らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

飴ちゃんの由来

2021-08-12 | 雑学

大阪のおばちゃんなら殆んどの人が持っているであろう「飴」、或は大好きであろう「飴」は、愛嬌を込めて「あめちゃん」と呼ばれています。

「飴の由来」
「日本書紀」の神武記(日本に伝存する最古の正史で、神代から持統天皇までが記述されている)に、「水無し飴を作って天下を戦わずして平らげる」と載っていることから、飴は余程の貴重品だったようです。
飴は神に供えたり、貴人の口にのみ入る甘味料でしたが、「*延喜式」には、京都の西ノ京に飴屋が出たとあるので、この頃は商品になっていたようです。
そして、鎌倉鎌倉時代には飴売りの行商も出現し、江戸時代になるといろいろな出で立ちで面白おかしく売り歩くようになります。

唐人飴売りは子供が飴を買うと鉦(かね)やチャルメラではやし、歌や踊りを見せたりしました。
飴細工を作って売る者や古鉄と交換して飴を渡す者、歌や踊りで売り歩く者もいたようです。

明治の初めには「よかよか飴屋」が流行し、次のような歌を歌いながら売り歩いたそうです。
♪「ああよかよか、よかよか飴屋のかかなれば、好きな太鼓で飯食って、ドドンがドンならドドンがドン、ああのんきな商売やめられない」と。

「参考」
*「延喜式」とは、延喜5年(905年)、醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は藤原忠平が編纂に当たり、927年(延長5年)に完成し、その後、改定を重ねて967年(康保4年)より施行された50巻からなる律令細則です。

・飴売りのイラストです。


キャンディの語源は、アラビア語で砂糖を表す「quand」からきたという説、ラテン語のcan(砂糖)とdy(型に流して固める)からできたという説、インドのもっとも古いお菓子で「kandi」とよばれる棒の先に砂糖の結晶がついたものがcandyの語源であるという説など、諸説あるようです。

「飴の語源」
日本では前述したように甘味料としての飴(水あめやさらし飴)から歴史が始まりました。
そして、飴の語源は「あま」「あまい」とされ、古くは神への供物に使われ、平安時代には貴重な栄養源として重宝されていました。

固形の飴が作られたのは江戸時代になってからで、高級品であった砂糖が一般に手に入るようになって、種類も豊富になりました。
縁日などで売られるようになると、全国的にお菓子として定着し、子供たちの人気を集めました。
さらに、明治時代に入ると、外国からキャンディが伝わり、いろいろなキャンディが食べられるようになりました。

日本の年中行事の中にも飴が使用されています。
正月の縁起物で新年を祝う「福飴」、端午の節句に健康を願う「金太郎飴」、重陽の節句の長寿の縁起物としての「翁飴(おきなあめ)」、七五三の縁起物で末永く生きてほしいと願いをこめた「千歳飴」などがあって、飴は日本のくらしの中で親しまれるようになっていったのです。

「飴ちゃんの由来」
大阪のおばちゃんが「飴ちゃん」と呼ぶようになったのは次のように言われています。
・一つは、「雨」と区別するためという説です。
「雨」と「飴」、同じ発音の「あめ」であるため、それぞれを間違わないように区別して、飴のほうを「飴ちゃん」と呼ぶようになったという説があります。

・他には、関西では食べ物を中心に「お芋さん」、「お粥さん(おかいさん)」、「お豆さん」など、食べ物に「お」や「さん」をつける習慣があります。
これは京都の御所言葉から広まったもので、宮中の女性たちの女房言葉が由来になっており、尊い食べ物に「さん」をつけていたのが始まりのようです。
飴についても、もともとは「飴さん」と呼ばれていたのが、関西の人に飴を携帯する人が多く、お菓子の中でも飴がより身近な物であることから、飴だけが「さん」よりも親しみやすい「ちゃん」を付けられ、「飴ちゃん」と呼ばれるようになったのではないかという説があります。

いずれにしても、「飴ちゃん」をコミュニケーションツールと考えている人が多く、知らない人に渡すこともあるようです。