信楽焼と言えばタヌキの置物が有名ですが、泉南地方でも可愛いタヌキの置物を置いている家庭や店舗をたまに見かけることがあります。
店舗では商売繁盛の縁起物として、一般の家庭では愛好家の収集物の一つとして飾っているのでしょう。
それにしても、なぜ、タヌキの焼物が信楽なのでしょうか?
今日は信楽とタヌキの焼き物の関係について調べてみました。
信楽焼は滋賀県甲賀市の信楽で焼かれている焼き物ですが、中でも有名なのが「タヌキの焼き物」ではないでしょうか?
信楽では駅前、道沿い、土産物屋の店先など、至る所で大小さまざまなタヌキの置物が出迎えてくれます。
「信楽焼の起源」
信楽焼きの歴史は古く、今から1270年以上も前の742年(天平14年)まで遡ります。
聖武天皇が紫香楽宮(しがらきのみや)(現信楽町)に遷都した際に、この地で瓦が焼かれたのが信楽焼の始まりと言われています。
その後、鎌倉時代には水がめやすり鉢といった生活用品が焼かれ、室町時代になると千利休ら茶人が茶器として用いたことから信楽焼の名声が高まりました。
「タヌキの置物」
信楽焼の狸の置物の歴史は比較的浅く、明治時代に陶芸家の藤原銕造(ふじわらてつぞう)が作ったものが最初と言われています。
幼いころから京都の叔父の家で清水焼の修行に精を出していた銕造少年は、ある夜、たくさんの狸たちが遊びまわっている場面に遭遇しました。
その姿があまりにも可愛かったらしく、1935年(昭和10年)ころ信楽に移り住み、その時の記憶を思い起こして作り始めたのがタヌキの置物の始まりだそうです。
「昭和天皇の歌碑」
昭和26年(1951年)、昭和天皇が信楽町を行幸された際、たくさんの信楽焼きの狸に日の丸の小旗を持たせ沿道に設置したところ、狸たちが延々と続く情景に感興を覚え、歌を詠んだ逸話が新聞で報道されて全国に知られるようになったそうです。
信楽町長野・新宮神社にはその歌碑が建っています。
「幼などき 集めしからに 懐かしも しがらき焼きの 狸をみれば」
昭和26年11月15日昭和天皇が信楽を行幸されたときに読まれたお歌です。(ネットより)
「八相縁起」
信楽焼の狸の置物は、信楽焼八相縁起に因んで、福々とした狸が編み笠を被り、少し首をかしげながら、左手に徳利、右手に通帳を持って突っ立っている型が定番となっています。
・笠・・・・・・・思いがけない災難から身を守る
・笑顔・・・・・・常に笑顔で、愛想よく
・大きな腹・・・・冷静さと大胆さを持ち合わせる
・大福帳・・・・・信用第一の帳面
・金袋・・・・・・金運に恵まれる
・大きな目・・・・周囲を見渡し、気を配り、正確な判断をする
・徳利・・・・・・人徳を身につける
・大きな尻尾・・・何事も大きく、太く、しっかりした終わりを
・信楽焼八相縁起です(ネットより)
タヌキの置物は正確な判断をする縁起物として喜ばれ、タヌキが「他を抜く」に通じることから商売繁盛と洒落て店の軒先に置かれることが多いようです。
因みに、サントリーが発売するウイスキー、オールドは黒い瓶と白いラベルとのコントラストが、信楽焼の狸を連想させるとし、愛飲者から「タヌキ」の愛称をつけられているということです。