アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

有を変容させて無のなかに返す

2023-01-31 17:37:58 | 現代冥想の到達点neo

◎最後の奇蹟は最初の奇蹟より大きい

(2020-06-01)

 

ユダヤ教ハシディズムから。

『天と地との創造は、無から有を展開させることであり、上なるものが下なるものの中に降りることである。

 

しかし、存在界から身を離して、つねに神に着く聖者たちは、真剣に神を眺め、捉えるのである――彼らは有を変容させて無のなかに返すのだ。

そしてより不可思議なことはこれである、無すなわち下なるものを上へと高めることである。「最後の奇蹟は最初の奇蹟より大きい」とゲマラに書いてあるように。』

(忘我の告白 叢書・ウニベルシタス マルティン・ブ-バ-/編 田口 義弘/訳 法政大学出版局P254-255から引用)

※ゲマラはタルムードの中の一部。

 

この文では、無は最初の方では上だと言い、最後の方では下だと言うので落ちつかない。

 

『上なるものが下なるものの中に降りる』は、トリスメギストスの『下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如く』に似る。

 

最初の奇蹟は天地創造であって、第七身体の無から第六身体の有に之(ゆ)くこと。これに対して、下のものなる第六身体の有から第七身体の無に之くことは、その前段として、個なる人間を飛び出るということ。個なる人間から見れば、有も無も全体なので、そこで視点の逆転のみならず、存在そのものの一変が起こる。

 

タロットでは吊るされた男であり、北欧神話のオーディンは木から9日吊るされた。

 

その人間的視点において、無が下であり、有が上だと言うのだろう。

 

今まさに過去最大の奇蹟が起きようとしている時代である。

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すべてが異郷のものだから帰郷する

2023-01-31 17:31:03 | 現代冥想の到達点neo

◎ユダヤ神秘主義ハシド派の一言

(2020-05-31)

 

ハシド派は、ハシディズムのこと。到達した人々がいることが、以下の言葉でわかる。

 

『ある師について、彼は「私はこの国では寄留者である」(出エジプト二・二二参照)という、モーセの言葉にならって、まるで寄留者のようにふるまったと語られている。

 

遠方から、生まれた町を出てやってきた男のように。

 

彼は名誉にも、彼を益するなにものにも心を向けなかった。ただ、生まれ故郷の町に帰ることだけを考えていた。

 

彼はおよそなにものにもとらえられないが、なぜなら彼は、すべてが異郷のものであり、自分は帰らねばならない、

と知っていたからである。』

(忘我の告白 叢書・ウニベルシタス マルティン・ブ-バ-/編 田口 義弘/訳 法政大学出版局P252から引用)

 

世俗感覚で読めば、エジプトが異郷でカナーンが故郷だが、ここではそう読まない。

 

あるいは、故郷を出て都市で暮らしていた者が老境にさしかかって、故郷でセカンドライフを送ることでもない。

 

聖者にとっては、この世のすべてが異郷であり、エクスタシーたる根源だけが故郷である。

 

ダンテス・ダイジは、『私は私という心身の異郷の客』である悲しみを歌い上げたが、全くそれと同じ感慨を持つ者がハシディズムにもいたのである。

 

悟りとは帰郷のことである。

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ユダヤ教ハシディズムの神人合一への5ステップ

2023-01-31 17:06:55 | 現代冥想の到達点neo

◎イェヒダー(単一性)

(2012-01-02)

 

ユダヤ教ハシディズムでは、神人合一へ5段階を立てる。

これは、もともとはユダヤ人の聖書解釈ミドラシュから出てきたもので、ルバヴィッチのドブ・ベエルが、これにならって霊性5段階説を説く。曰く、

第一段階 ネフェシユ (生命)

第二段階 ルアッフ(霊)

第三段階 ネシャマー(魂)

第四段階 ハヤー(生命)

第五段階 イェヒダー(単一性)

 

デベクートとは、「間断なく神と共にいること、人間と神の意志との密接な合一と一致である」(ユダヤ神秘思想研究のゲルショム・ショーレムによる)だそうですが、以下の説明をみると、単にトランスみたいな状態を指しているところがあるように思う。

 

『第一段階 ネフェシユ (生命)

この段階の人々は、神の言葉を聞いてその意味を理解します。しかし彼らは神の言葉の価値を認めても、神からは遠いままです。

 

第二段階 ルアッフ(霊)

ここは善き思いのデベクートにいる段階であります。ここでは人々は神の言葉を聞いて理解するだけでなく、彼らが神から遠いにもかかわらず、神に近づきたいと願います。この段階は「自分が個人的に関心を持っている商売について耳よりの話を聞き、彼の心の全力がそれに吸収されている。彼は、(寝ても覚めてもそれ思う、いわゆる)思いに密着しているとして知られている恍惚にすっかりはまっている人」に似ています。

 

第三段階 ネシャマー(魂)

ここは光明の段階です。この段階までくると、「神の側近くにある」と実感します。その喜びによって、人の心は直ちに恍惚の中へと進み、そして神の臨在を身近に感じるがゆえに、恐れと愛の中で行動します。そして恍惚状態にある心の中からメロディを伴った歌が生じて来ます。

 

第四段階 ハヤー(生命)

ここは「精神の恍惚」の段階であります。ここでは人の心と頭脳は神の光に完全に集中され、そして「神の前にはすべてのものが無である」という状態になっています。

これは、「人が、心の内奥で、その精神の深みから、仕事上の良いプロジェクトに没頭する時に似ている。その仕事に彼の魂のすべてが引っ張られ、(中略)彼の心も精神もその物事の良さだけに吸い込まれているのに似ている」。

 

第五段階 イェヒダー(単一性)

ここは至高の段階であり、理性と知性を越えています。人間の全存在はことごとく神に吸収され、何物も残りません。ここでは、人はみな自己意識というものを持たないのです。』

(ユダヤ教の霊性/手島佑郎/教文館P124-126から抜粋)

 

これを見ると、仏教でいえば、第一段階のネフェシユ (生命)が声聞、第五段階イェヒダー(単一性)は仏に該当するように思う。そして、第五段階イェヒダー(単一性)の定義が十全なものであることによって、ユダヤ教ハシディズムの正統であることがわかる。

 

第四段階ハヤー(生命)の段階は、仏教ならば菩薩に該当するのだろうが、その定義には見仏、見性にあたるような表現はとりあえずない。

 

この本には異言の例が挙がっており、この五段階は、神下ろしの手法の段階を述べている可能性があるように思う。

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アダムカドモン-3

2023-01-31 07:19:54 | 両性具有or天国と地獄の結婚

◎神的原人間という響き

 

カバラ本を手に取ると16世紀のカバリスト、ルーリアに言及しない本はまずない。ユダヤ教の冥想と言えばハシディズムだが、ルーリアは、ハシディズムに大きな影響を与え、ゾーハルの読み方にも大きな影響を与えた。ルーリアの方法は、神の側からスタートして個人間に至る古代秘教タイプ。よって原人アダムカドモンは最後の方に登場するのだが、「アダムカドモンの両眼から光線が出て云々」などと非常に誤解を招きそうなところもある。だが、箱崎総一氏の以下の説明では、アダムカドモンとは「セフィロトよりエン・ソフ (Ein-Sof 無窮なるもの)へと移行する媒介体」という仏教の三身に近い考え方をとっているように思う。

 

『カバラ思想家ルーリアによってアダム・カドモンはカバラ思想における中軸概念となった。ルーリアによればアダム・カドモンは単なるセフィロト(Sefirot 原質)の凝縮によって顕示された存在ではなく、セフィロトよりエン・ソフ (Ein-Sof 無窮なるもの)へと移行する媒介体としての意味をもつことになる。ルーリアによれば、エン・ソフがセフィロトの内に顕示されるという概念は廃棄すべきものとされた。』

(カバラ ユダヤ神秘思想の系譜 箱崎 総一/著 青土社P 391-398から引用)

※ルーリア:(1534年 - 1572年)イスラエルのユダヤ教神秘主義者。著作はないが後世のカバラ解釈に大きな影響を与えた。言行録の端々に本物らしい香気はある。

 

またルーリアは、おおまかに言えば、世界全体であるセフィロトと無窮なるエン・ソフの関係を、無窮なるエン・ソフが縮小して世界を作り始めたというように書いている。

ところが、インドでは、世界全体なるアートマンと無窮なるブラフマンの関係については、何も書かず併記するのが作法みたいになっている。そのことからすると、ルーリアはやや頑張りすぎかもしれないなどと感じるところがある。

 

『ルーリアが壊れた世界を神的身体の内部に描く自らの見解に達したのは、ようやく最晩年になってのことである。傷ついた身体としての壊れた世界の描写は、彼がメシアとして期待した自らの息子の死(彼はルーリア自身の突然の死に先立って死んだ)のあとに生まれた。

 

神的身体はアーダーム・カドモーン、原人間(アントロポス)である。原人間はアツィールートすなわち流出した世界の最高点に立つ。アーダーム・カドモーンはセフィーロートとパルツーフィームを含んでいる。すでに『ゾーハル』において、アーダーム・カドモーンは神、宇宙、トーラーの比喩となっていた。さらにそこには神殿とその犠牲祭儀の連想もあった。『ゾーハル』の後期の層は、この原人間の教説を、人類の現在のジレンマに対する応答と捉えていた。神的原人間を人間的モデルに投影することによって、神的存在との相互作用が可能になる。特定の儀礼を行うことで、宇宙の傷ついた身体の変容と修復が開始される。』

(カバラー/ピンカス・ギラー/講談社選書メチエP124から引用)

 

※パルツーフィーム:「顔」。そのおのおのが神の様相の一つを表すと同時に、修復作業におけるひとつの瞬間を表す。(カバラ 文庫クセジュ ロラン・ゲッチェル/著 白水社P154)

 

次の引用文では、無限がエンソフを指す。

『「無限」から注がれる新たな直線の光は、混沌に秩序を与えることができる。ゆえに「残滓」が散らばる神の隙間には光が降り注ぎ、そこにはさまざまな構造体が出現する。創造のために

用意された「清浄空間」には、まず「原初の人間」 (Adam Qadmonアダム・カドモーン)が現れる。これはエデンの園で最初に創造された人間そのものではなく、カバラーの創造論で語られる神の似姿、あるいは神と人間の中間的存在である。ゆえにそれは一方で神の不完全な模写であり、他方ですべての被造物の霊魂を包摂する人間の巨大な原像である。』

(総説カバラー 山本伸一/著 原書房P223から引用)

 

テクニカル・タームが多くて読みにくいかもしれないが、カバリスト達は、神的原人間を世界の創造以前に遡って存在していたと見た。冥想修行の結果それを確認する段階があるのである。

彼らはそれを神の発出の側から見ていったわけだ。

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アダムカドモン-2

2023-01-30 06:44:59 | 両性具有or天国と地獄の結婚

◎人間における反対の一致

 

神の反対の一致から、人間の反対の一致の展開が一般的であることを見た。

 

アレクサンドリアのフィロンは、イエス・キリストと同時代のユダヤ人哲学者。フィロンが地上の人間と呼んだアダムは創造によって創られたが、天の人間アダム・カドモンは世界の創造に先立って存在した。つまり、いわゆる父母未生の人間がアダム・カドモンであって、一方アダムは神による世界の創造以後に作られたという見方をする。

 

『アダム・カドモン説のアウトラインを素描してみよう。

アダム・カドモン (Adam Kadomon) は一般に "原始の人"と訳されているが、アダムはヘブライ語で人間の意味であり、カドモンまたはカドモニ(Kadomoni)は「第一」または「原初」の意味である。アダム・カドモン説にはグノーシス思想の立場からの解釈とユダヤ教神学からの影響が混合した形で認められ、さらにその背景にはオリエント神学やギリシャ哲学からの影響も認められる。

 

アダム・カドモンについて最初に記述した人物はアレキサンドリアのフィロンである。天の人間であるアダム・カドモンは神のイメージのなかで生みだされた存在であり、腐敗しやすい地上的なものはなんら関与していないとされた。フィロンの見解によれば、アダム・カドモンはロゴス (Logos)が完全に具象化されたもので男性でも女性でもなく、純粋な知的イデアと結合した存在であった。

 

フィロンのアダム・カドモン概念には、プラトンの思想とユダヤ教神学の二つの傾向が認められる。

“神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された" (創世記1.27)

“主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった"(創世記2.7)

この章句の内容とプラトン哲学のイデア説が結合したのである。つまり、原始のアダムはイデアと対比され、肉体と血液の創造はイメージと対比された。フィロンの抱いた男性でも女性でもない天の人間の概念はさらに発展していくことになる。

 

前述の章句は、古代ユダヤの思想家集団パリサイ派が注目したところでもある。

"主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた"

(創世記2.22)

パリサイ派では女性エバの創造に関してアダムははじめ男性・女性結合体として創られていたと思考した。

 

"男と女とに創造された"(創世記1.27) の部分は "男性と女性とを創造した"と理解し、『創世記』 2・22で記述された時点において、はじめて男性と女性は分離されたと解釈した。パリサイ派の解釈はフィロンにも影響を及ぼしており、天の人間が両性具有の存在であると規定した背景にはこのパリサイ派の思想がひそんでいると推定される。

 

 “あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます"(詩篇139.5)

この章句はユダヤ教の聖書註解(ミドラッシュ)では、人間の前面は創造の第一日に創られ、人間の背面は創造の最終日に創られたと解釈された。

 

フィロンが地上の人間と呼んだアダムは創造によって創られたが、天の人間アダム・カドモンは世界の創造に先立って存在し、この天の人間が救世主(メシア)、ロゴスなどとして理解された。』

(カバラ ユダヤ神秘思想の系譜 箱崎 総一/著 青土社P391-393から引用)

 

この文章は、やや晦渋だが、神の創造以前の人間というニュアンスはわかりにくい。一方両性具有については、まぎれはなくはっきりしていて、アダムは最初は両性具有で後分離(イブ、エバ)したのだから、アダム以前のアダムカドモンは当然に両性具有ということになる。

 

なお両性具有の意味は、男女という極く限定的な意味ではなく、光と闇、天国と地獄、善と悪、天と地、太陽と月、陰と陽、快楽と苦悩、欲求と嫌悪、快と不快、寒と暑、貴と賤、聖と俗というようなあらゆる反対物の一致という意味である。

 

次にアダムカドモンの人と神との間の位置づけについて述べる。

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アダムカドモン-1

2023-01-29 06:36:35 | 両性具有or天国と地獄の結婚

◎神の反対の一致、両性具有、天国と地獄の結婚

 

アダムカドモンとは、原人、原始の人などと訳されるが、人間の祖型にして完成した人間の謂いである。完成したというニュアンスには、光と闇、天国と地獄、善と悪、天と地、太陽と月、陰と陽、快楽と苦悩、欲求と嫌悪、快と不快、寒と暑、貴と賤、聖と俗などの二元の両方すなわち両性具有が含まれる。荘子の真人もアダムカドモンと同義。禅の信心銘のえり好みをしないというのも同じ流れ。

 

アダムカドモンの起源について、神の被造物としての人間ということから追うと収拾がつかなくなりがちだが、エリアーデ風に神も両性具有であって、人間も両性具有であると見れば、人は神の生き宮であるというスタイルに沿う。

 

神の両性具有として、エリアーデは以下を挙げる。ヤハウェは善であって怒りの神。キリスト教の神は恐ろしく、やさしい神。インドのシヴァ神は、カーリー女神の姿をしたシャクティを抱擁しているサンヴァラ(交合図)。さらに言えば古事記の素戔嗚尊と天照大神の誓約もそれ。これらは、発展して球体や、卵(宇宙卵)、鏡、一円相というシンボルに転ずることもある。

 

エリアーデは、次のように両性具有神がアダムカドモンのような両性具有人に対応していると説明している。

『両性具有神の神話は、「反対の一致」を表現するものの中でも、ひときわ明瞭に、神の存在の逆説を示しているが、この神話に対応するのは、両性具有人間に関する一連の神話や儀礼である。この場合、神についての神話は、人間の宗教経験の範型をなしている。「原人」とか祖先とかは両性具有であったとする伝承は(トゥイスト型)ひじょうに多く、それより後代の神話伝承は「原初の夫婦」について語る(ヤマ Yama すなわち「双生児」――とその姉妹ヤミ Yami 型、もしくはイランのイマ=イマグ Yima-Yimagh、 マシュヤグ=マシュヤーナグ Mashyagh-Mashyânagh 型の夫婦)。

いくつかのラビの注解書は、アダムもまた、両性具有とされていたこともあると仄めかしている。すると結局、エヴァの「誕生」は、最初の両性具有を男と女の二つの存在に分けることにほかならなかった。 「アダムとエヴァは背中あわせに、 肩と肩とがくっついていた。そこで神は斧をふるって、あるいは二つに切ることによって、 二 人を分離した。それと違う説をなす人もいて、最初の人 (アダム)は右側が男で左側が女であったが、神はそれを半分に割ったのだという」。』

(エリアーデ著作集 第3巻 聖なる空間と時間 ミルチャ・エリアーデ/著 せりか書房P138から引用)

※トゥイスト:ゲルマン神話に出てくる神で両性具有。

 

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評価も賞賛もされない無私

2023-01-28 14:49:25 | 時代のおわりneo

◎親切心が仇となっても

(2012-04-22)

 

無私とは、本来大慈大悲、mercyの一つの現れであり、胸のアナハタ・チャクラの属性の発現であって、極めて正統的なメンタル体の7つの属性の一つとして評価されるべきものである。

 

アジア深部の探検家の一人ヤングハズバンドが、1904年鎖国のチベットに軍事進攻し、首都ラサで英蔵交渉を行ったが、その交渉の結果、英国は捕虜を釈放し、チベットは古い政治犯を釈放した。

 

この政治犯の中に、1881年英国スパイのサラット・チャンドラ・ダスのチベット潜行を支援したという罪で19年間鎖で牢につながれていた者がいた。サラット・チャンドラ・ダスの身分が割れた時には関わった多くのチベット人が処刑されたり投獄されたりしたという。

 

また別の解放された政治犯2名は、河口慧海のラサ潜伏を助けた者であって、河口慧海のケースでは、河口慧海は身分がばれる直前に逃亡したものの彼をサポートした周辺のチベット人が逮捕・投獄されたという。(ヤングハズバンド伝/金子民雄/白水社P324-325による)

 

逮捕投獄された支援者は、買収されたわけではないので、純粋に無私な気持ちからサポートしたのだろう。しかし、無私という純粋な徳性は仇となった。

 

ダイヤモンド・オンライン(2012年4月17日記事)で、『他人のために死ぬことは「美徳」と言えるのか?南三陸町の女性職員を道徳教材にした教育者の“良識” ――浅見哲也・埼玉県教育委員会職員のケース』という標題で、震災当日、防災無線で町民に避難を呼びかけ続け、犠牲になった宮城県の南三陸町役場に勤務していた24歳女性職員のことを道徳教材にしたことが叩かれている。

 

自分を犠牲にして他人を助けたのは彼女だけではなく、消防団の人や、近所の身体の不自由な人を助けたばかりに津波に呑まれた人などいくらでもいる。しかしそれを道徳教材に挙げた途端に、『思想が戦前の国家主義に近い』、 『“自己犠牲”を強いる教材はまずい』、『“美談”として死を取り上げることはダメ』という発想が、あたかも社会通念であるかのような観点から、批判的に書かれている(この記事自体は、道徳にはあまり関心がなく、震災時の避難誘導などの体制のほうに力点があるのではあるが)。

 

つまり戦前・戦中の日本で滅私奉公をやらされたトラウマからか、無私自体が世間ではタブーであるという発想が仄見える。

 

無私の反対は利己であるが、ここまで利己的な価値観を増長させてきたから、この地獄的な現世が出現しているのではないか。無私という徳性をきちんと日の当たるところに出して社会的に評価していかないと、日本の衰退を押しとどめることなどできないのではないか。

 

かと言っても『無私』というスローガンを大勢の悟ってない人が宣伝しても、何も改善しない“から騒ぎ”に終わるのだが。

 

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聖徳太子未来記と出口王仁三郎-2

2023-01-28 07:06:24 | 時代のおわりneo

◎世界統一

(2014-10-06)

 

出口王仁三郎の挙げた未来記は、その前半部分だけ。

太平記にある聖徳太子未来記には更に後半部分がある。

 

西鳥は近代西欧文明。東魚は日本。近代西欧文明が日本を破って後、西鳥がワン・ワールドの世界統一を3年間実現する。

その後猿に等しい者が、世界を簒奪して30余年、

その後こうした大凶変は、至福千年に変じて、一元に戻って行く。

 

『人王九十五代に当たり、天下一たび乱れて主安からず。

この時、東魚来たりて四海を呑む。

 

日、西天に没すること三百七十余箇日、西鳥来たり東魚を食う。

 

その後、海内一に帰すること三年、ミ猴(ミコウ:猿の意味)のごとくなるもの

天下を掠(かす)むること三十余年、大凶変じて一元に帰すなり。』

 

後半部分で、思い出されるのは、ノストラダムスの4行詩

『1999年7月恐怖の大王空より至る

アンゴルモアの大王を甦らせ

火星の前後に幸運に支配させるために』

 

ワン・ワールド(海内統一)の支配は3年で、その次の猿の支配は30年以上。(この年数は、既に1999年7月には何も起こらなかったように文字通りの「年」数ではないと思う。)

 

アンゴルモアは不詳だが、猿のことか。猿とは、人間であることをやめた人、あるいは人間であることから落っこちた人のようなものを指すのではないか。人間であることから落っこちた人というのは、権力や金や権威を我欲のために使うような人を指す。

 

いずれにしても、この未来記後半部分では、世紀末の艱難とその後の千年王国が示されている。北欧神話や聖書と同様の次の時代観である。

 

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天津神を降格す 国津神を昇格す

2023-01-28 06:37:16 | 古神道の手振りneo

◎主役が端役に、エキストラが主役に

◎フツーのまじめな人 野槌彦

(2014-04-20)

 

朝な夕なに天津祝詞を奏上する人は少なくないだろう。その中で天津神が必ず出て来る。

ところが、霊界物語では、大火によって地球全体を修祓、浄化を繰り返すのだが、その中で、この天津神全員を国津神に降格し、国津神の一部を天津神に昇格させる神事が顕れる。

 

地上天国、千年王国を現出させるプロセスには必ずこういう人事ならぬ神事がつきものだと思うが、霊界物語にはあまりにもあっさりと書かれていて、見逃しやすい。

 

ところがこの神事こそ、天と地の立替そのものなのである。

 

霊界物語の最も重要な最後の10巻が天祥地瑞。その後半部分には地上が火で洗われるイベントが繰り返し描かれ、地上天国を各地に拡大していく。この神事はこうした争乱騒擾の中での出来事だが、決定的なシーンである。

 

国津神から天津神に昇格したのは、フツーのまじめにやっている人である野槌彦だが、「とてもじゃないけど一人では、ご神業遂行できない」と追加で4柱の国津神を昇格させることを乞う。合計5柱でも少ないが、これまでのように一人の傑出したリーダーが指導するのでなく、アクアリアン・エイジ(宝瓶宮時代)として集団指導であることを示している。

 

霊界物語第78巻

『第一七章 天任地命

 

 茲に葦原の国土の守り神と生れませる葦原比女の神は、天体に現はれし月星の奇現象に三千年の天地の時到れることを、鋭敏なる頭脳より証覚し給ひ、大勇猛心を発揮して、天津神等を一柱も残さず地に降し、また地に潜みたる神魂の清き国津神を抜擢して、天津神の位置につらね、国土の政治一切を統括せしめ給ふ大英断に、朝香比女の神は感激し給ひ、諸神に向つて宣示的御歌を詠ませ給ふ。云々』

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海幸彦山幸彦-4

2023-01-28 03:07:42 | 無限の見方・無限の可能性

◎聖王鵜葺草葺不合命が誕生し世界の経綸は完成

(うかやふきあえずのみこと)

 

海幸彦山幸彦のストーリーの続き。

『そうして、約束どおり、一日のうちにお送り申し上げた。そのわにが帰ろうとした時に、火遠理命は身に帯びた紐つきの懐剣をほどいて、わにの背中に結びつけて返した。それで、その 一尋わには、今、佐比持神という。

 

こうして、火遠理命は、何もかも海の神が教えた言葉のとおりにして、 その釣り針を火照命に返した。それで、それ以後、火照命はだんだんま すます貧しくなり、前にもまして 荒々しい心を起して攻めてきた。火照命が攻めようとした時には、火遠理命は塩盈珠(しおみちのたま)を取り出して溺れさせた。そして火照命が嘆いて赦しを求めると、塩乾珠(しおひのたま)を取り出して救った。

このように困らせ苦しめたところ、火照命はぬかずいて、「私は、今から後は、あなた様を昼夜守護する者として、お仕え申し上げます」と申 した。それで、今に至るまで、その溺れた時の色々な仕草を絶えることなく伝えつつ、お仕え申し上げている。

 

[二]さて、海の神の娘、豊玉毘売(とよたまびめ)命は、自分自身で国を出て火遠理命のもとへ参り、「私はもう妊娠しています。今、産もうという時にあたって、このことを考えてみると、天つ神の御子は海原で産むわけにもゆきません。それで、参り出て来たのです」と申した。そこで、ただちにその海辺の渚に、鵜の羽で屋根を葺いて産屋を造った。ところが、その産屋の屋根をまだ鵜の羽で葺きおえないうちに、豊玉毘売命はさし迫った出産の痛みに耐えられなくな った。それで、産屋にお入りになった。

 

そうして、まさに産もうとした時、豊玉毘売命は日の御子に申して、「他の国の人は、およそ子を産む時にあたって、自分の国での姿をとって産みます。だから、私は今、本来の姿になって子を産もうと思います。お願いですから、私を見ないでください」と言った。そこで、その言葉を不思議に思って、豊玉毘売命がまさに子を産もうとしている様子をこっそりと覗いたところ、大きなわにに変って、腹這いになって身をくねらせ動いていた。それで、火遠理命は見て驚き恐れ、逃げ去った。そう して、豊玉毘売命は火遠理命が、覗き見たことを知って、恥ずかしく思い、すぐにその御子を産んでその場に置き、「私は、普段は海の道 を通って行き来しようと思っていました。それなのに、あなたが私の姿を覗き見たことは、たいへん恥ずかしいことです」と申して、ただちに海坂を塞いで、自分の国へ帰っていってしまった。そうして、その産んだ御子は名付けて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひたかひこなぎさたけうかやふきあえずのみこと)という。

 

このようなことがあって後、豊玉毘売は、火遠理命が覗き見した心を恨みはしたものの、恋しく思う気持を抑えることができず、その御子の 養育というかかわりに託して、妹の玉依毘売にことづけて、歌を差し上げた。その歌にいうには、

赤玉は緒さへ光れど 白玉の君が装いし 貴くありけり

(赤玉は、それを通した緒までも光りますが、白玉のようなあなたの姿は、さらに立派で美しいものです)

これに対し、その夫君である火遠理命が答えた歌にいうには、

沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝(いね)し 妹は忘れ時じ 世の悉(ことごと)に

 (<沖つ鳥> 鴨の寄りつく島で私と共寝をした妻のことは忘れまい、一生の間)

 

そうして、日子穂々手見命(ひこほほでみのみこと)は、高千穂の宮に五百八十年の間いらっし ゃった。御陵は、すなわちその高千穂の山の西にある。

 

[三]この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命が、叔母の玉依毘売命を娶って生んだ御子の名は、五瀬命。次に稲氷命。次に、御毛沼命。次に、若御毛沼命、またの名は、豊御毛沼命、またの名は、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)

 

そして、御毛沼命は、波頭を伝って、常世国へお渡りになり、稲氷命は、亡き母の国である、海原にお入りになった。』

 

これに対する出口王仁三郎の解説は以下。

 

『火遠理命は一尋鰐に乗つて、愈々本の国日の本の国へ、帰られたのであります。此の一尋鰐といふ事には、非常に重大な意味があります。又此の火遠理命は、日子穂々出見命の事であります。御筆先にも『日子穂々出見命の世になるぞよ』といふことがありますが、愈々火の燃え上つた如く中天に輝く所の御盛徳を持つた、日子穂々出見命が、海原を御渡りになる。其の時に一尋もある大鰐が、之を助けたと云ふ事になつて居るのであります。其の時に豊玉姫も共に御連れ帰りになりました。さうすると豊玉姫は妊娠せられた。御子さんが出来たのであります。併し子と云ふ事は原子分子一切の子である。それから、非常に腹が膨れるといふ事になつて子を産む。竜宮も海を離れた島ですから、地の竜宮と云ふ事になります。それでお二人の間に一人の子が出来た。さうすると豊玉姫は、子を産まむとする時に夫に向つて、妾は国津神の子であるから、元の姿になつて児を産みますから、産屋を御覧ならないやうに、何処かへ行つて居て下さい、と堅く申されました。そこで鵜葺草葺不合命を産まれました。未だ鵜の羽の屋根が葺き合へない中に御生れになつたから、さう申すのであります。

 

此の鵜の羽といふ中には、深い意味があるのであります。鵜の羽を以て屋根を葺く、此の鵜といふ事は、稚比売君命と深き因縁のある事であります。此の神様は非常に烏と因縁がある。鵜と云ふ事は烏と云ふ事であります。烏は羽なくては駄目である。それで其の羽で以て屋根を葺く、其の出来ない中に御子が生れたのであります。火遠理命は恐いもの見たさで、そつと御窺ひになると、立派な玉の様な御子が御出来に成つて居る。御子は生れて居りますが、其の母の豊玉姫は竜神の本体を現して居る。大なる竜神が玉の様な児を抱いて居る。それを見て大に驚いた。竜神といふものは、天津神計りと思つて居たが、地津神にもあるかと云ふ事でお驚きになつた。寧ろ此の驚きは恐怖の驚きでなくして、感心の余りの吃驚せられたのであります。

 

さうすると豊玉姫命は、自分の姿を見られたものですから、恥かしくてもう御目にかかれませぬと言うて、元の海へ隠れた。此の御子さんの事を、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と申し上げるのであります。此の神は皇室の為めに尽さむとして居るのであります。又豊玉姫は還元して居る現状を見られて、申訳がないと云ふ事になつて再び海に隠れて、元の所に潜伏せられ、其の御産になつた鵜葺草葺不合命を御育てする為に、玉依姫と云ふ竜宮で一番良い所の、選りに選つた神様を御遣はしになつて、御育てになつたのであります。其の時に斯う云ふ歌を御言附けになりました。此の歌は中々意味があります。『赤珠は緒さへ光れど白珠の 君が装ひし貴くありけり』

 赤珠──日の大神、白珠──月の大神、其の珠の緒が、冴え光つて居つたといふ事である。君──伊邪那岐伊邪那美とか、神漏岐神漏美とかのキミで、即ち両陛下を指してキミと申すのです。『キ』は太陽で『ミ』は月の事であります。厳の魂は日、瑞の魂は月、即ち天辰日月が輝いて、完全無欠なる美しい、且つ尊い国が出来たといふ事を、非常に御喜びになつたのであります。此の玉依姫の事を竜宮の乙姫様と云うて居ります。此の神様が御育てした、鵜葺草葺不合命が立たれると、天下は良く治まつて、日月は晧々として輝き、陰陽上下共に一致する。即ち『貴くありけり』と謂はれたのは天下泰平に宇宙が治まつた所の形をば、讃美されたのであります。

 

其の以前に日子穂々出見命、亦の名火遠理命が、豊玉姫に御送りになつた歌があります。

 『沖つ鳥鴨着く嶋に吾率寝し 妹は忘れじ世のことごとに』

 沖つ鳥と云ふ事は、沖の嶋といふ事であります。此の日本以外の外国を指して云ふのであります。或は竜宮の嶋を指して言つたのであります。鴨着く嶋──嶋と云ふ事は、山篇に鳥である。嶋には鴨とか、鴎とか言ふ鳥が沢山群がつて居る。若しも鳥が居なかつたならば嶋ではない。女島男島は真白けに鳥が群がつて居る。鳥が沢山居る嶋が鴨どく島である。吾率寝し──といふ事は共に暮したいといふ事であります。妹は忘れじ──ツは大津といふ事で、大きな海の水の事であります。マは廻つて居るといふ意である。例へば島のシと言ふ事は水であつて、マと言ふ事は廻る事、即ち水が廻つて居ると言ふ事で、小さい島の意味になります。或は又シメと云ふのも、ぐるぐる水が廻つて居る形である。又真中に建造物のあるのは、城とも言ふのである。故に日本国を秀津真の国と言ふのである。

 ツとシとは反対であつて、ツは外国の事である。潮流杯も日本と反対に流れて居ります。忘れじ世のことごとに──といふ事は、万国を一つに平定される事である。世のことごとに、は守るといふ事である。幾万年変つても、此の国は忘れないで、此の御神勅に依つて治めなければならない。日月星辰のある限り、飽くまでも治めてやると言ふ、有難い御言葉であります。』

(出口王仁三郎全集 第5巻【言霊解】皇典と現代 海幸山幸之段から引用)

 

ポイントは、以下。

 

  1. 山幸彦は、三年の留学という真の宗教を忘れた状態の後、一尋鰐の助けで、日本国へ帰られた。一尋鰐(わに)は、出口王仁三郎(わに)のこと。天皇陛下を憚って、自分で一尋鰐の説明はしていない。

 

  1. 母の豊玉姫は、竜神にして国津神だが、天津神の子を産んだ。これが逆転に当たるので、父君も驚いた。霊界物語には、国津神と天津神が一部逆転することも書いてある。

 

  1. 屋根を葺ききれないうちに重要な子を生んだのは、スサノオが高天原の衣服工場の屋根を破って馬を投げ込んだ故事を承ける。スサノオはその時点で、天国と地獄の結婚(誓約、伊都能売)を経ていたが、世界の経綸(稚比売の命の機織) は揺り戻した。しかしながら、ここで聖王鵜葺草葺不合命が誕生したことで世界の経綸は完成に近づいた。

 

  1. ここに、光も闇もあらゆる双極をも包含した完全無欠なる美しい、且つ尊い国が出来、天下泰平となった。

 

  1. 誰もそんなことは夢想だにしないかもしれないが、天皇陛下は、万国を一つに平定されるシーンがある。

 

  1. ここで古事記の上巻は終了。出口王仁三郎は、古事記の上巻にある事は、大抵ミロク出現前に、総ての事が実現することになっていると述べている。天皇陛下が海外に行宮を設けられるようなことがあるのだろうか。

 

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海幸彦山幸彦-3

2023-01-27 03:53:25 | 無限の見方・無限の可能性

◎潮乾珠、潮満珠、両方揃って伊都能売の魂

 

海幸彦山幸彦のストーリーの続き。

『そこで、この弟の火遠理命が泣いて嘆き、海辺にいた時、塩椎神(しおつちのかみ)が来て、火遠理命に尋ね、「なぜ、虚空津日高(そらつひたか)が泣き嘆いているのか」と言った。火遠理命は答えて、「私は、 兄と釣り針を取り替えて、その釣り針をなくしてしまいました。そして、 兄がその釣り針を返すよう求めるので、たくさんの釣り針で償いましたが、兄はそれを受け取らず、『やはりもとの 釣り針がほしい』と言いました。そ れで、困って泣いているのです」と

言った。

 

すると、塩椎神は、「私が、あなた様のために善い手だてを考えましょう」と言って、たちどころに 隙間のない竹の籠(無間勝間)を作って小舟とし、 その船に火遠理命を乗せて、教えて言うには、 「私がこの船を押し流したら、暫くそのまま行きなさい。よい潮路があるでしょう。すぐにその潮路に乗って行けば、鱗のように並び立った宮殿がある。それが綿津見神の宮です。その神の宮の門に着くと、そばの井戸のほとりに 神聖な桂の木があるでしょう。そうしたら、その木の上にいらっしゃれ ば、その海の神の娘が、あなたを見つけて相談に乗ってくれるでしょ う」と言った。

 

そこで、教えにとおりにやや行ったところ、すべてその言葉どおりであった。それで、その桂の木に登っていらっしゃった。そうして、海の神の娘豊玉毘売の下女が、玉器を持って水を汲もうとした時に、井戸の中に光が見えた。下女が上を仰ぎ見たところ、麗しき青年がいた。下 女は、たいへん不思議なことだと思った。 そして、火遠理命は、その下女を見て、「水が欲しい」と求めた。

下女はすぐに水を汲んで、玉器に入れて差し上げた。これに対し、火遠理命は、その水を飲まずに、御首に掛けた玉飾りをほどいて口に含んでその玉器に吐き入れた。すると、その玉は器にくっついてしまい、下女は玉を離すことができなかった。それで、 玉をつけたまま豊玉毘売命に差し上 げた。

 

さて、豊玉毘売はその玉を見て、下女に尋ねて、「もしやだれか人が門の外にいるのですか」と言った。下女は答えて、「人がいて、私どもの井戸のほとりの桂の木の上にいらっしゃいます。たいへん麗しい青年です。われらが王にもまして、とても高貴な様子です。それで、その人が水を求めたので、水を差し上げたら、その水を飲まずに、この玉を吐き入れたのです。これは離すこと ができません。それで、入ったままにして持って来て差し上げたので す」と言った。

 

そこで、豊玉毘売命は不思議なことだと思い、外に出て火遠理命を見て、たちまちその姿に感じ入り、目配せをして、その父に申すには、「私の家の入り口に立派な人がいます」と言った。そこで、海の神が自ら外に出て、火遠理命を見 て、「この人は、天津日高の御子、虚空津日高だ」と言って、すぐに家の内に連れて入り、海驢の皮の敷物を幾重にも重ねて敷き、またその上に絹の敷物を幾重にも重ねて敷き、その上に座らせて、たくさんの台に載せるための物を用意し、ご馳走して、すぐにその娘の豊玉毘売と結婚させた。そうして、火遠理命は三年になるまでその国に住んだ。

 

さて、火遠理命は、初めにその国にやって来た時の事を思い出して、大きなため息を一つついた。すると、豊玉毘売命がこのため息を聞いて、

父に申していうには、「火遠理命は、この国に住んで三年になりますが、その間いつもは、ため息をつくことなどなかったのに、昨晩は大きなため息をひとつつきました。もしかしたら何かわけがあるのでしょうか」と言った。それで、その父の大神が、婿に尋ねて、「今朝、私の娘の話を聞いたところ、『三年いらっしゃって、いつもは、ため息などついたことがないのに、昨晩は大きなため息をつきました』と言っていました。もしや、何かわけがございましょうか。また、 あなたがこの国に来たのはどういう理由があってのことでしょうか」と言った。これに対し、火遠理命はその大神に、なくなった釣り針の返却を兄が催促した様子そのままに、委細洩 らさず語った。

 

そこで、海の神は、海にいる大小の魚をすべて召し集め、尋ねて、「もしやこの釣り針を取った魚はいるか」と言った。これに対し、諸々の魚は、「最近は、鯛が、『喉に骨が 刺さって、物を食べられない』と嘆いて言っていました。だから、きっとその針を取ったのでしょう」と申 した。

 

そこで、鯛の喉を探ると、釣り針があった。すぐに取り出して洗い清め、火遠理命に差し出した時、綿津見大神が火遠理命に教えるには、 「この釣り針をその兄にお与えになる時に、『この釣り針は、ぼんやりの針・猛り狂う針・貧しい針・役立たずの針』と言って、後ろ手にお与 えなさい。

 

そうして、その兄が高地に田を作ったら、あなたは低地に田を作りなさい。その兄が低地に田を作ったら、あなたは高地に田を作りなさい。そうしたら、私は水を支配しますから、三年の間、きっとその兄の方は収穫がなく貧しくなるでしょう。もしもそうしたことを恨んで戦を仕掛けてきたら、塩盈珠(しおみちのたま)を取り出して溺れさせなさい。そうしても しも嘆いて赦しを求めてきたら、塩乾珠(しおひのたま)を取り出して生かしなさい。このようにして、 困らせ苦しめなさい」と言って、塩盈珠・塩乾珠を合せて二つ授け、すぐにすべてのわにを召し集め、尋ねるには、「今、天津日高の御子、虚空津日高が、上つ国においでなさろうとしている。だれが幾日でお送り申し上げて復命するか」と言った。

 

すると、めいめいがそれぞれの身長に応じて日数を申すなかで、一尋わにが、「私は、一日で送って、すぐに帰ってきましょう」と申した。 そこで、その一尋わにに、「それならば、 お前がお送りして差し上げよ。もしも海原の真中を渡る時には、恐ろしい思いをさせないようにせよ」と仰せられ、すぐにそのわにの背中に火遠理命を乗せて送り出した。』

 

これに対する出口王仁三郎の解説は以下。

 

『さうして竜宮に行つてから、自分の落した釣鉤の事に就て来れる所以を御話しになつた。それから豊玉比売を妃として、三年海外に留学をせられたと云ふ事になる。つまり日本国にメナシカタマの舟が現れて来て、それに乗つて、初めて皇道の光が稍発揮しかけて来た。三年程の間に、皇道の光が発揮しかけて来たのである。丁度今日の時代に適応して居るのであります。

 さうして居る中に、火遠理命は以前の事を思うて、大きな歎きを一つし給うた。即ち昔の事を思うて、斯う云ふ結構な教が我国にある。

『澆季末法の此世には、諸善竜宮に入り給ふ』

と和讃に誌されてある通り、本当に我国には誠の教、本当の大和魂、生粋の教があつたのである。さう云ふ結構な教があつたのを知らずに、三年間居つた。此の真直なる山幸を捨てて、さうして海幸になつて居つたと云ふ事を、初めて悟られて、大に誤つて居つたと云ふ事を、神界に於て歎かれたのであります。ここに大なる歎きをせられたので、綿津見の大神は、豊玉姫命に其の訳を聞かれると是々爾々と云ふ事であつた。そこで綿津見の神は大小の魚共を悉く集めて、鉤の行方を探した。其の魚の中でも名を知られて居る、例へばウイルソンの如く、其の名を世界に知られて居ると云ふやうな魚を名主、此魚の中の一番王様といういふのが鯛であります。その鯛の喉に鉤が詰つて居つた。つまり口では旨い事を云つて居るけれども、何か奥歯に物が詰つた様な、舌に剣がある様な、引つかける所の言葉、釣鉤の様な言葉がある。国際連盟とか、平和とか、民族自決とか、或は色々の事を言つて居りますけれども、釣鉤といふものを口の中に入れて居る。みな言葉で釣つて了ふのであります。正義人道とか、平和とか云つて、戦はしないと言つて居る。其の尻からどんどん軍備を拡張して、己の野心を逞しうせむとしつつあるのであります。所謂此の鯛の喉に、海幸彦の鉤が隠れて居る。其の鉤を発見して之を持ち帰つて来た。つまり鯛の言ふ事は当にはならぬ。総て斯う云ふものを喉に引つかけて居る。斯くして綿津見の神の力に依つて之を発見して、さうして之を貰つて、御帰りになると云ふ事になつたのであります。

 かくて其の兄に、此の鉤を渡す時に、憂鬱針、狼狽針、貧窮針、痴呆針と言つて、手を後に廻して御返しなさいと、綿津見の神が言はれた。兄とは兄の事で、外国思想にかぶれたものである。今日は物質の世であるから、外国が兄である。三つ位の日本の弟と、七つ位の兄と喧嘩すれば、何うしても弟が負けるにきまつて居る。それから此の大きな鯛の、所謂ウイルソンか何か知らぬけれども、其の中の鉤を持つて帰つたといふ事であります。それで世界の平和とか、文明とか言つて居るけれども、これを有難がつて居る連中の気が知れないのであります。

 憂鬱針──今日は所謂憂鬱針に釣られて居るのであります。即ち物質文明と云ふもので、世が乱れて来た。或はマツソンの手下となつて居るといふ有様である。憂鬱病にかかつて、自殺したり、或は鉄道往生をしたり、もう悲観し切つてしまつて、何をしても面白くないと云ふ人間計りであります。

 狼狽鉤──是は非常に狼狽して居るといふ状態で、例へば政治界を見ても、外交上の狼狽、即ち支那問題とか、朝鮮問題とか、其の他思想上の問題一切のものが、皆狼狽をして居る。是が狼狽針であります。

 貧窮針──是は申すまでもなく貧乏の事であります。

 痴呆針──馬鹿を見る事であります。日本人全体には大和魂があるけれども、外国の横文字にはほうけて阿呆になつて居る。横文字も必要ではあるが、それにほうけて自分の懐には何もない。大和魂がないといふのは所謂痴呆針にかかつたといふ事であります。折角竜宮迄行つて、何んな釣鉤を持つて帰つたかといふと、こんなもの計りであつた。

 綿津見神が続けて申されるのには、是等の鉤を兄上に返すには後手に御渡しなさい。さうして若し兄が怒つて高田を作つたならば、汝が命は下田を営り給へ。若し兄が下田を作つたならば、汝が命は高田を営り給へと申されたのは、何でも反対に行けといふ意味であります。つまり外国が若しも笠にかかつて出てきて戦争をしかけたならば、此方は慎んで戦争をせない様にせよ。若し又日本に向つて無理な事を言つて来る、人道に反した事を言つて来るならば、此方は充分に皇道に基いて、正々堂々誠の道に高く止つて、其の手段を取れ。斯ういふ様な事であります。さうして潮満珠と潮乾珠といふ二つの宝を持たされました。若し飽くまで先方が反対して来るならば、潮満珠を御出しになれば、必ず水が湧きでて兄様を溺れさせますし、若しあやまつたならば、潮乾珠の方を出して活かしてやり、活殺自在にたしなめておやりなさい、と申されました。即ち是は仏教で申しますと、如意宝珠の珠といふ事であります。

 此の潮といふ事は、火水相合致したものでありまして、吾々は皆一人々々潮乾珠、潮満珠を持つて居るのであります。之を言霊学上からいひますと、伊都能売の魂といふ事になります。』

(出口王仁三郎全集 第5巻【言霊解】皇典と現代 海幸山幸之段から引用)

 

ポイントは、以下。

  1. 日本国にメナシカタマの舟が現れて究極に至る冥想の道が開きかけた。

 

  1. 海幸は曲がった教え。三年の竜宮留学中に、日本にも山幸というまともな教えがあることに今まで気づかず、そのことを大いに嘆かれた。

 

  1. 魚の王である鯛の口に刺さった鉤は、平和とか、民族自決とか、正義人道とか、LGBTとか、SDGsとか、平和とか、みな有名人や権力者の美々しい言葉で釣って、その裏で着々と軍備を拡張し、軍事的圧力を背景に弱小国から収奪せんとしている姿。海幸彦は、言葉はきれいだが、その実はあてにならないということ。山幸彦は、どうしても見つからなかった鉤を綿津見の神の力を借りて発見することができたのだ。

 

  1. 綿津見の神は、山幸彦に、此の鉤を渡す時に、憂鬱針、狼狽針、貧窮針、痴呆針と言って、手を後に廻してお返しなさいと教えた。これは、山幸彦が海幸彦に鉤を返す時に、海幸彦が不幸になるように呪いをかけたように見えるが、さにあらず。もともとその鉤は憂鬱針、狼狽針、貧窮針、痴呆針という役に立たないものであっただけのこと。

 

  1. 綿津見の神は、さらに『この鉤を兄上に返すには後手に御渡しなさい。そして何事も兄海幸彦の行うのと反対に行いなさい』とは、外国スタイルを行わず、正々堂々誠の道に即した日本のやり方で行いなさいということ。

 

  1. この潮という意味は、火水合致したもので、我々は皆一人々々潮乾珠、潮満珠を持っている。これが、両方揃って伊都能売(完全人、アダムカドモン)の魂であって、天国と地獄をも超えていくものとなる。これが冥想修行の目標の一つとなる。

 

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海幸彦山幸彦-2

2023-01-26 06:48:33 | 無限の見方・無限の可能性

◎恐るべきライフ・スタイルの統一化と日本

 

海幸彦山幸彦と言っても、最近は知らない人も多いかもしれないので、まずはそのストーリー。

 

『火照命(ほでりのみこと/海幸彦)は、海の獲物を獲る男として大きな魚・小さな魚を取り、火遠理命(ほおりのみこと/山幸彦)は、山の獲物をとる男 として毛の粗い獣・毛の柔らかい獣を取っていた。そうして、火遠理命 が兄の火照命に対し、「それぞれ道具を取り替えて使ってみたい」と言 って、三度乞い求めたが、火照命は 許さなかった。しかしながら、最後にやっと取り替えることができた。

 

そこで、火遠理命は、海の獲物を取る道具を使って魚を釣ってみたが、 全く一匹の魚も釣れなかった。また、 取り替えてもらった釣り針を海中になくしてしまった。そこへ、兄の火照命がその釣り針を返してくれと、「山の獲物も、海の 獲物も、やはり自分の道具でなくてはうまくとれない。今はそれぞれの道具を返そうと思う」と言った ところ、弟の火遠理命は答えて、 「あなたの釣り針は、魚を釣った時 に、一匹の魚も釣れずに、とうとう海中になくしてしまいました」と言った。すると、兄はどうしても返せと言って聞かない。

 

それで、弟は腰に帯びた十拳の剣を折り、五百もの釣り針を作って償ったが、兄はそれを受け取らなかった。 弟はまたさらに千の釣り針を作って償ったが、兄は受け取らず、「やはり正真正銘の元の釣り針をもらいたい」と言った。』

 

これに対する出口王仁三郎の解説は以下。

 

『古事記の上巻に、火遠理命が竜宮に御出でになつて、潮満の珠を御持ち帰りになりました、といふことが載つて居ります。今其の大略を現代に合せて、講義を致したいと思ひます。何時も申す通り此の古事記は古今を通じて謬らず、之を中外に施して悖らない、と云ふのでありまして、神代の昔も今日も、亦行く先の世の総ての事も、測知することが出来る様に書かれてあるので、是が天下の名文である所以であります。而して此の古事記の上巻にある事は、大抵ミロク出現前に於て、総ての事が実現する事になつて居ります。前の方は略して、次の項から御話致さうと思ひます。

 

(中略)

 

火照命の経綸は海幸彦で、釣鉤の事であり、火遠理命の経綸は山幸彦で、弓矢であります。矢と云ふものは一直線に、目的に向つて進んで行つて、さうして的にあたるのであります。海幸彦は外国の遣り方で、鉤に餌を付けて美味いものの様に装うて居る。さうすると魚が出て来て、釣鉤があると知らずに呑んで、生命を取られてしまふのである。今日の日本の国民全体が、総て日本の遣り方は古いとか色々の事を言うて、一切の事を軽んじて、さうして外国の鉤に餌が、ぷんぷんとして居るのに、総ての者が心を寄せて居る。然るに之を食べて見るが最後、口を引つかけられて生命を取られて了ふ。一方の矢の方は、己を正しうして後に放つて始めてパンと適る。此方が正しくなければ何うしても的に適らぬのである。餌の方は此方が仰向けになつて寝て居つても引つかかるのであるが、矢の方は中々練習を要する。魂と肉体とが一致せぬことには、山幸は出来ぬのであります。

 

それで山幸彦は日本の御教で、即ち火遠理命は、皇祖皇宗の御遺訓を真直に、正直の道を以て、此の世の中を治めて行くと云ふので、つまり之を諷されたのであります。

 

海幸彦の方は権謀術数の方法を用ひる。旨いものを前に突き出して、さうして其の実質は曲つて居る。旨いものだと見せて、其の頤を引つかけて了ふ。此の海幸と山幸とは、大変違ふのであります。海幸彦の方は鹽沫の凝りて成るてふ外国即ち海の国であります。山幸彦は日本の国の事であります。所が他人の花は美しく見える、又自宅の牡丹餅より隣の糠団子と云うて、自分の商売よりも、人の商売は結構に見えるのであります。であるから、誰でも商売を変へたいと思つて居る。日本人は外国人を結構だと思つて居るし、外国人は日本人を結構だと思つて居る。日本人は外国人を頗る文明の国で良い所ばかりだと思つて居るが、豈図らむや裏の方に行つて見ると、惨憺たる地獄の状態であると云ふ事が分るのであります。

 

それで山幸彦は海幸彦を、一つ試して見たいと思つた。是が所謂和光同塵であつて、向ふの制度を日本に移し、日本の制度を向ふに移さむとされたのであります。丁度今日の日本人一般が、此の釣鉤にかかつて居るのであります。而も此の釣鉤たるや、太公望の様な真直な鉤ではない、皆曲つて居つて、餌がつけてある。然し何うしても日本に之は合はぬから、得る所は一つも無い、のみならず合はぬから、海へ落したと出て居ります。

又海幸彦も山猟には失敗した。矢張り是は外国には適当せぬのであります。国魂に合はぬのであります。それで矢張り元の通りに換へよう、外国は外国の遣り方に、日本は日本の遣り方にする、到底日本の皇祖皇宗の御遺訓を、其のまま外国に移す事は出来ない。又向ふの国のものを、其のまま日本でやる事も出来ぬ。

 

元通りにやると云ふ時に、如何なるはづみか知らぬが、元の鉤は海へ落ちて無い様なことになつた。そこで海幸彦は元の鉤を返して呉れ、と云ふ請求が喧しい。

 

日本の国は外国の文明を羨望したので、明治初年外国文明が入つて来た。さうして日本文明を之と交換したのである。所謂外国は日本の国を指導して、自分の貿易国にしようとか、或は之で引つかけようとか思つたに違ひない。所が既に其の鉤は、海底に沈んで了つた。丁度向ふの教は日本の国に持つて来ると、恰も熱帯の植物を寒帯へ持つて来た様に、到底育つ事が出来ない。此方のものも、向ふには適当せぬと云ふ事になる。

 

さうすると其の賠償として、御佩せる十拳剣を破つて五百鉤を作つて償はうと思つた。日本武士が二本さして居つたのが、帯刀を取られて了ふ。一本差も取られて了ふ。丁度廃刀令を下すの余儀なきに立到つたのである。是が十拳剣を破つて色々の鉤を作られた事で、所謂昔の剣より今の菜刀、斯う云ふ事になつて来た。昔は武士は喰はねど高楊枝と云つて居たが、今は中々さう云ふ事は出来ない。矢張り饑いので、千松の様な事になる。その為に十拳剣をすつかり取つて、向ふの言ふ通りになつて、丸裸丸腰になつて了うた。

 

それでもまだ向ふは得心が行かない。元の鉤を返せ返せと云つて頻に迫る。併し日本の貿易国にしようとか、旨い事を考へて居つた其の鉤は落ちて了つた。さうして却つて此方から、カナダや米国に移民したり、或は英国の植民地に移住するとか云ふ様な事で、鉤の方の国の方へ、日本人がどんどん行つて了ふ。今度は日本人が鉤を使ふやうになつて来た。それが為に、海幸彦は元の鉤を得むとして頻に責めるが、向ふの国は御維新前には何うかして旨い汁を吸ひたいと考へて居つたが、今日となつては、ああして置いては大変だ、吾々は枕を高うして眠る事が出来ぬ。それで一刻も早く何とかして、利権を獲得して了はうと云ふ考えを起して居るのであります。所謂元の釣鉤を望んで居ると云ふやうな事が諷されてあるのであります。それが今日、現実的に実現して居るのであります。』

(出口王仁三郎全集 第5巻【言霊解】皇典と現代 海幸山幸之段から引用)

 

ポイントは以下、

 

1.古事記の上巻にある事は、大抵ミロク出現前に、総ての事が実現することになっている。海幸彦山幸彦もその一つ。

2.海幸彦は、外国即ち海の国。山幸彦は日本の国。

3.日本人一般が、海幸彦の釣鉤に自ら望んでかかってみるが、やがて騙されたことに気づき、一方西洋側も日本のやり方が合わないので、戻そうとする。

これは、明治以来脱亜入欧で西欧の文明や制度をどんどんと導入してきたが、日本の文化伝統にどうしても合わないところがあった。しかしながら日本は戦前に世界の列強と肩を並べ、敗戦後は世界の経済大国となって、西欧の思惑である日本の三流国化という点では、うまくいかなかったので、『貸した鉤を返せ』ということになった。明治期は、廃刀、廃仏毀釈だったが、今は日本人の清よ明けき心から来るところの天皇崇拝、古神道と仏教両立の信仰から来るところの日常生活、習慣、伝統というものを破壊にかかっている。これが全体でみると『鉤を返すために剣をつぶして鉤を1500も作ったが海幸彦は了解しなかった』ということ。

 

西欧文明による東洋の生活スタイルや伝統の破壊の趨勢は圧倒的で、いまやどんな後進国でもスマホを手に持ち、マインド・コントロールされながらの日常生活がほとんど世界均一になっているのは、恐るべきライフ・スタイルの統一化である。その内面は、金優先、メリット・デメリット優先の地獄的様相であるのもこれまた世界共通と言わざるを得ない。

 

個々人がそれぞれの欲望を実現しようとする場合、共通の理念、思惟形式、文化的伝統がないと、大方は戦争になる。「戦争は近い」というのは、このあたりの消息である。

 

山幸彦は、元の鉤を返せと無理難題を吹きかけられて窮したとは、日本は今となっては西欧化をやめれるはずもないので、かえって完全に西欧化せよと迫られて窮したということ。

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出口王仁三郎の生き返り

2023-01-25 17:04:32 | クンダリーニ・ヨーガneo

◎クンダリーニ・ヨーギは六度死ぬ

(2007-03-01)

 

このブログの基本的主張のひとつとして、クンダリーニ・ヨーガの道を選んだ人ならば、死の世界を極めれば、人は絶対に悪いことをしなくなるというものがある。

 

明治から昭和にかけての偉大な古神道家(クンダリーニ・ヨーギ)、出口王仁三郎は、五、六度死の世界に入っていると告白している。そして、生きているうちに死後の世界がわかると何が善で何が悪かわかる(五倫五常)とも言っているので、その主張しているところは同じである。

 

生きながら死の世界に入るという意識の極限状態を経ないと、本当の愛、本当の善などわかるものではないのである。だから宗教教義の教育習得だけで、愛と善に生きることなど決して出来はしないとも言うことができる。

 

『私は五六度死んだことがあるが、生きかへつてから後も二週間くらゐはひどく疲労れたものである。元来生の執着は神様より与へられたものであつて、結構なことである。三十才の生命を神様より与へられてをる人が十五才にして自殺したとすると、十五年の間霊は迷うてゐるのである。

 

しかのみならず霊界へ行けば総てが決まつてしまふから、人は現界にある内に十分働かして貰はねばならぬ。人生の目的は地上に天国をひらくためであるから、魂を汚さんやうにすることが一番大切なことである。刀身がゆがむと元のさやに納まらないごとく、魂が汚れゆがむと元の天国にはをさまらぬ。

 

人間に取つて一番大切なことは何といつても生きてゐるうちに死後の存在を確かめておくことである。死後の世界が分かると五倫五常が自然に行へる。倫常を破るといふことは自分の損になることがハツキリ分かるからである。

 

人間は死後の世界を研究してから仕事をするがよい。私は人生問題になやんであるときは爆弾を抱いて死んでやろうかとさへ思つたことがある。神様の御恵みによつて何もかも知らして頂いて歓喜に満ちた生活に入ることが出来たのであるが、当時の悩み悶へ、苦しみ、幾度か死を考へたことほどそれが痛切であつたのである。』

(水鏡/難き現界/出口王仁三郎から引用)

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吉岡発言

2023-01-25 17:00:21 | 古神道の手振りneo

◎神は(人に)持ちきりにさせない

(2013-01-21)

 

吉岡発言とは昭和20年12月、鳥取県吉岡温泉での出口王仁三郎談話で、重大なエポックとなるものである。

 

『新しい世をひらく

 

自分は支那事変前から第二次世界大戦の終わるまで、囚われの身となり、綾部の本部をはじめ全国四千にのぼった教会を、全部叩き壊されてしまった。しかし信徒は教義を信じつづけて来たので、すでに大本教は、再建せずして再建されている。ただこれまでのような大きな教会は、どこにもたてない考えだ。

 

治安維持法違反は無罪となったが、執行猶予となった不敬罪は実につまらぬことで、「御光は昔も今も変わらぬが、大内山にかかる黒雲」という、浜口内閣時代の暴政をうたったものを持ち出し、「これはお前が天皇になるつもりで、信者を煽動した不敬の歌だ」といい出し、「黒雲とは浜口内閣のことだ」といったが、どうしても通らなかった。

 

自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのため弾圧をうけた。「火の雨が降るぞよ、火の雨が降るぞよ」のお告げも、実際となって日本は敗けた。

 

これからは神道の考え方が変わってくるだろう。国教としての神道がやかましくいわれているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変わりがあるわけはない。ただほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神社を偶像化して、これを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社の祭神が神様でなく、唯の人間を祀っていることが間違いの根本だった。

 

しかし大和民族は、絶対に亡びるものではない。日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加わり、寅年の昭和二十五年までは駄目だ。

 

いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として、尊い使命が含まれている、本当の世界平和は、全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。』

(大阪朝日新聞昭和20年12月30日付)

 

「火の雨が降るぞよ」も、実は型出しに過ぎなかったことは、実は後に明かされている。

 

「官国幣社の祭神が神様でなく唯の人間だったこと」は、いろいろと差し障りがあるせいか、世間できちんと評価されてはいない。私はクンダリーニ・ヨーギではないので、その辺のパワー・バランスのことはよくわからないが、そういう神社が広く国民の崇敬を受けるようなことがあれば、反作用は、ろくなことにならないだろうことは察しがつく。

そういうのは神道だけのことでもないし。

 

何が正しくて何が邪かわからない人ばかりの国を、「神は、(人に)持ちきりにさせない」ということなのだろう。

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聖徳太子未来記と出口王仁三郎-1

2023-01-25 16:56:38 | 時代のおわりneo

◎国を挙げて大祓

(2014-10-05)

 

出口王仁三郎は、あれだけ膨大な文書を残しているわりに聖徳太子への言及は少ない。聖徳太子は聖徳太子で、仏教を日本に入れるために神代文字を廃絶せしめたとか、結局一族皆殺しになったのにはそれ相応の行状があったに違いないとか、ネガティブ・キャンペーンがかまびすしい。

 

私は、中国の禅者南嶽慧思が聖徳太子として日本へ転生してきたという伝説もあり、聖徳太子善玉説である。出口王仁三郎も当然聖徳太子善玉説であり、以下のような出口王仁三郎の文章を見ると、日本国激動の時代に宗教者として出現して、日本の水先案内の大役を務めたという点で、出口王仁三郎と聖徳太子の共通点を感じる

 

この文章は、彼の主著霊界物語全81巻の外に別巻として出された入蒙記の一節である。

出口王仁三郎はこの入蒙で明らかに次代への布石を打とうとしていた。

 

冒頭の「東魚来つて西海を呑む。日西天に没すること三百七十余日、西鳥来りて東魚を喰む。」が聖徳太子未来記の一節で、太平記に表れ、各時代の賢哲がその意味に首をひねってきたもの。日出雄は出口王仁三郎のこと。

 

『第七章 奉天の夕

 

 東魚来つて西海を呑む。日西天に没すること三百七十余日、西鳥来りて東魚を喰む。

 右の言葉は、聖徳太子の当初百王治天の安危を鑒考されて我が日本一州の未来記を書きおかれたのだと称せられ、我国古来聖哲が千古の疑問として此解決に苦みて居たのである。日出雄は右の言葉に対し、我国家の前途に横たはれる或物を認めて、之が対応策を講ぜねばならぬことを深く慮つた。

 

 彼は真澄別と唯二人、二月十三日午前三時二十八分聖地発列車上の人となつた。駅に見送るものは湯浅研三、奥村某の二人のみであつた。いつも彼が旅行には大本の役員信徒数十人或は数百人の送り迎へのあるのを常として居た。然るに此日は唯二人の信徒に送られて行つた事は、此計画の暫時他に漏れむ事を躊躇したからであらう。』

(霊界物語 別巻 入蒙記から)

 

恐らくこの文だけでは、解決の方向性を定めることは難しいが、古事記の以下の部分が関連あるものと思われる。

【古事記仲哀天皇の段には、仲哀天皇が皇后を依代として神託を求めたところ『金銀本位制度の西洋諸国があるが、その国を自分の国にしてしまうべし』と出た。天皇は、その西洋諸国を見てみたが、水没して海しか見えないので、黙ってしばらく何もしないでいた。

 

すると神託の神が怒って『この天下はあなたが統治すべきではないので、一道に向かえ』と命じた。

 

すると武内宿祢が『恐れ多い事です。お琴を弾きなさいませ』と促すと、天皇は、なまなまに琴を弾いていたが、まもなくトランスに入ったのか琴が聞こえなくなった。誰にも知られぬうちに闇の中での天皇崩御となったので、国を挙げて大祓を行い再び神託を求めたところ、『西欧諸国は皇后の腹中の長男が治めることになる。だがそのためには、渡って行く者たちはことごとく神を知っている者たちでなければならない』と。】

 

古事記の時代から西方諸国は金銀以本の国であったことは知られていたと見える。西洋は水で滅ぶとも言われていること。

 

さて一つの見方としては、

太古、仲哀天皇は、西方諸国をその御稜威で、臣服させる実力があった。そこで大神が西方諸国を臣従させよという命令を下したのに、「どうせ最後は海になるような国々を臣従させてもしょうがない」というように考えて、何もしないで放置していた。

 

大神がこのネグレクトを怒り、神事だけはちゃんとやりなさいと命じたので、神事だけはなまなまにやっていたが、気がついたら誰も知らないうちに天皇家は断絶していた。

 

この椿事に国中驚きあわて、『国を挙げて大祓を行った』ところ、天皇家再興のめどがついたが、日本国民はなんだか群船にて西方に大挙渡ることになった。

 

 

さて未来記の「東魚来つて西海を呑む。」は、仲哀天皇は、西方諸国をその御稜威で、臣服させる実力があった時期のこと。

 

「日西天に没すること三百七十余日」は、西方諸国に対して何もしないで放置して神事ばかりやっていた時期のこと。(幕末まで)

 

 

「西鳥来りて東魚を喰む。」とは、西方諸国が日本から金をむしり国力を削ぎ日本を滅ぼすこと。

 

出口王仁三郎は、未来記の解釈は明かしていないが、将来の日本の艱難に対し一石を投じようという意図があったことは見える。

国を挙げて大祓とは、日本が冥想立国、神主主義になれるかどうかということだと思う。

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