コメント
Unknown
(
猫屋
)
2006-04-11 07:28:19
お久しぶりです。
なるほど、こう受け取られているのですね。現地ではお祭り騒ぎなんですよ、むちゃ明るいです。政治って、今日のイタリアもそうですが、ルディックなお祭りだったし通過儀礼だったりします。これって、世代の交代でも・政権の交代でもあるんだよね。
いやあどうも
(
raidaisuki
)
2006-04-11 07:58:26
猫屋さん、お久しぶり。 (^_^)y
これはTBさせていただこうと思ったんですが、お送りする前にコメントをいただいてしまい恐縮です。
それと入れ違いにCPEも撤回されちゃいましたね。
そうですか、そんなに明るいんですか。(^_^)
別にいばるわけではないですが、こういうの、日本でしか生活したことがなかったら、なかなか分かんないでしょうね・・・
NHKのこの番組が特にきわだってそういう姿勢だとは思いません。日本にはフランス=人種差別=植民地支配の負の遺産、という物語ばかり反芻しようという傾向があきらかに存在すると思います。そういう負の遺産がウソだとは言いませんが、こればっかり反芻していては現実を見誤るばかりですよ、というのが「フランス語系人のBO-YA-KI」の基本的スタンスです。
これからも現地の貴重なお話と分析をお願い致します。 (^_^)y
Unknown
(
Bab
)
2006-04-11 10:13:17
はじめまして!
イタリアの友人とイタリアにおけるアフリカ系の移民問題を話をしていた時に、よくintegrationを彼は使っていました。その時に彼の使う意味は、integration=同化に近いと感じましたが、個人的には統合であるべきなのではと思います。
移民問題において、integrationの度合いは教育が大きく影響するのではないかと思います。
お邪魔致しました。
同化政策
(
raidaisuki
)
2006-04-11 13:05:40
Babさん、こんにちは。 (^_^)y
恥ずかしながらイタリアの状況はほとんど知りません。移民の社会内に占める存在感はどのようなものでしょうか。
「同化」という言葉は、以前のエントリーでも書いたんですが、かなり危険なニュアンスをはらむと思うんです。
とくに「同化政策」と言ってしまうと、移民とか少数民族とかに対して権力側の多数民族が「自分の文化を捨てて、おれたちの文化を採用しろ、おれたちと同じように振る舞え」と強制しているイメージがあると思うんですが、いかがでしょう。
「統合」というと、同化に近いとは言えますが、それぞれの個性、役割をもってひとりひとりが違った形で社会に参入、貢献するというイメージも含みうると思います。
個性の保持をもっと重要視したい場合、「挿入」という言葉が使われることもあります。これだと個人は無傷のままで社会に入っていくイメージです。
「同化」「統合」「挿入」はそれぞれ assimilation, integration, insertion ですね。
これは日本語でも混同しないようにした方がいい、というかそうしないとフランス社会を誤解すると思うんですが。
Unknown
(
猫屋
)
2006-04-11 18:00:59
日本では“移民”ということばに敏感だ、という事実がまずある。欧州内でもフランスは移民系住人が一番多い国だと思いますが、それらの人々の多くはフランス国籍を有しています。立派なフランス人です。日本は二重国籍を認めていませんから、残念ながら私自身フランス国籍を取っていません。
同化とは社会への同化をさします。教育・政治・労働を通じて社会内に同化する、つまり社会内に自分の場所を持ち、他個人との関係性を築くことで自己形成していく可能性をさすのではないでしょうか。この観点から言えば、ホームレスや失業者も非同化者になるとなると思います。根底にあるのは、世界レベルでの失業だと考えます。
わたしの心配
(
raidaisuki
)
2006-04-11 19:24:08
猫屋さん
根底にあるのは失業問題だというのは、全くその通りだと思います。姜氏、森永氏もその点には疑いはもっていないでしょう。
そして意識的、自覚的に使えば「同化」という言葉はおっしゃる通りの意味をもって機能すると思います。
ただ日本語のごく日常的な使用では、たとえば上野公園の(日本国籍の)ホームレスの人たちのことを「日本社会に同化できていない」とは言わないと思うのです。
わたしの心配は、日本語で「同化政策」という言葉がごく日常的に使われたときの人々の受ける印象に関わります。(フランス語でも integrer, integration という言葉が採用されるようになったのは、assimiler, assimilation という言葉の持っている同様の危険性を避けたいためだった、と思うのですが・・・)
これについては、NHKの番組の引用とともに新たなエントリーで扱おうと思います。
Unknown
(
trotteur
)
2006-04-12 00:14:32
はじめまして。時々、拝見させていただいております。子供時代にフランスに住んでいて現地の学校に通っていた経験があります。
integrationについてですが、私の印象では、ある種のフランス的価値観を(特に教育によって)共有することだと思います。より具体的に言えば、脱宗教、合理主義、人権といったことです。つまり、それらが共有される限りにおいて、「それぞれの個性、役割をもってひとりひとりが違った形で社会に参入、貢献する」ことは良しとされますが、それがない場合、たとえばイスラム教の信仰を示すスカーフをつけて学校に行くということなどは、フランス社会に対する挑発と受け取られかねません。フランス社会に真に受け入れられるためには、その基本的価値観の共有が必要であり、それがintegrationなのだと思います。
私の知る限りでは、「integration」という言葉が使われ始めたのは1990年代からで、それまでは「assimilation」または「insertion」だったと思います。両方ともやや人種差別的な響きがあり、溶け込んで見えなくなることを強要するニュアンスがあると思います。「integration」はそうして使われるようになったのだと思いますが、移民系フランス産まれフランス育ちの若者にとっては、「integration」という言葉そのものに、同じフランス人なのに結局出身を問題にされているのだと感じ、フランス社会の差別を見る人もいるようです。「なぜ俺が同化しなきゃいけないのか」と。
それを「同化」と訳すか、「統合」と訳すかはあまり本質的な問題ではない、というか、どちらでも背景を知らないとあまりピンとこない気がします。
どちらか選ぶとすれば、「同化」には自然に一体化する印象を与え、「統合」の方が国家や社会の強い意思が感じられると思いますので、私は「統合」を選びます。
余談ですが、現在、平均的日本人はそれほどフランスに悪い印象を持っているわけではないと思います。むしろ良い部類にはいると思います。日本におけるフランスのプレゼンスが昔よりだいぶ落ちたのはたしかですが。
Unknown
(
猫屋
)
2006-04-12 10:03:34
どうもです。
insertionにしてもintegrationにしても訳文は“同化”になってしまいます。翻訳と言う作業自体が、A=Bという数式的なものでない以上仕方のないことかもしれません。ただ私が前のコメントで書いたように、社会自体へのアクティブな個としての参加と言った意味合いであることが理解してもらえばいいと思う。これは私の印象ですが“統合”ですと全体という固定されたひとつのカテゴリーに吸収される、、といったイメージも出てくるように思います。
また、フランスの日本におけるプレゼンスがおちたとして、その原因のひとつにたとえば学校での英語重視からフランス語(あるいは他言語の)教育が削られていった、といったプロセスも考えられるのではないかと思います。
進んだテクノロジーで(自然も含めた)世界全体が豊かになっていいはずなのに、失業問題と無関係な国は(いくつかの例外を除き)ないようですし、失業率が低い国でも、アルバイト掛け持ちで支えられた雇用率で、老後や病気になった場合の保障がないのでは困るわけですね。資本主義の拡大化と失業の増加、そして富の集中です。地方文化破壊もあると思います。
Unknown
(
Bab
)
2006-04-12 13:14:58
イタリアの移民の存在感というものは、はっきりとお伝えできませんが、友人曰く、ある特定時間に特定の地域に行けなくなったと言っていました。個人的には移民に限らず、そのような地域は存在すると思うのですが、移民が原因であるというイメージをイタリアの友人が持っていたということだと思います。問題の本質は、貧困であるのではないかと推測するんですが・・・背景はよくわかっていませんので、正確に述べることができません。
言葉の定義の問題になるととても難しいですね。
一応、手元にあるかなり古い社会学事典によると
「同化」
特定の文化やアイデンティティをもつ集団・個人が、普遍的な文化をもつ、比較的大きい別の集団に完全に併合されることをいう。国家による征服や他社会への移民に際して生じ易い。時には双方向的な異文化間混合をさすこともある。文化触変において、元の文化特性と集団主体性が完全に消去された事態をいう。
「統合」
政治過程における統一的な意思形成過程のこと。コミュニティ内部の多元的な諸利害を統一的な国民的決定にまでもたらす場合にも、企業yはその他の小集団のなかで成員各人の個別利害をこえて共通目標の実現過程に参加させその集団への一体化をもたらす場合にも、用いられる。社会集団内部の矛盾・対立・葛藤を解消ないし極小化するために調整し、その社会集団の全体としてまとめて維持していく。
と出ています。引用:社会学事典(弘文堂 1988)
言葉の定義の問題は別にして、失業という問題が結局労働を通して社会に溶け込んで行くことを不可能にしており、同じ元の価値観文化を持つ人々と寄り合わせてしまうのではないかと思います。また、移民受け入れ先の失業者からは、不満のはけ口としてのターゲットになってしまうということでしょうか。その意味では、社会的な必要性(具体的には労働力の必要性)がなければ社会として移民の受け入れは上手くいかないのかもしれません。
Unknown
(
raidaisuki
)
2006-04-14 07:01:42
trotteurさん、猫屋さん、Babさん
たくさんコメントありがとうございます。
こちらへのお返事を先に書くべきでした。ちょうど大学の学期始まりでバタバタしていて、ゆっくりブログというわけにいきません。ごめんなさい。でもおとといの『クローズアップ現代』の感想は今日中に載せようと思います。(^_^)y
訳語の問題はたしかに厄介ですが、当該の訳語が日本語の中で普通どういうニュアンスで使われているか、というのは注意しておく必要があるとおもいます。「統合」というとあまり否定的なイメージはありませんが、「同化政策」は、前にも書きましたように多数派が少数派に多かれ少なかれ強要する、という感じがあるように思います。ここが問題ではないでしょうか。
それに『地球特派員2006』では、テロップまで出して「同化政策」とは、かつて移民労働者でもフランスの国是を受け入れる者にはかなり簡単にフランス国籍をとらせていた政策のことです、とやってました。この説明は正しいでしょうか? 少なくともこの番組の文脈では、国籍の話と文化の話を分けて提示すべきだと思いましたが・・・
ただ番組制作者の意図は分かります。番組を通じて Liberte, egalite, fraterniteの共和国の原則が何度も引用されていましたから。
これを受け入れてフランス国籍になった移民層が egalite を得られないのはけしからん、という論理なのでしょう。
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これはTBさせていただこうと思ったんですが、お送りする前にコメントをいただいてしまい恐縮です。
それと入れ違いにCPEも撤回されちゃいましたね。
そうですか、そんなに明るいんですか。(^_^)
別にいばるわけではないですが、こういうの、日本でしか生活したことがなかったら、なかなか分かんないでしょうね・・・
NHKのこの番組が特にきわだってそういう姿勢だとは思いません。日本にはフランス=人種差別=植民地支配の負の遺産、という物語ばかり反芻しようという傾向があきらかに存在すると思います。そういう負の遺産がウソだとは言いませんが、こればっかり反芻していては現実を見誤るばかりですよ、というのが「フランス語系人のBO-YA-KI」の基本的スタンスです。
これからも現地の貴重なお話と分析をお願い致します。 (^_^)y
イタリアの友人とイタリアにおけるアフリカ系の移民問題を話をしていた時に、よくintegrationを彼は使っていました。その時に彼の使う意味は、integration=同化に近いと感じましたが、個人的には統合であるべきなのではと思います。
移民問題において、integrationの度合いは教育が大きく影響するのではないかと思います。
お邪魔致しました。
恥ずかしながらイタリアの状況はほとんど知りません。移民の社会内に占める存在感はどのようなものでしょうか。
「同化」という言葉は、以前のエントリーでも書いたんですが、かなり危険なニュアンスをはらむと思うんです。
とくに「同化政策」と言ってしまうと、移民とか少数民族とかに対して権力側の多数民族が「自分の文化を捨てて、おれたちの文化を採用しろ、おれたちと同じように振る舞え」と強制しているイメージがあると思うんですが、いかがでしょう。
「統合」というと、同化に近いとは言えますが、それぞれの個性、役割をもってひとりひとりが違った形で社会に参入、貢献するというイメージも含みうると思います。
個性の保持をもっと重要視したい場合、「挿入」という言葉が使われることもあります。これだと個人は無傷のままで社会に入っていくイメージです。
「同化」「統合」「挿入」はそれぞれ assimilation, integration, insertion ですね。
これは日本語でも混同しないようにした方がいい、というかそうしないとフランス社会を誤解すると思うんですが。
同化とは社会への同化をさします。教育・政治・労働を通じて社会内に同化する、つまり社会内に自分の場所を持ち、他個人との関係性を築くことで自己形成していく可能性をさすのではないでしょうか。この観点から言えば、ホームレスや失業者も非同化者になるとなると思います。根底にあるのは、世界レベルでの失業だと考えます。
根底にあるのは失業問題だというのは、全くその通りだと思います。姜氏、森永氏もその点には疑いはもっていないでしょう。
そして意識的、自覚的に使えば「同化」という言葉はおっしゃる通りの意味をもって機能すると思います。
ただ日本語のごく日常的な使用では、たとえば上野公園の(日本国籍の)ホームレスの人たちのことを「日本社会に同化できていない」とは言わないと思うのです。
わたしの心配は、日本語で「同化政策」という言葉がごく日常的に使われたときの人々の受ける印象に関わります。(フランス語でも integrer, integration という言葉が採用されるようになったのは、assimiler, assimilation という言葉の持っている同様の危険性を避けたいためだった、と思うのですが・・・)
これについては、NHKの番組の引用とともに新たなエントリーで扱おうと思います。
integrationについてですが、私の印象では、ある種のフランス的価値観を(特に教育によって)共有することだと思います。より具体的に言えば、脱宗教、合理主義、人権といったことです。つまり、それらが共有される限りにおいて、「それぞれの個性、役割をもってひとりひとりが違った形で社会に参入、貢献する」ことは良しとされますが、それがない場合、たとえばイスラム教の信仰を示すスカーフをつけて学校に行くということなどは、フランス社会に対する挑発と受け取られかねません。フランス社会に真に受け入れられるためには、その基本的価値観の共有が必要であり、それがintegrationなのだと思います。
私の知る限りでは、「integration」という言葉が使われ始めたのは1990年代からで、それまでは「assimilation」または「insertion」だったと思います。両方ともやや人種差別的な響きがあり、溶け込んで見えなくなることを強要するニュアンスがあると思います。「integration」はそうして使われるようになったのだと思いますが、移民系フランス産まれフランス育ちの若者にとっては、「integration」という言葉そのものに、同じフランス人なのに結局出身を問題にされているのだと感じ、フランス社会の差別を見る人もいるようです。「なぜ俺が同化しなきゃいけないのか」と。
それを「同化」と訳すか、「統合」と訳すかはあまり本質的な問題ではない、というか、どちらでも背景を知らないとあまりピンとこない気がします。
どちらか選ぶとすれば、「同化」には自然に一体化する印象を与え、「統合」の方が国家や社会の強い意思が感じられると思いますので、私は「統合」を選びます。
余談ですが、現在、平均的日本人はそれほどフランスに悪い印象を持っているわけではないと思います。むしろ良い部類にはいると思います。日本におけるフランスのプレゼンスが昔よりだいぶ落ちたのはたしかですが。
insertionにしてもintegrationにしても訳文は“同化”になってしまいます。翻訳と言う作業自体が、A=Bという数式的なものでない以上仕方のないことかもしれません。ただ私が前のコメントで書いたように、社会自体へのアクティブな個としての参加と言った意味合いであることが理解してもらえばいいと思う。これは私の印象ですが“統合”ですと全体という固定されたひとつのカテゴリーに吸収される、、といったイメージも出てくるように思います。
また、フランスの日本におけるプレゼンスがおちたとして、その原因のひとつにたとえば学校での英語重視からフランス語(あるいは他言語の)教育が削られていった、といったプロセスも考えられるのではないかと思います。
進んだテクノロジーで(自然も含めた)世界全体が豊かになっていいはずなのに、失業問題と無関係な国は(いくつかの例外を除き)ないようですし、失業率が低い国でも、アルバイト掛け持ちで支えられた雇用率で、老後や病気になった場合の保障がないのでは困るわけですね。資本主義の拡大化と失業の増加、そして富の集中です。地方文化破壊もあると思います。
言葉の定義の問題になるととても難しいですね。
一応、手元にあるかなり古い社会学事典によると
「同化」
特定の文化やアイデンティティをもつ集団・個人が、普遍的な文化をもつ、比較的大きい別の集団に完全に併合されることをいう。国家による征服や他社会への移民に際して生じ易い。時には双方向的な異文化間混合をさすこともある。文化触変において、元の文化特性と集団主体性が完全に消去された事態をいう。
「統合」
政治過程における統一的な意思形成過程のこと。コミュニティ内部の多元的な諸利害を統一的な国民的決定にまでもたらす場合にも、企業yはその他の小集団のなかで成員各人の個別利害をこえて共通目標の実現過程に参加させその集団への一体化をもたらす場合にも、用いられる。社会集団内部の矛盾・対立・葛藤を解消ないし極小化するために調整し、その社会集団の全体としてまとめて維持していく。
と出ています。引用:社会学事典(弘文堂 1988)
言葉の定義の問題は別にして、失業という問題が結局労働を通して社会に溶け込んで行くことを不可能にしており、同じ元の価値観文化を持つ人々と寄り合わせてしまうのではないかと思います。また、移民受け入れ先の失業者からは、不満のはけ口としてのターゲットになってしまうということでしょうか。その意味では、社会的な必要性(具体的には労働力の必要性)がなければ社会として移民の受け入れは上手くいかないのかもしれません。
たくさんコメントありがとうございます。
こちらへのお返事を先に書くべきでした。ちょうど大学の学期始まりでバタバタしていて、ゆっくりブログというわけにいきません。ごめんなさい。でもおとといの『クローズアップ現代』の感想は今日中に載せようと思います。(^_^)y
訳語の問題はたしかに厄介ですが、当該の訳語が日本語の中で普通どういうニュアンスで使われているか、というのは注意しておく必要があるとおもいます。「統合」というとあまり否定的なイメージはありませんが、「同化政策」は、前にも書きましたように多数派が少数派に多かれ少なかれ強要する、という感じがあるように思います。ここが問題ではないでしょうか。
それに『地球特派員2006』では、テロップまで出して「同化政策」とは、かつて移民労働者でもフランスの国是を受け入れる者にはかなり簡単にフランス国籍をとらせていた政策のことです、とやってました。この説明は正しいでしょうか? 少なくともこの番組の文脈では、国籍の話と文化の話を分けて提示すべきだと思いましたが・・・
ただ番組制作者の意図は分かります。番組を通じて Liberte, egalite, fraterniteの共和国の原則が何度も引用されていましたから。
これを受け入れてフランス国籍になった移民層が egalite を得られないのはけしからん、という論理なのでしょう。