アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

上薬、中薬、下薬

2024-04-27 03:08:18 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo

◎不老不死と仙人

(2016-05-30)

 

古代中国では、薬を上薬、中薬、下薬の三分類した。

上薬とは、不老不死を実現し、仙人になる薬であり、中薬とは、性を養い健康を維持するための薬である。下薬とは病気を治す薬である。

道教的冥想体系では、呼吸法、柔軟体操があり、坐忘などの冥想体験が語られているので、その体系の中の一部として、服薬=外丹があったということになる。

外丹の3分類が上薬、中薬、下薬であって、ヤキ・インディアンの冥想マスターであるドン・ファン・マトゥスが、ペヨーテ・サボテンを用いて人を別の世界での修行(ソーマ・ヨーガ)にいざなったが、ペヨーテ・サボテンのようなものが、上薬に該当する。

不老不死を実現し、仙人になるなどというのは、いわば客寄せの看板のキャッチ・コピーのようなものであって、文字通りの不老不死実現や仙人になることではない。魏伯陽のようにすべての世俗的なものを捨て去った者が初めて入れる道であって、その道の途中で望見するもの一つが、不老不死や仙人ということになるのだろう。

中国では世俗には王道があるが、世俗を問題にしない者にとっては、別の「道」がある。

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グラウコス=向精神性薬物による転移

2024-04-26 03:03:54 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo

◎海神になったが悟ったわけではない

(2012-01-26)

 

古代ギリシアのグラウコスは、草原の草を食べたら海神に変身した人物。それをオウィディウスは、変身と分類するが、転生とか、意識の転移という表現のほうが的を得ているように思う。

 

『どこかの神がそれをしたのだろうか。それとも

草の汁のしわざだろうか。それにしても、どんな草に

これほどの力があるのだろう。

 

私は草を何本か摘むと、

それを噛んでみた。私の知らない液汁が、

喉を通っていく。

 

と、突然、

心の琴線が震えるのを感じた。私の魂は

別世界に憧れて、消え入りそうになった。

 

もう待つことはできない。「さようなら」と叫んだ。「さようなら、

この大地はもはやけっして私の故郷ではない」というと、

私は海の中ヘ飛び込んだ(オウィディウス 変身物語)。』

(麻薬の文化史/D.C.A.ヒルマン/青土社P165から引用)

 

これは、帰って来なかった。

ただ起きた出来事は、中国の故事にある呂洞賓の邯鄲の夢のような、完全な別人生を短時日にして最後まで体験するエピソードの一種であって、元の人格にまだ戻っていないものであると見ることができる。

荘周胡蝶の夢では、蝶が自分か自分が蝶かと惑うが、それは実は問題ではないことを示している。

果たしてグラウコスは、人間に戻ることについて何の未練もないように感じられる。魂が乗り物であるボディを替えるというのは、クンダリーニ・ヨーガの秘儀というよりも死をきっかけに人間には必ず起こる日常茶飯事なのかもしれないと思った。

このシーンでは、きっかけが、たまたま草原の草であったことをあまり重要なものと見るべきではないと思う。きっかけよりも意識の変容の質である。グラウコスは海神となったが、悟ったわけではないのだ。

 

もっとも悟った悟らないを問題にしない人に向けては、この逸話のように海中に入ったり、金星や火星に生きたり、白日昇天したというような寓意でもって、全くの異世界、異次元に進むという感触を与えることを狙う場合もある。

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意識の光る上着

2023-05-08 18:31:47 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo

◎利己的な世界観

(2008-10-23)

 

ドン・ファン・マトゥスによれば、内的沈黙こそが、呪術のすべてが生じる立脚点である。そして内的沈黙は段々集められて蓄積されていく。

 

つまり内的沈黙、想念停止の先にあらゆる超能力、神通力があるとする。こうした超能力は現代人には失われてしまったが、それを失わしめたのはある外部の力であったとする。

 

その外部の力の正体については、その文脈の中でははぐらかして、明確には語っていないが、「捕食者」というあの世の生き物であるように思われる。

 

捕食者は、誰もが子供の頃に目撃している。大きな黒い泥のような影が、素早く空中を飛び回り、そして、地面へばたりと落ちる。

 

ドン・ファン・マトゥスによれば、幼児期の人間は、エネルギーの繭にきつくかぶせたプラスチックのおおいみたいな、意識の光る上着で覆われている。この上着は成長するにつれて、捕食者によって徐々に食べられて減って行き、成人する頃には、地面から足指の上までのわずかな部分しか残っていない。

 

このわずかな部分こそが、内省の中心であり、人間にわずかに残された意識の部分である。捕食者は、成功や失敗への希望や期待や夢を仕組んでその意識の炎を燃え上がらせることによって、その人間の意識のエネルギーを食べ続けるのである。

 

呪術者は修練によって、捕食者を遠ざける。その間に意識の光る上着は樹木のように成長を続け、童子の時と同様の完全な状態にもどる。

 

想念停止が捕食者を遠ざけるのであり、捕食者こそが自分勝手な世界観の根源なのだ。

(参考:無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房)

 

ここの部分は超能力のところに力点があるのではなく、

人間にとって唯一の真実は、いつか自分は必ず死ぬということ。そしてその世界観とそこから来る謙虚な姿勢に立った、自我のくびきを克服した生き方の方に力点がある。これを無視するとブラック・マジックの方に進んでしまうことになるのだと思う。

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私はソーマを飲んだのか?

2022-12-30 21:19:08 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo
◎天上の神々なぞ私の爪の垢にも匹敵せぬ

ソーマ賛歌は、古代インドのヴェーダの中にも類似したものがあり、向精神性薬物であるソーマにより大悟徹底、神人合一、宇宙意識への突入を目指すものであるという立場が明らかにされているが、散佚したのか、最初からバラバラに採録されたのかは解らないが、通して読んでも盛り上がりを欠く。

そこで、ダンテス・ダイジが、それを翻案し、『ソーマ賛歌』を歌い上げた。

『ソーマ賛歌
果てしなく吹きあれる嵐のごとく
それが私の眼を目覚ましめた
私はソーマを飲んだのか?

たくましき軍馬が戦車を引いて天翔るように
それが私を限りなく成長させた
私はソーマを飲んだのか?

母なる牛が子牛を抱くように
激しい歓喜が私を包んだ
私はソーマを飲んだのか?

戦士が戦車のうちに魂をこめるように
私はこの歓喜にすべてを委ねた
私はソーマを飲んだのか?

世界のあらゆる国々なぞ
私の眼のちりほどにも価値はない
私はソーマを飲んだのか?

天上の神々なぞ私の爪の垢にも匹敵せぬ
私はソーマを飲んだのか?

輝かしい光明のうちに
私は天空と大地のかなたを越えた
私はソーマを飲んだのか?

私は地球やあらゆる星星をつまみあげ
ここに あるいはあそこに置いてみては戯れる
私はソーマを飲んだのか?
それともソーマが私を飲んだのだろうか?

ハリ・オーム・ソーマ
ソーマ・アムリタ・ソーマ』
(ダンテス・ダイジ/メディテーション・トラベルガイドから引用)

不思議なことに似たような気宇壮大な情景を歌った出口王仁三郎の歌もある。
『日地月あはせて造る串団子星の胡麻かけ喰ふ王仁口

日地月星の団子も食ひあきて今は宇宙の天界を呑む』
(出口王仁三郎著作集 第2巻第2部社会批判の展開/吾人の現代観)

出口王仁三郎は、明らかにソーマ・ヨーギではないが、その境地は卓絶したソーマ・ヨーギ、例えばヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスと同様のものであることがうかがい知れる。

ドン・ファン・マトゥスは、カルロス・カスタネダにより、1960年代、70年代アメリカのドラッグ・シーンに大きな衝撃を与え、その影響は未だに続いているし、悪影響も大きい。

ソーマ・ヨーガは廃人になったり日常生活ができなくなる危険性をはらむが、クンダリーニを勝手に上げたり、我流で気を回したり、ただ固定した姿勢で静坐し続けたりしても、妄想にとり殺される様なことがある。またセックス・ヨーガであるカーマ・ヨーガにも依存性とカルマをぐちゃぐちゃなものにされる危険性をはらむ。

しかしながら、どんなまともな行法であっても、人生のすべてを賭けねば大きなリターンはないという原則は共通しており、また賭けたからといって必ずしも成功するとは限らないものである。

だが道教の魏伯陽の故事を見てもすべてを賭けられるものだけが、道に至る。

それでもソーマ・ヨーガは、古代インドでもゾロアスターのペルシャでもハオマと尊称され、重要な悟りに至るメソッドとして命脈を保ち続けている。

ダンテス・ダイジの別の詩にはソーマを水先案内人と見ているものもあり、またもう少しで大悟しそうな人や、一度大悟した人がもう一度それをゲットしたり、維持したりするためにソーマを用いる場合もあることが唆めかされている。

酒をソーマとして使う人もいる。
北欧神話では、ミーミルの泉の水である。
インドラ神は、卑しい漁師の姿になって、不死の聖水アムリタを多量の尿として、ウッタンカ仙人に与えようとした。この尿もソーマである。
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アヤワスカ-2

2022-12-30 21:04:11 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo
◎すべての人を許す愛
藤本みどりさんのアヤワスカ体験の続きです。
『次の日から、私は毎朝ボビンサナ(薬草の一種)を摂取しはじめた。額や頭頂に圧迫感を感じる。虫が体のどこかから上がってくる感じに襲われた。

5日目には、愛を全身で感じた。自分のどこにこんな深い愛があったのだろうと思うくらいの愛だ。すべての人を許す愛がだれにでもあるということが理解できる。光が踊り、母なるアヤワスカにしっかり抱かれているのがわかった。

6日目は、ボビンサナを飲んだとたんに立っていられなくなった。光の渦が見えて体の震動が始まったのだ。そのあと巨大な緑色の蛇がズルズルと動いてこちらに向かってきた。ときどき舌を出すそのヴィジョンが鮮明に続く。酔いが強い。後頭部や背骨の辺りが、エネルギーを発生して熱い。

激しいエクスタシーが襲ってきた。宇宙と一体になり、自然と一つになって愛を感じる。恍惚感と言うと、普通男女が性的行為によって得られるものと限定しがちだが、実は分裂していたものが統合されることによっても得ることができる。こんな経験は初めてだった。

人間がなぜアルコールや幻覚剤を飲みたがるのかわかるような気がした。わたしたちは、元来震動であり、エネルギーの流れなのだ。その震動や回転を思い出すために、無意識のうちに「酔う」という行為を選んでいるのだろう。

宇宙ロケットは燃料タンクを切り離してスピードを上げる。同じようにわたしたちも波動を上げるためには、いらないものを捨てる必要がある。しがみついていた手を放さなければならない。そうすれば、これからはあらゆるものからほどかれ、身軽になって旅立てるのだ。

意気揚々とセンターにもどり、私はアヤワスカに心から感謝した。』
(アヤワスカ/藤本みどり/成星出版P207-208から引用)

5日目の『すべての人を許す愛』というのが、大慈悲の体験であり、メンタル体のアナハタ・チャクラが開顕するという体験なのだと思われる。オカルティストやニュー・エイジャーが言うところの『愛』とは、このレベルの愛であって、他のものではないだろう。いつか憎悪に変わる愛ではなく、このような絶対的な愛だけが本当の愛なのだ。そして本当の愛は、こうした精神の絶対的な極限状況を通過していかないと出会えるものではないと思う。
このレベルは、本当の窮極ではなく一つの中間点だが、これこそが現代人の目標とすべきレベルの一つである。

6日目の『宇宙と一体になり、自然と一つになって愛を感じる。・・・・実は分裂していたものが統合されることによっても得ることができる。』の分裂していたものとは、神と人間個人であり、男と女というあらゆる分裂のこと。ここで著者は、男女両性具有を感じ、「実在、智慧、歓喜」に出会った感動を表明している。神、宇宙意識に出会ったのだ。
この体験以前に友人フランツは、彼女に、これからは天国だけでなく地獄も見ることになる、と天国と地獄の結婚を示唆していた。フランツは相当達者な人物なのだろう。

藤本みどりさんは、ソーマ・ヨーガという冥想を選んだが、その人にはその人にふさわしい冥想がある。
ソーマ・ヨーガでもそこまで充分に行けるものであるということを、わかりやすく示してくれた著者に感謝したい。
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アヤワスカ-1

2022-12-30 20:41:44 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo
◎現実からのジャンプアウト

アヤワスカ(Ayahuasca)という南米の植物のつるを、吹きこぼれないようにして、八時間煮詰めた液体が、アヤワスカという精神活性物質である。アヤワスカの煮汁を飲むと強烈な吐き気に襲われるそうなので、毒性もあるのだろう。

既に故人であるが、藤本みどりさんという人が、アヤワスカによる典型的なソーマ・ヨーガ(薬物冥想)の遍歴を披露してくれている。彼女は気功の心得があり、体内に気をめぐらすことができ、また坐禅(公案禅)を実習していた。アヤワスカはペルーでの話だが、その前にいたネパールでも精神活性物質(薬草)を探求していた。水晶ドクロの前で一週間も坐禅したり、冥想修行者として、極めて積極的な取り組みを続けている人であるという印象を受ける。

次の文は、アヤワスカによる直感のひとつであるが、これは、ソーマの本質を見抜いたものであり、ベーダのソーマ讃歌と同じ感動の表現である。

『人間はもともと単なるイメージの世界に棲んでいた。ところがやがて耳で聞いたことにとらわれ、自分で見たことを価値判断して束縛されるようになった。いまは皆が現実のささいなことにとらわれ、自分のエネルギーを使い果たしている。アヤワスカはそんな人間をもっとレベルの高い世界に導いてくれる』
(アヤワスカ/藤本みどり/成星出版P207から引用)

と、アヤワスカは現実の世界にとらわれているわたしたちを迷いから目覚めさせ、単に幸せな気分にひたらせるのではなく、存在の根本から浄化し、変革していく、魂を揺さぶってくれる精霊の植物だと述べている。 

アヤワスカは我々を現実の外側にジャンプアウトさせる発射台であるとして捉えているのだ。そして彼女は、ジャンプアウトしていくことになる。
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フェンタニル

2022-12-22 20:15:44 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo
◎アメリカの薬物ジャンキーなライフ・スタイル

2019年8月1日ドナルド・トランプ米大統領は、中国からの輸入品3000億ドル(約32兆円)相当に10%の制裁関税を課すと発表した。さらにトランプ氏はtwitterへの投稿で、「習近平国家主席はフェンタニルの米国への売却をやめると言ったが、これも実現せず、多くの米国人が死に続けている!」と主張した。

フェンタニルの方は聞きなれないので、スルーした人も多かったかもしれない。

フェンタニルは強力で依存性のあるオピオイド系鎮痛剤。

オピオイドと言えば、トヨタ自動車の某役員が2015年6月18日、麻薬取締法違反の容疑のため、滞在していた都内のホテルで逮捕された事件があった。中身が「ネックレス」と記載されていた米国からの国際宅配便の小包に、麻薬成分の「オキシコドン」錠剤57錠が隠すように入っており、密輸の疑いがあったためだそうだ。

オキシコドンは、オピオイド鎮痛薬とよばれる医療用麻薬の一種。オピオイド鎮痛薬は本来は医療として疼痛を和らげるために用いられる。日本では、主にがん性の疼痛に処方されるそうだから、相当に強力なやつだ。オピオイド鎮痛薬の代表格はモルヒネ。

人間は、起きている時間の快適と眠りの時間の快適を求めるものだが、麻薬で快適を求めるのは、起きている時間の快適。

トランプ大統領が、30兆円の関税引き上げと並べて言及せざるを得ないほど、オピオイド鎮痛薬ジャンキーは、アメリカに多く、オピオイド鎮痛薬だけではないのだろうが、アメリカの平均寿命を押し下げている原因が薬物乱用と自殺にあると言われるので、アメリカの国家的危機の原因と認識されているのだろう。

アメリカの平均寿命は78歳代だが、2015年以降減少傾向という説がある。また2017年だけで薬物の過剰摂取による死亡者数が7万人に上っているとも言われる。

アメリカの薬物ジャンキーなライフ・スタイルは、日本は見習わなくて幸いだった。音楽、絵画、彫刻など、薬物摂取するのが良いものができるみたいな先入観がある人が多いのかもしれないが、日本にはそうではない『清よ明き心』(スサノオノ命が誓った心)というものがある。
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ドン・ファンの熟眠中に夢を見ない

2022-12-07 10:25:54 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo
◎死の瞬間に意識を清明に

ヤキ・インディアンのソーマ・ヨーギのドン・ファンは、まず世界全体としてのイーグルがあり、それの全体的あるいは部分的現れとして覚者グループであるナワールがある。仏教で言えばイーグルは法身、ナワールは、報身のような感じ。

ここで見る者というアカシック・レコードみたいな存在があり、その役割は、イーグルを見てその止むことのない流転を観察し記録すること。見る者は、人間を作っている輝く殻が壊れている場合には、イーグルの中に人間のかすかな反応を見出すことも可能だという結論に達した。

これは、現代人の相当数が輝く殻が壊れていて、イーグルなる全知全能の世界全体宇宙全体にアクセス可能だということなのだろう。

ドン・ファンは、自由に到達するとは、永遠に生き続けることを意味することでなく、「見る者」によれば、『人は、普通ならば死の瞬間に失う意識というものを保持することができる』と述べている。
(呪術と夢見/カルロス・カスタネダ/二見書房P206から引用)

カスタネダは、ドン・ファンは、意識を保持するということの意味を説明できなかったと書いているが、その意味は、「熟眠中に夢を見ない」ではないのだろうか。この部分ページの文は、全然不連続に見えるが、思い当たる人だけが思い当たるという部分なのだろう。

悟り、大悟、神、仏、シッディなどを論ずる場合は、多くこのような散発的な表現が関連ないが如く並ぶものだ。

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シロシベ-1

2022-11-22 20:38:47 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo
◎呪術師マリア・サビナ

幻覚性植物を用いて潜在意識に入っていったからといっても、神に近い意識に近づき得る者は、極めて少ない。当世においてアルコールや〇〇剤を服用する人は多くとも、ほとんどの人は、五感の感覚が鋭敏になったとか、けんか早くなったとか、個人的な潜在意識が表面に昇るに止まる場合が大半である。醒めながら、いつものレベルの夢を見る程度のことなのだ。

この話は、インドでいうところのソーマの本質を探求に出たゴードン・ワッソンが、メキシコで出会った呪術師マリア・サビナの話であるが、部族として習慣的に幻覚きのこを服用している場合でも、神的な意識レベルに接近し得る者は稀であることがわかる。それが故に薬物や幻覚植物の服用を手段として、永遠なるものに近づくのは、相応する感受性と師匠なくしては、やはり困難な道ではあるということになる。そしてその感受性のノーマルな発達は、冥想の習慣の中で培われるものだと思う。

幻覚植物の摂取は、現世という認識形式は絶対でなく、別の認識形態があるというきっかけを得る体験であるのだが、『絶対』というものに到達できるかどうかは別の問題なのだ。

1955年人類学者のゴードン・ワッソンは、メキシコのマサテコ族の治療師マリア・サビナと出会った。
マリア・サビナは、シロシベというきのこを食することにより超意識状態に入っていく。マリア・サビナは語る。
『このキノコは、おまえの魂に似ている。 これは、おまえの魂が望むところにおまえを連れて行く。
全ての魂が同じとは限らない。マルキアル[彼女の二番目の夫。酒飲みですぐに暴力を揮う男]は聖なるキノコ(テオ・ナナカトル)を食べ、幻視を得たが、それは何の役にも立たない幻視だった。この山の多くの人々がこれまでも今もそれを食べているが、全ての知識を得られる世界に行くのはその一部だ。

我が妹のアナ・マリアは、私といっしょにキノコを食べ始め、 同じ幻視を得、キノコに話しかけたが、キノコは 全ての秘密を明かすことはなかった。キノコが私に示した秘密は、一冊の巨大な本に封じ込められていたものであり、その本は彼らの世界から遙か彼方の場所にある。それは巨大な本だ。アナ・マ リアが病気になり······ほとんど死にそうになったとき、キノコはそれを私にくれた。私はそのとき、もう一度テオ・ナナカトルの所へ行こうと決意していた。そこで私はたくさんのこれまで食べたことのないほどのキノコを食べた。三十、そして三十も食べた。私は妹を愛しており、彼女のためなら何でもすることができた。彼女を救うために長い旅でもすることができた。
私の身体は彼女の前に座っていたが、魂はテオ・ナナカトルの世界に入り、これまでに何度も見た同じ光景を見ていた。 それから、風景は全く見たことのないものになった。 非常に数多くのキノコが、私をその世界の底の底へと連れて行ったからである。一心に進んでいくとひとりの精霊が近づいてきた。精霊は、おかしなことを 尋ねた。「だが、汝マリア・サビナよ、汝は何になりたいのか?」。
私は訳も分からないままに答えた、私は聖者になりたい。すると精霊は微笑み、突然その手の中に何かが現われた。それはいろいろなことが書かれた巨大な本だった。
「さあ」と彼は言った。「おまえにこの本をやろう。おまえはもっと仕事をうまくやることができるようになるだろう。助けを求める人を助け、全ての知識を得られる世界の秘密を知ることができるようになるだろう。」

私はその本のページをめくった。いろいろなことが書かれていた。だが悲しいことに、私は字が読めなかった。私は字を習ったことがないので、その本は私には何の役にも立たなかった。だが突然気がつくと私にその本を読んでいて、そこに書かれたことを全て理解していた。私は豊かになり、賢くなり、そしてその瞬間、私は何百万もの事柄を学んだ。私は学びに学んだ······私は本に書いてあった薬草を探した。そして本に書いてあったとおりのことをした。こうして、アナ・マリアは元気になった。

私は、二度とその本を見る必要はなかった。何故なら、そこに書いてあったことは全て身につけてしまったから。でも私は、その後、もう一度それをくれた精霊に会った。それから他の精霊たちと、他の景色にも。

それから私は太陽と月も間近で見た。 テオ・ナナカトルの世界の奥へ行けば行くほど、もっとたくさんのものが見られる。過去も未来も見られる。過去も未来も、既に達成してしまった、既に起こってしまった、ひとつのものとしてそこにある。だから私は、息子のアウレリオの人生の全てを見た。その死を見た。 息子を殺す男の名前と顔も見た。彼が息子を殺す短剣も見た。全ての事柄は、既に起こっているのだ。殺しは既に起こっている。だから息子に殺されるから注意しろと言うことは出来なかった。そのとき何も言わなかったのだから。

彼らは息子を殺すだろう、それだけのことだった。それから私は他にも多くの死を、多くの殺しを、そして死んだ人々を見た――――その人たちがどこの人なのか、誰にも解らない―――― 私だけが見ることができた。そして私は盗まれた馬を見た。土に埋もれた古い都市を見た。 その存在は誰も知らない。でも知られようとしている。私は何百万という事柄を見て、知った。

私は神に会い、知った。時を刻む巨大な時計、ゆっくり回る天球、星の内側、地球、全宇宙、昼と夜、涙と微笑み、幸福と苦痛。テオ・ナナカトルの秘密を最後まで知る者は、その無限のゼンマイ掛けまでをも見ることが出来る。』
(精神活性物質の事典/リチャード・ラジェリー/青土社P124-125から引用)

マリア・サビナは、『過去も未来も、既に達成してしまった、既に起こってしまった、ひとつのものとしてそこにある。』と述べ、神にまで出会い、全宇宙を知ったことで、アートマン(第六身体)に出たことがわかる。この本はアカシック・レコード。

このようにマリア・サビナにとっては、シロシベは、神に出会える、恐ろしくもすばらしいジャンプ台となったわけだが、冥想の習慣のないそのままの人がそうなる可能性はゼロに近いのもまた現実であることを教えてくれる。そこは、自分勝手な自分がちょっとでも残っていたらたどりつけない所だから。
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シロシベ-2

2022-11-18 20:19:32 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo
◎ウッタンカ仙人

シロシベは、精神活性アルカロイドのシロシビンとサイロシンを含有する、80種あると言われる幻覚性きのこの一種であり、世界中どこにでも分布している。

ただし、幻覚性きのこが呪術に結びついたと見られる事例は、南北アメリカにしか見られない。たとえば、紀元前1000年から紀元後300年のグァテマラの遺跡から多数のきのこの石器が発見されていることや、16世紀アステカの愛と春の神ソチピリの彫像の台座にキノコやタバコや朝顔などの精神活性植物のレリーフがある。

その伝統は、マサテコ族のマリア・サビナの他に、ヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン・マットゥス(カルロス・カスタネダのシリーズ小説で知られる)が生き残っていたことで、現代にまでその技術が伝承されていることがわかる。

人類学者のゴードン・ワッソンは、リグ・ヴェーダに出てくる神々の飲み物ソーマは、ベニテングタケであると考えていたが、偏見なく見れば、シロシベではないという証拠もない。ソーマの特徴とされる以下のものは、3.以外はシロシベにも当てはまってしまう。

1.ソーマは山に生えていた。
2.ソーマには、根、葉、花、種がない。だからきのこであろう。
3.ソーマは、生の絞り汁を飲む他に、それを食した人の尿にも幻覚性成分が残留しているので、その尿を摂取することでも幻覚を得られる。

確かにシベリアのベニテングタケの摂取例では、食した者の尿を飲む話は出てくる。ワッソンは、尿摂取の例として、インドラ神が尿の形で、不死の霊水アムリタをウッタンカ仙人に与えようとした逸話をあげているが、インドラ神が、その直前にソーマを食したということではないので、「尿摂取」がベニテングタケがソーマである証拠にはならない。

この逸話は次のような話である。

インド古代の叙事詩マハーバーラタの中で、大聖クリシュナが、彼が高く評価しているウッタンカ仙人が水を欲しいと望んだ時に、インドラ神に彼にアムリタ(飲むと不死になる霊水)を与えるように頼んだ。インドラ神は、死すべき者に対し、アムリタは与えるものではないと反対したが、とうとうクリシュナの要請に応じて、身分の卑しい漁師の姿になって、アムリタを多量の尿として、ウッタンカ仙人に与えようとした。ところがこの尿を、ウッタンカ仙人は、怒って飲まなかった。なおも漁師に繰り返し飲みなさいと勧められたが、結局飲まなかった。

結局ウッタンカ仙人は、アムリタではなく、水をいつでも飲めるようにクリシュナから雲をもらった。

シロシベを食した者の尿から、幻覚成分を摂取することが可能かどうかはわからないが、それはシロシベがソーマでない証拠ではないと思う。

不死の霊薬アムリタは、不死不壊なるものは、第六身体・アートマンレベルにしかないので、そのレベルのことであり、既に個人のことではなく、神々のことと考えられる。
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それでも酒を

2022-11-09 11:37:07 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo

◎酒飲みの心性

 

近代西欧文明は、日本もヨーロッパもアメリカも酒浸りの文化である。

表層意識と潜在意識の葛藤を無意識のうちに調整せしめるもの。それがアルコールである。

 

日本も含めて、近代西欧文明では、光の部分だけを強調し、闇の部分を抑圧してしまおうとする共通の心性が見られる。これをアポロン型の文明と呼ぶ。こうした心性の歪みを主として調整しているものが飲酒である。

 

アルコール依存症などの研究で指摘されているが、飲酒は人の攻撃性を強化する。飲酒は人の顕在意識を狭めることにより、潜在意識や感情を表面化させやすくする。

 

酒は、人生の重大な場面でのパートナーである。その攻撃性を高める効果を利用して、男女が恋を思いきってスタートさせる勇気を、恋心が高まった場面では告白する決断を、いやいや徴用された兵士にも、酒が戦場に向かう勇気を与えてくれる。

 

普段言えない感情的な不満を酒の上で述べ伝えるのは、酒なしでは非礼であるが、酒の上では許されるという日本独特の「酒中別人」を認めるルールまである。

 

酒飲みは、酒が感情を高ぶらせ、気分を高揚させるが、その高まりが、しらふなら気がつくことを、気がつかないように、意識を狭めていることによるものであるという仕組みを無意識のうちに知っている。酒の効用には、このように限界があることを知りつつ、それでも酒を飲むのが、酒飲みなのだ。

 

ところで手元にある「精神活性物質の事典」には、アルコール、酒の項目はない。アルコールには意識拡大の効果はないのである。

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ドラッグに侵された欧米-2

2022-11-02 19:22:13 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo

◎滅亡か存続か

 

ダンテス・ダイジは、この時代、人類が存続するようなら禅が流行し、人類が滅亡するようならクンダリーニ・ヨーガが流行すると予言しているわけだが、禅では、霊的なもの、霊界的なものは相手にしない。

 

ところが、欧米では、ドラッグによって霊界を見てしまった人間が3割~5割程度いる。これは、既にクンダリーニ・ヨーガに片足を入れてしまった人が3割~5割程度いることを意味する。

 

禅では、中間的なものを徹底的に振り払い、排除していくのだが、天使だの霊だの妖精だのゾンビだのを相手にしていては、大悟はない。

 

禅語録の中では、あまりそういうものは多くないのだが、洞山はわりとあの世だの転生だのを平気で語る。

 

洞山録に、涅槃堂にいたノイローゼの僧の話がある。ノイローゼの僧は『四つの山に同時に迫られているように、生きることが苦しいがどうすればよいでしょうか』と洞山に問うた。

洞山は『生は生に任せ、死は死に任せる』と答えたが、僧はわからなかったので、『わたしをどこに行かせようとするのですか』と改めて質問した。

洞山は、『食料の豊かなところに行け』、と。

 

すると僧はため息ひとつついて、『さようなら』と言って、たちまち坐脱した。洞山は、僧の頭を杖で三回叩いて、『お前は、そんな風に去ることはわかっているが、そんな風に来ることはわかっていない。』と言った。

 

この僧は、未悟なので、禅における中間的なものそのものだが、これは、冷たい応対だと思う。洞山は、死後に成仏したかどうかを見届けてやったのだろうか。

 

さて、あの異常行動多発のタミフル(https://www.npojip.org/sokuho/no59-1.html)は、2018年に厚労省が10代への投与再開済。

タミフルは、霊界、異界を見た日本人を増やすことで、日本社会全体を不安定化、つまりクンダリーニ・ヨーガ側に振らせるトライアルであったと見ることもできる。そういうことの出来る勢力が世界にはあるということなのだろう。

 

ここに人類が滅亡するか存続するかのやじろべえがあるとする。世界のヘゲモニーを握る欧米が、今中国と事を構えようとしているわけだが、その流れはドラッグ動向からすれば結構欧米は滅亡寄りに振れていると見るのだろう。そういう流れに日本もいろいろな形で巻き込まれている。

 

最終的にどちらに転ぶかを決めるのは政治家でも扇動者でもなく、自分個人なのだ。

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ドラッグに侵された欧米-1

2022-11-02 19:20:22 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo

◎準備ができていない者のドラッグ使用は危険

 

日本の社会にいると、日本人は、若者はスマホ中毒、老人はTV耽溺みたいに見がちだが、実は欧米はそれにドラッグが加わる。

 

フォーブズ(https://forbesjapan.com/articles/detail/29724)の記事によれば、

1.2018年、アメリカで薬物の過剰摂取により死亡した人の数は6万8000人以上で、このうち、死因に何らかの種類のオピオイド(麻薬性鎮痛薬)が絡んでいるのは4万7000人。

  1. ランド研究所によれば、ドラッグの推定小売購入額は、2006年から2016年で、1210億ドルから1460億ドルを上下している。2016年は総額1460億ドルで、内訳は、大麻520億ドル、ヘロイン430億ドル、メタンフェタミン270億ドル、コカイン240億ドル。

(記事からの抜粋は以上)

 

仮にアメリカの成年人口を264百万人と見れば、一人当たり年間553ドルをドラッグ購入に充てている計算になる。これを蔓延と言わずして何というべきか。

 

そこで、日本の状況。

日本の厚労省HP(https://www.mhlw.go.jp/bunya/iyakuhin/yakubuturanyou/torikumi/dl/index-05.pdf)の情報で、主要国の薬物別生涯経験率の表によれば、米欧がほぼ3、4割の人が大麻、コカインなどの使用歴があるのに対し、日本では大麻1.4%、覚醒剤0.5%などと圧倒的に低い。

 

だから日本は、外国との比較でベターであることは間違いないが、そこがポイントではない。

 

世界観という点では、ドラッグにより、この世以外の世界のあることを知ってしまった人間が3~5割いる社会が欧米主要国なのだということ。

 

日本では、霊能はきわもの扱いだが、ドラッグ使用による別世界観の開顕は、霊能の開顕と云って差し支えないだろう。要するに霊能の開けちゃった人々が、人口の3、4割いる社会が欧米主要国なのである。

 

日本では、タミフル投与時の異常行動の中に霊界、異界を見るものがあり、問題となった時期があるが、何とか沈静化した。

 

このブログでは一貫して、準備ができていない者の霊能を開くことを戒めているが、準備ができていない者のドラッグ使用も同様に戒める。

 

欧米で、ホラーもの、ゾンビもののTVドラマや映画が盛んなのは、実はそういう世界観の人間が多かったせいかと思い当たる。

またスポーツでもドラッグ使用時の効果を知るゆえに、ドーピング規制が厳しいのだとも思う。

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時間の様式

2022-10-22 11:57:18 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo

◎ヤキ・インディアンの天意・神意

 

神秘家たちは、時間などない世界が真相であり、その上で今ここという紙芝居の三脚の上で画像が変貌していくのが時間だなどという説明をすることがある。

 

ヤキ・インディアンのソーマ・ヨーギ、ドン・ファンは、時間の様式についてカスタネダに対して次のような説明をする。

『ドン・ファンは少し間をおいてつづけた。「人間の持って生まれたエネルギーは限られている。そしてこのエネルギーは、人が生まれ落ちた瞬間から、時間の様式によってもっとも有効に使われるようシステマティックに展開されるのだ」

 

「時間の様式って、どういう意味なんだい?」私はたずねた。

 

「時間の様式とは、知覚されつつあるエネルギー・フィールドの束のことだ」彼は答えた。「わしは人間の知覚は、時代とともに変わってきたと思っている。現実の時間がその様式を決定する。

 

無数の束のなかから、どのエネルギー・フィールドの束が使われるべきかを決めるわけだ。ところが時間の様式、つまり選ばれた数少ないエネルギー・フィールドを扱うことで、その人間の利用可能なあらゆるエネルギーが費やされてしまい、他のエネルギー・フィールドを使う余裕はまったくなくなってしまうんだ」』

(沈黙の力 意識の処女地/カルロス・カスタネダ/二見書房P9から引用)

 

エネルギー・フィールドが時代によって変わるとは、人間の世界観が時代によって変わること。

 

カルロス・カスタネダの説明では、呪術師の初心者は、エネルギーを蓄積する訓練をまず行う。やがてそのエネルギーで、通常使えないエネルギー・フィールドのいくつかが使えるようになる。これが呪術。

 

そして宇宙には、測り知れない言語を絶した一つの力が存在しているのだが、呪術師たちは、これを『意志』と呼ぶ。宇宙の万物は環によって『意志』に結びつけられており、呪術師の関心事は、その環を語り、理解し、利用すること。ところが、時に日常生活でのささいな心配事で、環が汚れるから、環をきれいにし続けるために呪術を用いるが、これは途方もなく難しい。

 

だから呪術師は、日常生活においては、環をきれいにしたままにして行動することを学び、その一方で言葉を介在させず高い意識状態において『意志』から直接知識を引き出す。

 

これを読むと、『意志』とは神仏であり、環とはクンダリーニのエネルギーコード。そのコード自体時代によって変わっているとは、自意識が腹人間から頭人間に移行していたり、あるいは、イエスの時代のように沢山言葉を語る人間が少なかったから言葉自体の影響力が大きかった時代から、現代のように言葉が氾濫しすぎて言葉が雑音と大差なくなってしまった時代に変わってしまったこと。

それでなくとも、言葉自体時代によって大きく変わる。日本語だって、100年前の文書は読めるが150年前の北村透谷の文章あたりになると、いわゆる古文ではないものの、読むのに骨が折れたりする。

 

環をきれいにする行動とは、善を行い悪をしないことだろうと想像はできる。『意志』から直接知識を引き出すとは、天意神意をうかがうということ。

 

ヤキ・インディアンの呪術も世界標準の宗教の体裁を有している。

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孤独と無力から自由へ

2022-10-18 20:37:41 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo

◎あらゆる幽霊を凝視せよ

 

ある人は水子霊だと云い、ある人は狐だといい、ある人は○代前に亡くなった先祖の霊だと言い、ある人は邪悪なバイブレーションだと言い、ある人は単なる曇ったエネルギーのまとまったものだと言う。

 

こうしたものの正体の見分け方を、メキシコのヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン・マトゥスが説明する。

 

『これからは不思議な亡霊の姿を前にしたら、気持ちをしっかり保って、断固たる態度で凝視するがよい。相手が非有機的存在であれば、それに対するお前の解釈は枯れ葉のように舞い落ちるだろう。もう何も起こらなければ、それはお前の臆病な心が生んだくだらん幻影にすぎん。そもそもそれはお前の心ですらないのだ。』

(無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房から引用)

 

非有機的存在とは、霊的存在や、アストラル的生物のこと。

 

実際にカルロス・カスタネダが、自分のことを盟友であると自称する二人の非有機的存在を見つめて見た。

『私は容貌を記憶しようとふたりをまじまじと見つめたが、彼らの容貌は刻々と変化した。見つめる私の気分によって変貌するようだった。

 

そこには思考はいっさい介在していなかった。何もかもが本能的感覚によって導かれていた。長々と見つめるうちに、彼らの容貌が完全にぬぐい去られて、ついに私の前にあるのは、二つの震動する輝く塊だけになった。

 

それら輝く塊には境界がなかった。内部に凝集力があって自らを維持しているように見えた。ときどき平べったくなったと思うと、また垂直方向に伸びて、人間の身長の高さになる。』

(無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房から引用)

 

ドン・ファン・マトゥスは、あらゆるものには、減ずることのできない残留物があり、それがエネルギーだとする。そしてカスタネダは、このセッションで、非有機的存在、霊をその本質へ変容させ、自意識を持つ非人格的エネルギーへと変えることに成功し、その本来の姿を見た。

 

ドン・ファン・マトゥスはまた、単なる自分の心理的な思いこみがそんなイメージを作りだしそれを現実の生き物と認識するケースと、他人であるアストラル的生物に出会うケースがあるが、アストラル的生物のエネルギーを直接見ることが人間、つまり呪師であるクンダリーニ・ヨーギにとっては、最重要事項であると評価する。

 

クンダリーニ・ヨーギは、「意識の暗い海」と呼ぶ死の世界で様々なエネルギー体と出会うが、カスタネダの見えた状態が通俗的霊能力者の卒業というべきものなのだと思う。

 

ドン・ファン・マトゥスによれば、この世には600種類以上の世界があり、それぞれの世界と世界への間を移動する場合は時間が非連続となる。これが三千世界の実情なのだろう。

 

慣れていない世界で旅をするのは、孤独と無力感に襲われがちなもので、人の自惚れなど木っ端みじんに打ち砕かれる。我々も病的なほど自己中心的だし、霊なるアストラル的生物も病的なほど自己中心的だからだ。

 

そうした冷厳な世界の中で、戦士であるクンダリーニ・ヨーギは、絶望に陥ったり、発狂したりせずに、勇敢さ、力強さ、謹厳さを失わずに戦い続けられるのは、自分が「無限」(神、宇宙意識、イーグル)とつながっていることを充分に知っているからなのだと思う。

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