別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

雨の詩

2008-05-18 | こころ模様

 今朝の庭。 紫蘭の白に 雨の詩を残していた。  滴に、ぬばたま・桧扇の影。  

       雨は愛のやうなものだ… 

       
           雨はいつもありのままの姿と

         あれらの寂しい降りやうを

          そのまま人の心にうつしてゐた…       室生犀星 (抜粋)

 

   しめやかに  人の心を潤し  慰め
    被災地にも  やさしい思いが降りますように

                -☆-

  新日曜美術館  「タヒチ訪ねて  ゴーギャンを語る なかにし礼」

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2 コメント

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釘付けの時間 (boa !)
2008-05-18 21:57:06
昨年の10月、タヒチにお出でになったのでしたよね。
確か私のパソコンが不調で入院中のことでした。
情感溢れる記事を拝見したのはタイミングがずれていました。

今日の新日曜美術館で、なかにし礼さんの熱っぽく語るタヒチとゴーギャン礼賛を、釘付けになって見ていました。
蛙さんもキットと思いながら。
「我々は何処から来たのか。我々は何者なのか。我々は何処へ行くのか。」礼さんに衝撃を与えた絵は、蛙さんも取り上げていらっしゃった絵ですね。
この重いテーマを真正面から取り上げるゴーギャンの、自分の人生の総決算の絵は人をひきつけ揺さぶらずにはいません。
自分の居場所を求め続け、真実なるものを描こうと苦闘したゴーギャンは魅力にみちていますね。
タヒチ廻りのチャンスを逃したのが今更のように悔やまれます。
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熱いタヒチ ()
2008-05-19 10:42:00
本物の美しさがまったく解らなかった若かりし頃。ゴーギャンの強烈な絵を理解するには時間が必要でした。 今になってよく解ります。

「人生の総決算の絵は人をひきつけ揺さぶらずにはいません…」boa!さんに共感します。
 「我々は何処から来たのか。我々は何者なのか。我々は何処へ行くのか。」 この重いテーマを自分自身に重ねています。 これから何処へ行くのか…切実に感じました。熱っぽく語られるタヒチとゴーギャンに、やはり、釘付けでした。 タヒチにくらす人たちの、精神は今も変わっておりません。
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