アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

霊界占星術-1

2023-04-30 06:41:27 | 吉凶禍福、占い、癒し

◎個人のことも世界全体のことも一つながりのシンクロ

ホロスコープ・西洋占星術、四柱推命、紫微斗数、インド占星術、密教占星術、宿曜占星術など占星術と呼ばれるものはいろいろある。

その中で基軸となる考え方がある。
1. 古代の占星術者は、肉眼で星を見ていた。パソコンで計算した天体位置で占断はしなかった。

2. 人は霊界なる星の世界から人間として生まれ、死んで霊界に帰っていく。

3. 人には対応する星がある。一等星の人は何百年に一人しか生まれない。大臣クラスでも三等星、四等星。大半の人は暗星。

4. わざわざ占星術で占わなくとも人には守護神がついているので、それに聞けばよいではないかと思うが、守護神はそういう世俗の人生事象全般を知る機能でついているのではないらしい。

5. 以上をまとめると出生時の星の位置と現在の本人の状態を観じて、将来を占断するのが、本来の占星術と思われる。星には、物質界の星はあるが、霊界の星の反映でもあるところを見るのだろうと思う。

参考までに出口王仁三郎のいくつかの見方を挙げて見る。
『【空の星と人間よ】

空の星を見て居る位楽しい事はない。各自の星が皆空にあるのであるが、今の世の中の人々の星は、多く暗星だから、光を放つて居ないから見えぬ。

大臣達だつて三等星か四等星である。一等星の人なんか世に出て居ない、歴史上の人物で豊臣秀吉即ち太閤さんは一等星の人であつた。近頃の人では西郷隆盛が一等星であつた。其後一等星の人物は出て居ない。』
(水鏡/出口王仁三郎から引用)

『【天書】

天書とは星の事である。天書を読めば来るべき世の推移が分る。今の世は星がだんだん下つた如く見ゆる、そして光を失つて居る。人の心が正にそれである。

星と人とは相対関係がある。だから有為の材の会合などの事を諸星集ると云ふのである。

月宮殿のあの石畳は王仁が寝て空を眺め、天書の意を悟るために予め造つておいたのだ。読む方法を教へよと云ふのか。それは六ケ敷い。第六感、第七感以上の働く人でなくては分らぬ。人事上に起つて来る事などは皆天書に書いてあるから前から分つて居る。王仁はこの天書を読む事が一番楽しみだ。』
(玉鏡/出口王仁三郎から引用)

さらに出口王仁三郎が昭和10年代に7年間獄中にあった際の和歌。出口王仁三郎はオリオン座出身であり、オリオン座が人(中央の三ツ星)を四角い牢獄に閉じ込める形であることが前提になっている。
瑞月は、出口王仁三郎のこと。
『オリオンの星座に吾はなげくなりまがのたけびのふりかかる世を

世人等にそしられ又もあざけられまたほめられる生代は近し

大本はわるく言はれて後になり善くなる経綸と神は宣らせり

今しばし暗は迫れど金色の光を放つ日は昇るらん

日出づる国の行末しのびつつ星座に我は神言を宣る

オリオンの星座を分けて瑞月のかがやく御代を待ちつつ生くるも』
(出口王仁三郎著作集第5巻/弾圧のあらし/第二次弾圧から引用)
※『金色の光を放つ日』は、ノストラダムスの見た「日の国の純粋なきらめき」を思わせる。

また、大本神諭などの予言において、宵の明星の金星(太白星)が東に回る時に大変動があると繰り返し出てくるが、その世界の逆転とは、タロットカードで言えば「吊るされた男」になることでもあるので、世界のことなのか自分個人のことなのかは、考えるべきだろう。

『宵の明星が東へまはりなされたならば、世界には変事があるから、世界の人民よ、何処に何事があろうやら判らぬぞよ。』
(大本神諭/明治31年旧8月7日から引用)

また大変動時に巨大彗星(ほうき星)が出現していることも繰り返し予言されている。

『宇宙の塵埃曇り汚れを掃き祓ふ、神の経綸の箒星、不意に出現する時は、天津大空澄み渡り、神の威勢の強くして、空に懸れる群星は、天の河原に集りて、言問ひ議り議り問ひ、

終には思案も手術も泣き暗し、地上一つの神光を、尋ねて各自に降り来る、大木の蔭や神館、綾に畏き地上の高天原、神の助けを請ひ奉り、身魂清めて苅こもの、乱れ果てたる世の中を、

元の神代に立直す善と悪との戦いに、大本直日大神を、総大将と戴きて、曲つ軍を打罰ため、言向和はす空前絶後の大神業は、

いろはの産の神御魂、誉れを千代に遺す経綸の、奥の手の只一輪の白梅の、花咲き実のる常磐木の、松の神代こそ尊とけれ。

金竜銀竜金剛剱破四ツの神馬のいななきは、天地に響く言霊の、神の力と神人の日本魂の活動に四方の国々依り来り、天津日嗣も永遠に、治まる神代の瑞相は、七堂伽ランの神界の、世界鎮めの基礎と成り渡るぞよ。』
(伊都能売神諭から引用)

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無為の体験を経た言葉

2023-04-29 16:56:07 | 老子neo

◎老子第81章 信言不美

(2007-05-31)

 

『信(まこと)のある言葉には、飾りがない。飾りのある言葉には、信(まこと)がない。

 

善い人は言い訳をしない。言い訳を言う人は善い人ではない。知者は博かろうとしない。広く覚えている人は、かえって知者でない。

 

聖人は何ものも蓄積しない。人のため、ありったけを携えていくが、しかもそれでいよいよ富んでゆく。

 

天の道は、すべてものを利して、害することがなく、聖人の道は為して、しかも争うということがない。』

 

無為の体験という「体験を超えた体験」は、言葉による表現はできない。だから言わないのであり、言う者はその体験が無い者である。

 

無為の体験を経た人の言葉だけが、信(まこと)のある言葉である。

 

今の時代は、自分を守るための言い訳をしなければダメとされる時代であり、言い訳をしない「善い人」を造らない時代である。

 

争うことがないとは何か。自分という個人も世界の森羅万象もまた自分である実感があって初めて争うということが発生しないのである。争わない(不争)とは、意図的に他のものと争わないのではなく、自然に争うことがないという消息はこのあたりにある。

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不争の徳は水の如し

2023-04-29 16:52:21 | 老子neo

◎老子第8章上善若水

(2011-06-18)

 

『最上の善は例えば水の如しである。即ち水というものは、善く万物のためになって、それと争うことがない。そしてすべてのものの嫌うところに居る。だからこの水の精神はほとんど道の性質に近いと言って良い。

 

我等がこの水の精神を体得するならば、われらが居る場所は必ず、その地を幸福なものにするであろう。またそのような状態の心は、淵の水のように波立たず、すべてを受け入れて奥深い。また他と与(とも)に不争の徳を守れば、その仁を善くすることになる。

 

またその言において不争の徳を守るならば、その信を善くすることができる。

 

また政治において不争の徳を守るならば、その治を善くすることができる。また物事を為すにおいて真に不争を守るならば、どのような難事にあっても、これを能くすることができる。

 

行動において不争の徳を守る時は、自然に出処進退することができる。』

 

 

この世の根源的要素としてのイデアとしての水の話であり、ギリシャの哲人ターレスが「万物の根源は水である」と述べたが、その『水』に近い。

ここは、心の状態や、政治のあり方、行動の仕方に敷衍して述べているが、昨今の他人を蹴落としてでも自らの利益を確保しようとすることを是とする風潮とは、正反対の説である。

 

現代人は、金をもらうこと(金の見返りに何かを期待されること)、自分がメリットを受けることの弊害について、より敏感にならねば、この消息について直観するのも難しいのかもしれない。

そうしたものを受け取った瞬間に「争」の世界に入り、不争の徳を失うからである。

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井上日召

2023-04-29 16:47:42 | マントラ禅(冥想法7)neo

◎見性後に暗殺集団を組織する

(2020-08-16)

 

井上日召は、昭和の初めに日銀総裁の井上準之助や三井財閥の総帥の團琢磨を暗殺した血盟団のトップ。血盟団は要人の一人一殺を標榜する暗殺集団だが、実は彼は日蓮宗の寺の住職であった時代がある。

 

大正13年頃、南無妙法蓮華経というマントラを何度も繰り返すことで、宇宙大自然と自分が一体になった実感を得た。

 

血盟団事件後の昭和9年には刑務所にいたが、その悟境を臨済禅の山本玄峰にも認められている。山本玄峰は第二次世界大戦時の日本の指導者の相談相手になっていた、それなりの師僧。

 

井上日召は、見性してから10年ほどで血盟団事件を起こしている。見性しただけでそのままにしておくとダメな例として見るべきだろう。

 

なまじ宇宙大自然と一体になった、神仏を見たという経験は、それを聞いた周辺がそっとしておいてはくれないし、本人も舞い上がりがち。

 

白隠ですら何度も舞い上がっては叩き落されを繰り返した。

 

ただし見性見神者が戦うのが邪道かというと、バガバッド・ギータのアルジュナ王子のように、正しく戦うケースもある。悟ったから戦わないというのは誤解である。

 

また老子の言う不争というのは、それとはまた違った意味で言っている。

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称名、マントラで懺悔

2023-04-29 16:44:09 | マントラ禅(冥想法7)neo

◎乱倫、娼婦

(2020-06-20)

 

ラーマクリシュナが語る。

 

素封家出身のモッリク某という女性がいたが、若いうちはさんざん悪いことをしたが年を取ってから称名に励んでいる。まあ、何もしないよりはまし。

 

彼女が、ある時、売春婦などでも救われるものでしょうかと尋ねてきた。自分はそれ以前にそれに似たことをかなりしてきたらしいので、そんなことを聞いてくる。

 

ラーマクリシュナは「救われます。心の底から懺悔して、泣きながら神様に祈って、もう二度と致しませんと誓えば。」と即座に答えた。(人類の知的遺産 ラーマクリシュナP251参照)

 

これは、乱倫も極まれば反転し収まるということだが、世界の混乱も極まって反転せねば治まらないということでは、同じ原理。

 

売春婦のことは貶めるくせに、ネットポルノ愛好家は無数にいる。そういう人間が大多数である乱れた時代に、次の世界大戦がないことを誰が予想できるものだろうか。

 

売春婦は、ソーマ・ヨーガの古代インド・ペルシャの頃など、高級神女のような尊敬されるべき職業であった時代がある。ダンテス・ダイジの前世の一つは高級娼婦であったことも、自ら明かしている。

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大田垣蓮月

2023-04-29 06:28:02 | マントラ禅(冥想法7)neo

◎棺には短刀を入れよ、遺体を男の手に触れさせるな

(2020-02-12)

 

大田垣蓮月は、幕末の尼僧にして陶芸家。鳥羽伏見の戦いの直後、西郷隆盛に対して、内戦継続を諫める和歌を送った女傑。

 

その歌は、

「あだ味方 勝も負けるも 哀れなり 同じ御国の 人と思えば」

 

大田垣蓮月は、両親が早逝し、養父に育てられた。亀山城の奥奉公の間、諸芸を磨き、文武両道に優れ、木刀、鎖鎌まで使いこなしたという。

 

2度結婚したが、二夫ともに先立たれ、子供も3人できたが、いずれも早逝。家庭的には、不運だった。最初の夫からはDVに悩まされた。

 

夫と死別後、絶世の美人だったが、前歯を抜いて老婆の如き面相に変えた。生涯二番目の夫のことを忘れなかったようである。

 

40代から陶芸を始め、これが良い商売となったが、金銭には廉潔、恬淡としていた。60代になってから、その小庵で、後の大文人富岡鉄斎を21歳から侍者として預かり鍛えた。

 

蓮月のお金観。

「金は、うちに残らぬがよろしい。入るだけ出るのがめでたい」

 

1850年(嘉永三年)の飢饉の年には、京都東町奉行所に匿名で30両(現在の約一千万円)を布施に行き怪しまれた。

 

ある時強盗が入ったが、蓮月は「金でも何でも好きなものを持っていきなさい」と燈明までつけて家探しを助け、はったい粉を練って腹ごしらえまでさせて家を送り出した。

 

ところが、翌朝その強盗は、路上で口から血を吐いて死んでいた。背負っていた風呂敷に蓮月とあり、蓮月は毒殺の嫌疑をかけられたが、どこからかもらったはったい粉ということでうやむやになった。

 

夜は灯をともして光明真言を唱えたという。彼女は自分の生涯を自他平等の修行と見た。

 

住居は三畳、食物は村人からのもらいもの。食器は茶碗ひとつ。来客には葉の上に飯を盛って出した。家財は、ろくろ、鍋釜、文机。質素ぶりは趙州のようである。

 

明治8年12月、84歳で亡くなった。遺言は、棺には短刀を入れよ、遺体を男の手に触れさせるな、と。

気に染む男は一人だけだったのだろう。

 

辞世:願わくは 後の蓮の花の上に 曇らぬ月を見るよしもがな

 

幕末維新の女と言えば、明治の元勲を助けた女ばかり取沙汰されるが、ちゃんとした求道者もいたものだと思う。

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太田垣蓮月、方寸の胸に阿弥陀仏を見る

2023-04-29 06:23:52 | まはさてあらん、AEIOU

◎美人の老後

 

太田垣蓮月は、幕末の京都の念仏者にして、大層な美人であった。夫と四人の子をなしたがすべて先立たれ、40歳の頃父(京都知恩院の広間侍)も病没し天涯孤独となり、やもめとして85歳の人生を生きた。

 

彼女は中年になってもその容色は、衆人を惹きつけるものがあり、その上和歌の名人であって、さらに作陶を生業としていたが、陶器に彼女の和歌を添えたものが飛ぶように売れた。

 

さて彼女は、明け暮れ念仏を怠らなかったのだが、本尊は木像や画像でなく、子供のおもちゃのような伏見人形だった。その伏見人形も一定でなく、かわいい童形だったり天神様だったりお姫様だったり、こだわらなかった。ある人がその理由を蓮月に問うと、「本尊ばかり立派な如来様でも、こちらの信心が未熟では、何もならない。私は方寸の胸にちゃんと阿弥陀如来を安置しているから、いつでもどこでも念仏を唱えれば如来に通じる。が、念仏するには何か目安がないといけないので人形を置くのだ。」とのこと。

 

※方寸の胸とは、微細身でブラフマンの宿る場所として知られている(魂の科学/スワミ・ヨーゲシヴァラナンダの第23図)が、念仏者からもこういう体験が出るとは。

 

さて、好事魔多し。中年老境になっても彼女の令名と美貌を狙ってうまいことを言って言い寄る者がやまない。ストーカーも少なくなかったのだろう。

 

彼女は、歌人と作陶家として有名になり、歌や陶器を求めて地方から上京して訪問する者引きも切らずとなった。これを煩わしく思って、彼女は住居を頻々と変えた。

 

年を取っても美人は美人。真剣に求道する者にとっては、余分な名声と淫欲から来るナンパは邪魔なだけである。

遺言に、棺には短刀を入れよ、遺体を男の手に触れさせるな、としたのは、やり過ぎかと思っていたが、実は当然だったのだろう。

 

知っている東証プライム上場企業の女性役員で結構美人の方がいるが、絶対に公式資料で写真を出さないのは、その辺の事情もあるのだろうと拝察する。慧春尼も美人であったが故に苦しんだ。

美人でないことを気に病む人が多いのだろうが、美人で苦しむことの方が大変なのではなかろうか。

 

※本記事は、美人禅/笛岡清泉を参照。

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宗教と道徳が壊れていく過程で

2023-04-28 20:24:46 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎邪境と魔境

(2020-09-19)

 

宗教と道徳が壊れていく過程といえば、まず万人が神知る至福千年の時代には、自ずと宗教はなくなり、そこから発する道徳というものもなくなる。なぜならば、人の行動に悪は見られず、善行のみ行われるからである。よって、そんな世界を見ている人が現代を見れば、時に「バカどもの生きている狂った世界」というような一見理解不能な表現をとることがあり、一般の常識的社会人は面食らってしまう。

 

だが宗教と道徳が壊れていく過程といえば、歴史上に有名なのは、ロシア革命の時代と中国の文化大革命の時代か。これは、万人が神知るとは逆方向の時代であって、ともすれば人間の善意、自己犠牲などあらゆる神性に連なる美点をどんどん排除していった時代。

 

悪い面に注目すれば、具体的には、社会の人々全体が、愛と善意、健全な感情が卑しく頽廃的なものと考え、廉潔であることは悪いことだとされた。行動面では、破壊、特に公共物の破壊は奨励され、道徳的で丁寧な挙措は忌むべきこととして批判されもした。

 

こうした礼儀正しく道徳的な行為をせず、歪んだことや過去何年も築き上げたものを破壊することは、文化財破壊や親子家族の紐帯を切ることまでよしとする風潮を生んでいった。

 

中国では文化大革命中の10年(1966-76)は、全国的にそのような時代であったが、流石に人倫に悖りすぎることからやや揺り戻し、それが以後の経済発展の原動力にもなったことは承知しておくべきだろう。その間の政治的な変動については政治好きの人に任せておくとして、中国人は文化大革命によって、礼儀と公衆道徳を失い、親子家族への信頼も薄められ、「善」を行えば、周辺に糾弾され排除される時期が必ず来ることを学んだ。

 

その結果、中国に見るべき文化財がほとんどなくなって、自然遺産ばかりになっている。

 

中国の歴史と言えば、ネットでは天安門事件のタブーのことばかり言われるが、中国人の精神にとって、文化大革命の悪夢の10年の方が影響が大きかったのではないか。

 

ロシアについては、ロシア革命の時期もしかりだが、1991年のソ連崩壊後大半の人が失業したと言われ、自殺者も激増した時代があるのだが、その方が現代ロシア人の精神性に影を落としているのではないだろうか。

 

いずれにせよ、共産主義国では、神仏の視点から見て「悪を奨励し善を貶める」大衆運動が組織された時期があり、それは共産主義洗脳の一環なのだろうと思うが、大きく国民の精神性と行動にネガティブな影響を与えているように思う。

 

中国人が単に拝金なだけでなく、道徳無視なところを日本でも見かけることがあると思うが、それはそういう時代背景を過ごしてきた影響があり、かつチベットやウイグル、最近ではモンゴルなど少数民族への抑圧も、その発想の基本に「悪を奨励し善を貶めてもよいのだ」という考え方が仄見える。

日本では知られていないかもしれないが、日本だって、中国から見れば大和族という中国に服属すべき少数民族の一つにしか見られていないという面もあるのだ。

 

かつてダンテス・ダイジは、文化大革命の中国を邪境と評し、冥想の古典テキスト摩訶止観で天台智顗は、冥想中に魔境あることを示した。

 

事程(ことほど)左様に、人は神仏を知らねば何が正しくて何が邪なのかはわかるものではないと思う。

 

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瞑想に関心があったり瞑想したりしても悟れない理由

2023-04-28 03:05:02 | 人と神の「実際のところ」

◎自分で自分をごまかす

 

世界の聖者の共通する悩みは、自分が一人でも多くの人が覚醒できるように日々がんばっているにもかかわらず、本当に悟りを得る人は、激レアなことである。

 

幸いにして現代は、冥想やスピリチュアルやニルヴァーナに関心を寄せる人が多く、宗派の別なく冥想を習慣としている人も少なくない。

 

悟りとは、生死にかかわる自分ののっぴきならない変容であって、意識の極限状態を通過しないと起こらないことが知られている。

 

旧約聖書で、ソドムのロトは、ソドムの町に正しい人が10人も見つけられなかったほどに悟っている人は少なかった。

江戸時代の禅僧正受慧端も禅の世界でもまともに悟っているひとが非常に少ないことに愕然としている。

 

現代は悟りを開いた先達の情報も多く、どういうタイミングで悟ったかの事例蓄積も沢山ある。なるほど悟りそのものは言葉では伝えられないからわかりにくいとは言っても、何千年のノウハウの蓄積がある現代においてすら、旧約聖書の時代や江戸時代と大差ない悟った人の輩出状況である。

 

何が邪魔してこうなっているのだろうか。既成宗教のノウハウの水準や現代の多層にして頻繁なマインドコントロールのせいにするにはたやすい。それは外面的な要因ではある。

 

実は内面的な悟り阻害要因は、本当に悟りを開いてあらゆる苦悩から解放されようなどと思ってはいないのに、瞑想に関心があったり瞑想したりしていることである。

 

なぜ悟れないか?それは、タイミングが悪い、自分の精神が成熟していない、冥想技法が悪い、参考にしている経典が悪い、教義が間違っている、師匠が悪い、暑い、寒い、騒音が気になる、虫がいる、隙間風が入る、体調がすぐれない、時間がないなどありとあらゆる理由がつけられる。

 

もし本当に、悟ること、タロットカードの吊るされた男になることに関心があれば、以上のような理由があっても、必ずニルヴァーナに到達し解脱することが可能のはず。

 

つまり、瞑想に関心があったり瞑想したりしている人のほとんどの人は、悟りを目指すという点において、自分で自分をごまかしているのだ。これが、悟った人が少ない理由の大半ではないかと思う。

 

すべてを棄てて、師匠のところに来たかということ。悟る直前には、そこが試されるものだ。

自分で自分をごまかさないという点において、現代の求道者は、合格者は意外に少ないのではないか。換言すれば、自分が思っているほど合格基準が甘くないのではないかと思う。

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差別反対と地獄世界

2023-04-27 20:19:46 | 時代のおわりneo

◎無自覚に罪業を重ねる人の増加

(2020-06-21)

 

アメリカでは、コロナ禍を一つのきっかけとし、黒人差別反対運動が、全米に広がり、その結果、各地で白人を対象とする暴力行為が多発し、白人を殴る蹴るの画像がSNSに流れるようになっている。

 

他方、中国のように中国人の差別反対を声高に唱えるくせに、ウイグル、チベットなど国内少数民族への差別には積極的に人権抑圧政策を取る国家もある。

 

いずれも差別反対が旗印だが、これはいずれも危険な兆候である。この動きが広がると地獄が地上の至るところに現出するということだからである。

 

地獄とは、自分は働かないで他人の物を奪ったり盗むことを第一に考える世界であって、農業や工業のように生産するのは苦手で、他人を騙して儲けようと考える人ばかり。

 

自分が差別されている側であることを口実に殴る蹴るという運動は、やがて気ままに他人に暴力を振るうことを認める社会になっていく。小暴力の発生件数が急増すれば、摘発も追いつかない。

 

どうしてこんな世の中になってしまったのだろうか。

 

乾いて雨の少ない時代に熱せられた石が降るのはノストラダムスのビジョンだが、そんな雰囲気が似合う時節が近いと感じられる。

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なにもかもなしとすべてのすべて

2023-04-27 06:30:05 | 無限の見方・無限の可能性

◎アートマンとブラフマン

 

アートマンであるすべてのすべてと、ブラフマンあるいはニルヴァーナのなにもかもなしの関係性は、論理的にぶっ飛んでいるので理解を越えている。

 

以下はOSHOバグワンの説明。

『人間には二種類ある。 一方は、否定性に何の親近感も持てない。他方は、肯定性に何の親近感も持てない。 ブッダは否定的な部類だった。肯定性には何の親近感も持てず、否定性に親近感を持つ。それですべてに否定的な用語を使う。

シャンカラは否定性に何の親近感も持てない。それで彼は、究極の真実を肯定的な用語で呼ぶ。どちらも同じことを言っている。 ブッダはそれを、「シュンニャ」と呼び、シャンカラは「ブラフマン」と呼んでいる。ブッダは「空」、「無」と呼び、シャンカラは「絶対」、「すべて」と呼ぶ。どちらもまったく同じことを言っている。

 

シャンカラ批判の急先鋒のひとりに、 ラマヌジャという人がいた。そのラマヌジャいわく、「シャンカラは隠れた仏教徒だ。彼のヒンドゥー教は見せかけで、実際はそうでない。肯定的な用語を使うせいで、ヒンドゥー教徒に見えるだけだ。ブッダが無と言うところを、彼はブラフマンと言う。それ以外はみな同じだ」。ラマヌジャによれば、シャンカラはヒンドゥー教の大破壊者だ。詭計(トリック)を使って、裏口から仏教を招じ入れている――否定的な用語の代わりに肯定的な用語を使っているだけだ。 ラマヌジャはシャンカラのことを、「プラチャナ・ボーダ」つまり「隠れ仏教徒」 と呼ぶ。それにも一理ある。たしかに何の違いもない。言わんとしていることは同じだ。

 

だからそれは人による。 沈黙や無に親近感を持つ人は、その「大存在」を「空」と呼べばいい。また、それに恐怖を感じる人は、その「空」を「大存在」と呼べばいい。それによって技法も変 わってくる。』

(ヴィギャンバイラブタントラ(10空の哲学)OSHO P297-298から引用)

 

釈迦的な行き方は、諸行無常と諸法無我とどうしてもネクラな厭世観からスタートする。だが、釈迦の行法は、禅の只管打坐あり、公案禅のジュニャーナ・ヨーガあり、密教の入我我入あり、念仏あり、お題目ありと大体のメニューは揃っている。そしていきつくところは、シュンニャ、無。

一方シャンカラは、不二一元論であって、アートマンとブラフマンは同じだと言っているが、実在するというニュアンスに重きを置く。

 

このようにOSHOバグワンは、肯定性たるすべてのすべて=アートマンも否定性たるなにもかもなし=ブラフマンも同じだとするが、それは哲学ではなく、実際の「体験ではない体験」なのである。

 

その点の説明として、ダンテス・ダイジの『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』にアートマンがブラフマンに進むイラストがあるが、これこそ何千年の聖者、求道者間の議論に解決をもたらした空前絶後の秘密の開示であったと言える。

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正受慧端-5

2023-04-26 16:25:31 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎その生い立ち

(2009-07-31)

 

正受慧端は、1642年信州松代藩主真田信之(真田幸村の兄)の庶子として生まれ、飯山城主松平忠倶侯に養われていた。正受13歳のころ、城下の曹洞宗大聖寺の奪心禅師の登城した時に、侯の子供達が、禅師に紙を差し出し仏名を書いて頂いていた折り、正受も請うたところ、禅師は「正受には観世音がついておられるので、仏名を差し上げられない」と断られた。

 

正受がその意味を問うと、禅師は「自分に訊いてみなさい、他人に問うてはならない」と戒められた。この時正受は、将来の自分の成道の予感を持つことになる。

 

以後、出家こそしていないが、修行に専念するようになり、しばしば寝食を忘れ、大疑団に集中し、立っては坐ることを忘れ、坐っては立つことを忘れ、城内で行方不明になることも多く、雪隠(トイレ)で発見されることが多かったので、松平忠倶侯は、正受のことを強情な白痴だろうと言うほどであった。

 

正受16歳の時、たまたま2階に上がろうとして、階段の半分位のところで、立ったまま定に入り、階段から転げ落ちて、気絶した。

 

人々が驚いてこれに水をかけて呼ぶと、蘇生して、手を打って大声で笑いだしたので、人々はこれは発狂したのだと思ったが、実は大悟したのであった。

 

その後19歳の時、江戸に出て、菰一つだけで寝たり坐ったりする極貧の、麻布の至道無難禅師について出家した。(いつの世も、極貧が本物のサインであって、豪壮な本部を構えている本物はまずない。マンモンの神は本物には寄りつかない。)

 

大器は、遅くとも思春期のころから悟りのボーダーにいる。思春期の頃から無常を生きているわけだから、生きるのはつらいものだと思う。また部屋住みとはいえ、藩主の子が出家するのはなかなかの覚悟がなければできることではない。

 

実母も長生だったようだから、覚者によくある両親の早世というインパクトがなくても、充分にこの世の思い通りにならぬことを骨身にしみて承知していたから、16歳で大悟したということだろう。

 

飢え死にする危険はほとんどないけれども、いまや小学校でも三分の一が片親家庭、失業率も高く、うつ病の生涯有病率は8人に一人と、充分に不安定な精神の者が大量に出現する時代。物質的にはそこそこで、精神的には不安定、そんな現代の環境は正受の生い立ちによく似ている。よって自覚さえあれば、大悟への道は開けやすいとも言える。

 

衣食住の環境は整い、精神は成熟した。今や待たれているのは、政治でも経済でもそうなのだが、精神世界でも『次世代のビジョン』である。そろそろ出ないと、あらゆるものが混乱のうちにコントロールを失って失速する虞がある。

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正受慧端-4

2023-04-26 16:19:42 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎正受慧端の修行時代

(2005-08-02)

 

1.屋根の下から足を突く

正受は、師家の至道無難に付いて修行を続けていたが、ある日屋根の修復を命じられた。正受が屋根に登ったところで、師家は、下から杖を伸ばして老人の足を突いて、『香厳の樹上の公案はどうだ、さあ見解を言ってみろ、言ってみろ。』と責めたてた。

 

※香厳の樹上の公案:口に枝をくわえてぶら下がっているところで、正しい見解を言わねばならないという公案。言えば枝から落下して大けが、言わねば修行としては不合格。

 

2.師匠の著作を火に投ず

ある時無難禅師が、和文で書いた法語を出して、正受に与えて言うには、「これは、私の睡眠中のたわごとである」。

そこで正受は、これを開いて2~3枚読むと、立ち上がって、炉の中に投げ入れてしまった。

無難が「何をする」と言うと、正受は「老師こそ、何をなさいますか」と答えたところ、無難も黙ってしまった。  

 

 

一人でも半人でも、得道した人間を育て上げるのは、得道した人間の使命であり、かつその育て上げた弟子は、師匠のレベルを上回っていなければならないと聞く。

 

中国古代の聖天子の一人、舜は、やはり屋根の上で、下から火をつけられたが、屋根の上で足を突かれる話は、それに比べると、ましかもしれないが、危機の中に陥れるという点では、十分な鍛え方と言えよう。

 

また、自分の法語を焼き捨てられるのは、師匠として、その場は非常に気分を害したろうが、納得した部分もあったのではないだろうか。師匠のレベルを越えるという意味で。

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正受慧端-3

2023-04-26 16:10:24 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎見性した後の正念ケアが大切

(2005-08-01)

 

見性するのも大変だが、正受慧端ほどの名僧にして、60代半ばにして、ようやく正念相続ができるようになったと述懐している。正念とは、仏の側の生き方であるが、それが日常生活、行住坐臥の中で徹底できるようになったと語っている。

 

正念相続とは、普通の人間が見ている世界というのは本物ではなく、生も死もないというのが当たり前の現実であるという意識の世界を継続していくことである。フツーの人から見れば、その認識の仕方は、変性意識とか、統合失調症の症状の一種ではないかと見られるが、それが、覚者から見たまぎれもない現実なのだろうと思う。

 

つまり『生も死もない』というのが、それしかない唯一の現実であると感じられる精神状態は、精神医学的には、変性意識とか、統合失調症の症状にしかないと思う。このような精神状態も正常として受け入れる了見が、現代社会にあるとは思えないのもまた、寂しい現実ではある。

 

理屈や観念的、知的理解で『生も死もない』とやるのは、簡単だけれど、正受慧端が、単に知的理解を期待して『生も死もない』とやったわけではあるまい。

 

※「正念とは、正しい思考、真実の思念。これを常に持ち続けて修行に勇猛邁進することが工夫」という注釈がついているが、これでは何のことかよくわからない人が多いでしょう。正念って、世間の常識からずれたところにあるので。 

 

『現代の悪風として、人々は世間的な名誉を得たい心が強く、それぞれ財をむさぼり、身を肥やす情が盛んで、時々は仏道を行っているように見えることもあるが、しかも正念工夫の決断をして動かぬ人は実に得難い。

まして正念工夫を持ち続けて絶やさぬ人を求めると、千人万人の中に二人とはない。

 

(中略)

 

今は既に七十に近いが、その間の四十年は、万事をなげうち、世の中の様々を縁を断ち切って、もっぱら仏教を護り続け、ようやくここ5~6年この方、正念工夫の本当の持続をすることができるようになった。』

(垂語/日本の禅語録/無難・正受)

 

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正受慧端-2

2023-04-26 15:51:45 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎見性した人の少なさ

(2005-07-31)

 

さて、いろいろなきっかけで、禅寺に入って修行してみようと思うことがある。その場合正しい師匠がみつかるかどうかということが重要な問題となる。インターネットで検索してみても、「某A寺のA和尚は見性しました」とか、「某B寺のB和尚は、大悟何回小悟何回の実績があります」などということが書いているわけではない。

クチコミでも、なかなか誰それが見性したという話は聞くことは少ない。

 

かたや見性した者を多数輩出している寺があり、よくよく聞いて見ると、どうも至道無難や、正受慧端のいう見性ではなく、どうも観念的な「気づき」や「知的理解」みたいなものを見性と呼んでいるので、多数見性した者を出しているようだとわかったことがある。

 

絶対なるものに対しての観念的な気づきすらも、全く理解できない人が多い中、「気づき」も決して馬鹿にすることはできないが、それは見性の重さとは全く異なるものである。

 

『近頃は、国中を払ってみても、似たりよったりの学問を看板にした生き損ないや、見性しない師匠ばかり。仏祖から伝えられた大法に至っては、今だかつて夢にも見られないと。

 

白隠(正受慧端の後継者)が人に語って曰く、

私はかつて老師の議論を聞いて思った。方々の寺が互いに威容を誇り、有名な師匠が次々に繁盛している。

私の老師はなぜこのように諸方のことを憤激なさるのか。これは、いわゆる仲間意識だろうかと。

 

その後、世の中あちこちに遊歴して、幾人かの宗匠にあったが、一人も大きな見地で導くような、本当の高僧にぶつかったことはない。初めて知った。正受老人の道は遥かに諸方の僧どもにぬきんでていたことを。』

(垂語/日本の禅語録/無難・正受)

 

江戸期の寺は、戸籍の管理をしていたり、戦の時の陣屋になったりして、今の役所以上の重要な機能を果たしていたので、有力者の厚遇を得るチャンスは多かったであろうから、今の時代と比べても、寺の経営を隆盛にすることは、簡単にできたのではあるまいか。

したがってこのような大寺が、道を説くという面をおろそかにしていても、あまり不思議はなく、逆に真正の求道者が貧乏寺に起居させられるのを見て、正受慧端が憤慨するのも納得できるところがある。

 

中国のように生き抜くこと自体があまりに厳しい社会では、結局仏教は根付かなかった。日本は、中国ほど生存環境は厳しくないが、江戸時代に寺を厚遇したら、あっという間に仏教の本当のところは、衰退したということだろう。

 

坐禅冥想をするには、必ず寺でやる必要はない。自宅でやればよい。

ところが、見性以上のところにいくためには、世間的に見たら精神異常のような状態を通過するので、見性した師匠の指導のもとに、世間から隔離された場所でする必要がある。そのことが、世間の人に常識として広く理解してもらえる時代が来ないと、冥想の本当に深いところが、広がっていくことはむずかしいと思う。

 

例えば白隠が、一軒の家の前にたたずんで、老婆に何度も「あっちへいけ」と言われたのに、つんぼ同然に突っ立っていて、一向にどかないので、その老婆に竹箒で頭を何度も殴りつけられたのは、重いノイローゼそのものの症状です。

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