白洲正子 神と仏、自然への祈り 世田谷美術館 3/19~5/8(日)
ありがたいことに、ふくら雀さんから招待券をいただいた。 それでなくとも開催を楽しみにしていた。 白洲正子は芸術、美術、工芸、 鋭い審美眼… 広い教養を備え と称えられ。 私は全く知らないことばかり、 とてもむずかしいけれど、本でも読み、 分かったつもりのことも実物で確かめたい。 何か、 ほんの少しでも お授けくださいと祈るような気持でいた。
4月1日 用賀駅から美術館までプロムナードの百人一首をたどりながら歩く、 早春の風に誘われて気分は上々だ。
自然信仰 ・那智 参詣曼荼羅図 室町~江戸時代 ・黒漆秋草蒔絵容器 室町時代 ・重文 日月山水屏風 画像を拡大して表示
一双の片方には、春から夏に移ろう景色を描き、片方は秋から冬へかけての雪景色で、 前者には日輪を、後者には月輪を配している。 目ざめるような緑の山と、 月光に照らされた冬山…
日月を配したのは、礼拝するための宗教画であったことを示している 直接ほとけを描かなくても日月山水で暗示、 自然崇拝の昔の姿に還ったといえるかも知れない。
大自然の曼荼羅のように思われる…
(白洲正子 かくれ里 「滝の畑」より 抜粋)
巨石、 富士山、 那智瀧など (実際、 巨木を仰いだときなど神仏が宿っているように思い、しぜんに祈りたくなる。 美術や工芸品に対しても敬虔な気持ちになったことがある。 那智滝の荒ぶる水音に、ほんとうのこと神はここにおはしますの心境でふるえた)
かみさま 神仏習合 日本では仏教が伝来すると神道と仏教が混じり合い神仏習合という現象が起こりました。 やがて仏教の仏や菩薩は衆生を救うために、 様々な神の姿を借りて現れるという本地垂迹説(ホンジスイジャクセツ)が広まり、その教えを示す神道美術が制作されるようになります。 古来より神の依り代として、鏡や玉、剣などが崇拝されてきましたが、仏像が造られるようになると、その影響から神像が造られるようになります。 (hpから
・女神坐像 男神坐像 ・熊谷守一 「ほとけさま」九一歳の書 ・彩絵檜扇(松竹梅の彩色が鮮やか) ・犬像(愛蔵品) など。 (素朴さの中に 慈悲のこころがひそんでいるような気がする)
西国巡礼 近江山河抄 ・重文 道成寺縁起絵巻 下巻 ・重文 菩薩半跏像 (奈良時代 胎内仏) ・銅板法華説相図(千仏多宝仏塔) ・大津絵(釈迦涅槃図)の 長閑なようす
(近江山河抄から多くを学んだ。 興味は尽きない )
かくれ里 ・福太夫面 (油日神社) ・重文 毘沙門天立像(櫟野寺) など
十一面観音 (エッセイ 十一面観音巡礼)
奈良聖林寺 こもりく 泊瀬(初瀬)(長谷)
若狭のお水送り は、 奈良のお水取へと つながっている
熊野詣 市の聖
明恵 ・国宝 樹上座禅像 (高山寺)
・重要文化財 狗児(クジ) (上人遺愛品)など
ふっくらした小犬はrugbyを思い出させた
道 修験の行者たち 国宝 雲中供養菩薩像(平等院鳳凰堂) 聖衆来迎寺の国宝(比叡山千日回峰行)
古面
能面 (その表情は 「閑心遠目」と どこかで読んだ。 おぼろな記憶だが、 心身の保ちようが現れて いるのだ。 三千世界を一望のもとに見わたす精神のかたち… が面に凝縮されている。
閑雅な心をとりもどす、深遠なせかいを垣間見た。 このひとときに感謝しよう)
・翁 シテは素面のまま登場し精進潔斎をして、舞台上で面をつける。 ・舞楽面 陵王(羅陵王は大変な美男子で、 武人として戦場にふさわしくないと (わざわざ)恐ろしい面をつけて望んだ。
なんと 吊り顎がガクガクと動くしかけ。
・舞楽面 (ピエロのような顔の) 新鳥蘇シントリソ
面といえば硬い表情ばかり想像してきたけれど、こんなのもあった。
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作品にはそれぞれエッセイやら道行など添えてある。 それも一枚ずつ黙読する。 原稿用紙を埋めている作者のその瞳のように大きくて力のこもった、 美しい文字を追って。 仏を拝んでは原稿を読み、 また祈る。 気がつけばゆっくり二時間半もいたことになる。 消化もできずにとても書けませんが、 何ごとのおはしますかは知らねども…
神さまは山川草木 どこにでも、 何にでも宿り充満しているようだ。 自分のきもちしだい。 我身も映るようだ。
素朴な仏さまそれぞれに 心をこめて被災地の復興を祈りました。
自分宛のメモだけ残しておきます
画像はパンフレットなどからお借りしました
詳細は HPにて こちらです