アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ジェイド・タブレットのストラクチャー

2024-05-15 12:56:19 | 目次(カテゴリー別)

【ジェイド・タブレット】

《0.自序》
ジェイド・タブレットについて(自序)

 

《1.出生と乳児》
 出生と乳児の時期 

 

《2.三歳》

 三歳
 黒人掃除婦の三歳になる息子
 芭蕉、三歳の捨て子に会う
 郭巨が三歳の子を捨てに行く
 三歳の全能感と神の喪失の始まり

 

《3.思春期の水平の道》

 思春期の水平の道
 冥想フリーク盤珪
 正受慧端
 トレヤ・キラム・ウィルバー
 思春期の見性

 

《4.思春期の垂直の道》
 垂直の道のエッセンス
 垂直の道の世界観
 脱身の各種
 トランス-微細身への通路

 想念の隙間とその深度
 ダンテス・ダイジの脱身
 柳華陽の脱身
 出口王仁三郎の脱身

 

《5.青春期以降の水平の道》
 青春というもの
 塩沼亮潤大阿闍梨-1-九百九十九日、人生生涯小僧の心
 塩沼亮潤大阿闍梨-2-四無行、断食、断水、不眠、不臥
 塩沼亮潤大阿闍梨-3-悟りと人格の陶冶は別物、人間関係に悩む
 塩沼亮潤大阿闍梨-4-見仏だが神秘体験にこだわらない
 塩沼亮潤大阿闍梨-5-一歩一歩無事に歩けること


 クリシュナムルティ-1-冥想を教えなかったこと
 クリシュナムルティ-2-クリシュナムーティの死
 クリシュナムルティ-3-クリシュナムルティの冥想遍歴
 クリシュナムルティ-4-クリシュナムルティの只管打坐の勧め
 クリシュナムルティ-5-otherness他性

 道元-1-只管打坐で悟ったモデル
 道元-2-只管打坐は何も得るころはないけれど
 道元-3-寝る間を惜しんで坐る
 道元-4-身心脱落の前兆
 道元-5-悟って後、俗世を生きる

 松尾芭蕉-1-求道
 松尾芭蕉-2-今ここ
 松尾芭蕉-3-わび
 松尾芭蕉-3-さび
 松尾芭蕉-3-あわれ
 松尾芭蕉-4-孤独
 松尾芭蕉-5-捨て子
 松尾芭蕉-5-一生の終わりも幻住なるべし
 松尾芭蕉-5-パッションすらも忘れて
 松尾芭蕉-5-芭蕉の臨終

 一休-1-先師と求道-1-阿育王寺から
 一休-1-先師と求道-2-謙翁
 一休-1-先師と求道-3-華叟
 一休-1-先師と求道-4-一休の名の由来
 一休-2-悟境-1-足元に世界樹あり
 一休-2-悟境-2-本来もなきいにしえの我
 一休-3-生きる姿-1-男色女色酒食
 一休-3-生きる姿-2-地獄太夫
 一休-3-生きる姿-3-ダライ・ラマ6世との類似
 一休-3-生きる姿-4-普化和尚
 一休-3-生きる姿-5-一休骸骨
 一休-4-最期-1-念仏門に改宗

 

《6.青春期以降の垂直の道》

〈無意識と死の側〉
 1-水平の道と垂直の道の違い(無意識と死の側)
 2-無意識を操作する(死の世界(無意識)が日常生活に与えている影響)
 3-マインド・コントロール(耽溺から思考停止へ)

{4-地球人口削減のための諸施策}
 1-概説(生も死も神の許し給うところ)
 2-歴史(イエス出現の成果はキリスト教に限定されない)
 3-予言-1-聖徳太子の未来記と猿(猴(みこう)の如き者、天下を掠むること三十余年、大凶変じて一元に帰す)
 3-予言-2-聖徳太子未来記と出口王仁三郎-1(国を挙げて大祓)
 3-予言-3-聖徳太子未来記と出口王仁三郎-2(世界統一)
 3-予言-4-マッソンが終わりの世に疫病をもたらす(午頭天王とはマッソン)

 

〈超常現象・オカルト〉
 超能力、霊能力、高級神霊(無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-1-概説-1-超能力、霊能力、高級神霊)
 超常現象・オカルトにこだわらない(無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-1-概説-2-超常現象・オカルトにこだわらない)
 超常現象、オカルトは冥想修行の邪魔(無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-1-概説-3-超常現象、オカルトは冥想修行の邪魔)
 覚者や超能力者、霊能力者の時間認識(無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-1-概説-4-覚者や超能力者、霊能力者の時間認識)


 イエス・キリスト-1-イエスと垂直の道
 イエス・キリスト-2-悪魔(荒野で悪魔に試される)
 イエス・キリスト-3-磔刑(イエスの遺偈(エリ、エリ、レマ、サバクタニ))
 イエス・キリスト-4-超能力で木を枯らす(いちじくの木を超能力で枯死させる)
 イエス・キリスト-5-単独なる者、選ばれた者(父母がまだ生まれていない以前の自分)

 役行者-1-役行者の意義(神代文字)
 役行者-2-みろくの時代の御宝(全国の金鉱の地図)
 役行者-3-蔵王権現の謎(人工的イメージの匂い)
 役行者-4-役行者が伊豆大島へ島流し(超能力者は邪険にされる)
 役行者-5-役行者が己の骸骨に出会う(トラウマを超えて)
 

 空海-1-即身成仏と業績(悟りのプロセスと活躍)
 空海-2-十住心論(意識レベルと存在レベル)
 空海-3-山岳修験(山岳修験の深く旧いルーツ)
 空海-4-うつ病(出家前の厭世観)
 空海-5-この身このままで仏となる(秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す)


 OSHOバグワン-1-三つの前世からコミューンへ(OSHOバグワンの手がかり)
 OSHOバグワン-2-アトランティスの前世(冥想コミューン設立の約束)
 OSHOバグワン-3-荘子としての前世-1(坐忘で窮め、逍遥遊する)
 OSHOバグワン-3-荘子としての前世-2(無用の用)
 OSHOバグワン-3-荘子としての前世-3(荘子の7つのチャクラ)
 OSHOバグワン-4-チベット密教高僧としての前世(暗殺された高僧)
 OSHOバグワン-5-今生-1-七つの身体論(七つの身体についての具体的な説明の数々)
 OSHOバグワン-5-今生-2-幼少期(祖父の死のプロセス)
 OSHOバグワン-5-今生-3-肉体からメンタル体まで(七つの身体はそれぞれ別次元にある)
 OSHOバグワン-5-今生-4-コーザル体(第五身体と両性具有)
 OSHOバグワン-5-今生-5-自我の結晶化(願望実現と謙虚さ)
 OSHOバグワン-5-今生-6-善人だけが神になれる(デヴァとプレータ)
 OSHOバグワン-5-今生-7-OSHOのアートマン(アートマンとブラフマン)
 OSHOバグワン-5-今生-8-ニルヴァーナ(もはや何も起こらない)


 釈迦-1-クンダリーニ・ヨーガも只管打坐も(只管打坐系の悟りもクンダリーニ・ヨーガ系の悟りも)
 釈迦-2-七チャクラ(七覚支と七チャクラ)
 釈迦-3-未公開の垂直の悟り(冥想十字マップのもう一つの交点)
 釈迦-4-ニルヴァーナまでの軌道-1-欲界と色界(欲界と色界と無色界)
 釈迦-4-ニルヴァーナまでの軌道-2-四禅までの解説(四禅の段階)
 釈迦-4-ニルヴァーナまでの軌道-3-無色界の禅定(非想非非想処定まで)
 釈迦-4-ニルヴァーナまでの軌道-4-滅想定(滅想定という有相三昧)
 釈迦-4-ニルヴァーナまでの軌道-5-ニルヴァーナ(釈迦の入滅シーン)
 釈迦-5-最初のニルヴァーナと臨終時のそれの違い-1-見ることと飛び込むこと(大涅槃、マハパリニルヴァーナ)
 釈迦-5-最初のニルヴァーナと臨終時のそれの違い-2-最後の死を教える者(限りなき静寂、永遠の沈黙)
 釈迦-6-体験とは言えない体験(最後の身体を持つ者)

 

《7.天国まで》
 天国と神や仏はどういう関係(天国志向の結末)
 天国を志向する人(世界の逆転まで)
 悪との出会い(準備ができているかどうか)
 天国のみを志向して、地獄サイドをなるべく見ないとどうなるか(アポロン型文明の終わり)
 禅堂の生活と修道院の生活(天国志向と積善)
 ドン・ボスコの生活を変える7か条(地上天国、千年王国の入り口)
 功過格(毎日の行動を善悪に分けて採点する)(袁了凡)
 ダンテス・ダイジ、悪魔からの超越を語る(大悟直前の悪魔の妨害)
 エクソシスト稲生平太郎(稲生物怪録)
 世界の終極に達しなければ(世界の止滅にみちびく道)
 最初の隠修士パウロス(人に知られない)
 婆子焼庵(ばすしょうあん)(悪魔と対峙する準備なし)
 アビラのテレサの霊魂の城(悪魔との対峙は第二の住まいで)

 

《8.地獄も超えて》

 天国と地獄両方を超えた悟りに追い込まれる(焦熱の地獄に落ちし現身(うつそみ)も神に復ればこころ涼しき)
 ヨブ記の読み方(太古の科学作業)
 聖アントニウスの誘惑(翼で天に昇ろうとする者たち)
 天国も地獄も吹き飛ぶイベント(隙間イベントが起きると天国的な癒しは通用しない)
 求道の真剣味(言語を絶する不幸には滑稽が伴う)
 命知らずだが、永遠の命を求める(興味を持っている人たちは揺るがない)
 ヘルメース讃歌に見るヘルメース(天国と地獄での同伴者でもあり)

 

《9.コーザル体・完全人・両性具有》
 反対物の一致という平面から(個たる人間の最後の姿)
 ケン・ウィルバーのコーザル体(意識のスペクトル)
 ミルチャ・エリアーデのコーザル体(神秘と逆説、そして絶対的自由)
 禅のコーザル体(十牛図 第六騎牛帰家)
 出口王仁三郎のコーザル体-1-伊都能売と両性具有(伊都能売と両性具有)
 出口王仁三郎のコーザル体-2-伊都能売神(いづのめ)の誕生(伊都能売神(いづのめ)の誕生)
 出口王仁三郎のコーザル体-3-直霊、神直日、大直日(直霊、神直日、大直日)
 出口王仁三郎のコーザル体-4-伊都能売の機能(伊都能売の機能)
 出口王仁三郎のコーザル体-5-両性具有=完全無欠の神人(両性具有=完全無欠の神人)
 OSHOのコーザル体(夢と現実は一つで、至福だけがある)
 ダンテス・ダイジのコーザル体(クンダリーニ上昇)

 

《10.垂直上昇への仕掛け

 古事記の屋根を突き破るという布石(導師が頭頂の封印を切る)
 父系三位一体と近代西欧文明の宿命-1(冥想による無意識の意識化)
 父系三位一体と近代西欧文明の宿命-2(錬金術師マリア・プロフェティサの公理)
 インドとはどういうものか(精神的なものに価値があるとして揺るがない)
 二重の現実感、それは確実に世界を変容させる(意識のぎりぎりの限界状況を突破した先)
 どこから歩いても同じ一つの終着点に至るような人間共通の宗教モデル(一つの排他的な新たな道や宗教は通用しない)

〔1.死のプロセスと成道と中有行きの分岐〕
 死のプロセスと成道と中有行きの分岐-1(すべてを失う自我の死)
 死のプロセスと成道と中有行きの分岐-2(四元素の溶解と五感の停止)
 死のプロセスと成道と中有行きの分岐-3(内なる溶解)
 死のプロセスと成道と中有行きの分岐-4(成道と中有行きの分岐点)

〔2.輪廻転生の実態〕
 輪廻転生の実態-1(輪廻転生の主体など)
 輪廻転生についてのOSHOの説明-1(あなたは誰かの記憶・カルマを引き継いだ)
 輪廻転生についてのOSHOの説明-2(マーヤなる記憶の解体と再構成)
 釈迦の輪廻の見方(人間の帰趨は行為である)
 ダンテス・ダイジの死と転生-1(霊が存続するメカニズム)
 ダンテス・ダイジの死と転生-2(死と転生のメカニズム)

〔3.精神の成熟〕
 爛熟から成熟へ(退屈、倦怠、憂鬱という心のエネルギーのたゆたい)
 世界の成熟(自意識の発展と知性の発達(霊がかりと天国希求の限界))
 成熟のバロメーター(正師に出会う)

〔4.大逆転と倒立〕

〔5.成道の瞬間のスローモーション解析〕

〔6.無上の垂直道〕

〔7.モクシャ〕

〔8.そこからの帰還〕

《11.アートマン

《12.ニルヴァーナ》

《13.冥想自在

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大物主神、レディの秘所を突く-2

2024-05-15 06:28:46 | 古神道の手振りneo

◎古事記の天国と地獄の結婚-3

(2019-09-14)

 

ギリシア神話では頻出の、男神と人間の娘の結婚。古事記では、三輪山の大物主神が、美人の勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)と交媾し、神の子富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)が生まれた。

これについて出口王仁三郎が言霊解を出している。まずトイレで御用たし中の美女を下から大物主神が赤い矢に変身して襲う段。

乙女(美人)の最もデリケートな部分を神に突かれたという衝撃により、乙女は至誠に目覚めそれまでの退嬰的消極的な姿勢を改め、積極的に四方に奔走し、敬神勤皇報国のために大々的活動を開始されたこととみている。

要するに大悟覚醒し、本来の自己、大神、アートマンに出会うというショックを受けて、人格も行動も至誠を基にするという形に全く変わってしまったという意味。

ここで注目すべきは下から突かれたという点。個室にて最もリラックスし、神に対してオープンとなった時に下から突かれたのである。サハスラーラは上だろうに。

この上下の見方は、神の側から見れば、世界樹モデルで見るが如く、世界樹の根が全体であり、枝葉が個。ところが人間で言えば、頭の側が根となる。これは人間にとっては逆転である。タロットカードの吊るされた男の姿。

正神が下から突くことはあり得ない。

 

古事記、霊界物語では、類似の上下逆転のモチーフがある。神界の大立者野立彦命が富士山火口に飛び込むシーンである。これは上から下への落下。現代なら単純にクンダリーニが上方に突き抜けてメンタル体で肉身を離脱し、アートマンに至り云々と解説するところを、古神道ではことさらに逆の表現をとる。

野立彦がダンテスの別称であることも知られているが、その文字配列すらも逆転した並びではある。

どうも古神道は、このように上下逆転して表現するのが好みなのではないかと思う。

女性が悟るというのも珍しく、意味深長。

だが、赤い矢が美男子に変身したという男の大悟覚醒シーンも含まれてはいる。男女同時に悟る。

 

以下は、出口王仁三郎の解説。

 

『『其の美人の富登を突き給ひき』

 ホトの言霊は霊地(ほと)であり、秀所(ほと)であり、地の高天原である。亦た局処(つぼと)である。神宮坪の内と謂ふ意義もあります。

 突き給ひきと云ふ事は、肝腎要めの局所を突き止め、見極められたことであります。

 

 ヲトメの言霊を解説すれば、

 ヲは祭り守らしむる也、長也、治む也、教也、緒也、結びて一と成る也。

 トは結び定むる也、皆治る也、十也、八咫に走る也。

 メは内部に勢を含む也、本性を写し貽(のこ)す也、親也、発芽也、天の戸也、世を見る也。

 

 以上の言霊は、天地経綸の活用ある女神の発顕にして、祭政教一致の大道場である。即ち皇祖皇宗の御遺訓を遵奉し、且つ顕彰する神示の、聖団のある地の高天原である。

 

 ホトの言霊を更に解釈すれば、ホは上に顕る也、活霊也、照込む也、火(ほ)の水に宿る也、日の足也。

 トは通り結び納る也、最も迅速疾走鋭敏也。

 則ち、厳の御魂の瑞の御魂に依宿し、最も迅速に鋭敏に活用を照らす日の御子の、足なる十の聖処地の高天原なる事が伺はれるのであります。

 

 『爾(かれ)其の美人(おとめ)驚きて、立走りいすすぎき』

 をとめは三輪の大物主神に、局処を突き止められ、非常に恐懼措く処を知らず、直に立ちて大神の命を奉じ、四方に奔走して敬神勤皇報国の至誠の為に、大々的活動を開始されたといふ事であります。

 『いすすぎき』と云ふ概略な意義は、勇み進み君国の為に至誠至忠の大活動を為す事であります。吾々皇道大本の信者も、君国の為めに、至誠以て天地を貫くの大々的活動を致さねば成らぬ時運に到達致したのであります。

 

 『乃(かく)て其の矢を将来て、床の辺に置きしかば、忽ち麗はしき壮夫(おとこ)になりて、即ち其の美人に娶(めあ)ひて生みませる御子、名は富登多々良伊須々岐比売命』

 

 そこで其の矢を将来て、床の辺に置きしと言ふ意味は、改造された三輪の大物主の化身を、最も尊き座に置き奉って、将来の大国家の経綸を、勢夜陀多良比売から一々詳細に申上げると、大物主神は、初めて神意を覚り給ふと同時に、今迄の御煩慮は忽然として消え失せ、勇壮活溌なる大丈夫に身魂が改造変化され、将来に望を抱かれ、楽天、進取、清潔、統一の大精神を確持し、美人(瑞霊)と見合はし聞合はし宣り合はして、立派な御子を生み玉うたのであります。

 

 ミコの言霊を解すれば、

 ミは玉に成る也、◎を明かに見る也、真也、満也、三也、形体具足成就也。

 コは天津誠也、脳髄也、一切の真元と成る也、全く要る也。

 即ち玉と成る也は、玉は天下統治の表象である。◎を明かに見る也は、皇国の大使命を日神月神の光に依りて悟る事である。真也は至真至美至善の神徳である。満也は光輝六合に満ち渡る事である。三也は主師親の三徳及び三種の神器である。形体具足成就也は、君民一致の神政完了する事である。

 

 天津誠也とは、惟神の大道にして麻柱の究極である。脳髄也は、万有一切を司宰する主脳の意義である。一切の真元也とは、政治宗教教育哲学等一切の真相本元を究極し、且指導する事である。全く要る也は、全大宇宙を神の意志に依りて統御し要むる事である。

 

実に三輪の大物主神と大便所に入れる美人と肝胆相照し以て宇内無比のミコを生み給ふと曰ふ、実に結構なる皇宗の御遺訓であります。』

(出口王仁三郎全集第5巻 神武天皇御東征之段P19-22から引用)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大物主神、レディの秘所を突く-1

2024-05-15 06:22:19 | 古神道の手振りneo

◎古事記の天国と地獄の結婚-2

(2019-09-09)

 

『古事記』によれば、三輪山の大物主神は、今を時めく美人の勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)に一目ぼれした。大物主神は、すかさず丹塗矢に変身して、その美人がトイレで大便中に下水溝を流れ下って便器に至り、ぐさりと彼女のホトを突いた。

すると不意を突かれて彼女はあわてふためいたが、気を取り直し、その矢を持ち帰って床の辺に置いたところ、矢はイケメンの男になったので、二人はすぐ交わった。

この二人の間に生まれた子が、富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)であって、神の子と謂われた。

三輪の大物主神は、世界各国の帝王又は大統領たちを司宰する大帝王のシンボル。彼が、世の中の醜き低きところの極み(大便所ではあるが、万物の生れ出る根源でもある)まで探して恋い求め、混乱する世界の肝腎かなめの局所を突きとめ、見極めた。

出口王仁三郎によれば、ホトタタライススギヒメノミコトを言霊で解釈すれば、直霊の御霊の光り、太陽の如くに明かに照り渡り、雲の上に伊都能売(天国と地獄の結婚)と顕はれて、永遠無窮の天下は治まりて静かである五六七(みろく)の仁政を施いて、世界を統一するということ。

五六七の神の御代の現象は、実にホトタタライススギヒメノミコトとシンボライズされ、彼女こそ古神道の天国と地獄の結婚である。

天国と地獄の結婚の表現としては、天照大神と素戔嗚神の誓約がやや複雑なのに対し、こちらの方はやや単純にできている。

古神道、クンダリーニ・ヨーガ系、密教系では、聖性の材料のシンボルとして、時に大便、小便が用いられる。善言美辞が基本ではあるが、プロの世界では、そういうものだと心得て読みたい。先入観を壊す。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディ-1

2024-05-15 03:54:00 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-11-6

◎アートマン-6

◎あらゆるものが始原の源に帰還

 

第六身体と第七身体との間にサマーディがあると唱えるのは、OSHOバグワン。該当箇所は以下。

 

『第六身体においては、鏡は存在しない。 いまや宇宙的なものだけがある。あなたは失われてしまった。あなたはもういない。夢見る人は存在しない。

だが夢見る人なしで、夢はなお存在しうる。そして夢見る人なしで夢が存在するとき、それは真正な現実のように見える。心は存在せず、考える人は存在しないため、なんであれ知られるものはすべて知られる。それはあなたの知識になる。

創造の神話がおとずれ、それは漂い過ぎてゆく。あなたは存在せず、ものごとはただ流れ過ぎてゆく。判断する者はなく、夢見る者はいない。

だが存在しない心が、いまだにある。滅せられた心がまだ存在する。個としてではなく宇宙的全体として――。あなたは存在しないが、ブラフマンが存在する。

それゆえに全世界はブラフマンの夢だと言われる。この世界全体が夢、マーヤーだ。誰か個人の夢ではなく、全一なるもの、全体の夢だ。 あなたはいないが、全一なるものが夢見ている。』

(秘教の心理学/和尚/瞑想社P140から引用)

 

いつしかコーザル体の上昇は、第六身体アートマンに切り換わり、それが第七身体ブラフマンたる中心太陽に突入せんとしている。このイメージがないと、この件りは何のことかわからないのではないか。(改めてダンテス・ダイジの偉大さに感服)

 

『全世界はブラフマンの夢』と語っているが、第六身体アートマンの夢ではなく、第七身体ブラフマンの夢と言った場合、誰が夢を見ているのかとういう問題になる。第六身体である世界全体は、第七身体ブラフマンの夢だとさ。

 

『いまや唯一の区別は、夢が実体的(ポジティブ)かどうかということだ。もし実体的ならそれは幻想、それは夢だ。 なぜなら、究極的な意味においては、ただ非実体性(ネガティブ)だけが存在するからだ。

あらゆるものが無形なるものの一部になるとき、あらゆるものが始原の源に帰還したとき、そのときには、あらゆるものがあり、そして同時にない。実体性が残された唯一の要因だ。それは超えられなければならない。』

(上掲書P140-141から引用)

 

「始原の源に帰還したとき、あらゆるものがあり、そして同時にない。」では、「あらゆるものがある」のが第六身体であり、「あらゆるものがない」のが、第七身体か。「あらゆるものがない」とは、空(色即是空)ではないのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする