アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

クンダリーニとアートマンの合体

2024-05-11 16:37:16 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-11-1

◎そのものズバリに近いが証明は困難

 

クンダリーニがアートマンに変じてブラフマンと合体する件については、ダンテス・ダイジが、神の許しを給わった上で恐る恐る書いている(ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ)。

クンダリーニとブラフマンの合体については、凡そ想像を絶したものであるために、有史以来リアルな表現は避けられ比喩が用いられるのが常だった。

 

クンダリーニについて、仏教哲学者の中村元が面白いことを書いている。

『また、クンダリニーは最高の性力(parasakti) と考えられ、「真の性交(maithuna) とは最高の性力がアートマンと合することである。他の合一はただ女人との肉欲的な結合にすぎない」(Kularnava tantra,V, tantra, V, 111ー112)と考えられた。

その結合は、ときにはシヴァ(Siva)とクンダリニーとの合一とも考えられた。』

(中村元選集第二十四巻ヨーガとサーンキャの思想P319から引用)

 

※性力:神秘的エネルギー、フォース。シャクティ・パットのシャクティ。微細身レベルであるとすれば、エーテル体レベルなのか、アストラル体レベルなのか、メンタル体レベルなのか、それを越えるレベルなのかという疑問は当然に出る。だが、ニルヴァーナのプロセスとテクニックでは最終的にそれを超えるものであると洞察されるのではないか。

 

中村元もクンダリーニがアートマンと合一することを究極と見る説があることを紹介しており、これが一つのインド伝統の見方であることを示し、おおまかにはダンテス・ダイジ説はこうした流れの中にあって独自説ではないと思われる。

 

クンダリーニがブラフマンと合一することが人間にとっての大悟覚醒であることを万人に証明するには、万人がクンダリーニがブラフマンと合一する体験を持たねばならない。

それは現代科学のように感覚刺激至上、微細身がないこととされている立場では、評価することはおろか証明する手段はないということである。証明される時期は、すべての人が神仏を知る時代を待たねばならないと思う。

クンダリーニ・ヨーギ本山博が微細身の存在を証明すべく物理実験を繰り返したが、やっている本人はどう思っていたのだろうかと思う。

そこで、このことをオシャレに冷暖自知すとか、自証するとかという表現にひっくり返したりするが、証明困難という実態には変わりはない。

 

それでも今日も冥想を。

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冥想の効用と二種類の死

2024-05-11 03:09:47 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-11-2

◎アートマン-2

◎第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-1

◎冥想の効用のない部分-1

◎概説

 

冥想の効用のある部分については、損得と便利優先マインドの大勢の現代人に向かって、あまり一生懸命説明する必要はないと思う。冥想の効用のある部分とは、現世利益、願望成就であって、わかりやすいからである。

 

だから現代人にとって、本丸は冥想の効用のない部分である。冥想の効用のない部分とは宗派によって、なにもかもなし、非実在、非実存、非在、ニルヴァーナ、エンソフ(アインソフ)、無、第七身体、天御中主神、大日如来などといろいろな呼び名がある。言葉で表現できない沈黙という表現の仕方もある。

 人間にとっていわゆる神とは、宇宙全体、世界全体であるところのものも神でもあるが、正統な宗教では、その宇宙全体、世界全体が更に死ぬのが、この第七身体であることも示す。

 これによって、世界全体宇宙全体の転々化々する現象は、相対的な位置であるかのように理解される。だが永遠不壊は、第六身体の属性でもあり、第七身体をなにもかもなしと見れば、人間にとって、この世はドリームでもあり、リアルでもあり、となる。

 一個人の冥想修行カリキュラムとしてみれば、カリキュラムの中には、大きく見て二つの死が存在する。最初の死は、自分個人が死んで、自分の知り合いも、自分の生きる宇宙も死んで、宇宙全体、世界全体として再生するところの死。

 そして二つ目の死は、その宇宙全体、世界全体が死に、ニルヴァーナ、モクシャとなること。冥想の効用のない部分とはまさにこの部分のこと。

 

ところが功利的な人は、宇宙全体、世界全体が未来永劫滅びることがないのであれば、最終段階である第七レベルのニルヴァーナまで進む必要はないのではないかと思う。

 だが理由はわからないが、正統宗教では、第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナは常にペアで存在する。その二つの関係性は、OSHOバグワンとダンテス・ダイジだけがかすかに説明している。

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