アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

女几の房中術

2022-10-17 05:51:30 | カーマ・ヨーガ(性愛冥想)(冥想法4)neo

◎おとこもすなる房中術をおんなもしてみむとすなり

 

中国の周の時代の陳の国に、女几(じょき)と申す酒を売る婦人があった。その酒はたいそう味がよいので評判だった。

 

たまたまさる仙人がその店に立ち寄って酒を飲み、飲み代の質に『素経』五巻を置いていった。女几がその本を開けてみると、それは性を養う男女交接の術(房中術。性愛冥想のこと)を説いたものであった。

そこで女几は、こっそりとこの文の要点を写し取った。そして更に部屋を建て増しして、多数の若者を連れ込んでは美味い酒を飲ませ、部屋に同宿して、本に書かれた方法をトライした。

 

これを続けること30年で、容貌もずっと若返り、二十歳の頃のようであった。

 

数年後仙人がまたやってきて、笑いながら女几を冷やかして、「盗みの道に師匠なし。羽があれば、飛ばずにはいないものじゃのう」と言った。女几は、ついに店をたたみ、仙人の跡を追ったきり、行方がしれなくなった。(参考・列仙伝/平凡社)

 

女性が房中術を行うための基本条件としては、まず男好きであること、単なる異性への権力欲のはけ口としてのセックスではないこと、人生への虚無感の深さを背景として、欲情離脱へと切り替わっていくこと、などであろうが、最も問題なのは、簡単に色餓鬼地獄に落ちやすいことである。

 

性愛冥想や性愛三昧という冥想は、その奥底にこの世の無常・不安を抱えながら、それを性愛冥想の中で直視しようとするものであるから、ままならぬ現実を直視しようとする姿勢がなければ、享楽的刺激を求めるだけの色餓鬼地獄に落ちるだけである。

 

女几の話だけでは、このあたりの深刻さがわかりにくいが、女几も最後には、こうした問題を突破して、「羽を持つことができた」のだから、相当真剣な求道をしたのだと思う。

また「羽を持つことができた」という表現に、上昇するエネルギーを得たというニュアンスがある。

 

女性は、本当は多数の男性の肉体を求めているわけではなく、深く確かなふれあいを求めている。多数ではなく、ただ一つの確実な魂の半身を求めているのである。そうした動機の現れ方は、ある人にとっては、性愛冥想であったり、ある人にとっては、色餓鬼地獄になったりするのだが、性倒錯ですら、そのひとつと見ることができよう。

 

房中術は、男女のエクスタシーの質の違いから、男性側の冥想である。女几の話では、男性と同様に、女性も房中術ができるのかどうかという疑問があり、それは本当に房中術だったのか疑問に思うところがある。

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