アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

迷いから究極までの段階の数

2024-05-12 03:46:25 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-11-2

◎ケン・ウィルバーのアートマン・プロジェクト

 

ケン・ウィルバーは、アートマン・プロジェクト(P380-388)において、肉体レベル自意識から一円相に相当する究極までの段階を、究極のレベルを持つカバラの10球の生命の木やインドの6身体論と並置している。加えて、究極のレベルを持たないピアジェやエリクソンの意識の発展段階までも並置して見比べることができるようにしている。

つまり、最初はプレローマやウロボロスなる肉体意識ではじまり、ニルヴァーナなる窮極で終わるのだが、全体としての段階は、カバラのように10球の10段階でもよいし、七つの身体でも六つの身体でもよいと段階の区分へのこだわりを捨てさせている。

 

禅の十牛図の段階も十牛図あり、六牛図あり、四牛図があり、「牛かひ草」では、十二牛図なのだが、10段階にこだわっているわけではない。

 

意識の発達は、最初は個我の迷いに始まり、神仏ニルヴァーナの究極で終わりさえすればよいのであって、全体としての段階の数は、あらゆる見方の一つに過ぎない。

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ニーバーナ、アーメン、カミという無用の用

2024-05-12 03:18:04 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-11-3

◎アートマン-3

◎第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-2

◎冥想の効用のない部分-2

◎正体不明の側の方が重要

 

第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性については、何も説明しない場合が多いのだが、OSHOバグワンとダンテス・ダイジだけはかすかに説明している。

 

ダンテス・ダイジの説明の一つが以下。

『無限生命の絶頂を完全な解放を意味するニルヴァーナというサンスクリット語はアトランティス当時の正確な発音ではニーバーナとしたほうが良いであろう。

ニーバーナとは、ニーが無、バーナが有を表し、これはアメンと同じ意味の真言(言霊)であった。

 

 無          有    (タオイズム、禅仏教)

 ニー         バーナ   (主にインド・ウィグル)

 メン         ア     (主に古代エジプト・アトランティス)

 メン         アー    (キリスト教)

 ム          オー    (サンスクリットのマントラ・オーム)

 ウン         ア     (真言密教)

 カ          ミ     (日本古神道)』

(未公刊の断簡「超人ダンテス(又はダンティス)の伝説」/ダンテス・ダイジから引用)

※ウィグル:ダンテス・ダイジは、古代にウィグルという世界帝国が存在したことに言及している。

 

この対称表は、アーメン、オーム、カミという音を二分割しただけというように読むと何も進展しない。あるいは無と有と並列すれば、それはペアかもしれないと思うがそれでは何も起こらない。

各宗派の修行シーンのメジャーな目標は、自分を棄てて神仏に至ることだが、神仏についての説明は、往々にしてこの対称表の右側のことであって、左側は何のことやら正体不明なので、言及はするがなんだか当たらずさわらずの説明がされていることも多い。

この対称表では、左にニルヴァーナ・無のサイドを配置して、ニルヴァーナが有・アートマンより上位であることを示す。左サイドが説明不能、呼び名不明であるにもかかわらず・・・。そこがクリティカル・ポイント。左側をわけがわからないからと言って退けてはならぬ、と未悟の者に示しているのではないか。

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