◎ジェイド・タブレット-外典-11-1
◎そのものズバリに近いが証明は困難
クンダリーニがアートマンに変じてブラフマンと合体する件については、ダンテス・ダイジが、神の許しを給わった上で恐る恐る書いている(ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ)。
クンダリーニとブラフマンの合体については、凡そ想像を絶したものであるために、有史以来リアルな表現は避けられ比喩が用いられるのが常だった。
クンダリーニについて、仏教哲学者の中村元が面白いことを書いている。
『また、クンダリニーは最高の性力(parasakti) と考えられ、「真の性交(maithuna) とは最高の性力がアートマンと合することである。他の合一はただ女人との肉欲的な結合にすぎない」(Kularnava tantra,V, tantra, V, 111ー112)と考えられた。
その結合は、ときにはシヴァ(Siva)とクンダリニーとの合一とも考えられた。』
(中村元選集第二十四巻ヨーガとサーンキャの思想P319から引用)
※性力:神秘的エネルギー、フォース。シャクティ・パットのシャクティ。微細身レベルであるとすれば、エーテル体レベルなのか、アストラル体レベルなのか、メンタル体レベルなのか、それを越えるレベルなのかという疑問は当然に出る。だが、ニルヴァーナのプロセスとテクニックでは最終的にそれを超えるものであると洞察されるのではないか。
中村元もクンダリーニがアートマンと合一することを究極と見る説があることを紹介しており、これが一つのインド伝統の見方であることを示し、おおまかにはダンテス・ダイジ説はこうした流れの中にあって独自説ではないと思われる。
クンダリーニがブラフマンと合一することが人間にとっての大悟覚醒であることを万人に証明するには、万人がクンダリーニがブラフマンと合一する体験を持たねばならない。
それは現代科学のように感覚刺激至上、微細身がないこととされている立場では、評価することはおろか証明する手段はないということである。証明される時期は、すべての人が神仏を知る時代を待たねばならないと思う。
クンダリーニ・ヨーギ本山博が微細身の存在を証明すべく物理実験を繰り返したが、やっている本人はどう思っていたのだろうかと思う。
そこで、このことをオシャレに冷暖自知すとか、自証するとかという表現にひっくり返したりするが、証明困難という実態には変わりはない。
それでも今日も冥想を。