アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ペテロの逆十字

2022-11-19 18:38:05 | キリスト者の秘蹟neo
◎第一の人間は無用の用を生きる

北欧神話のオーディンは木から逆さに吊り下げられた。このモチーフは、北欧の異教だけではなく、メジャー宗教のキリスト教にもある。

聖ペテロはローマで、ネロ皇帝の時代に逆十字架に掛けられ、磔刑となった。これについての見方が聖書外典ペテロ行伝にある。

ペテロの云う第一の人間とは根源人であり、コーザル体であり、古神道なら両性具有の伊都能売のことであり、完全なる人間のことである。

なぜ逆さまかということは、人間を世界樹に喩えれば、根が頭に当たるからである。その世界樹は枝葉が下になり上に根がある。このように人間を上下逆にしてみせて、逆十字架の頭が下、足が上の姿こそ正統的なスタイルだと示したのだ。

そして、その倒立スタイルになるには一度死ななければならないともする。

倒立とは、この功利的な世界観価値観を棄て、神の御意思を生きる、あるいは、物質より精神を優先する、自分のことより他人のことを大事に思うということ。つまり無用の用である。

なお横木の説明はあるが、縦木の説明はない。


『さて、彼らがペテロの望み通りの仕方で(十字架に)かけた時、
彼はふたたび話し始めました、「皆さん、お聞きになることがお仕事の(皆さん)、わたしが(十字架に)かけられている間の、とりわけこの今、わたしが話すことに傾聴してください。

あなたがたは創造全体の奥義と総ての物事の始源――――それがあった通りの状態を知ってださい。第一の人間は、―――その人種をわたしは (この)姿の中に担っているのですが――――まっさかさまに墜落して、かつてあったのとは別の性質を示すことになったのです。なぜなら、それは動きを持たぬ、死んだものになったからです。そしてひっくり返されて、自分の元来(の状態)を地上に投げたその彼は、召された形姿で吊り下げられたままに、総ての秩序を打ち立て、そうして右のものを左、左のものを右と示したのです。

そして彼の性質の全標を変えてしまったのです。すなわち美しくないものを美しいとみなし、実際は悪しきものを善なるものとみなす、というように。

そのことについて主は奥義で語っておられます、『もしきみたちが右のものを左のようにし、左のものを右のもののようにし、あるいは上のものを下のもののように、あとのものを前のもののようになすのでなければ、きみたちは決して御国を知ることはない』と。

この認識をこそわたしはあなたたちにもたらしたのです。そしてあなたたちがご覧通りの、わたしが(十字架に)かけられている姿、これは、初めて誕生した人間の模写なのです。

そこでわたしの愛する人々よ、今聞いている人もまた将来聞くであろう人たちも、あなたたちは最初の過ちを振り切って帰って来なければなりません。なぜならキリストの十字架にのぼることは適切なことなのです。

このかたは唯一無比の広げられたことばであり、このかたについて霊は(次のように)語っています、『キリストはことば、神の響き(エコー)でなくて何であろうか』と。ことばとはわたしがかけられているこのまっすぐの木であり、響きというのは横木――――すなわち人間的性質のことなのです。そして中央あたりで横木を垂直の木に固定している釘というのは人間の回心であり、悔い改めです。』
(聖書外典偽典7 新約外典/教文館P85-86から引用)
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