日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
ブーラワンくん
(前のエントリーから続きます)
グナワ・ディフュージョンの演奏をご覧に来られるかたは、ぜひDJのBoulaoneにも注目してください。
DJ Boulaone(「ブーラワン」と読ませてます。ナジーブなんとかという本名のアナグラムらしいです)くんは去年もアマジーグのソロ公演に同行して来てましたが、グナワディフュージョンの正式メンバーとして迎えられ(このへんがアマジーグの工夫を感じさせます)今年も来日です。
いつもニコニコしていて、満ち足りてそうな人ですよ。
彼のソロアルバム、 Grigri 、300枚限定みたいですから、もしあした東京会場で売っていたらキープされることをお勧めします。
わたし、スキヤキの終わった翌日(きのうですが)車の中でこれ聞いてて笑い転げちゃいました。
とくにトラック2の『zoo』の終わりのところなんか、ストラヴィンスキー『春の祭典』のサンプリングが、なんとも悲しいほど貧相にふにゃっとフェイドアウトされてしまうのがおかしくて、おかしくて・・・
この『春の祭典』という曲は、普通の「西洋クラシック」の曲が日本でもつ威光に、1913年5月29日パリでの初演が新旧の音楽観が激突する歴史的事件になった(客席は騒然、殴り合いの喧嘩も起こっていたとか)というオーラが重なり、音的には後方からどん、どんと迫るティンパニの迫力もあって、非常に神秘性を纏った、アンタッチャブルさを感じさせる曲になっていると思うのです。
その崇高なる「名曲」のパーツをアラブ人の兄ちゃんがちょい、と切り取ってサンプリング、またにこにこしながらちょい、とツマミをひねって音を切ってしまう、その「なにげなさ」がわたしには目に見える。
だから可笑しいんだと思います。
これは別に彼がストラヴィンスキーを茶化しているとか、そういうことではないと思います。
そんなことは全然ないし、問題はそこではない。
わたしの笑いは、どちらかを貶めるものではけっしてないです。
ストラヴィンスキーはストラヴィンスキーで自らの存在場所を音楽の領域に切り開くために、彼の前の敵、困難に必死で立ち向かってるのです。
そしてブーラワンもブーラワンで自分の感性を真摯に表現しているのですね。それが戦闘的なものにならずむしろ笑いを誘うものになるというのは、ぜんぜん彼の責任ではなくて、彼が彼であるから、なのでしょう。
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それって、バスの乗客の誰かのカセットとかラジオとかということでしょうか?
とにかく曲が流れるということは、誰かが流しているわけで、その誰かが知っているということなんでしょうね。
そう思って聞けば、案外あれはモロッコの風景の中にはまり込むかもしれませんね。