らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

大阪名物「粟おこし」「岩おこし」

2021-08-20 | 地元紹介

今はあまり聞きませんが、子供の頃、岡山が故郷の私は ‟「岩おこし」「粟おこし」は大阪の名物だよ” と、周りの大人から聞き、ご近所や親せきの人からお土産に頂いて食べたことがあります。
その時の美味しかったその味は、今でも記憶の片隅に残っています。
そこで今日は「おこし」について調べることにしました。

「おこし」
先ず、「おこし」は「興し」「粔籹」などとも書き、米(もち米・うるち米)を蒸してから乾燥させ、これを炒ったものに胡麻、豆、落花生などを加え、水あめと砂糖とで固めたお菓子です。
その由来は、中国から伝えられた菓子の一つ「おこし米」から改良されたものだということです。

「大阪名物・粟おこし」
粟おこしの由来は、奈良時代に糒(ほしい=炊いたご飯を水で軽く洗い天日で乾燥させた食品)を蜜などで固め、豊作祈願として神に捧げられたものが起源とされています。
室町時代になると、一部の貴族などの間で食べられるようになりました。

もともと粟が原料だった粟おこしは、やがて米などを用いるようになります。
江戸時代に「天下の台所」と呼ばれ経済の中心地であった大阪は、良質な米や飴などの材料が比較的安価に入手できたことから、米を用いた粟おこしの製造が盛んに行われるようになりました。
やがて、粟おこしは大阪を代表する菓子として全国に広まったのです。

・大阪名物の「粟おこし」と「岩おこし」です。

「岩おこし」
岩おこしは、米を細かく砕き、水飴などで固めたお菓子のことで、そこにショウガやゴマなどが混ぜられることもあります。
その始まりは、江戸時代中期です。
庶民には米は高価だったことから、一般の「粟おこし」は「粟」や「ハトムギ」から作られていましたが、大阪では米・飴・砂糖の入手しやすかったことから、米が食材として注目されたのです。
そして、粟の代わりに米を細かく砕いて作った米の粟おこしを開発したところ、非常に評判がよかったことが始まりとされています。

この米の粟おこしは、大阪城築城によって繁栄していた大阪では、「身を起こし、家を起こし、国を起こす」縁起の良い食べ物として人気を博していたのです。
そして、名前については、江戸時代に大阪の町で運河工事の際に大きな岩がたくさん出てきたことから「大阪の掘り起こし、岩起こし」 という大阪人の駄洒落に由来し、その固さにちなんで「岩おこし」の名が付けられたということです。

「梅鉢の御紋の由来」
なお、岩おこし、粟おこしには梅鉢の御紋が入れられるのが通例ですが、これは太宰府に流される菅原道真が、潮待ちのため現在の大阪市上汐辺りで休憩していた時に、同情した老婆が菓子を献上すると、菅原家の梅鉢の御紋が入った自分の着物の袖を老婆に与えて、感謝したことが始まりとされています。

大阪名物の「岩おこし」「粟おこし」は美味しいですよ。
来阪時のお土産に如何でしょうか?

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする