けふは たのしい日曜日。 やつと昨晩、 僕は帰つて来た、 長い留守から、 忘れてしまつた僕のなかへ。 日曜日。 だから、 僕は君に手紙をかかうとおもふのだよ。
それは沢山の見知らない土地だつた。 また大ぜいの人たちだつた。 さうして、 戦争でさへあつた ……
旅といふのは、 信濃へ行つたことではないんだ。 わかつてくれるね ……
…… だがいま、 かうも思つてゐる―― まだ僕は帰つて来てはゐないのぢやないかしら。 夢を見てゐるのぢやないかしら、 眼をさめたら、 沼のほとりにさびしげに立つてゐるのぢやないかしら、と …
立原道造 (昭和十年十月十三日 生田 勉宛)
ツトム君―― なんども呼びかけながら親しい友人に宛てた
長文の手紙。 苦しいとさえ感じながら 詩人はさまよった という。
たましいの旅路は 終わりがない。
-☆-
なにも知らない蝉しぐれが 勢いを増して降っていた。
沼は 酷暑でどろりとしている。
空蝉を見る妻の瞳(メ)のうるむなり 岳陽
空蝉の一太刀浴びし背中かな 朱鳥
壮烈な 蝉の一生を思う。
きょうから 八月。
熱中症に気をつけて どうぞお元気でお過ごしください
早起きの蝉の声を聞きながら、コメントを記しています。
2枚目の写真の木のベンチの風合いが構図の切り取りの中で存在感があります。こうした写真は詩の作品と同じですね。物語を展開できます。
絵を描くときも、そこから物語を作れる絵を心掛けるように言われてきましたが、風を通わせることぐらいが精一杯です。
空蝉の句では地元の俳人朱鳥先生の句が好きです。
庭を掃くと幾つも抜け殻が交じっていますが、句に昇華させることは出来ません。
いつも感心して添えられる詩句を拝見しています。
「絵を描くときも、そこから物語を作れる絵を心掛けるように言われてきました」
良い先生ですね。想像を呼ぶ 豊かに広がる… 詩も写真も。 絵も。そうなるように心がけます。
「地元の俳人朱鳥先生」こころを揺さぶるような句。こめられた深い物語を読みました。
ふくら雀さん ありがとうございます。