を伝えています。

・永禄5年(1596年)に製作された「大谷本願寺」銘のある梵鐘です


「松尾芭蕉の終焉の地」
俳聖・松尾芭蕉の終焉の地としても知られる難波別院境内には、芭蕉翁の辞世の句の一つ「旅に病で ゆめは枯野を かけまはる」を刻んだ句碑が建てられ、毎年11月には50年以上にわたって「大阪の芭蕉忌~法要と句会~」が開かれ、多くの参加者が足を運んでいるそうです。





・芭蕉の句碑がある獅子吼園です。


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1 コメント

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御堂筋 (iina)
2013-10-09 09:05:50
「旅に病で ゆめは枯野を かけまはる」が芭蕉の辞世の句でしたか。「旅に病み」と思ってました。「旅にやんで」と
字余りの句を残したのは、まだこの世に未練があったのでしょうね・・・。
御堂筋は、広くて緑もあり歩いても気持ち好いので「南御堂」と「北御堂」も寄りました。

「横顔正面」の写真は、偶然に撮れたものではなく巧妙な仕掛けで合成された画像です。

なお、トラックバックは成功していました。
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