アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

イスカリオテのユダは特別扱だった

2024-06-16 12:29:22 | キリスト者の秘蹟neo

◎13番目の係累

(2015-12-26)

 

「原典 ユダの福音書」からイスカリオテのユダについてイエスが言及している部分。

※[]は、英訳者が推定して復元した部分。

イエスは、弟子たちに、あなた方には、私がわからないだろうと、やや挑発する発言をした。

『これを聞いて弟子たちは腹を立て、怒りだし、心の中でイエスをののしり始めた。

彼らが[理解]していないのを見ると、[イエスは]彼らに[言った]。

「なぜこの興奮が怒りに変わったのか。あなたがたの神があなたがたの内にいて、[・・・]があなた方に心魂の[中で]腹を立てさせたのだ。あなたがたの内にいる、[勇気のある]完全なる人を取り出して、私の眼前に立たせなさい。」

彼らは口を揃えて言った。「私たちにはそれだけの勇気があります」

しかし彼らの霊は、イスカリオテのユダを除いて、[イエス]の前に立つだけの勇気がなかった。ユダはイエスの前に立つことができたが、イエスの目を見ることができず、顔をそむけた。

ユダはイエスに[言った]。「あなたが誰か、どこから来たのか私は知っています。あなたは不死の王国バルベーローからやって来ました。私にはあなたを遣わした方の名前を口に出すだけの価値がありません」』

(原典 ユダの福音書/編著者ロドルフ・カッセル他/日経ナショナルジオグラフィック社P27-28から引用)

 

「あなたがたの内にいる、[勇気のある]完全なる人を取り出して、私の眼前に立たせなさい。」とは禅問答でよくある質問。これに対してユダだけが出てきたのも、師イエスに近い悟境の人物がまともな回答をしてくるという頻出パターン。彼らのグループが自由で真剣な冥想修行の場であったことがうかがわれる。

ユダが目をそむけたのは、この時点では、師より一段遅れていることの自覚であろう。

この問答のあと、イエスはユダだけに「王国」の秘密を教えてくれる。王国とは不死の王国だが、当然来るべき千年王国のことでもある。秘密を教えられてユダは王国に達することはできるが大いに嘆くことになるだろうと、イエスは不気味な予言を残す。

イエスは、その嘆きの原因を、12使徒が再び全員揃って神とともにあるために、だれかほかのものがユダにとって代わるからだと、説明する。これによってユダは、王国側に入りながら13番目の使徒という位置づけになった。

ユダが、イエスの磔刑のプロデュースができるには、そうした高みが必要だったが、嘆きという代償を払う。いわゆるメジャーな社会組織の側には居られないということなのだろう。これは13番目の係累はいつもそうなのだということを示す。

不死の王国バルベーローとは、言葉で表現できないからバルベーローなのだろうが、正統的表現である。

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ケルソス反駁に見るユダ像

2024-06-16 12:27:09 | キリスト者の秘蹟neo

◎不安定な悪役

(2015-12-09)

 

ケルソス反駁という文章は、オリゲネスが著したもので、何かとイエス・キリストの事績を批判するケルソスに対し、オリゲネスが公平な立場で、ある程度イエスを擁護していくものいである。

 

福音書を見る限り、銀貨30枚で師匠を売り渡したユダは、イエスに接吻することで、イエスに対して尊敬の念を持っていたようである。またイエス刑死後は、銀貨を返しに行ったり、反省の念からか自殺するという挙に出ている。ユダはイエスを敬慕していた。

 

ところが、イエスは官憲から逃亡の旅をしているところ潜伏先を急襲されて逮捕されたのではなく、ユダヤ官憲に誰がイエスかと問われ、自分がイエスだと答え進んで官憲に我が身を引き渡している。だから、官憲に対してユダが潜伏先情報を銀貨30枚で売ったからイエスは身柄を確保されたという推理は弱い。むしろイエスは自ら官憲の手に落ちたのだろう。

 

また本当にユダがイエスへの裏切りをしたのであれば、破門されるべきであって、十二使徒から除名ぐらいの話はあるべきだが、そうした記述はない。仮に福音書の想定するように、イエスの逮捕から刑死までの間、ユダはアンチ・キリストな心情であったとすれば、ユダは少なくとも磔刑執行の間、官憲支持に回ってそれを喝采しながら見ている方が自然だろう。

 

こうしたユダの不自然な悪役ぶりであるが、これによってキリスト教は世界宗教としての教義の体裁を整えることができたとも考えられる。

 

というのは、キリスト教が人類普遍救済の世界宗教となるには、神の子が刑死するというあってはならないイベントを、預言者の刑死は神との約束である予言の成就であったと宣伝することで、昇華させた。これにより、ユダヤ教の文脈とも折り合いをつけることができ、刑死と復活を経てなおイエスが救世主であるとすんなり考えることができるようになったからである。

 

しかし禅ならば、これと全く異なる立場がある。道で達磨に逢ったら達磨を殺せとか、不思善悪などである。誰が悪人だとか、誰が裏切ったなどということはどうでも良いのである。

 

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ケルソスの語るイエス一家

2024-06-16 12:24:51 | キリスト者の秘蹟neo

◎イエスの生い立ちの真相

(2015-12-10)

 

ケルソスは、イエス一家の姿について当時の有力説を以下のようなものだと披瀝する。

 

イエスは、ユダヤの村の出身で、田舎の貧しい糸紡ぎ女から生まれた。

彼女の夫は大工で、彼女は姦淫の咎めにより、夫から追い出された。

彼女は夫に放逐されて恥辱に満ちた放浪を続けているときに、ひそかにイエスを産んだ。

イエスは貧困のためにエジプトに出稼ぎに行き、そこで超能力(奇跡力)を披露して、ユダヤに帰還したときに、この超能力ゆえに神と自称したと。

(出典:キリスト教教父著作集第八巻オリゲネス/日本教文館P35)

 

この話は、広く伝わっていたがゆえに真相に近いものだったろう。我らは週刊誌ではないので、生い立ちについてはあまり興味はないのだけれど。

 

2000年前に、すでに救世主イエスは、現代の覚者のように弟子たちを友人として遇した。イエスは、処女懐胎した母から生まれたのでなく、大工の夫の夫婦から生まれたのだろうし、イエスは大工で稼いでいたのだろう。

 

イエスを個人として見れば、一人の政治的にも無力な、経済的にも取るに足らない人物が、宗教的に頑張りすぎてしまって、官憲に捕まり十字架上で刑死するという非業の最期を遂げた。

 

神の国を実現するためには、2000年前のようにイエス一人、大工一人にがんばらせるのではなく、多くの人、ほとんどの人が神に近づこうとする努力を日々重ねているようでなくてはならない。

 

そうでなければ、イエスが、『もはや、わたしはあなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。』(ヨハネ福音書15-15)

と呼びかけた甲斐はあるまい。

 

今の時代に貧しい大工一人ではどうにもならない。皆が神に近づこうとしなければ。

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義の教師メモ

2024-06-16 07:05:08 | キリスト者の秘蹟neo

◎十字架で殉教せず

(2012-11-11)

 

死海文書が発見されてから、義の教師という聖なる修行者が当時いて、義の教師は十字架にかけられて殉教し、彼の弟子らは、義の教師がメシアとして復活するだろうと考えたということが定説の一つとして流布している。

 

これに対して、「イエスと死海文書/ジェームズ.H.チャールズウァース編著/三交社」では、次のような結論を下している。

『(1)義の教師が殉教したとか、十字架刑を受けたという証拠は何もない。

(2)彼は確かにある点ではイエスの先駆者であったが彼は十字架につけられはしなかった。そして確実に彼は、十字架につけられたメシアとして崇敬されはしなかった』

(イエスと死海文書/ジェームズ.H.チャールズウァース編著/三交社P403から引用)

 

要するに義の教師とイエスは別人だという説である。

 

なんでもユダヤ戦記によれば、紀元66年から70年までのユダヤのローマに対する反乱の時期には多くの捕虜になったユダヤ人が十字架にかけられ、あまりにも多かったので十字架の木材が足りないほどだったという。

 

この「イエスと死海文書」では、イェホハナンという名の紀元1世紀前半に十字架につけられた男の遺骸が、エルサレム北部で見つかったことを重く見ているが、それがイエス本人かどうかはあまり問題ではないように思う。

 

神人が横死すれば、その周辺にはいろいろなことが起きる。その一部始終を霊眼で見ていた人たちからは、様々な解説が記録として伝承され、またその原因となった人々にもいろいろなことが起き続けている。

 

イエスはこの2千年成功して、マラキ予言のように、その成果を刈り取れるかどうかという時期に立ち到ったのだ。

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どんな不信仰な人でも耳を傾ける年

2023-10-05 06:04:25 | キリスト者の秘蹟neo

◎凡夫の耳も菊の年

(2022-06-13)


新約聖書外伝のペテロ行伝の最初に、回心者パウロが人々にパンと水を分け与えていた時、ルフィナという女性が近づいてきた。パウロは、「彼女は聖餐を受けるのにふさわしくないのに受けようとしている」と咎めた瞬間に、彼女は左半身不随になって口もきけなくなった事件が出ている。これを見た周囲の人は、恐れおののいて、自分の心の在り方を再チェックすることになった。

ルフィナが倒れたのも奇蹟の一種であって、そうした突発事件を見せて、パウロがこれは人々の行動を採点する神の仕業であると説明すれば人々は容易に信じる時代の手法。

時は下り1970~80年代は、人間の外的欲望が実は無形のものへの欲望であって神への希求が隠されていることを、聖者(クリシュナムルティ、OSHOバグワン、ダンテス・ダイジなど)が複数出て盛んに説いた時代だった。当時はまだそういう手法が通用した。

いまは、黒いものを白と言いくるめ、オレオレ詐欺、ネットワークビジネス、コロナ持続化給付金詐欺まで、便利と損得で釣れば、神も仏もなく、ころりと騙される人が多い時代となり果てた。

便利と損得コスパしか念頭になければ、まず神も仏も意識には上がってこないものだ。

そうした時代でも、生活に全然余裕がない人や、便利と損得コスパしか頭にない人たちも、神仏に祈るようなことが発生する時期。それが、どんな不信仰な人でも神仏に耳を傾ける年のことであって、凡夫の耳も菊の年。

そのような異常事態の発生は、明治中期から幻視されていた。その幻視は人類にとってはベターな路線ではなく、神知る人が至る所に発生し、平素当たり前に慈愛、憐み、清貧、節制、温情を為し、神仏のことを思う人が大多数である路線のほうがベターである。つまり異常事態が発生しない路線の方がベター。

自分が不幸、不満なのは、政治のせい、経済政策のせい、反日政策をとる隣国どものせい、日本から収奪する米国のせい、社会のせい、家族のせいなどいろいろ理屈はあるかもしれない。

ところが、人が今日一日無事に過ごせて、食べるもの着るものがあれば、それは十分に奇蹟である。そこから感謝と敬虔が起こる。それにピンとくる人が増えれば、時代は変わり始める。

その点で、神仏に無関心な人の耳目さえ一気に引き寄せる『凡夫の耳も菊の年』の到来は偉大だが、それは神仏の本意ではあるまいと思う。

※「辛の酉の紀元節、四四十六の花の春、世の立替立直し、凡夫の耳も菊の年、九月八日のこの仕組。」伊都能売神諭。
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北東の隅に最初は役に立たない石を置く

2023-10-03 20:55:54 | キリスト者の秘蹟neo
◎まさかの艮の金神

(2020-07-12)

 

フリーメーソンの第一階級の儀式における言葉に『あらゆる荘厳な、もしくは壮麗な建物の建立の際には、この建物の北東の隅に、第一の、基盤となる要石を置く慣わしとなっている。』
(封印のイエス/クリストファー・ナイト/学研P71から引用)

更に、新約の福音書には、家造りらの捨てた石のことが見える。
『家造りらの捨てた石が
隅のかしら石になった。
これは主がなされたことで、
わたしたちの目には不思議に見える』。
(マタイによる福音書21-42)

つまりユダヤ・キリスト教では、人に打ち捨てられた石が北東に置かれるのだが、それが長い年月の末に、滅びることのない神の神殿の基礎となるという伝承があるのだ。

これは、大本教で北東のトイレに落ちていた艮の金神が、現代に至って地球の主宰神である国之常立神として復活するモチーフと似ている。

世界の北東とは日本のこと。
世界に先立って、日本が立替立直し。

古神道家がこのヴィジョンを見るのは当然だが、フリーメーソンやキリスト教徒も同じビジョンを見ている。
そんな日本に生まれたことも知らず、金や便利や名声やゲームに狂奔する人の多いこと。

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細川ガラシャの十字架

2023-09-19 15:59:14 | キリスト者の秘蹟neo

◎散りぬべく 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

(2020-11-29)

 

大阪の南蛮文化館に細川ガラシャが肌身離さず持っていたとされる十字架が展示されている。

https://www.christiantoday.co.jp/articles/22572/20161115/nanban-bunka-kan-osaka.htm

表には明智家の家紋である桔梗と秋草とトンボが彫られ、裏面には竹と鶴が象嵌され、純銅製の象嵌に一部金彩と小さいが細工は綿密豪華なものである。

 

細川ガラシャは、明智光秀の三女「たま」として生まれ、15歳で、当時その武将としての器量を織田信長に認められていた細川忠興に嫁ぎ、二子に恵まれた。ところが19歳の時本能寺の変が起こり、細川忠興は光秀から加勢の出兵を求められたが出さなかった。たまは、一朝にして謀反人の娘となったが、忠興の愛情もだしがたく、これを殺さず、丹後の国の味土野(京都府京丹後市弥栄町)に幽閉した。幽閉中男子一名が生まれ、豊臣秀吉の許しもあって、幽閉期間2年で大阪に転居した。

 

夫忠興が九州に赴任中に、カトリックに傾倒。これに反発したのか、忠興は「五人の側室を持つ」など辛く当たったため、神父に離婚の相談をするなど夫婦仲は冷えていた。

 

1587年伴天連追放令が出される中、彼女は洗礼を受け、ガラシャ(gratia、恩寵、恵)の洗礼名を受けた。

 

1600年7月、忠興は徳川家康に従い、上杉征伐に出陣する。忠興は、「妻の名誉に危険が生じたならば、妻を殺し、全員切腹するように」と言いおいていたが、敵方の石田三成が大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうとしてきた。

 

石田三成の手勢が屋敷を囲んだところで、侍女や他の女たちを逃がした後、ガラシャは、家老小笠原秀清に介錯させた。ガラシャの死後、小笠原秀清も屋敷に爆薬を仕掛け、ガラシャの遺体を残さないようにして自刃。

 

ガラシャの辞世。

「散りぬべく 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

 

明智光秀の居城は亀山城で、大本教の本部。出口王仁三郎の霊眼では、明智光秀は、秀吉と結託して織田信長を謀殺、中国大返しの後は、天王山が決戦となることが最初からわかっており、信長を殺害後はわざとぐずぐずして、秀吉に討ち取られたことにした。光秀は、日本の風土では、主殺しの汚名を着た者の天下は長続きしないことはわかっていたからである。

 

その後、光秀は千利休になりすまし、秀吉の参謀として長年にわたり秀吉に献策し続け、朝鮮征伐もその一つだとする。彼によれば、何でも光秀=千利休説は千家長男の一子相伝の秘密だとか。

また利休切腹の原因は、娘を秀吉の側室に出すのがいやだったからなどと取りざたされてもいるが、誠に二人の英雄の心中を誰が知ろう。(随筆集水鏡/出口王仁三郎)

 

ガラシャも戦国一の美貌であったからこそ狙われたという側面はあろうし、だからこそ忠興も手放そうとはしなかったのだろう。

 

出口王仁三郎は、「生まれつきというものは、過去のカルマで決まっているものだから、美人は美人として、醜女は醜女としての本分を守るのが天地惟神の大道である。このように上下の万民が一致して、美醜などその差はあるがその本分を守る状況となれば、神示にいうところの万民が平等の、運不運のない五六七(みろく)の世が現出するのである。」とする(霊界物語第四六巻第一七章「惟神の道」)。この考え方は、何でも平等の現今の考え方とは違うが、現代のようにスーパーリッチを許す一方で表面の平等に神経質であれば、やがて相互の争闘は止むことなく世界戦争に発展していく仕掛けである。

 

ガラシャの本分を守るというのが、「散りぬべく 時知りてこそ」。

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アリマタヤのヨセフ

2023-05-20 07:05:25 | キリスト者の秘蹟neo

◎金持ちが天国に入るのは、らくだが針の穴を通るよりむづかしいが

(2022-09-02)

 

イエスの磔刑前夜、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。そうした中で、イエスの弟子の中に逃げずに済んで、かつ磔刑後にピラトとイエスの遺体の引き渡し交渉を行いえた人物がいる。それが、アリマタヤのヨセフという、善良で正しく、身分の高い議員で、金持ち。ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となった。彼は誰も葬られたことのない新たな墓を用意し、そこにイエスの遺体を運び入れた。

 

古代でも近世でも死刑において、遺体の埋葬場所、埋葬方法、墓を作ることを認めるかどうかまで、しばしば刑罰の一部として規定されることがある。

 

イエスの側から見れば、アリマタヤのヨセフは、弟子たちが彼の復活を「見て信じる」舞台をセッティングした人物である。一方ユダヤ人の側から見れば、ユダヤ人はイエスを刑死に追い込んだとしてディアスポラ(世界流浪)になったが、その当のユダヤ人であるアリマタヤのヨセフがイエスの埋葬を主導した功徳がその過酷な運命をいささか緩和したと見れるようにも思う。

 

さてその岩の洞窟の墓では、遺体が既になくて、イエスの遺体を包んだ亜麻布だけが残っていた。これはチベット密教などで屍解をよく知っている者にとっては、遺体は空中に煙のように分解し、跡に服や毛髪だけが残るという屍解の定番の進行に似ていると思い当たる。

 

そういう目で見れば、イエスは死後三日間で屍解を行ったのではないかと思われる。そうであれば、イエスは、クンダリーニ・ヨーギだったのだろう。槍を刺され釘を打たれ体液が相当に流出した中での屍解は相当に困難だったのではないか。

 

イエスの悲劇については、洗礼のヨハネ、愛人であるマグダラのマリア、密告したイスカリオテのユダが全貌を承知していたとみているが、最後の最後のイエスの屍解の場所まで提供したアリマタヤのヨセフも全貌を知る者のひとりだったのではないか。

 

そこで西洋では、アリマタヤのヨセフは、イエスから流れ出た水と血を聖杯に受け、フランス、スペイン、イギリス、ポルトガルで布教したという伝説(聖杯伝説)までできたのは、アリマタヤのヨセフの事績の重さをわかった人物が少なくなかったからだろう。

 

イエスに「金持ちが天国に入るのは、駱駝(らくだ)が針の穴を通るよりむづかしい。」などと批判されても、アリマタヤのヨセフは為すべきことをしたのである。

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聖ドナトゥスのエクソシズム

2023-04-14 11:51:57 | キリスト者の秘蹟neo

◎別の出口を作る

(2016-10-31)

 

聖ドナトゥスは、古代ローマのキリスト教の聖者。皇帝テオドシウス一世の皇女が悪霊に取りつかれてドナトゥスのところに連れてこられた。悪霊は、十字架から火が出るドナトゥスを恐れ、出口を作ってくれないとどこから出たらよいかわからないという。

 

聖ドナトゥスは、皇女に出口を作ってやったところ、悪霊は皇女の体から出て、教会の建物全体を震わせながら逃げていったという。

 

憑依には3種あるが、このケースはすでに憑依されていたので、ルートはあった。シャクティ・パットは口を作ることだともいうので、ここで作った出口はもともとあった口とは異なるものだったのだろうか。

 

またこの話には、この皇女が再び悪霊に憑依されなかったかどうかは書かれていないし、その後の彼女は幸福な人生を送れたかどうかも書かれていない。

 

聖人の奇跡譚ならば、これで十分だが、疑い深い現代人はこの話だけでは納得すまい。

 

大本教が大正時代以前に盛んにやった帰神という憑霊実験は、低級霊が多数憑依しさんざんだったし、最近ではオウム真理教の道場で似たようなことが起きていたことも伝えられている。

 

これだけあらゆる洗脳手法と余計な情報のある中で、こうした悪霊追い出し譚はもはや牧歌的とさえ思われる。霊能霊感のあることと悟りは全く関係ないことを熟知している現代人は、もはやこうした憑依霊追い出し話だけでは食い足りないだろう。

 

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キリスト教の守護天使、古神道の正守護神

2023-04-13 07:09:37 | キリスト者の秘蹟neo

◎誕生から封切りまでエスコート

(2020-12-02)

 

イタリアのピオ神父の事績を見ると、悪魔が彼に殴りかかったりすると守護天使が守りに来たり、また他人の求めに応じてピオ神父の守護天使が他人に出張したりと忙しいことである。

 

霊能力者で頻繁に守護天使と交感している人以外にとって、守護天使は意識に上ることは少ないのだろうと思う。ピオ神父の周辺の人にとっては、あるいはキリスト教でも正教など守護天使を認める宗派の人にとっては、守護天使は身近な存在である。各人に一体は守護天使がついている。

 

冥想修行者にとって、守護天使あるいは守護神霊の最大のイベントは、悟るにあたり頭頂の封印を切ってくれるところ。その点では、様々な危急の時に救ってくれたり、災難を未然に回避してくれたり、深甚の願望を成就してくれたりというのは、本当は守護天使の最重要な使命ではないのかもしれない。

 

古神道では、正守護神が守護天使に該当し、出産の時に産土神から正守護神が一柱づつ付けられ、以後エスコートする。出口王仁三郎はこのことを数千人の帰神実験で実地に確認したと述べている。

 

正守護神あるいは守護天使は、本人の背後に影のように添い、一生を見守るわけだが、ちゃんとした霊能力者の前に出ると、本人がどのようなことをして生きていたかを、正守護神あるいは守護天使が霊能力者に逐一報告するそうだから、うそも体裁を取り繕うのも役には立たない。

 

逆にそうでなくては、本人の封切りまで面倒を見るということはできまいと思う。

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預言者エリヤのクンダリーニ上昇

2023-02-14 16:45:37 | キリスト者の秘蹟neo

◎つむじ風

(2010-02-01)

 

預言者エリヤのクンダリーニ上昇の材料として旧約聖書テクストを見る。これによると、クンダリーニ上昇の叙述は簡潔であって、最初に火の車と火の馬があらわれて随伴者エリシャを隔て、つむじ風に乗ってエリヤを天に昇らせたというだけである。火はクンダリーニの火、馬が車を引くので馬と車はセットだが、車はチャクラ。昇る時はつむじ風のように迅速であり、らせんを巻いているという比喩だろうか。

 

この上昇の評価はこの事件を目撃した人間の力量によるが、釈迦の涅槃を目撃した人ほどの精密さはなかったのか、あるいは見るには見たが理解できなかったか、あるいは起きたことを見て理解もできたが、秘儀にあたるそれを描写するのは避けたか、これらのいずれかだろう。

 

これだけ簡潔な表現は、道教の白日昇天の記述に似た印象を受ける。余計なことは書かないということ。

 

またこの本文には、ヨルダン川の水を打って水面を二つに分けて、露出した地面を渡る超能力が披露されているが、これは本筋の話ではない。

 

旧約聖書列王紀下第2章

『2:1主がつむじ風をもってエリヤを天に上らせようとされた時、エリヤはエリシャと共にギルガルを出て行った。

2:2エリヤはエリシャに言った、「どうぞ、ここにとどまってください。主はわたしをベテルにつかわされるのですから」。しかしエリシャは言った、「主は生きておられます。またあなたも生きておられます。わたしはあなたを離れません」。そして彼らはベテルへ下った。

 

2:3ベテルにいる預言者のともがらが、エリシャのもとに出てきて彼に言った、「主がきょう、あなたの師事する主人をあなたから取られるのを知っていますか」。彼は言った、「はい、知っています。あなたがたは黙っていてください」。

2:4エリヤは彼に言った、「エリシャよ、どうぞ、ここにとどまってください。主はわたしをエリコにつかわされるのですから」。しかしエリシャは言った、「主は生きておられます。またあなたも生きておられます。わたしはあなたを離れません」。そして彼らはエリコへ行った。

 

2:5エリコにいた預言者のともがらが、エリシャのもとにきて彼に言った、「主がきょう、あなたの師事する主人をあなたから取られるのを知っていますか」。彼は言った、「はい、知っています。あなたがたは黙っていてください」。

2:6エリヤはまた彼に言った、「どうぞ、ここにとどまってください。主はわたしをヨルダンにつかわされるのですから」。しかし彼は言った、「主は生きておられます。またあなたも生きておられます。わたしはあなたを離れません」。そしてふたりは進んで行った。

 

2:7預言者のともがら五十人も行って、彼らにむかって、はるかに離れて立っていた。彼らふたりは、ヨルダンのほとりに立ったが、

2:8エリヤは外套を取り、それを巻いて水を打つと、水が左右に分れたので、ふたりはかわいた土の上を渡ることができた。

 

2:9彼らが渡ったとき、エリヤはエリシャに言った、「わたしが取られて、あなたを離れる前に、あなたのしてほしい事を求めなさい」。エリシャは言った、「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。

 

2:10エリヤは言った、「あなたはむずかしい事を求める。あなたがもし、わたしが取られて、あなたを離れるのを見るならば、そのようになるであろう。しかし見ないならば、そのようにはならない」。

 

2:11彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。』【口語訳旧約聖書(1955年版)から引用】

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聖なる傷痕に指を入れた使徒

2023-02-14 15:52:17 | キリスト者の秘蹟neo

◎見ないのに信じた人は幸いである

(2005-07-07)

 

12使徒の一人ディディモのトマスは、イエスが復活して来られたとき、他の使徒と一緒にいなかったので、会いそびれた。そこでディディモのトマスは、言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、またこの手をその脇腹に入れてみなければ、私は決して信じない。」

 

さて八日の後、弟子たちは家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

それからトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて私の手を見なさい。またあなたの手を伸ばし、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

 

トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。

イエスはトマスに言われた。「私を見たから信じたのか。見ないのに信じた人は幸いである。」

《ヨハネによる福音書20章24~29節》

 

 

このたびは、イエスのまねびとしての聖痕がある人の話ではなく、イエスそのものの傷跡の話である。

 

見ないのに信じる人は、今の時代では、だまされ易い人とか、ひとの良い人などと呼ばれ、マルチ商法などの悪徳商法の格好の標的となるので、あまりよいこととされない。

この世をわたる場合は、見ないのに信じることは、あまりあってはならないが、ここの見ないのに信じるというのはそのことではない。

 

イエスの言う見ないのに信じるとは、イエスが復活した話を聞いて、人間の魂の永遠性に思い当たり、その永遠性を確信することを言っているように思う。イエスのその教えは、ある種バクティ・ヨーガであり、父なる神への献身の教えである。ところが復活を含め、その超能力を使いまくる姿は、地味で堅実なパクティ・ヨーガ行者の姿ではなく、一流のクンダリーニ・ヨーギ(行者)の姿に見える。日本で言えば、弘法大師のような感じだ。イエスの復活は、キリスト教では神の恩寵によるものと説明するのだろうけれど。

 

ディディモのトマスは、イエスの釘跡を見て、手まで入れないとわからなかった。

肉体には永遠の性質はないので、使徒にここまでさせて信じさせようとしたのは、人間の持つ潜在的能力の無限性を披瀝する一方で、人間というのは、肉体をまとった人間である以上は、どんなにすばらしい超能力を駆使できる者であっても、死を迎えねばならないので、永遠性というものは、肉体には属していないことを示したのだろうと思う。

 

結局のところ、超能力がいくらできても、永遠の命とは何にも関係がない。復活するほどのパワーがあっても、人間のはかなさからは逃れられないということを見せてくれたのだろうと思う。しかしディディモのトマスは、まだ超能力のすごさに関心があったということになろう。

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イエスが弟子の足を洗う

2023-02-05 06:28:11 | キリスト者の秘蹟neo

◎最後の審判の時代

(2005-10-26)

 

一個人が救世主並みの覚醒を得ることは、最後の晩餐の食事の途中で、イエス・キリストが弟子の足を洗った事蹟に、そのひとつのサインを認められる。

この事蹟は、キリスト教では伝統的にイエスが弟子の足を洗うように自分を低くして、本当の奉仕の気持をもつことというのが、伝統的な解釈である。

 

しかし素直に見てみれば、イエスは、弟子の神性を見たからこそ、足を洗ったのではないだろうか。そして単に神性を認めただけならば、礼拝をするに留まったのではないか。足を洗うというのは、当時は奴隷の仕事であったそうなので、礼拝だけではなく、足を洗うというのは、ひれ伏して自分より高いものであることを認めている心情がうかがえる。

 

聖三位一体の教義では、イエスの高みはこの上なきものであるから、人間としてそれ以上のものはない。イエスが足を洗うとすれば、父なる神に対して洗うことしか論理的にはないのであるから、弟子を父なる神の現れとして洗ったということになろう。

 

当時の十二使徒の実力は全くイエスに及ばなかったにも関わらず、イエスは、「イエスを遣わした父なる神の顕れである彼ら」を見て、足を洗ってみせたと考えられるのである。そしてお互いに足を洗うべきであると述べ、それぞれが神の顕れだから対等であると示唆している。

 

イエスは、この夜「事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。」と言っている。既に事が起こりそうな気配があるが、我々はまだ信じていないのである。

 

そしてイエスは、最後の審判の時代が、まるで明日にでも起こるように思って幻視した(現在でも、その様を幻視した人はショックを受けるようだ。)。ところが、最後の審判の時代は現代のことのようだ。ということは、今の時代は、大工の救世主(アヴァターラ)が一人で頑張って、どうにかなる時代ではなく、一人一人が神の顕れであると自覚して覚醒しないと、どうにもならない時代であることと示唆しているように思う。

 

キリスト教は、現代を席巻している近代西欧文明のバックボーンである。20世紀になってニューエイジということが叫ばれているが、それは、水瓶座の時代であることを強く意識した運動である。水瓶座は、多くの個人が続々と覚醒することをイメージしているが、そのイメージは2千年前の最後の晩餐に既に伏線があったと考えられる。

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神学大全を捨てたトマス・アクィナス

2023-02-02 06:09:39 | キリスト者の秘蹟neo

◎過去の自分を捨て去る

(2006-05-04)

 

ここは、イタリアのナポリ。1265年頃から、8年間にわたり、トマス・アクィナスは神学大全の著述を続けてきていた。

 

1273年12月6日の朝、スコラ哲学(中世キリスト教哲学)の大著神学大全の著述にいそしんでいたトマス・アクィナスは、いつものように聖ニコラウス礼拝堂でミサを捧げた。このミサの後、突然、神学大全の口述も記述もやめてしまった。

 

秘書であった兄弟修士のレギナルドゥスが、しつこく著述の続行を勧めても、トマス・アクィナスはただ「私にはもうできない」と繰り返すばかりであった。なおも勧めると最後に

「兄弟よ。私はもうできない。大変なものを見てしまった。それに比べれば、私がこれまで書いたものは、わらくずのように思われる。私は自分の仕事を終えて、ただ自分の終りの日を待つばかりだ。」と答えた。それから彼は放心状態に陥った。

 

数日後、彼は、姉の伯爵夫人に会いに出かけたが、迎えた姉に対して、彼は無言のまま茫然としていた。

 

金剛経を捨てた唐代の禅僧徳山のような例がここにもあった。それを見た後、数日ぼーとしているのは、白隠やバグワン(OSHO)の例を見ても、典型的な出来事だ。それに出会えたトマス・アクィナスは今生の目的はほぼ果たしたのだろう、この3か月後に彼は病没している。

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シバの女王が南からやって来て最後の審判に臨む

2023-01-03 06:19:39 | キリスト者の秘蹟neo

◎女性忌避の最終シーン

 

ソロモンの知恵は、ベン・シラのそれに比べて当時のユダヤ教徒向けの戒めの色彩が強く、現代人にそのまま使えるかという点ではベン・シラの方が下世話ではあるように思う。

 

『神を知らず、目に見うる善き物から、存在者を知ることが出来ず

その業に目を向けてその作者を認めない、すべての人間は生まれつき空しい。』

(聖書外典偽典2旧約外典 日本聖書学研究所/編 教文館 ソロモンの知恵 第13章P47から引用)

 

これなどは、明らかに相当に真摯な求道者向けの言葉であり、一般受けはしないが、大体はこの調子である。

 

ところが、そんなソロモンの知恵をかつて聞いたことがあるシバの女王が南からやってきて、現代においてイエスと共に、最後の審判を行う。

 

マタイによる福音書12章42節『南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。』

 

ソロモンにまさる者とはイエスのこと。南の女王とは、伝説のシバの女王のこと。

 

最後の審判に臨むのは、閻魔大王など通例男神一柱なのだが、ここで唐突にシバの女王も臨席するというのは、どういうことなのだろうか。

 

キリスト教は三位一体の教義を持ち、実質二位一体であることは、識者の指摘するとおり。父なる神と人の子のペアには、女性がいない。聖母マリアは、外伝的な扱いである。

 

ここに、最終シーンで女神であるシバの女王を登場させ、男女揃うことで完全な三位一体を実現させて、キリスト教も最終的に、死を忌避するバイアスを脱却するという道具立てなのではないだろうか。

 

それにしても、完全なる女性としてのシバの女王の登場は、新約聖書で一行だけだし、まるで『黄金のろば』でのイシスの登場があまりにも短文すぎるのと似ている。

 

中東から西洋は、このように『完全なる女性』を何千年忌避し続け、戒め続けないと、最後の審判までもって行けなかったということなのだろう。あるものはあるという態度が最後までとれなかった近代西欧文明。だが、まぎれもなく日本もその一翼である。

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