◎少なくとも自分自身を幸せにするために冥想を
OSHOバグワンの、パタンジャリのヨーガ・スートラ巻末(Yoga The Alpha and the Omega CHAPTER 10. I AM IN FAVOR OF LOVE)の問答の回答の続き。
ポイントは、以下。
- もしあなたが真実でないなら、今あなたは不幸である。
- 人々は幽霊のように生きているからこそ、彼らは惨めなのだ。
- 注意深い人は、自分が幸せであり続けるように反応し、他の人に不幸を引き起こさないようにしている。あなたが助けることができるなら、他の人を幸せにしよう。それができないなら、少なくとも自分自身を幸せにしよう。
- 自分が幸せになるには、意識を高め、瞑想し、自分が惨めで不幸になるためのすべてのコントロールを手放さなければならない。
※社会全体がお互いが惨めで不幸になるように出来上がっていることは明らかになった。それに気づいた時に、社会の中で、蓄財したり、社会的地位を得たり、名誉を得たりしようとすることは、“天国と地獄の間の往復である生存競争”の無限の繰り返しであって、一時的に幸福になるかもしれないが、結局は不幸への道である。
そこで幸福の道とは、OSHOバグワンは、『意識を高め、瞑想し、自分が惨めで不幸になるためのすべてのコントロールを手放さなければならない。』と説くものの、普通の人は、瞑想し、意識を高めても、一時幸せな気分になるだけだろうと思う人が多いのだろうと思う。
ところがOSHOバグワンは、冥想により、最低でも見神、見仏、できれば神人合一(ニルヴァーナ、カイヴァリヤ)まで行くことを求める。そこだけにしか、真実の永遠不壊の幸福の道はないからである。
つまり、
(1)あなたの不幸には、あなた以外には誰も責任がないという気づき。
(2)社会全体がお互いが惨めで不幸になるように出来上がっていることへの気づき。
(3)“天国と地獄の間の往復である生存競争”の無限の繰り返しを脱却する方法は、冥想により、神仏を知ることしかないと、気づく。
※気づきを、ここでは3例だけ上げたが、気づきの種類も深まりも人によって異なる。気づきから瞑想にすすむ理由は、論理でなく、飛躍している。飛躍しなければ先がないと直観できるかどうか。
(4)メリットを求めない冥想を始める。
(5)冥想の深まりにより、大悟覚醒した正師に出会う。(以後の展開は、水平の道、垂直の道で異なる)
(6)冥想の深まりにより、天国と地獄を越え、悪魔の誘惑をも退ける。
(7)意識の絶対的な極限状況を通過。
(8)冥想により神人合一する。
(9)生還すれば、真人間として自分らしく生きる。