文学と映画


(ここから続く)

 会場からの質問へのバンジャマン・ストラ教授の答えは、さすがに意義深いものでした。
 9.11事件以後の世界におけるフランスのイスラム世界との和解の意志については、この両者が繋がりを作るということはすなわち再び作る refabriquer un lien ということであって、フランス・ナショナリスムがかつての植民地「帝国」を再発見するということになってしまうという問題を指摘、しかしフランス一級の知識人、カミュ、デリダ、アルチュセール、ブルデューたちにとってのアルジェリアの特権的位置についても言及していました。
 また植民された側がなぜ易々と植民地化を受け入れたかというcolonisabiliteみたいなものの問題について、トルコのアタチュルクーーケマル・パシャですねーーのとった方針とサラフィストsalafiste(イスラムの原点回帰思想)の二つの方向性について述べました。

 しかしわたしがいちばん面白かったのは「植民地化を扱った映画が必ずしも商業的に成功しないのはなぜか?」という質問への答です。

 もちろん植民した側の現代の人がこの問題を直視したがらないということはあります。これはすぐ考えつきます。
 また、観客がある特定のグループに限られるという問題があります。みんな「自分たちの」苦しみの歴史は見に来るけど、「隣の人たちの」苦しみはあんまり関心がない、というわけですね。INDIGENESの場合、フランスで移民系として最大規模の数を誇るアルジェリア、マグレブ系が対象となっていたので大ヒットにつながっている、という側面がたしかにあります。

 しかし三つ目の答え、フランスの大監督たちの映画のintimiste傾向(これ、なんて訳しましょうかね? 身近なところに対象を限定する傾向、とでも言いますか・・・)というのは、芸術的観点から興味深かったです。そうですね、大戦争スペクタクルで見せる映画を撮るゴダールなんて想像できないですからね。(^_^;) フランスの大監督たちの扱うのは繊細な個人的ドラマになってしまうのですが「でもそれじゃ大衆に語りかけるわけがない! そこが問題なのです!」とストラさんは嘆くわけです。
 
(以上、例によってわたしが聞いて理解した範囲の話で、ストラに真意を確認したわけではありません。間違い、誤解があるかもしれないことはご了承下さい)

 ううむ、文学史的に言うとだいたい第一次世界大戦からこっち、とくに西洋の文学は、現実の総体を把握し表現するという野心を失ってしまったわけですが、たぶん映画が文学の自信喪失を補ったところがあります。だいたい文学は言葉なので内だけでもできちゃいますが、映画は映像ですから完全に内に向くわけにもいかない。頭蓋骨の内部を写したってしようがない。(^_^;) だいたい頭蓋骨の中にカメラを入れて、光も入れたら、それは一種の「外部」ということになりますね・・・ (なにを下らないこと言ってんだか)

 20世紀以後の文学(芸術)の方向性には「正直さを追求する」という動機が不可分にある、と考えると分かりやすいように思います。
 するとそこから生じる大きな弊害のことも頭に浮かびます。対象ーーたいていはまさしく「個人的ドラマ」ーーに忠実に取り組もうとすればするほど「それが他人に理解できるか」という顧慮、配慮が希薄になっていくということです。幸か不幸か、文学だとそういう純粋性を追求することが相当可能なのです。
 それに比べて映画はどうやっても不純なところが残るということなのか(やっぱりちがうか・・・)、たしかにそれは大衆煽動とか歴史の歪曲とか等々の問題がつきまとうはずですが、戦争映画はやっぱり「戦争」を撮らないといけないのではないか、という考え(ストラがそう言ったわけではありませんよ。念のため)はたしかに妥当性を持つはずです。

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19.パリには大晦日に帰ってきました。
 メトロが元旦正午までタダになってました。改札を素通りできるわけです。
 でもわたしは、カルネ(10回分乗車券)の残りがなくなっていたので(今回はパリの時間が短くて carte orange は買わなかった)かえって困りました。無料時間が終わったら切符売り場が大行列になるかもしれないのであらかじめ買っておきたかったのですよ。

 でも駅員は居るんですが、売ってくれない。改札口の方を指差すだけ。 (^_^;)

 こういうところがフランスで腹がたつ、というか残念なんですよ。
 せっかくお客様のために(というか一緒に新年を祝いましょう、というお祭り精神ですか)無料サービスやってるのに、かえって不愉快のネタをつくってしまってる。
 駅員はさぼってたのかもしれない。でも発券機械そのものが停止しているのかもしれなかったし、他の理由があって仕事しないのかもしれなかった。

 だからわたしは、外国で不愉快なことが自分の身に起こっても、いま何が起こったのか、ほんとの本当のところは分からないと考えることにしてるのですよ。悪者から見ればわたしみたいなのはいいカモかもしれませんけどね・・・  だいたいわたしは日本でだって、結局何が自分の益なのかよくは分かっていない人なので。 f(^_^;)


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18. ずいぶん間が開きましたが、フランス旅行の続き。あと3回で締めにしますね。このままだらだら続けてたら話が終わらないうちに次の旅行に行ってしまいそうなので。 (^_^;) 

 これもボケボケですが、ジャン=イヴのところのカレンダー。
 どうもどっかの中華料理店でもらって来るみたいなやつで、観音様なのですが、顔がバーのマダムみたいで・・・ (^_^;)

 これの横の壁の上の方には、消防署からもらうカレンダーがたくさん画鋲で留めてあります。
 ポーリーヌちゃんが生まれた年からのが順番に留めてあるんです。 (^_^)y
 どうせ写真がぼけるんだったらそっちを撮ればよかったね。
 まあ今度行った時に。


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