チュニジア人の声


このエントリーから続きます)

 チュニジアのLe Temps紙、Melek Lakdarによるブーシュナクとイランのグループの演奏妨害事件へのコメントです。

 「我が国で、その宗教的信条を理由に音楽グループに演奏させないとは、スキャンダル以上のものである! 二つの理由がわれわれに疑惑を起こさせる。

 まず最初にチュニジア人は何世紀にもわたってその歓待によって、開けた精神によって、他者への愛によって知られてきた。チュニジアは全ての文明を集積する資質をもち、思想的であれ、民族的であれ、神学的であれ全ての信条の混合を保持してきた。
 われわれチュニジア人は精神的変身の局面にあるのだろうか? われわれは排外主義者となり、われわれとは異なる人たち、われわれとは異なる宗教的信条をもつ人たちをもはや受け入れなくなってしまうのだろうか? ある人がわれわれの意見、思想、規範、宗教的実践を共有しないからといって、わが国土に錠をおろし、われわれは自ら壺の中に閉じこもろうというのだろうか?

 われわれは、宗教が個人的問題であることを忘れたのであろうか? われらが愛する預言者が、外国人相手に、その人がキリスト教徒であろうとユダヤ教徒であろうと他の宗教の信者であろうと通商をしていたのを忘れたのであろうか? 歴史を忘れる程に健忘症となり、われらの預言者が説いていた寛容、他者への愛、平和主義など全ての教えを押し入れに放り込み、新しい宗教を考案しようというのだろうか?

 なぜわれわれは、なんとしてもイスラムの姿を汚そうというこの作戦に貢献しなければならないのだろうか? 他者に心を開くことを、良き行いを呼びかけるこの宗教の姿を? なぜ差別と暴力の信仰を育て、先史時代の人間のように洞窟に引っ込んで生活しようというのだろうか?

 われわれチュニジア人のアイデンティティについて、或る者たちが汚しながら広めるイメージは滑稽でありまた悲しむべきものである!」

 この記事へのコメントには「この文化的フーリガンたちをとりしまるべき人たちが責任を果たしていない」「大臣を首にしろ」というのもありますが、ブーシュナク自身がベンアリ(Zabaと書いてありますね)が倒れる前は彼に迎合していたことを皮肉るものもあります。また演奏を中止させた原理主義者を「雇兵」mercenairesと呼んでいるコメントは、この蛮行はイスラム保守主義を奉ずる外国の干渉であると言っているわけですね。


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