アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

三峡ダム-メモ

2024-07-20 07:11:33 | 時代のおわりneo

◎長大なダム湖と人智の限界

(2020-07-20)

2020年7月17日、長江にある武漢と重慶の間にある三峡ダムの警戒水位145mに対し、157.11メートルと12メートルオーバーになっている(堤高185m)。(https://www.ntdtv.com/b5/2020/07/18/a102897120.html)

 

同時に流域の恩施や宜昌などコロナ禍の始まった頃、都市封鎖となった都市の洪水の動画が続々とネットで流されている。

 

三峡ダムといえば、ダム周辺のことと思いがちなのだが、三峡ダムの特殊性は、同ダムから上流に600キロまで遡った重慶市の長江水面(http://jp.xinhuanet.com/2019-10/27/c_138506743.htm:写真は175m試験貯水時)までダム湖が広がっていることである。要するに距離で言えば東京から姫路まで同一水面のダム湖が延びているという巨大なダム湖なのだ。

 

今般の長江洪水に際し、三峡ダムの水位が上がり過ぎれば重慶が洪水になるし(もう一部地域はなっている模様)、逆に重慶の洪水を避けるため三峡ダムの放水を増やせば武漢が危ないという報道や解説がある。

 

最初それがどういう意味かわからなかったが、長大なダム湖であることがわかり、初めて合点がいった。

 

三峡ダムは、重慶の水面に合わせたため、高水位ダムと呼ばれる。流域600キロの天候はダム完成以前より湿潤になったのではないか。

 

三峡ダムができたことで、110万人を強制移住させ、三国志の蜀の劉備の逝去地白帝城も湖底に沈んだ。蜀の劉備と呉の陸遜は、三峡全域にわたる白帝城から夷道までを戦場とし、夷陵の戦いを行った。

 

こういうのも神と学との闘いなのだろう。やりすぎはいけない。謙遜、謙譲がないのはいけない。

 

中国は、疫病(コロナ)、イナゴ(雲南省まで到達)、洪水と進みつつある。次は飢饉なのだろう。

 

飢餓は世界的であり、ダンテス・ダイジも日本でもゴルフ場に芋を植える飢餓の時代のあることを予言している。

 

今日も冥想を。

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火と水による滅亡(ティマイオス)

2024-06-17 04:10:35 | 時代のおわりneo

◎高地の破壊、低地の破壊

(2011-07-13)

 

ティマイオスにあるクリティアスの談話。

火と水による人類の滅亡がクリティカルなものであるとし、その他の要因、例えば核戦争みたいなものは破壊が限定的であることを示唆する。

これは出口王仁三郎や仏教の、大三災は風水火、小三災は飢病戦という認識と共通している。

 

そして生き残るものは、火による破壊ならば、河海に近い者、低地の者、水による破壊ならば、高地の者。

現代文明は低地に発達した文明なので、水による破壊の方が被害は甚大である。

 

聖書では大雨が降り続いてノアの大洪水となると描くが、それはむしろレア・ケースであって、津波や地盤沈下による海水面上昇の方が、水による大破壊では多いという見解であると読める。

 

『すると神官のうちでも大そう年とった一人が、こう言ったというのである。

『おお、ソロンよ、ソロンよ、あなた方ギリシア人はいつでも子供だ。ギリシア人に老人というものはいない』と。

 

そこでこれを聞いたソロンが、『それはどういう意味ですか。何のことでしょうか。』と言うと、『あなた方は皆、心が若いのだ。』とその神官は言ったそうだ。『というのは、あなた方は、古い言伝えに基づく昔の説も、時を経て蒼古たる学知も、何一つとして心にとどめてはいないからである。

 

そしてその理由は次のようなところにあるのだ。

人類の滅亡ということは、いろいろの形でこれまでにも多々あったことでもあり、今後もあるだろうが、その最大のものは火と水によって惹き起こされるのであって、ほかにも無数の他の原因によるものもあるが、このほうはさほど大きなものではない。

 

と、このように言うのはじっさい、これはあなた方のところでも語り伝えられているものだが、かつて太陽(ヘリオス)の子パエトンが父の車に馬を繋いだものの、これを父の軌道に従って駆ることができなかったために、地上のものを焼きつくし、自分も雷に撃たれて死んだという、この話は神話の形をとって語られているが、その真実のところは、大地をめぐって天を運行するものの軌道の逸脱と、長期間をおいて間間起こる、大火による地上の事物の滅亡のことにほかならない。

 

そこでこのような場合には、およそ山地だとか高いところや乾いたところに住む者のほうが、河川や海のほとりに住む者に比し、より大きな破壊に見舞われるのである。

 

しかしわれわれにとっては、ナイル河という、他のどんな場合にも救済者となってくれるものがこの時にも解放されて、われわれをこの危難から救ってくれるのである。

 

他方、また神々が洪水を起こして大地を水で浄めるような場合には、山に住む牛飼いや羊飼いが助かるのに引きかえ、あなた方の地方に住む人々は、河流によって海へと押し流されるが、しかしこの土地では、そのような場合も、その他の場合も、上方から平野に水が流れ落ちることはなく、逆に、水はすべて下からあふれてくるというのが自然の構造になっているのだ。』

(プラトン全集12/岩波書店ティマイオスP16-18から引用)

 

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予言が気になる人々

2024-04-01 06:18:57 | 時代のおわりneo

◎立替するはおのが身魂(みたま)ぞ

(2010-11-05)

 

自分とて、大いに予言が気になる人々の一人であり、このブログにもヒトラー予言や、ローマ法王予言で、少なからぬ人が訪問してくる。

そこで出口王仁三郎の予言関連歌。※以下は我がコメントです。

 

『神がみの怒りたまえる世の中は よろずの曲事(まがこと)やむときぞなき』

※冥想やスピリチュアルで自分の利益を求めても良いと説いたり、冥想やスピリチュアルで金儲けしてる人は、神々が怒るだろうよ。

 

『大三災 小三災の頻発も 人のこころの反映なりけり』

※労せずして、あるいは本気で取り組むことなくして、自分の利益を狙う者が多く、そうしたやり方が盛んに宣伝されている今の世なれば、天災も頻発するだろう。

 

『天変地異(わざわい)を指おりかぞえまつ虫の冬の霜先あわれなるかも』

※時々ネットで見かける地震予知ブログなどは、どうかと思います。

 

『予言のみ好きな信者はともすれば妖言過言に脱線するなり』

 

『立替を世人(よびと)のことと勿(な)思いそ 立替するはおのが身魂(みたま)ぞ』

※今日も坐ろう。

 

『手も足も動かさずして みろくの代(よ) はや来(こ)よかし と祈る曲神(まがかみ)』

※これは、通俗アセンションというか、フォトンベルト説のことなどを指すと思う。

 

この異常な気候変動の中に暮らしていれば、誰もが立替が近いと感じるのだろうと思う。

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カルトの時代が過ぎた今

2024-01-17 16:37:40 | 時代のおわりneo

◎自由求道者の群れの60年

(2013-06-14)

 

1960年代、アメリカの大勢のヒッピーが世界を求道のために遊行し、ビートルズが、インドのリシケシまで行ってマハリシ・マヘッシ・ヨギに会って、超越冥想TMの指導を受けたりした。ヒッピーたちは、当時日本の禅刹にも多数押し寄せたという。

1960年代に20代の若者だった者はすでに70代に突入した者も出始め、この老人たちが奇特な求道、冥想の雰囲気を伝え得たか、あるいはちゃんとした覚者を多数輩出しえたかといえば、決してそうではないところに、日本の現在の問題と将来の課題がある。

本山博のいうように人は物を沢山持てば、自意識が確立しやすいものだ。第二次世界大戦でアメリカは自国をほとんど戦場とすることなく、戦勝国側となって、戦後復興経済の主力となったので、1950年代は物質的にとても豊かな生活を国民の大多数が享受できたのではないだろうか。日本では食料配給の時代だったが、1950年代のアメリカ映画にはアメリカの中流家庭がよく出て来るが、テレビ、大型冷蔵庫、洗濯機など、普通に持っていたものだ。

そうして自意識が確立に向かうと、人は求道することに向かうもので、若者のかなりの部分が共産主義ユートピア教という偽宗教(イデオロギー)にだまされ、1991年のソ連崩壊まで、その幻想は破られることはなかった。

それ以外のやや少数者がインド、日本などに回り、クリヤ・ヨーガや禅などに向かうこととなった。そうした内向的若者達のニーズにマッチして出てきたのがOSHOバグワンであった。

OSHOバグワンの書籍は、70年代の日本でも当時相当読まれた。西荻窪のプラサード書店なんかは、バグワン・フリークのメッカの一つだったように記憶している。

けれどもOSHOバグワンのムーブメントは、アメリカ官憲に追われたことで、尻すぼみに向かった。1986年には、ニュー・エイジのリーダーの一人クリシュナムルティが亡くなり、1990年代初めまでには、ダンテス・ダイジ、OSHOバグワンという大物覚者が逝去し、大物覚者たるリーダー不在の20年に入った。

この20年はカルトが猖獗を窮めた。もちろん1990年以前にも1978年の人民寺院などカルト事件はあったのだが、1993年にブランチ・ディビディアンの事件、1995年のオウム真理教事件をもってカルトが猛威を振るった時代のピークとなった。

カルトはこれ以後、コミューンというスタイルをとらず、以後カルトの様々な勧誘手口が、ネットワークビジネス(ねずみ講、マルチ商法)や詐欺的金儲けに応用されて世の中を混乱させることになって、現在に至る。

この二十数年、まじめな求道者にとっては、グルの絶対数が不足しているということは大きな問題だった。いやむしろまじめな求道者の絶対数がさほど多くはなかったという状況だったのかもしれない。

3.11東日本大震災、福島原発事故を経て、ようやく日本人はこの異形の文明の正体に気がつき始めている。人は本当の自分に出会わなければ、何もまともなことなどできやしないのだ。

メソッドとモチベーションそしてグルとの出会いがなければ、悟りに至ることは難しい。

しかし杜子春ではないけれど、本当に願えばグルはやって来ようというものだ。

 

※2024年1月17日追記

ソ連崩壊後、表面の美辞麗句とは裏腹に左翼的考え方を持った人々が政界やマスコミを実質的に支配し、世界中ができそこないの共産主義的ユートピアみたいになっているが、これを醜悪と感じている人は実は少なくないのではないか。

極まれば反転するが、極まり方も反転の仕方も問題である。

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日本のソフト・ランディングと金

2024-01-15 20:34:09 | 時代のおわりneo

◎OSHOバグワン来日せず

(2012-02-22)

 

日本は良くなり過ぎたという自覚なく、滅亡を待って居るのかもしれないとは、禅僧嶋野栄道氏の見方であった。

 

OSHOバグワンは、その日本の物質的豊かさと日本人の精神の卑しさを毛嫌いして、ついに日本に来日することはなかった。このねたみ、そねみに満ち満ちた日本に。

日本の物質的豊かさは、ねたみ、そねみを増長させることはあっても、人間の本源的豊かさに向かわせることはなかったというべきだろう。東北関東大震災は、残された我々にとっては、まさにウォーニング・ランプ。

気がつけば、公務員の平均所得は民間人の倍になり、貧窮にあえぐ民間人が消費税や社会保険料引き上げに黙って耐えて、豊かな公務員の生活を支えている。これぞ役人栄えて国家滅びんとするの図である。

かつてさる覚者が、日本人は自分の給料・所得を半分にできるかどうかが、日本がソフト・ランディングできるかどうかの試金石となると言ったが、本当に試金石になろうとしている。民間人の所得は年々減少しているが、役人の所得は減っておらず、このままでは民間の3倍になる日も近いだろう。日本の将来は、まずは役人がその豊かな生活を捨てられるかどうかにかかっているということなのだろうと思う。

このまま進めば、出口王仁三郎のいう「日本人は2%しか残らない」という未来が待っているのだろう。しかし、自分の懐を痛めずに生き延びようという手合いばかりでは、最悪のシナリオは近いかもしれない。(ノストラダムスが1999年と予見していたカタストロフィーは13年目の延長に入っているし・・・・)

悟りを求める修行の場で、飽食してたっぷり寝て快適な住環境で娯楽も適当にあってというような場所はない。

日本というもともと豊かな国土を、何人の悟った人間を出せるかという実験的修行場であると考えれば、コンビニやスーパーで毎日大量の食品を捨て、ほとんどの人が毎年別のモードの衣服を買い替え、24時間快適な温度の住まいに住む生活までは必要ないのではないか。

日本を冥想修行の実験場と見れば、神は日本人は今の半分の収入で充分、生活水準も今の半分で充分とみているのではないか。

OSHOバグワンをはじめ、アセンションを説く人々は、もらう金が多かろうが少なかろうが問題にはしない。覚者であれば決してそんなことは問題にはしないものだ。だからこんな視点での未来予測はほとんど出て来ない。「金でつぶれる世の中」とは日月神示でもいうらしいが、それは何も石屋の仕組みの国際金融マフィアだけのせいではない。冥想修行に必要である以上の生活と収入を求めて飽かない巷のほとんどの日本人のせいでもあるのだ。

財産の半分を置いてけ、さもないと・・・・・と迫られていることに気が付いていない日本人たち。

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呂祖消刧真言

2023-11-11 12:14:27 | 時代のおわりneo

◎錬金術を得てこれを峻拒した好漢の予言

(2012-10-07)

 

呂祖は呂洞賓。呂洞賓は唐代の道者であって、タオの窮極を窮めた数少ない漢の一人で、共産革命前は、中国の津々浦々にその祠である呂祖廟があったという。ダンテス・ダイジも彼の実力を高く評価している。

呂洞賓の凄いところは、世界を救うのに役に立つからと言われて、草木を変じて金に変成する錬金術の免許皆伝を受けた時に、「その効果は三千年で、三千年後にはもとの草木に戻る」との説明を受けて、即座に「三千年後の人々を嘆かせるわけにはいかない」と言って、錬金術を捨てたことである。

一銭一円の目先のわがメリットに血眼になる人々には、このエピソードは教訓とは映らないだろう。

呂祖消刧真言なるものを初めて読んだが、この世を12万年余のタームで見ているのと、時代を超えた現象そのものの消長の法則で、大災害小災害が繰り返し発生することを説明しているのであるが、その格調は極めて高い。呂祖消刧真言は、1932年四川省重慶でフーチー壇に降臨した呂洞賓のメッセージである。

曰く一元は12万年余り、これを12分割して12会とし、1会は1万年余り。1会に干支をそれぞれ充てるが、今は未で、混沌の関鍵(ターニング・ポイント)である。天運には盛衰があり、盛りの時があれば、衰える時が必ずある。人間にも必ず生も衰も死もある。同様に世運にも衰乱あれば興隆がある。衰乱窮まる時期に大災厄(刧)が発生するものだ。それは循環につきものであって避けることはできない。

こうした循環には、5百年タームのものから、千年タームのもの、万年タームのものがあるが、タームが長ければそれに対応した災厄も大規模なものになる。こんどの災厄(刧)は既に始まっているのだが、6万年タームに対応した災厄であって、世界最大の災厄である。

このこんどの災厄(刧)は巨大なだけに、短時間では終了しない。1932年はこの災厄の発端の時期であり、これが極点に達すれば小混沌となる。

一般には、天災でもって事前に警報を発し、後に人災が起こるもの。中国では天災の重いものを水害、旱害とし、人災の甚だしいのを革命の刧、赤化の刧、掃滅の刧とする。革命の刧とは、戦争や文化の革命であり、それが終わらないうちに赤化の刧が発生する。赤化の刧とは、共産革命であり、それが終わらないうちに掃滅の刧が発生する。掃滅の刧とは、外国を巻き込み、数年にして必ずや世界大戦となり、小混沌の極みにまで達すること。文字通り掃滅である。

そして、小混沌とは全世界が小混沌となり、一地域限定ではなく、土地があって人がいるところは等しく混沌となる。

これを経過して後開闢となる。

この混沌を治めるのは自分の生き方であり、それは一なる道に統一された生き方である。道は、天から来るのでもなく、地から湧くのでもなく、人によって存する。

とまあこんな感じ。

 

東日本大震災は警報であって、これから巨大人災(飢、病、戦)が起こるということだろう。

赤化の刧とはよく言ったもので、呂洞賓は共産主義政権であるうちは災厄の最中であると見ていること、そして赤い盾の人たちが主導していることをも見ているわけである。

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2020年オリンピックの東京開催決定

2023-09-08 16:47:13 | 時代のおわりneo

◎九月八日のこの仕組み

(2013-09-08)

 

2013年9月8日、2020年のオリンピックの東京開催が決戦投票の末、決定された。

神秘学に興味のある人なら、9月8日がどのような日であるか知っているだろう。

 

さて前々回の東京オリンピックは、1936年に3市(東京、ローマおよびヘルシンキ)の争いの末、1940年(昭和15年)のオリンピックを東京開催とすることが決定されたが、結局戦争のため、日本は開催辞退を余儀なくされた。

 

1964年の東京オリンピックは2回目だった。東京五輪開催期間中の1964年10月16日、中国は初めての核実験を行い東京の各国選手に放射能を浴びせたりしたこともあった。今回も中国のやっかみあるだろうね。

 

出口王仁三郎は、九月八日のこの仕組みとは、世の立替立直しのことと説明している。この日は、霊界物語を起草し始めた日であり、霊界物語のことであるとする。霊界物語とは誠の神を打ち出すことであり、特に霊界物語の次の部分に密意ありとする。

 

第16巻第六章 石槍の雨

 この章は鉄の槍による戦役であり、ミサイルによる熱核戦争と、クンダリーニ・ヨーガによる放射線障害治療のことだろう。

 

第26巻第二章 真心の花(一)

 みろく神政成就の基礎確立し、五種の神宝=天火水地結の竜宮の麻邇の玉の安着を言祝ぐ場面。

 

第26巻第六章 大神宣

素盞嗚尊の神歌と国武彦命の神歌。どんなに時代が乱れていようとも、みろく神政の成就に邁進せよとの主旨。

 

以下の素盞嗚尊の神歌の最終部分にその意が尽くされている。

「朝日は照るとも曇るとも  月は盈(み)つとも虧(か)くるとも

 仮令(たとえ)大地は沈むとも   厳(いず)と瑞(みず)との此仕組

 千代も八千代も永久(とこしえ)に  変らざらまし天地の

 初発(なりで)し時ゆ定まりし  万古不易の真理なり

 万古不易の真理なり  此世を造りし神直日(かむなおひ)

 心も広き大直日    只何事も神直日

 大直日にと見直して  天地百(あめつちもも)の神人(かみびと)を

 救はむ為の我(あ)が聖苦(なやみ)  思ひは同じ国治立の

 神の尊の御心     深くも察し奉る

 深くも感謝し奉る」

 

 

これまでの九月八日は、流石にビッグイベントが並ぶ。

 

慶応四年(1868年)九月八日、明治と改元

昭和26年(1951年)九月八日、サンフランシスコ講和条約 調印(事実上の日本独立)

 

2020東京五輪は、悠仁様のご誕生と同類の、日本人に与えられた、元の予定にはなかったモラトリアムのような気がする。

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就活で使える人物を見る方法

2023-08-27 06:29:28 | 時代のおわりneo

◎悪党小人相手の技術

(2008-12-20)

 

呂氏春秋には、六験の他に八観という人の鑑定法もある。

 

1.貴ければ、その進むるところを観る

  地位や身分が上がった時に、どういう人物を推挙してくるか、どういう人物を尊敬しているかを観る。全体的な人間観、人生観がわかる。

 

2.富めば、その養うところを観る

  金ができれば、ペットや女や子分を養うものだが、それを観る。その組織が将来栄えるかどうかはこれでわかる。

 

3.聴けば、その行うところを観る

  善なることを聞いたら、実際にそれを実行するかどうかをみる。何か適当な理由をつけて善いこととわかっていてもやらない人は多い。善事を為すには、根底に有る志があるものだと最近つくづく思うようになった。

言うは易く行うは難し。

 

4習えば、その言うところを観る

  習熟すれば、人はそれについて語るもの。その話を聞けば、どういう考え方の組み立てをしているかわかるもので、その人物の軽重、広狭、善悪、清濁を測ることができる。

 

5.止(いた)れば、その好むところを観る

 仕事が板について、一人前になってくれば、何を好むようになるかで、人間の幅や志向がわかるもの。立派な奴なのか、つまらない奴なのか。誠実な女なのか、いい加減な女なのか。

 

6.窮すれば、その受けざるところを観る

  人は貧窮に陥れば、金のため、食うためには、なんでも受けてやってしまいがちなもの。そうした中で、最後の一線である何を受けないかを見る。人間の尊厳を試す見方であり、冷酷なしうちだと思う。

人が人をそこまで見抜く必要があるとするところに中国の風土の過酷さを感じざるを得ない。

 

7.賤なれば、その為さざるところを観る

  人は落ちぶれると、恥知らずなことでも何でもやるようになりがちである。そこで、最後の人間としての誇りがどこにあるかを観ようとするもの。

 

就職活動ではこんな場面はないだろうが、人生場裡には、心の準備ができないまま、こんなシーンに出くわしてしまって、観られる人がいる。

 

8.通ずれば、その礼するところを観る

 とんとん拍子に出世していけば、何を大切にするかを観る。それは金だったり、女だったり、威張り散らして権力を誇示することだったり、勲章をもらうことだったりする。

 

さすが中国儒教3千年の歴史であって、このような小技にはノウハウの重篤な蓄積を感じさせられる。

 

しかし共産中国に至っても、毛沢東ですら「政治の秘訣は、悪党小人をいかに支配し操縦することだ」と言わざるを得なかった。つまり、それほどに中国の民衆は食えない者ぞろいであるがために、こんな人物の見方を持ってこなければならなかったのである。

 

昨今の日本の大衆も、だんだんそうなりつつあるところがあるのは、皆様お気づきのとおり。儒教でいう利、最近でいえば自分のメリット、自分の権利ばかりかざす社会だと、中国的なせちがらい社会になりがち。

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就活に役立つ人物を見る方法

2023-08-27 06:23:39 | 時代のおわりneo

◎人を見る目の拠って立つところ

(2008-12-19)

 

採用では、今も昔も人物を見るのが基本で、それは変わらないところがある。

呂氏春秋にある六験では、

1.之を喜ばしめて以てその守るを験す

  人を喜ばせて、会社の立場など、人として守るべきところを守れるかどうかを見る。

2.之を楽しましめて以てその僻(へき)を験す

  人を楽しませてそのかたよった好みを見る。楽しんでいい気分になると人はその好みを見せるもの。変な嗜好はそんな時に明らかなる。

3.之を怒らしめて以てその節を験す

  人を怒らせて、感情を爆発させて、どの程度抑えるべきところを抑えられるかを見る。かっかとして我を忘れるようではだめ。

これは面接の時にいやみをちょっと言う手で、よく使われるもの。

4.之を懼れしめて以てその特(独)を験す

  人は恐れると、びくびくして何かにすがりたくなる気分に陥るもの。窮地にあっても、どの程度しっかり独立した行動ができるかどうかを見る。

5.之を哀しましめて以てその人を験す

  人は悲しい目にあうと、その人のすべてが現れるもの。正面からその悲しみを受け入れられる人、他人のせいにする人、酒などに溺れる人、さまざまとなる。

6.之を苦しましめて以てその志を験す

 就活の面接ごときでは、苦しむ場面はないだろうが、艱難辛苦の場面でこそ、その意志力の堅固であるところが試される。組織の成員にとってはとても貴重なファクターである。

(参考:人物を修める/安岡正篤/竹井出版)

 

私も昔は、人相や手相も含め、こういうのに非常に関心を持っていた時期があったが、所詮こうしたものは、小手先の技術、枝葉末節ではある。幹たる部分がしっかりしていないとどんな悪事もやる。組織に役に立つ人間であるかどうかと、人間としてまともかどうかは全く別の問題であることは、昨今のいろいろな痴漢や万引などの軽犯罪事例が示している。

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また3月がやってくる

2023-08-14 20:08:30 | 時代のおわりneo

◎黄昏の感じ

(2012-02-28)

 

また3月がやってくる。私は予知能力も霊能力もないので、この世の終わりをありありとビジョンで見るなんてことはできない。でも覚醒した人がちょっと将来を覗くことがあって、そのあまりの悲惨さに驚くなんてことはあるらしい。

 

しかし、そんな特殊能力がなくてもこの世の立替について、過去予言者によって語られた断片をつなぎ合わせれば、どうなるかということは大体想像がつくのではないか。

 

曰く、日本の立替は、始まったら半年で終了。

曰く、立替の始まりは、3、4月または8、9月。

曰く、生存確率は、2%切るかもしれない。

曰く、立替立直しの後は、現代文明の利器はほとんど残らない。(そうでないと新文明なんてのはないってのは理屈に合う)

曰く、火の雨が降る。

曰く、東洋は火で滅び、西洋は水で滅ぶ

曰く、こうした天変地異の前にさる勢力が世界を統一する。

曰く、立替立直しは日本が先行する。

 

 

意外にも立替シリーズのプロローグは大地震と大津波で始まったが、1年たってもそれぞれの生き方を改めること、悟りに向かって冥想しようなどという動きが主流にはなっていない。

 

逆にまた大地震大津波がくるかもしれないので、非常食、非常用品、避難場所、避難経路など非常時のサバイバル対策に余念がない。その生き方を変えていないので、またディザスターは起きるから、その対症療法をということが主流である。

 

天変地異の発生は、地球物理の確率の問題ではなく、その時の民心の動向による。地獄的な想念の人が大半であれば、いつかその地獄がこの世に現出するのを天変地異と言う。そうした心の病原を断たなければ、日本は、改心、悔悟しきるまで、何度もそうした天変地異に襲われるだろう。

 

病原を断つとは、日々悟りに向かって坐ることである。

 

人はこうしたものをネガティブ予言というけれど、ネガティブな将来が来るような現在の生き方をしているのは誰か他の人なのだろうか。ネガティブ予言は下層霊界=地獄をビジョンで見た人が、ネガティブ予言だという説もあるにしろ。

 

しかし、功利、自分のメリット、金、生活レベルを落とさないことばかり重要と考えて毎日生活していけば、自分の身を捨てて他人に尽くすなんて発想は出てくるはずもなく、こうして不毛な地獄的想念の人間ばかりになったのが今の日本なのではないか。

 

東北関東大地震の被災者のことを単に運の悪い人と見て、自分も運が悪ければそんな天災に遭遇するかもしれないというところで、洞察が止まっているのではないだろうか。

 

そして大量死。

 

OSHOバグワンの「神秘の次元(P223)」によれば、死の影は死に先立つ6か月前から兆すという。この6か月が死に先行する黄昏である。人は、この6か月間、一日中黄昏の感じが消えずにいる。通常ならば1日のうちで睡眠前の1時間しか発生しない黄昏の感じが最後の6か月は日中の常態となるという。

 

大量死の6か月前には、そうした気分が世の中全体に満ちるだろう。「時間がない」って感じの人も。その雰囲気を感じた時、予知能力のない私は、ホンチャンの立替立直しが近いことを知る。

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大量生産の時代の終焉

2023-08-13 07:11:58 | 時代のおわりneo

◎日本は良くなりすぎた

(2016-03-16)

 

出口王仁三郎は、大量生産の時代の終わりを予見している。

物に仮託して精神的な価値を求める時代は終わるということ。要するにブランド品を金で手に入れていささかの満足を得る時代は過ぎ去ろうとしているということ。

食事も、今でこそコンビニで腐らないご飯や硬くならないパンなどを売っているが、つい2、30年前までは、食事は作ったらすぐ食べるのが基本で、干しもち、かれいい、ほしいいなどの保存食はあったが、決して日常食ではなかった。

 

「次の時代は寂しくなる」と出口王仁三郎は歎ずるが、その主因は人口の大減少にある。

中国地方に10万都市一つ、関西地方に10万都市一つみたいになるのでは、そもそも大量生産設備、部材原材料の調達と製品の配送のロジスティックスはペイしないから、大量生産はその人口規模では成立しないだろう。また工場のための人員も集まるまい。

日本の人口は、マイナスに転じた。日本は良くなりすぎたと思うのは、心ある日本人だけでなく、訪日外国人もそう思っているかもね。よかれあしかれ、そういう日本にも末路がある。

 

ああ七福神の楽遊び。

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艮の金神とは何か

2023-07-19 20:30:49 | 時代のおわりneo

◎艮の金神が艮(とどめ)をさす

(2013-02-10)

 

この世は三つの神系で成り立っており、強い者勝ちの大自在天系、我良しの盤古大神系、そして、霊主体従(ひのもと)の国治立尊系である。この三神系がくんずほぐれつしてこの世のドラマを演出してきたが、出口ナオの最初のお筆先が「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。」であって、これより既に国治立尊系がメジャーになったことが宣言された。

国治立尊系は、常に女神とペア(豊国姫尊)なのだが、国治立尊の後継者が、艮の金神(ペアは坤の金神)である。艮の金神のそのまた後継者が、かの野立彦命(ペアは野立姫命)となる。(霊界物語三神系時代別活動表を見てね(霊界物語資料篇についてます))

これは神系の話であって、この世のことではないが、21世紀の日本で「艮の金神」と言ってもあまりにレトロ過ぎて、リアクションがとれないが、正義の味方系のことと理解して間違いないだろう。

艮の金神は地球ロゴスの主宰者であり、日本は艮の金神様のご神体だから埋め立て地は元に戻され、日本は日本人の手で立替はできないので、外国(露中?)の手で立替を行い、艮の金神が艮(とどめ)をさす。

 

2月にロシア(露国)が侵攻してくる、尾張半田ラインで分断するなどのことも新月の光に書いてある。1945年の終戦直前にソ連が侵攻してきたのは8月。出口王仁三郎が2月と言っているからには2月。

 

それはそれとして、日々の善行と冥想を。

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OSHOバグワンの96台のロールスロイス

2023-07-15 11:06:12 | 時代のおわりneo

◎弟子も世間も嫉妬で一杯

(2013-07-02)

 

OSHOバグワンがオレゴンのコミューンで所有していた96台のロールスロイスは彼の金満の象徴として、また偽宗教家の証拠として、しばしば批判の的にさらされる。

しかし考えてもみよ。覚者が貧乏人で生活に困っていた場合、あるいはファッションがイマイチだった場合、そのことを理由に、その聖者が偽物だと思い込む人のなんと多いことか。

OSHOバグワンの96台のロールスロイスは、そうした俗人の卑しい心情を刺激するという点では、同根である。

 

以下は彼の側近の著述。

『多くの人にとって、この九十六台のロールスロイスが、彼らと和尚とを隔てる壁になりました。彼らにはその先にあるものが見えなかったのです。

スーフィーの師(マスター)は、自分のしていることに気づかれたり、探求者ではない人々と無駄に時間を過ごすようなはめに陥らないよう、自分の姿を偽るものだと言われています。

「九十六台のロールスロイスが必要な理由などまったくない。九十六台のロールスロイスを同時に使うわけにはいかない。それに同じ型の同じ車だ。

だが私には、はっきりさせたいことがあった―――― あなたがたは、一台のロールスロイスを手に入れるためだったら、真実への、愛への、そして精神性への欲求をすべて喜んで放棄するということだ。

あなたがたが嫉妬を感じるような状況を、私は意図的に創造したのだ。

師(マスター)の役目とはとても奇妙なものだ。あなたがたが自分の意識の中身を理解するのを助けなければならない。それは嫉妬でいっぱいだ。[・・・・・]

車は役目を果たしてくれた。アメリカ全体に、あらゆる超大金持ちのあいだに、嫉妬をかきたててくれた。

彼らに充分な知性があったなら、私の敵になるよりはむしろ、私のところに来て自分の嫉妬を落とす方法を見つけようとしていただろう。嫉妬こそが彼らの問題なのだから。嫉妬はあなたを焼く炎、ひどい火傷を負わせる炎だ」

「Beyond Psychology」

 

「私が人生で行ったすべてのことには、ひとつの目的がある。

それらはあなたがいまだに気づかぬなにかを、あなたの内面から引きだすための方便だ」――和尚』

(和尚と過ごしたダイヤモンドの日々/マ・プレム・シュンニョ/和尚エンタープライズジャパンP165-166から引用)

 

人に出会ってファッションや面貌やアクセサリーを真っ先に気にするという心性は、それだけで実はアウトなのだ。

魏伯陽も同じようなことをやっている。

 

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西郷隆盛の写真が残っていないこと

2023-06-26 10:55:21 | 時代のおわりneo

◎真相を暴露しない

(2016-04-30)

 

西郷隆盛の写真が残っていないことは、幕末ミステリーの一つとして数えられることもある。でもそれは、おそらくミステリーでも何でもないかもしれない。

西郷隆盛は、沖永良部島への島流しの時代にフィラリア症(象皮病)にかかった。

西郷隆盛は晩年は陰嚢が人の頭大に腫れ上がっていた。西南戦争に敗れ鹿児島城山で自刃したが、首のない屍体検視にあたり陰嚢水腫の存在から西郷隆盛本人と判定された。(愚直の一念/尾辻義人/斯文堂、空飛ぶ寄生虫/藤田紘一郎P53-55)

こういう人が写真を撮られたくないのは当たりまえ。マスコミや世間は何でも暴露したがる傾向があるが、暴露しない方が本人のため、世間のためになることはある。

 

昔NHKの大河ドラマで、西田敏行が健常者として西郷隆盛を演じていたが、あれも西郷のイメージ形成に影響を与えたことはあると思う。

それにしても世に稀な一等星に当たる人物に、神はこのような苦難を与えるものなのですね。

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明治政府と西郷隆盛

2023-06-25 18:56:41 | 時代のおわりneo

◎米欧回覧の再評価

(2011-11-23)

 

天皇陛下ご不例にあらせられる時ではあるが、「天皇の暗号/大野芳/学研」を読んだ。

この本は、幕末以来巷間にささやかれる天皇陛下周辺の異説を独自に取材して、裏付けをとろうとした試みの一つである。

明治初期の出来事で腑に落ちない事件はいくつかあるが、その一つが西郷隆盛が下野した理由である。歴史の教科書では、征韓論をめぐる対立で、西郷隆盛が下野したことになっている(武力征伐を主張した板垣らに対して、西郷が全権大使となって韓国派遣を進めたが、実現しなかった云々)。

この本では、西郷の下野について次のような推理をしている。

西郷は、福羽美静らの『纂輯御系図』を公表することで、天子の正統であることを明確にしたいという目論みがあったのに対し、大久保利通らは、そうすることで薩長同盟から今日に至るまでの偽勅、密勅などの欺瞞の経緯が白日のもとに晒されるのを嫌った。ましてこの時期、木戸、岩倉は米欧回覧で、国外にいる。・・・・この紛糾が決定的になったので、西郷は官職を辞して薩摩に帰った。

米欧回覧とは、木戸、岩倉、大久保らが、明治4年12月から1年9か月にわたり米欧を遊覧したもので、なぜか大久保だけが明治6年5月に帰国し、西郷にも会わぬまま箱根から京阪に姿をくらまし、木戸は同年7月に帰国、岩倉は9月に帰国。

そして、西郷は明治6年10月24日に辞職。翌25日、板垣退助、江藤新平、副島種臣も辞官、下野。更にこの3日の間に佐官級将校の辞職は46名に及んだという。

これ以後西南戦争に続いていくのだが、この流れを見れば、米欧回覧と西郷下野が連動していると見るのは自然であろう。

更に著者大野芳氏は、明治政府要人の米欧回覧は後世に言われるような西欧国家見学というようなものではなく、日本国内の不満分子からの反撃・復讐を避けるべく、ほとぼりが冷めるまでの海外高飛びではなかったかという卓見を披歴している。

 

明治政府は廃藩置県をやったが、これで幕藩体制の武士は一斉に失職したので、今日のギリシアならずとも、全国的なゼネストやら全国規模の反乱が起きなかったのは不思議ともいえる。その雰囲気の中で明治政府首脳が1年9か月海外に高飛びというのは、まんざらハズレでもないように思える。次の西郷隆盛の言はそれを裏打ちするかのようである。

米欧回覧使節団の横浜出港にさいし、西郷隆盛は、「嗟(ああ)、あの大使一行の乗船が万一太平洋の真中で覆没したらんには、それは却って国家の仕合せならん」と語った。

明治政府の中で、より欧米寄りだった人物が米欧回覧に出て行ったのだろう。

 

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