2020東京オリンピックは今日が閉幕となります。
コロナ禍という異例な状況下での開催でしたが、選手の皆さんは全力で競技に取り組み、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。
特に日本の選手は地元開催とは言え、予想以上の活躍であり、過去最多となるメダルの獲得を果たし、コロナで沈んだ国内を盛り上げてくれました。
一方、世界から非難の声が上がっているのが、反日を掲げる韓国の選手や五輪関係者たちです。
開会式では不適切な表現で国を紹介したり、オリンピック村での食事では福島産の食材に放射能汚染がないにも拘わらずその事を吹聴したり、段ボールベッドを壊してSNSに投稿したりなどの好き勝手なことをしています。
この国の人たちは他国で迷惑をかけても恥ずかしいという気持ちがないのでしょうか?
「諺」
「穴があったら入りたい」と云う諺があります。
この諺はよくご存じのように、「身の置き所がなく、そこに穴があったら入って隠れてしまいたいほど、恥ずかしくてたまらない」と云う意味です。
この諺の出典は日本の故事からかと思っていたのですが、調べてみると中国でした。
そこで今日はこの諺の出典を調べることにしました。
「故事」
中国の春秋時代(紀元前770年~紀元前403年)、魯(ろ)の国の単父(ぜんぽ)と云う町に斉(せい)の国が侵略してきました。
そのことを知った魯の地方領主の季孫(きそん)は、町長である宓子(ふくし)に、実った麦を奪われないように全員で町中の麦を急いで刈り取るように命じました。
しかし、宓子がその通りにしなかったために、麦はまんまと敵に取られてしまいました。
領主の季孫がこのことを知って「人々が苦労して耕作したのに収穫することもせず、忠告をした人もいるのに、そなたは聞かなかったのか」と怒って町長である宓子を責めました。
そこで、宓子(ふくし)はかしこまって次のように答えたのです。
「今まで農作業をサボっていたような者にまで麦を刈り取らせたら、また敵が攻めてくればいいと思うようになるでしょう。一年分くらいの食糧は我が国にとって大したことはありません。麦はまた来年蒔けばいいが、民衆の曲がった気持ちはなかなか直らず、数年は続くことでしょう」といったのです。
それを聞いた領主の季孫は自分の浅はかさを恥じて、身の置きどころがないと思い、「穴があったら入りたい。宓子(ふくし)に会わせる顔がないほど恥ずかしい。」と言ったということです。
この故事から生まれたのがこの諺で、「穴があれば入りたい」「穴があるなら入りたい」とも言います。
冒頭に書いた反日を掲げる韓国もそうですが、他国の領海に平気で侵入を繰り返したり、自国民の生命を軽んじる中国の指導者たちもそうです。
中国には、2500年ほど前にはこのような立派な人たちがいたのに、今の指導者は歴史を知らないのでしょうか?
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こんなエッセイを書いて見たいと常々思って居るのですが、
少し頭が古ボケてきたのか思うように行きません。
ホントは、領主が恥じて言葉にしたのでした。でも、諺の出所が分りました。( ..)φメモメモ
思うに、宓子(ふくし)の言い訳は一理ありますが、詭弁であるように思います。耕作が無になる方が町のためになりません。
田んぼアートは、アチコチで観光地化しているようです。
こんなアートを知ったのは、阪神タイガースを応援する「トラちゃん田んぼ」がはじめてでした。
いまでは、畑に点を鵜したため廃止されたそうです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/3dcb15f02e0eea4aa79b37e33ed975b1