◎過去の自分を捨て去る
(2006-05-04)
ここは、イタリアのナポリ。1265年頃から、8年間にわたり、トマス・アクィナスは神学大全の著述を続けてきていた。
1273年12月6日の朝、スコラ哲学(中世キリスト教哲学)の大著神学大全の著述にいそしんでいたトマス・アクィナスは、いつものように聖ニコラウス礼拝堂でミサを捧げた。このミサの後、突然、神学大全の口述も記述もやめてしまった。
秘書であった兄弟修士のレギナルドゥスが、しつこく著述の続行を勧めても、トマス・アクィナスはただ「私にはもうできない」と繰り返すばかりであった。なおも勧めると最後に
「兄弟よ。私はもうできない。大変なものを見てしまった。それに比べれば、私がこれまで書いたものは、わらくずのように思われる。私は自分の仕事を終えて、ただ自分の終りの日を待つばかりだ。」と答えた。それから彼は放心状態に陥った。
数日後、彼は、姉の伯爵夫人に会いに出かけたが、迎えた姉に対して、彼は無言のまま茫然としていた。
金剛経を捨てた唐代の禅僧徳山のような例がここにもあった。それを見た後、数日ぼーとしているのは、白隠やバグワン(OSHO)の例を見ても、典型的な出来事だ。それに出会えたトマス・アクィナスは今生の目的はほぼ果たしたのだろう、この3か月後に彼は病没している。