秋の味覚の一つ、二十世紀梨がスーパーの売り場に並び始めましたね。
果物売り場には、先月下旬に「幸水」梨が、今月に入って「豊水」梨、そして最近になって「二十世紀梨」と並び、いよいよ梨の最盛期が到来したようです。
いずれの品種もみずみずしくておいしいですよね。
二十世紀梨と言えば鳥取県の特産品として有名ですが、不思議なことに、この梨は鳥取県が原産地ではないようです。
そこで今日は鳥取県と二十世紀梨について調べることにしました。
調べてみると、二十世紀梨が発見されたのは19世紀の明治時代でした。
しかもそのルーツは鳥取県ではなく、千葉県松戸市の民家のゴミ捨て場に生えていた梨の木だったのです。
美味しそうな二十世紀梨です(ネットより)
「梨の木発見の経緯」
明治21年(1888年)の夏、13歳の松戸覚之助少年が、たまたま遊びに訪れた千葉県松戸市の親せきの家で、しかもゴミ捨て場に生えていた小さな梨の木を発見したのです。
その梨は、それまで食べていた茶色い皮の梨とは違い、淡い緑色をしていて、いかにも美味しそうでした。
そこで、どんな味がするのだろうかと松戸少年が一口食べたところ、水分が多く、とろけるような甘さが口いっぱいに広がり、それまで食べていたパサパサとした触感の梨とは全く違っていたそうです。
この後、その梨の木は松戸市の果樹園で育てられたのですが、やがてこの話について、鳥取県の北脇永治が注目することになります。
北脇氏はかねてから鳥取県の農家に稲作以外の農作物の栽培を奨励したいと考えていました。
そこで、1904年(明治37年)にその梨の苗木を10本購入すると、本格的な栽培を始めたのです。
そして、苦労と研究を重ねた末に、ついに品質にばらつきのないジューシーな梨を作ることに成功し、その名前を「20世紀には梨の王様になる」という願いを込めて「二十世紀梨」としたそうです。
この梨はその願い通りに爆発的に売れるようになりました。
また、急な斜面でも育てられることから県内で栽培農家が増え、生産量は飛躍的に伸びました。
その結果、今では、生産量日本一を誇るまでになり、まさに鳥取県を代表する果物となったということです。
驚きましたね。
鳥取県の特産品である二十世紀梨は、千葉県の松戸市で発見された無名の梨の木だったのですね。