レ・ミゼラブル


 こんな観客の多い映画館で見る映画は久しぶり。

  Les Miserables . さすがハリウッドスター総出演。

 映画が始まってやっと「あ。そうか。これミュージカルだわ」と気づきました。
 でもOne Day Moreの歌のあたりから、ミュージカル映画特有の不自然さが気にならなくなりました(それにこの映画、すべて現場の生録の声を使ってるんだそうです。そりゃすごい)。
 こんなふうに異なる場所にいる複数の人物たちがひとつの歌を合唱し、皆の心が一つであることをあらわすなんて、「ミュージカル映画」というジャンルでしかできないです。

 ご存知ヴィクトル・ユゴー原作。
 ホセ・エンリケ・ロドーも、アウン・サン・スーチーさんも好きなユゴー。

 でもそこが曲者。

 わたしは、人間は結局こんなに綺麗なものではないと思います。
 
 だから、ユゴーとは犬猿の仲だったスタンダールの方をとります。
 パンフレットに載っている稲垣直樹先生の解説によるとユゴーや出版社はこの作品でバカ儲けしたそうなので、破滅的に売れなかったスタンダールの本とのコントラストが眩いです。それにスタンダールをフランスで研究する外国人学生は非常に少ないんです。まあ、われらはHappy? Fewだからいいんですけど。

 もっとも1783年生まれのスタンダールと1802年生まれのユゴーでは、体験が決定的に違うということがあります(この未曾有の大変動時代の19歳差は、もう、途轍もない世界観の差になって現れるはずです)。
 父と子の世代差よりちょっと短いくらいの差です。
 スタンダールは実際にナポレオンに仕えた人であり、後世に偉大とされる(であろう)人物たちがいかに愚劣であったか、よく見て知っている。
 対するユゴーは、物心ついたころにはほぼお話は全て終わっている。全ては理想の色付けがされてしまう危険を帯びる。

 映画にはマリウスの父は出てこなかったですが、この物語はやはり「父」の物語なんでしょうね。

 「父」の権威に疑問符を投げかけるスタンダールやドリス・シュライビみたいな作家は、いまの発展途上国の人々の意識にはなかなか受け入れがたい。
 おそらくここが大きな問題。
 わたくしが「文学概論」を実質スタンダールから始める最大の理由です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

グナワディフュージョン新譜(やっと)


 Gnawa Diffusionの新譜、 Shock el Hal 。日本盤タイトルは『時代の棘』となってようやく入手しました。

 フランス盤はとっくの昔に出ていたので、出来が大満足なら既にご紹介していたと思います。まあ、例によって意欲的であることは買いますけど、意図を理解するのに少々手間がかかります。
 アマジーグは、やっぱりしばらくソロの音は封印するんでしょうね。音楽アーチストとしてはまことにもったいない。
 でも、彼は究極的に「音楽がいちばん大事なもの」とは、たぶん思ってないのですよ・・・

 日本語盤の大石始さんによるライナー、アリサ・デコット豊崎さんによる歌詞対訳を眺めながら少しずつ聞き慣れていくのが、日本のリスナーにとってこのアルバムへの最良のアクセス法というべきでしょう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ネッダール先生インタビューやっとUstream配信


ベラベス・ネッダール先生インタビューのUstream配信はサイトの都合で遅れておりましたが、一昨日16時45分にやっと配信されました。

かなり長いもので10分以内のビデオいくつかに分割されてアーカイブになっております。
最初の07:07のものが機器の不調のためか再生不可能です。00:25の二番目のもの
から再生できます。

ご興味のある方はぜひご覧になってください。あと二、三日は見られると思います。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

はるさい


 きのう(9日)の日経文化欄に「『春の祭典』100年 輝き健在」というのが載ってました。
 そうか、ということは来年が第一次世界大戦――フランス人が「14-18の戦争」と呼ぶあの戦争――の開戦100年なんですね。

 この記事をみて『はるさい』がすぐに聞きたくなり、高いですけどCD買ってきました。ソニーが「Blue-ray Disc製造技術のすべてをCD製造に投入した『Blu-spec CD2』」というんだそうですが、そうですね、こういうふうにしないといまどきこういう曲のCDが一枚1890円では売れない。こうやってもそんなたくさんは売れない。
 またこのジャンルでいういわゆる「現代音楽」は、やってもあまり聞いてもらえず、相当過去のレパートリー(『はるさい』がすでに100年前なわけで)が売り物の主力なわけですが、昔の名曲にはすでに「決定盤」が出尽くしています(このブーレーズ指揮、クリーヴランド管弦楽団演奏のも「もはや歴史的名盤」だと出谷啓氏によるライナーノーツ(1996年のもの)に書かれていました)。『のだめ』でその気になってこの道に入った若手は音の上で過去の巨匠の演奏と対比されてしまうのでとてもかなわない。演奏家として売れるにはイケメンとか美女とかそういう、音楽とは本来関係のない話題に頼るしかない。(ちなみにライは「顔」関係ない。これもわたしがライ大好きである理由のひとつです)

 それはそれとして、出谷氏のライナーには「明らかにこの曲は80年前には前衛音楽だったのである。だが現代では既に、ポピュラー名曲の仲間入りをしてしまっている。もう誰もこの音楽を聴いて驚く者もないぐらいに、年月が経ってしまったのである」と書いてありますが、「世界の」誰もかれもが驚かないか、またこの曲が何か次の段階の音楽の誕生を触発しないかどうかは、定かではないと思います。


 『春の祭典』は、アルジェリア系人のブラワンくんがサンプリングして見事に使っていたのを思い出します(確かめてみると彼は第二部、第一部のそれぞれ最後の曲からとってます)。彼のこのCDは一般にはほとんど出回らないようなものですけど、音楽的価値はかなりハイレベル。「のってる」アーチストの作というのは、そういうものでしょう。

 「ビバ・アルジェリア!」の主催者なちさんが、以前モロッコのバスでこの曲がかかっているのを聞いた、と言っておられてような気がします。21世紀のモロッコ人の耳にはどういう風に聞こえるのか、実に興味津々です。

 くだんの日経記事は、この曲をこれよりさらに100年前にできているベートーヴェン交響曲七番と比較して「100年単位で音楽を比較するのも面白い」と結んでいるのですが、西洋音楽の単線上の話――日本人は本来この線の上にはいなかった人たちです――ばかりでなく、横の拡がりの方も視野に入れたら、『春の祭典』にも新たな存在意義が見えてきそうな気がします。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )