◎潮乾珠、潮満珠、両方揃って伊都能売の魂
海幸彦山幸彦のストーリーの続き。
『そこで、この弟の火遠理命が泣いて嘆き、海辺にいた時、塩椎神(しおつちのかみ)が来て、火遠理命に尋ね、「なぜ、虚空津日高(そらつひたか)が泣き嘆いているのか」と言った。火遠理命は答えて、「私は、 兄と釣り針を取り替えて、その釣り針をなくしてしまいました。そして、 兄がその釣り針を返すよう求めるので、たくさんの釣り針で償いましたが、兄はそれを受け取らず、『やはりもとの 釣り針がほしい』と言いました。そ れで、困って泣いているのです」と
言った。
すると、塩椎神は、「私が、あなた様のために善い手だてを考えましょう」と言って、たちどころに 隙間のない竹の籠(無間勝間)を作って小舟とし、 その船に火遠理命を乗せて、教えて言うには、 「私がこの船を押し流したら、暫くそのまま行きなさい。よい潮路があるでしょう。すぐにその潮路に乗って行けば、鱗のように並び立った宮殿がある。それが綿津見神の宮です。その神の宮の門に着くと、そばの井戸のほとりに 神聖な桂の木があるでしょう。そうしたら、その木の上にいらっしゃれ ば、その海の神の娘が、あなたを見つけて相談に乗ってくれるでしょ う」と言った。
そこで、教えにとおりにやや行ったところ、すべてその言葉どおりであった。それで、その桂の木に登っていらっしゃった。そうして、海の神の娘豊玉毘売の下女が、玉器を持って水を汲もうとした時に、井戸の中に光が見えた。下女が上を仰ぎ見たところ、麗しき青年がいた。下 女は、たいへん不思議なことだと思った。 そして、火遠理命は、その下女を見て、「水が欲しい」と求めた。
下女はすぐに水を汲んで、玉器に入れて差し上げた。これに対し、火遠理命は、その水を飲まずに、御首に掛けた玉飾りをほどいて口に含んでその玉器に吐き入れた。すると、その玉は器にくっついてしまい、下女は玉を離すことができなかった。それで、 玉をつけたまま豊玉毘売命に差し上 げた。
さて、豊玉毘売はその玉を見て、下女に尋ねて、「もしやだれか人が門の外にいるのですか」と言った。下女は答えて、「人がいて、私どもの井戸のほとりの桂の木の上にいらっしゃいます。たいへん麗しい青年です。われらが王にもまして、とても高貴な様子です。それで、その人が水を求めたので、水を差し上げたら、その水を飲まずに、この玉を吐き入れたのです。これは離すこと ができません。それで、入ったままにして持って来て差し上げたので す」と言った。
そこで、豊玉毘売命は不思議なことだと思い、外に出て火遠理命を見て、たちまちその姿に感じ入り、目配せをして、その父に申すには、「私の家の入り口に立派な人がいます」と言った。そこで、海の神が自ら外に出て、火遠理命を見 て、「この人は、天津日高の御子、虚空津日高だ」と言って、すぐに家の内に連れて入り、海驢の皮の敷物を幾重にも重ねて敷き、またその上に絹の敷物を幾重にも重ねて敷き、その上に座らせて、たくさんの台に載せるための物を用意し、ご馳走して、すぐにその娘の豊玉毘売と結婚させた。そうして、火遠理命は三年になるまでその国に住んだ。
さて、火遠理命は、初めにその国にやって来た時の事を思い出して、大きなため息を一つついた。すると、豊玉毘売命がこのため息を聞いて、
父に申していうには、「火遠理命は、この国に住んで三年になりますが、その間いつもは、ため息をつくことなどなかったのに、昨晩は大きなため息をひとつつきました。もしかしたら何かわけがあるのでしょうか」と言った。それで、その父の大神が、婿に尋ねて、「今朝、私の娘の話を聞いたところ、『三年いらっしゃって、いつもは、ため息などついたことがないのに、昨晩は大きなため息をつきました』と言っていました。もしや、何かわけがございましょうか。また、 あなたがこの国に来たのはどういう理由があってのことでしょうか」と言った。これに対し、火遠理命はその大神に、なくなった釣り針の返却を兄が催促した様子そのままに、委細洩 らさず語った。
そこで、海の神は、海にいる大小の魚をすべて召し集め、尋ねて、「もしやこの釣り針を取った魚はいるか」と言った。これに対し、諸々の魚は、「最近は、鯛が、『喉に骨が 刺さって、物を食べられない』と嘆いて言っていました。だから、きっとその針を取ったのでしょう」と申 した。
そこで、鯛の喉を探ると、釣り針があった。すぐに取り出して洗い清め、火遠理命に差し出した時、綿津見大神が火遠理命に教えるには、 「この釣り針をその兄にお与えになる時に、『この釣り針は、ぼんやりの針・猛り狂う針・貧しい針・役立たずの針』と言って、後ろ手にお与 えなさい。
そうして、その兄が高地に田を作ったら、あなたは低地に田を作りなさい。その兄が低地に田を作ったら、あなたは高地に田を作りなさい。そうしたら、私は水を支配しますから、三年の間、きっとその兄の方は収穫がなく貧しくなるでしょう。もしもそうしたことを恨んで戦を仕掛けてきたら、塩盈珠(しおみちのたま)を取り出して溺れさせなさい。そうしても しも嘆いて赦しを求めてきたら、塩乾珠(しおひのたま)を取り出して生かしなさい。このようにして、 困らせ苦しめなさい」と言って、塩盈珠・塩乾珠を合せて二つ授け、すぐにすべてのわにを召し集め、尋ねるには、「今、天津日高の御子、虚空津日高が、上つ国においでなさろうとしている。だれが幾日でお送り申し上げて復命するか」と言った。
すると、めいめいがそれぞれの身長に応じて日数を申すなかで、一尋わにが、「私は、一日で送って、すぐに帰ってきましょう」と申した。 そこで、その一尋わにに、「それならば、 お前がお送りして差し上げよ。もしも海原の真中を渡る時には、恐ろしい思いをさせないようにせよ」と仰せられ、すぐにそのわにの背中に火遠理命を乗せて送り出した。』
これに対する出口王仁三郎の解説は以下。
『さうして竜宮に行つてから、自分の落した釣鉤の事に就て来れる所以を御話しになつた。それから豊玉比売を妃として、三年海外に留学をせられたと云ふ事になる。つまり日本国にメナシカタマの舟が現れて来て、それに乗つて、初めて皇道の光が稍発揮しかけて来た。三年程の間に、皇道の光が発揮しかけて来たのである。丁度今日の時代に適応して居るのであります。
さうして居る中に、火遠理命は以前の事を思うて、大きな歎きを一つし給うた。即ち昔の事を思うて、斯う云ふ結構な教が我国にある。
『澆季末法の此世には、諸善竜宮に入り給ふ』
と和讃に誌されてある通り、本当に我国には誠の教、本当の大和魂、生粋の教があつたのである。さう云ふ結構な教があつたのを知らずに、三年間居つた。此の真直なる山幸を捨てて、さうして海幸になつて居つたと云ふ事を、初めて悟られて、大に誤つて居つたと云ふ事を、神界に於て歎かれたのであります。ここに大なる歎きをせられたので、綿津見の大神は、豊玉姫命に其の訳を聞かれると是々爾々と云ふ事であつた。そこで綿津見の神は大小の魚共を悉く集めて、鉤の行方を探した。其の魚の中でも名を知られて居る、例へばウイルソンの如く、其の名を世界に知られて居ると云ふやうな魚を名主、此魚の中の一番王様といういふのが鯛であります。その鯛の喉に鉤が詰つて居つた。つまり口では旨い事を云つて居るけれども、何か奥歯に物が詰つた様な、舌に剣がある様な、引つかける所の言葉、釣鉤の様な言葉がある。国際連盟とか、平和とか、民族自決とか、或は色々の事を言つて居りますけれども、釣鉤といふものを口の中に入れて居る。みな言葉で釣つて了ふのであります。正義人道とか、平和とか云つて、戦はしないと言つて居る。其の尻からどんどん軍備を拡張して、己の野心を逞しうせむとしつつあるのであります。所謂此の鯛の喉に、海幸彦の鉤が隠れて居る。其の鉤を発見して之を持ち帰つて来た。つまり鯛の言ふ事は当にはならぬ。総て斯う云ふものを喉に引つかけて居る。斯くして綿津見の神の力に依つて之を発見して、さうして之を貰つて、御帰りになると云ふ事になつたのであります。
かくて其の兄に、此の鉤を渡す時に、憂鬱針、狼狽針、貧窮針、痴呆針と言つて、手を後に廻して御返しなさいと、綿津見の神が言はれた。兄とは兄の事で、外国思想にかぶれたものである。今日は物質の世であるから、外国が兄である。三つ位の日本の弟と、七つ位の兄と喧嘩すれば、何うしても弟が負けるにきまつて居る。それから此の大きな鯛の、所謂ウイルソンか何か知らぬけれども、其の中の鉤を持つて帰つたといふ事であります。それで世界の平和とか、文明とか言つて居るけれども、これを有難がつて居る連中の気が知れないのであります。
憂鬱針──今日は所謂憂鬱針に釣られて居るのであります。即ち物質文明と云ふもので、世が乱れて来た。或はマツソンの手下となつて居るといふ有様である。憂鬱病にかかつて、自殺したり、或は鉄道往生をしたり、もう悲観し切つてしまつて、何をしても面白くないと云ふ人間計りであります。
狼狽鉤──是は非常に狼狽して居るといふ状態で、例へば政治界を見ても、外交上の狼狽、即ち支那問題とか、朝鮮問題とか、其の他思想上の問題一切のものが、皆狼狽をして居る。是が狼狽針であります。
貧窮針──是は申すまでもなく貧乏の事であります。
痴呆針──馬鹿を見る事であります。日本人全体には大和魂があるけれども、外国の横文字にはほうけて阿呆になつて居る。横文字も必要ではあるが、それにほうけて自分の懐には何もない。大和魂がないといふのは所謂痴呆針にかかつたといふ事であります。折角竜宮迄行つて、何んな釣鉤を持つて帰つたかといふと、こんなもの計りであつた。
綿津見神が続けて申されるのには、是等の鉤を兄上に返すには後手に御渡しなさい。さうして若し兄が怒つて高田を作つたならば、汝が命は下田を営り給へ。若し兄が下田を作つたならば、汝が命は高田を営り給へと申されたのは、何でも反対に行けといふ意味であります。つまり外国が若しも笠にかかつて出てきて戦争をしかけたならば、此方は慎んで戦争をせない様にせよ。若し又日本に向つて無理な事を言つて来る、人道に反した事を言つて来るならば、此方は充分に皇道に基いて、正々堂々誠の道に高く止つて、其の手段を取れ。斯ういふ様な事であります。さうして潮満珠と潮乾珠といふ二つの宝を持たされました。若し飽くまで先方が反対して来るならば、潮満珠を御出しになれば、必ず水が湧きでて兄様を溺れさせますし、若しあやまつたならば、潮乾珠の方を出して活かしてやり、活殺自在にたしなめておやりなさい、と申されました。即ち是は仏教で申しますと、如意宝珠の珠といふ事であります。
此の潮といふ事は、火水相合致したものでありまして、吾々は皆一人々々潮乾珠、潮満珠を持つて居るのであります。之を言霊学上からいひますと、伊都能売の魂といふ事になります。』
(出口王仁三郎全集 第5巻【言霊解】皇典と現代 海幸山幸之段から引用)
ポイントは、以下。
- 日本国にメナシカタマの舟が現れて究極に至る冥想の道が開きかけた。
- 海幸は曲がった教え。三年の竜宮留学中に、日本にも山幸というまともな教えがあることに今まで気づかず、そのことを大いに嘆かれた。
- 魚の王である鯛の口に刺さった鉤は、平和とか、民族自決とか、正義人道とか、LGBTとか、SDGsとか、平和とか、みな有名人や権力者の美々しい言葉で釣って、その裏で着々と軍備を拡張し、軍事的圧力を背景に弱小国から収奪せんとしている姿。海幸彦は、言葉はきれいだが、その実はあてにならないということ。山幸彦は、どうしても見つからなかった鉤を綿津見の神の力を借りて発見することができたのだ。
- 綿津見の神は、山幸彦に、此の鉤を渡す時に、憂鬱針、狼狽針、貧窮針、痴呆針と言って、手を後に廻してお返しなさいと教えた。これは、山幸彦が海幸彦に鉤を返す時に、海幸彦が不幸になるように呪いをかけたように見えるが、さにあらず。もともとその鉤は憂鬱針、狼狽針、貧窮針、痴呆針という役に立たないものであっただけのこと。
- 綿津見の神は、さらに『この鉤を兄上に返すには後手に御渡しなさい。そして何事も兄海幸彦の行うのと反対に行いなさい』とは、外国スタイルを行わず、正々堂々誠の道に即した日本のやり方で行いなさいということ。
- この潮という意味は、火水合致したもので、我々は皆一人々々潮乾珠、潮満珠を持っている。これが、両方揃って伊都能売(完全人、アダムカドモン)の魂であって、天国と地獄をも超えていくものとなる。これが冥想修行の目標の一つとなる。