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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

トリックスターがやってきた

2025-05-01 07:24:26 | 時代のおわりneo
◎半ば面白半分、半ば悪意で大事件を起こす
(2017-01-08)

今をときめくトリックスターがやってきた。その名はトランプである。娘も娘婿もユダヤ教なのでユダヤ色が強いと言われるが、それだけではない。トリック・スターとは、その時代の社会通念に照らして絶対にやってはいけないことをやってしまうのがトリックスターでもある。

スサノオノミコトは高天原秩序を乱しに乱し地上を真っ暗闇にし、北欧神話のロキは、殺してはいけない美しき神バルドルを殺す引き金を引いた。その他にディオニュソス、サテュルヌス、ヘルメス、東方朔などがある。

C.G.ユングの元型論に出てくるトリックスターの説明では、その性質として、半ば面白半分、半ば悪意がある狡猾ないたずらをする癖があり、変身の能力を持ち(他人や他の動物になりすます)、獣神的な二面性をも持ち、様々な拷問にさらされるが、最後には救い主の姿に近づく。ユングは、これの典型例が錬金術のメルクリウスだと言う。

トリックスターに共通して見られるのが、無目的な破壊とその結果に伴う苦しみだが、その過程で、トリックスター自身が救世主化していく。

トリックスターは常識的社会人にとっては余計な存在だが、神話などでこうした者が世界的に、広汎に登場してくるのはなぜか。それは、トリックスターは人間でいえばクンダリーニだからである。

クンダリーニの蛇は人間の生きる根源的なエネルギーであり、生命の燃え盛る姿であり、社会秩序は日常ではこうしたものを隠したりタブーとして見せないようにしているが、過去においては為政者は年に一回程度祭り(ハロウィン、ワルプルギスなどわいせつでやや破壊的暴力的な祭り)として、そのエネルギーをガス抜きする術を心得ていた。

共産主義社会、全体主義社会ではこうしたガス抜きはほとんど見られず、日本やアメリカのような高度な管理社会でもその鬱積する内的エネルギーを社会全体で圧力低下させようとするイヴェントはない。

その結果、日米欧の西洋近代文明国家では、セックス周辺に異常に関心が高まったり、性倒錯者が跋扈したり、薬物・ギャンブルへの依存者が増えたり、うつ病者が蔓延したりと精神のバランスを崩す人間が増えている。

さて古代神話中のトリックスター達は、その悪ふざけは、社会全体を変革することになってしまった。トランプは、救世主になるほどの心映えがあるとは思わないが、トリックスターが米国大統領として登場するというのは、そういうことが起こるというサインである。

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アメリカのゴールド・ラッシュの頃

2025-05-01 07:18:53 | 時代のおわりneo
◎人は金のためなら何でもした
(2017-02-08)


アメリカンフットボールのスーパーボールは、2月5日、AFC王者ペイトリオッツが史上初の延長戦でNFC王者ファルコンズに34-28で大逆転勝ちを収めた。


アメリカンフットボールには、別にSan Francisco 49ersという名門もあるが、この名前はゴールド・ラッシュにちなんだもの。


1849年にカリフォルニアの金鉱発見によるゴールド・ラッシュのにわか景気が起こり、金を目指して西へ西へと一攫千金を夢見る人々が大量に移動した。こうした人々をフォーティ・ナイナーズと呼ぶ。


法治の及ばない当時のカリフォルニアはでは、人々にもっと残酷な運命が待ち構えていた。


フォーティ・ナイナーズでは、12人に一人が金鉱に向かう途中で死亡し、それ以外に現地や帰途で、亡くなる人もいた。


死因で特筆すべきは暴力による死が少なくないことで、殺人発生率は、10万人あたり500人と、2014年のアメリカの3.86人と比べると100倍以上である。
なお2014年の第一位はホンジュラスの74.55人。


当時の医師によると、1851年から1853年までにカリフォルニアにやってきた人のうち五分の一が到着して6週間以内に死んだという。現地では警察も裁判所もなく自主警察という名のリンチが盛んだったそうだ。


現地では白人優位であり、中国人移民やチリ人移民などは劣悪な扱いを受けたが、最悪だったのはインディアン。原住民のインディアンは、カリフォルニア州で1844年に12万人いたが、1870年までに3万人に激減したという。


その殺害の手口は、彼らの公営住宅襲撃や、宴会に招いての集団毒殺や、百人単位の虐殺が少なくなく、白人は十字軍の時代と変わらない残酷さを発揮している。
(以上参考:図説 金の文化史/原書房/レベッカ・ゾラックP209-212)


トランプ大統領が低所得白人層の復権を掲げて登場したが、それが本気かどうかはともかく、こういう(白人による)無辜の民の大量虐殺はカルマ的に響くものであり、簡単ではあるまい。また生活に困ればそういう人が出がちなものであるが、白人は金のためなら何でもやったのですね。


アメリカはまず法と秩序というのは、こうした歴史のなせる業。日本とはあまりにも風土が違いすぎる。

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一万以上の都市

2025-04-30 06:25:51 | 時代のおわりneo
◎出口王仁三郎のビジョン
(2010-04-19)

次なるは出口王仁三郎のビジョン。

『○一万以上の都市

一万以上の都市は全部焼ける。
(昭和20年5月29日)』
(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店から引用)

『○火の雨

(終戦三ヶ月前に)(問)火の雨が降りましたね。
(答)あれは人間の造ったものだ。今にほんまの火の雨が降る。戦争は負ける。
(問)負けることはありますまい。
(答)馬鹿、お前たちにわかるかい。
(佐藤尊勇氏拝聴)』
(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店から引用)

先の大戦の空襲でも一万以上の都市が全部焼けたわけではないので、これからのことを言っている。

物質文明、火力文明がほとんど残らないのであれば、日本だけの災厄ではなく、世界的な事象として起きるのだろうか。




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グランド・クロスの世代

2025-03-21 12:58:24 | 時代のおわりneo

◎疾風に勁草を知る

(2019-08-25)

 

1950年代後半生まれの人々にはグランド・クロス(大十字)がある場合が多い。

海王星(天秤座か蠍座)、天王星(蟹座か獅子座)、これが90度であってグランド・クロスの材料となる。これに更に反対側に十字型に惑星が入るとグランド・クロスが完成する。

グランド・クロスを持つ人物は公私ともに結構なプレッシャーを受けながら暮らしていくものだが、世代全体として、それはどういうことを意味するのだろうかと昔から疑問に思っていたものだ。

いま、精神世界オタク、スピリチュアルヲタクとして馬齢を重ねてみると、それはこのようなことであったと思う。

 

1.カルトその1

朝鮮系新興宗教の勧誘が盛んに行われ、その対象となった中心世代であって、「青春を返せ」裁判まで引き起こしたカルト全盛の時代。この宗教の関係では、集団結婚のために6千人以上の日本の適齢期レディが朝鮮半島に渡ったとされ、今はどうなっているのやら。今は、2世代目にもなっているケースもあるらしい。

 

2.カルトその2

オウム真理教の中心世代はまさにこの世代であって、のちに被害者5千人以上を出す地下鉄サリン事件を起こすに至った。

 

3.北朝鮮への拉致

拉致の対象となった世代はこのグランド・クロスの世代である。報道はされなかったが、新潟に限らず、当時から海辺の地域では北朝鮮への拉致があることは口コミで伝わっていたらしい。

 

今思えば、正師に出会うか邪な師に出会うかは自分次第とは言っても、縁によって起こるのであるとすれば、それこそ自分の力ではどうしようもない部分があることを痛感せざるを得ない。

善い環境であれば善男善女が輩出し、悪い環境であれば、自分のメリットにばかりさとい地獄が現出し善男善女は稀にしか出ない。

1970年は、モーレツからビューティフルへと言われ、物質的価値から精神的価値への転換点だったし、OSHOバグワンが出たのもほぼ70年代。学生運動は沈静化したが、その後カルトが猖獗を極めたところをみると、日本人はほぼ半熟にもなっておらず、チャンスはあったかもしれないが、うまくいかなかったのだろう。

カルトの隆盛と定着、そして新たな細々とした奥山の沢のような流れは並行して進んできた。その細い沢は知られているとは言えない。(道は多く、通る人は少ない;OSHOバグワン)

第三次世界大戦など夢想と思っていた大多数の人が、その花火を見ることは不可避であると感じた頃は既に手遅れなものだ。

今振り返れば、グランド・クロス世代の人は、チャンスは十分にあったと言われるだろう。何しろ生活が安定した時代だったのだから。

唐末で、仏教禁止になって、禅僧も生きるのに困窮したが、却って純禅は研ぎ澄まされた。そういう反面はあるものの自分も含めて甘かったと反省せざるを得ないところはある。

疾風に勁草を知るというが、疾風なくして勁草となるのがベターであるが、そうはいかないものなのだろう。

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さよならサイレント・ネイビー

2025-03-21 12:33:53 | 時代のおわりneo

◎求道のモチベーション

(2010-04-07)

 

さよならサイレント・ネイビーは、地下鉄サリン事件でサリンを地下鉄にまいた豊田容疑者の友人が書いた本。豊田容疑者は東大の物理の人。

結局豊田容疑者がどのように洗脳されたかは、はっきり書いていなかったし、かれがどのようにオウムに入信したかもはっきり書いていなかったが、ほぼ拉致同然に教団施設に連れて行かれ、麻薬と視聴覚による洗脳を受けてああなってしまったらしい。

事件から15年以上たつが、豊田容疑者は洗脳から抜けたが、洗脳から抜けていない幹部も少なくないのは、洗脳の恐ろしさを十二分に物語る。悟りは心理ではないとはいえ、それに至る道程は心理なのだから、道程を誤れば人生全体を台無しにする。ところがその道程は正師によってしか示されないのだから師匠選びは重要だ。しかし、その師匠を見分ける目を、いまだ悟らぬ我々は持たない。

洗脳には洗脳する側と洗脳される側がいる。洗脳する側は誰が洗脳を仕掛けているかを承知して、情報の真偽を取捨選択して取り扱う。官僚や国会議員やマスコミは、洗脳を仕掛ける側であるから、新聞やテレビで流す情報は信用しない。敢えていえばその情報についての利害関係者が語る情報しか信用していないものだ。

若い時分にそういうことを知る機会があったが、テレビや新聞や週刊誌の情報を信用しないで生きている人は、世間にはそんなに多くはないものだ。

さよならサイレント・ネイビーを見ると、第七サティアンの位置が三県の境に位置するなどその犯罪をすることを目的とした高度な玄人情報に裏打ちされていることから、まず先にサリンなどの犯罪をしようとする知られざる巨大で高度な組織があって、それがオウムをして実行せしめたという外形に気がついている。

オウムが如何に高学歴集団であったとしても、せいぜい30才そこそこの若者が数百人集まってもにわかに高度な組織犯罪をできるものではないだろうというのは、ベテランの社会人なら想像がつくものだと思う。

こうした集団を組成できた本質は、「自分のメリット」を求めることを正当化する社会通念そのものにある。自分が向上する、すっきり納得して生きたい、願望を実現したいなどの快適さを求めるニーズに対して、超能力の魅力と地獄への恐怖を煽ることで洗脳して入信せしめるという手口はこの本にも書かれている。「自分のメリット」を求める以上、いつでもカルトにつけ込まれる可能性があるということ。

現代の求道は「自分のメリット」を求めないことでスタートしなければならないが、そんなことでは、求道のモチベーションにならないというとんでもないジレンマがある。しかしそのジレンマを克服しないと次の時代はない。

現代で最大の洗脳は、「人間が肉体であると思い込んでいること」であると考えている。法律や経済もその原則でできてはいるんだけれど。

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オウム真理教特番〔オウム20年目の真実~暴走の原点と幻の核武装計画〕

2025-03-21 10:33:37 | 時代のおわりneo

◎松明に火がついたけれど何も変わっちゃいない。
(2015-02-22)


夜、テレ朝で、オウム真理教特番〔オウム20年目の真実~暴走の原点と幻の核武装計画〕。あれから20年たったが、いわゆるまともな宗教が大きく育つことはなかった。当時は、事件後に、既成組織宗教が実質宗教していないことの反省や出版界のバブル景気もあって、まじめで善い書籍の出版が相次いだというような動きも確かにあった。

しかしオウムが出てきたことの根本は、わが自分勝手な欲望を実現する現世利益を追及する事を是とする、宗教にはあるまじき宗教が世の中で隆盛を極めていることである。宗教組織が現世利益を認めるのは宗教の自殺行為。自分というものを徐々に希薄にしていこうという方向性が本来のまともな宗教の方向性なのだが、この基本中の基本が、日本にあってはほとんどないがしろにされている。

オウムにあっては、それは超能力の追及、神秘体験の追及という形で現れたが、その方向性は彼らの思惑とは異なり、実は我欲の延長であって、神・仏の側を向いていたわけではない。金がもうかる宗教、生活水準が向上する宗教、願望が実現する宗教は、基層はあまり豊でない層が支えていたのだと思うが、1億総中流だった生活水準はどんどん低下し、1億総下流になろうとしているから、こうした感心しない宗教がまたどんどん出てくる可能性はむしろ広がっていると思う。

今やその日本民族劣化策の主戦場は、宗教破壊についてはほぼ完了し、いまやあらゆる側面での依存症形成に移ってきている。その依存症とは、買い物依存症、ブランド依存症、インターネット・ゲーム依存症、スマホ依存症、パチンコなどのギャンブル依存症、薬物依存症、ネット・ポルノ依存症、アルコール依存症などなど日常のちょっとした『欲しい』気持ちを捉え、様々なジャンクになるように品揃えされている。こうして人は自分にとって何が一番大切なことなのかを感じたり考えたりする時間を失っていき、気が付いたら亡国になっていたりするのではないだろうか。

さて春節は新年だが、春節に巨大な松明(トーチ)を燃やして、新たな局面の始まりを知らせた。youtubeを見ると5フロア以上に延焼している。1室50百万円以上のマンションらしいが、火事が出た物件はこれから難しいでしょうね。
2015年2月21日アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで21日、高さ約330メートル、79階建ての超高層マンションで火災が発生した。上層階で延焼が広がり、焼けた窓ガラスや建材などがビルから周囲の路上に落下。マンション住民を含め、周辺地帯に住む数千人が避難した。このビルは、住居用マンションとしては最も高いビル「ザ・トーチ」。2011年に建設され、約700戸の住居のほか、店舗なども併設されている。

ドバイの松明(トーチ)に火がついたけれど、生活は平均的には低下した一方、人々の本質は何も変わっちゃいない。

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NHKスペシャル未解決事件「オウム真理教」

2025-03-21 10:29:09 | 時代のおわりneo

◎気が弱い人々

(2012-05-27)

 

教団の武装化と暴走の原因を探るという視点からのドキュメンタリー。

古参信者の女性の方は、ニューナルコという記憶喪失処置を10回も受けさせられたからこそ、無事だったのだろう。

 

印象に残ったのは、麻原に対して宗教教団設立を進めた人物の麻原に対するアドバイス「気の弱い人間が宗教には集まってくる。そんな連中を魚釣りのようにどんどん吊り上げればいい」。

 

麻原にとって教団は、権力欲を実現するための手段であって、ハルマゲドンもポアもサリンもそのプロセス上のアイテムに過ぎなかったわけだ。

 

気の弱い部分とは、自分の感性に誠実であるという部分であって、気が弱いと往々にしてこの世を渡りづらいことになる。しかし、無常を感じるというのは、他の現代人から見れば気が弱いと見られがちである。なぜならば、現代人は人を功利性、自分へのメリットの有無の点から見がちだからである。

 

しかし人は、その柔弱な部分なくして、「本当に生きる」という方向に向かうことはないのではないか。

 

一連のオウム関連事件から既に17年も経つが、真相は明らかにされていない。番組では、1988年後半から麻原の念頭に武装化があった可能性を指摘していた。同年上九一色村の3県県境に本部を設置。

 

たとえば上九一色村の3県県境に本部を立地するのは、警察の手入れを受けにくいというのは当時からテレビでも言われていたことであって、そういうような専門の警察知識、化学兵器製造・使用、武器製造、テロなどの軍事知識、資金や部材調達と決済、対マスコミ・対政界対策など広範で専門的な情報を与えうる組織がその頃から深く関与していたのであろう。高学歴でも素人の集団が為しえる技ではない。そうしたことが事件後20年にもなろうとするのに真相が明らかになっていない原因なのだろう。

 

求道方面でいえば、悟っていない者が本物のグルを見分けるのは困難であることを改めて思った。充分な社会常識や少々の宗教知識や少々の無常感を持っていたあなたであっても、その人が悟った人かどうかを断定することはできないのだ。また悟っていない者同士が大勢集まってもリーダーが悪いと暴走することがある。

 

この一連の事件の結果、かなりの人が現代宗教、宗教教団、そしてその教祖についての欺瞞性を知ることになった。教団を維持していく以上は必ず商売の部分(信者からの金の吸い上げなど)があるのだが、そこを強調して、宗教すべてが宗教商売であるとか、無名のグルの宗教はカルトだみたいな先入観を世間に与えることになったのは、遺憾なことだった。

 

1995年はちょうど、OSHOバグワン、クリシュナムルティなど、20世紀をリードした覚者たちが亡くなってまもない時期であり、実にタイミングが悪いと思うと同時に、グル・マスター・師匠をあてにせず、本当に自分自身が悟りに向かわねばならないのだと考えさせられたものだった。

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真相不明のままのオウム真理教事件

2025-03-21 10:05:52 | 時代のおわりneo

◎麻原の最終解脱の真偽など
(2011-11-22)

オウム真理教事件は真相解明のないままに、裁判が終結した、と報道されている。

冥想オタクとしては、麻原某が悟っていたかどうかが最初のキーポイントとなる。
それについては、何人もの元信者たちが感じていたとおりだと思われるので、ここに脱会した古参信者の例を挙げる。

『古参信徒Aの事例

Aは入会前に「米国の瞑想団体」で共同生活を送った経験があった。これを評価してのことだろう、セミナーの際、麻原から風呂に誘われ、直々に「サンガ」(後の出家制度)の設立に向けて協力を要請されたという。

入会後は、シャクテイパットなどによっていわゆる神秘体験をし、「本物」を確信した。「このまま死んでもいい」くらい強烈なものだったという。麻原は会員一人一人を大切にしていたし、メンバーも和気あいあいとしていたと感じていたのだが、しかしAはわずか一年たらずで退会している。

その直接的契機としては「スパイ事件」を挙げている。猪疑心の強い麻原がAの友人でもあった会員を「スパイ」とみなしたようで、Aに「正体」について問うたため、でまかせに「フリーメーソン」と答えたところ、麻原は満足した様子を示し、動向を見張るよう指示された。

こうした麻原とのやりとりで、自身の目的から逸脱した出来事に振り回されることにうんざりしてしまった。彼が言うところのこの「スパイ事件」は決定的であったが、Aはこれ以前より、かねがね麻原や教団(神仙の会)に対して不信感を募らせていたようである。

Aが入会して間もなくのこと、ヒマラヤから帰国し「最終解脱した」と語る麻原に、「ほんとうに解脱したのか」と問うた会員がいた。それを受けて麻原は、石井久子に是認を促したのだった。極めて個人的で心的な「解脱」という状態について第三者に訊ねる態度は理解に難く、「嘘をついているのではないか」と訝ったが、同時に「まさか」という思いもあった。

やがて入会当初は数万円程度だった修行コースは数十万となり高額化の一途を辿った。多くの会員が離脱したが、麻原は「このくらい出さなければ解脱はできない」と意に介さなかったという。麻原の宗教的知識もなにやら怪しげに感じた。当初はヨーガのみだったのに、次第に密教色が濃くなっていった。仏教については少々知っているように見受けられたが、他の宗教に関してはほとんど無知とも言えるほどで、Aが教義上の矛盾を指摘すると黙り込んだり、話題を変えてしまったという。

また取り巻きの言動も目に余るものがあった。Aより後に入会した新実が、出家中の身でありながら「偉くなったら彼女を迎えに行く」とAに打ち明けたのだ。(新実は)「出家の意味が解っていないのでは?」と甚だ疑問であった。麻原のおよそ宗教者に相応しからぬ言動も気になっていた。「尊敬するのは(世俗の政治家である)毛沢東」と述べたときには驚かされた。Aは、宗教的知識がある者ほど早々に辞めていったと述懐している。』
(情報時代のオウム真理教/井上順孝/春秋社p347-348から引用)

この麻原が自分が最終解脱したかを石井に問うシーンは他の書籍にも出てくる有名なところであり、それについては麻原自身も自信がなかったのだろう。

このブログでもマスターの真偽を見分ける方法をサジェストしているが、悟っていない自分が、他人が悟っているかどうかを見分けようとすることには、自分が悟りの何たるかを知らないからして、そもそも無理がある。

そこで真正のマスター、グルに出会うには「縁」に依ると、議論の矛先をずらさざるをえないところがある。求道の情熱、本当に生きたいという気持ちの強さだけが、真正の覚者に出会う機縁をもたらすのだ信じて日々坐るしかないのだと思う。

2008年のリーマン・ショックは、100年に一度の危機と言われたが、5年たたないうちに、「100年に一度」の規模の欧州発の経済恐慌が起きようとしている。
オウム真理教が自ら社会を攪乱するまでもなく、今や「終末」である。

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黒い聖母像

2025-03-09 11:32:41 | 時代のおわりneo

◎地母神の必要性
(2006-03-25)

黒い聖母像は、フランス、スペインだけでなく、メキシコ、ブラジル、フィリピンなど世界的に分布する。フランス、スペインの黒い聖母は、キリスト教がこの地に入ってくる以前に隆盛であったイシス信仰(エジプト神話の豊穣の女神)とか、キュペレ信仰(ギリシア神話の地母神)などの偶像がそのまま持ち込まれたものだとか、ブラジルなどでは土着信仰に近いカンドンブレなどの信仰とキリスト教が混交したものだとか、定説がない。おそらくは、地母神信仰がキリスト教の体裁を借りて生き延びたものではないだろうか。

聖地巡礼で有名なサンチャゴ・デ・コンポステラの像は黒いマリアだとか、意外に有名なところに黒いマリアがある。像だけでなく、ポーランドでは、黒い顔のマリアのイコン(絵画)が民族的な宝として伝承されている。黒い偶像ということならば、日本では大黒天であり、インドでは、カーリー女神(シヴァ神の妻)としてあり、キリスト教に限らず、世界中どこにでもある。

フランスの黒い聖母の多くは、その起源をメロヴィング朝(500~750年)にさかのぼることができる。メロヴィング朝はフン族のアッチラ大王の進入により民族大移動したひとつである西ゴート族の末裔で、聖母マリア崇拝を振興した。

その後12世紀になってシトー修道会のリーダーとなったフランスのベルナールが盛んに聖母崇拝を推進した。ベルナールはテンプル騎士団の創立メンバーの一人であり。旧約聖書雅歌の『エルサレムのおとめたちよ わたしは黒いけれども愛らしい。それ故、王はわたしをお選びになり、みずから、お部屋にお連れくださる』は、黒い聖母崇拝で愛唱される文句だ。

またベルナールはサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼も推奨した。道中には、ベネディクト修道会や、シトー修道会の宿屋、黒い聖母教会が点在し、その様子は天の川とも呼ばれた。巡礼の四大出発地の一つであるヴェズレーは、マグダラのマリア(黒い聖母のモデルのひとつ)崇拝の中心地なので、黒い聖母の地でもある。

1307年には、テンプル騎士団は異端とされ、黒い聖母崇拝は下火となっていったが、黒い聖母は、その後も連綿として生き延びている。それが生き延びた原因としては、中世的な教条的なスタイルのキリスト教がカバーできない、いわば人間のコントロールできない生命やエネルギーの源の象徴として、黒い聖母を必要とした社会的な心理があるのではないかと思う。それは、とても土俗的な動機だが、キリスト教の持つ特徴の反面を映しているように感じられる。

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ペット・ロスの背景

2025-03-07 03:59:04 | 時代のおわりneo

◎所得低下と個人主義的ライフ・スタイルへの不適応
(2015-08-10)

ペット・ロスからうつ病になる人も少なくないという。これは一生を個人主義で通すと言う、一人で育ち、一人で死んでいくという孤独な人生に堪えられない人のためのショック・アブソーバーがペットだからである。

戦後の日本の生活には、アメリカの文化が無数に入ってきた。しかしアメリカ文化は欧州由来の個人主義文化である。日本は核家族をその中心とする個人主義のライフ・スタイルへと自発的にあるいは外発的に変化させてきたのだが、一人で私生活をする覚悟はまだ持っていない人が大半だから、ペットブームになったのである。

ダライ・ラマも、大都会で暮らしながら、犬や猫にしか心を開けない人が多いことは何かおかしい気がすると言っている。

犬や猫は上手な聞き手であるかもしれないし、耳に痛い意見はしてこないし、家族の一員であり、えさの関係で飼い主を必要としてくれるし、飼い主にはかわいい仕草をいつも見せてくれるし、飼い主には従順なものだ。

それでも飼い主の人は、犬や猫の心の世界に入ったことがあるだろうか。本当は犬や猫は飼い主をどう思っているかなどと考えたことがあるのだろうか。その寿命は人間より短く、彼らこそ一人で生まれ一人で死んでいく。その一生に対して人間ができることは限られている。惻隠の情があるならば、犬猫の底知れぬ孤独感や無力感を、物言わぬ彼らの視線や鳴き声から感じ取ることができるのではないだろうか。

シングルつまり独身者にあっては、伴侶や子供を持つのは生活コストが桁違いに上がるので、経済的な事情からやむなくあるいは合理的な選択として結婚生活ではなくペットとの生活を選ぶということはある。若い人にあっては、結婚しない、子供もいらないということである。これでは人口は減り、出生率も下がる。

1990年代のバブルのころに比較して、犬猫を飼えるほど平均的な住環境が劇的に改善したわけでもないのに、これだけペットが増えたのは、独身者、単身者、単身世帯が増えたことと、所得の低下もその大きな原因であるように思う。

このようにペット・ロスは、生活を共にしてくれるかわいいパートナーという個人の嗜好の問題にとどまらず、日本人の所得低下と個人主義的ライフ・スタイルへの不適応というマクロな原因で起こっている現象と考えられる。

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中国という現実感覚

2025-01-29 07:34:49 | 時代のおわりneo

◎大観園の解剖=戦前の中国のアヘン窟

(2015-10-22)

 

日本では上水道が行き渡り、山中などよほどの不便なところでない限りは、手汲みの井戸にお目にかかることはなくなった。

 

私の少ない経験で言えば、水の悪い中国での生活に対して、昭和10年代の生まれくらいの人まではあまり抵抗がなかったように記憶している。水事情が悪ければ、風呂もシャワーもなかなか浴びれない。

 

明治や大正の人は、中国に留学し、中国語の舌の訓練が要る発音と「礼節」を学んだ人がいたものだが、彼らにさほどの中国での生活に違和感があったことは聞かない。中国での生活をやや不便と感じこそすれ、そこでの生活に耐えられないとまで思うことはなかったのではないか。

 

そうしたやや慣れた日本人であっても、中国人の徹底した虚無に近い部分の人生観に暗澹とし、また驚異の眼を見張るケースが時にあったようだ。

 

『大観園の解剖/佐藤慎一郎/原書房』は、そうした最もディープな中国人の生態と哲学と人生観に焦点を当てている。大観園は、戦前の旧満州ハルビンにあったアヘン窟。ここで中国人は、アヘン吸飲に終日を充て、アヘン購入を繰り返すため、やがて金も尽き、飢えと麻痺で最後は路傍に死体として捨てられる。

 

死体は大方衣服をはぎ取られ、寒中に真っ裸であり、その衣服はたちまち売られ、取得した者のおこづかいになる。日本におけるような死者への「仏」に対する尊崇などかけらもない。

 

中国人は本能的であり、人間より動物に近い。その国土では永久に飢饉が繰り返される。これに対し、日本では、本能を脱却することが人間の理性の発露であることを誰もが自然に理解し行動のベクトルはそちらに向かおうとする。日本でも飢餓の時期はないことはないが、その都度少ないものを分け与えて清貧に暮らすことを恥じない民族の知恵がある。

 

大観園では、瀕死の病人(アヘン中毒者)の衣服を生きているうちに剥いで金にする。衣服は金になり、宿で死なれては他の宿泊者が迷惑するからだそうだ。裸で病人を街頭に置けば凍死するのだが、中国人はそれを自業自得だとし、同情すらしない。

 

こうした個人主義の極みについて中国人は、「誰不管誰」(人のことは人のこと)言い、隣家に盗賊が来ても構いやしないという、ものすごい通念があることで説明する。

 

中国共産党だってたかだか略100年の歴史だが、漢民族は4千年こうやって生きてきた部分がある。これでは、孔子の儒教が大いに必要とされるわけだと思う。道教から出てきた功過格がどこか上滑りなままで終わっているのもわかる。

 

中国の風土、社会、伝統の下では、このように最低限の人間の尊厳すら簡単に侵されるのであるから、甘ちゃんで苦労なく育った今の若い日本人には、漢民族あるいは中国人の本質というのは、ますます想像もできない人間像なのだと思う。

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大祓と大洪水-2

2024-12-26 21:39:07 | 時代のおわりneo

◎霊界物語の大洪水

(2019-04-05)

 

霊界物語では、第六巻第三篇大峠の中の2章が大洪水に当てられている。

 

大洪水そのものは、禽獣、鳥類が、発生直前に一斉に山を目指して逃げるのに気づいた人間が、真っ先に山に逃げ、事前に大洪水があるのを予知した人間は、船を用意する。うち何百隻かが山の麓にたどりついて生き延びるのだが、サブマリンみたいな目無堅間の船でないとだめというようなことが書いてある。

 

そもそも大洪水は、霊界の太陽が、霊界高山の氷を溶かし、その水が地球に流れ込んできたものという霊界的説明であり、現界と霊界をチャンポンにした説明である。

 

大洪水の最中は、グルグル回るが上部の床がすべりやすい巨大黄金橋に乗ることができれば、洪水から助かるとか、銅橋から出る金属製の救ひの鈎につかまれば助かるなどと書いてはいるが、こうした大洪水と救命の描写の陰に隠れて、人間がいかに悟っていくかの道筋を小出しに織り込んでいる。

 

目無堅間の船などは、その最たるものだと思うし、大物神霊である野立彦神、野立姫神が天教山火口に飛び込むなどもその真意をよく冥想せねばならないと思う。

 

ある一定の意識レベルに達して、将来の大洪水シーンを幻視して、どこにどのように行けば助かるか、自分の財産、地位、名誉、権力をどう保全するかを考えるのではなく、自分が新たな神の時代、住民全員が神を知っている時代に生き残る資格を持っているかどうかを思うべきだと思う。

 

霊界物語第六巻の第三篇大峠は次のような構成になっており、第四篇立花の小戸に続く。単純な世界的大洪水の惨状と人類の救済状況とその後の新世界を描いているわけでなく、古神道の行法でどう悟るかを現界と神秘生理学ないまぜにした描写で、クンダリーニ・ヨーガ系求道者にヒントを与えていると思う。

 

 

第三篇 大峠

第一五章 大洪水(一)

第一六章 大洪水(二)

第一七章 極仁極徳

第一八章 天の瓊矛

 

第四篇 立花の小戸

第一九章 祓戸四柱

第二〇章 善悪不測

第二一章 真木柱

第二二章 神業無辺

第二三章 諸教同根

第二四章 富士鳴戸

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大祓と大洪水-1

2024-12-26 21:37:07 | 時代のおわりneo

◎古事記仲哀天皇の段

(2019-04-04)

 

古事記仲哀天皇の段で、これから熊曽の国を撃とうとしている前に、建内宿祢大臣は、神功皇后に神託を請うた。

すると神功皇后に懸いた神は、「金銀本位制度で、享楽的な西の国を帰順させようと思う」とお告げになった。

すると仲哀天皇は、「高い所に登って西の方を見れば、国土は見えず、ただ大きな海があります。」と述べ、神功皇后に懸いた神は嘘を言っていると思い込んで、琴を押しやって黙っていた。

すると神がこのような仲哀天皇のことを怒って最後に崩御に追い込むシーンに続く。

 

西の国が大海になるというのが、見間違いでなく、大洪水のことであるとは、思いもしなかった。

洪水になると屋根に上がった人が下に降りられなくなるのは、洪水災害シーンで時々目にする。

 

出口王仁三郎のつぶやき集に『大祓になったら大変なことになる。屋根の上にあるものは下に降りられぬ時が来る』

(新月の光/下巻/木庭次守編P146から引用)とは、この西の大海のことを言っていたのか。

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原爆の投下目標の選定

2024-12-07 07:08:46 | 時代のおわりneo

◎人命尊重という美辞麗句

(2012-08-16)

 

原爆の投下目標の選定については、まず軍事設備、工業設備だけを戦略爆撃するかあるいは、住居地域を含めて文字通り絨毯爆撃するかという議論が米軍内部にあったが、焼夷弾による爆撃はドレスデンの爆撃で既に実地に試されていたという経緯を見ると、米軍は広島、長崎以前から日本については軍民を差別しない無差別爆撃を意図していたようである。だから1945年3月10日の東京大空襲では原爆に匹敵する10万人の死者を出している。

 

ドイツへの爆撃では、無差別爆撃はドレスデン以外ではほとんど行われなかったのに、日本では無差別爆撃をやりすぎて、原爆投下の候補地となる無傷な都市を選定するの困るほど全国各都市に無差別爆撃をやっていた。この点で日本とドイツ人への扱いは根本的に異なっていたわけである。

 

こうして比較的無傷な原爆投下候補地として、京都、広島、横浜、小倉、新潟があったが、最終的に広島、長崎となったのは、いろいろなメディアで報道されるとおりである。

 

ナチスもドイツ敗戦前に原爆の開発を完了していたという説があって、英国リバプールへの投下を具申されたヒトラーが、大量の死は今必要ないとして、原爆投下しなかったということだったが、もしこの説が本当であれば、ヒトラーも一見識である。

 

軍事関係者の中でも、民間人・無辜の人々を戦闘に巻き込まないというのは古来常識であったが、第二次世界大戦ではこの常識が簡単に踏み破られている。特に日本に対しては。

 

こういった様を指して、出口王仁三郎はこの戦争は悪魔と悪魔の戦争であると表現し、更に日本人の被害のひどさについては、原爆が2発も日本に投下されたことも含め、その原因として大本教への弾圧と日本が原爆を最初に開発したらしいことをほのめかしている。

 

因果は昧(くら)まず。人間も国家もやったことの責任は問われるものである。

 

日本の主要都市のほとんどすべてが灰塵に帰したことで、さる人が「火の雨が降るという予言は実現しましたなあ」と出口王仁三郎に訊くと、出口王仁三郎は、「ほんものの火の雨はこんなちょろこいもんやない」と一蹴したという。

 

核戦略ではoverkill殺し過ぎという言葉があり、殺し過ぎは抑制させてきた。これが核軍縮から、次の究極兵器への流れの中でも意義を持っているかどうかは知らない。

 

人類の生存、文明の存続は、こうした基本ルールを守ることで為されるが、アメリカの軍事力衰退と他国への核拡散は、ルールを守らない国を増やす。

 

人命尊重と言うが、相手国ののど元に銃を突きつけ合いながら、わが国は人命尊重していると主張し合う時代を終わらせるには、国の内部から銃を引きあげる決断をしなければならない。そうした国とは、覚者が続々と出る国だけである。ただ現実にはそこまでは届かないのだろう。

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地震兵器考

2024-11-19 07:07:02 | 時代のおわりneo

◎日本人は逃げる

(2011-03-20)

 

今回の東北北海道大震災の震源が10キロと浅いことから、これが地震兵器によるものではないかと疑いを持つ人たちがいる。現状では、地震兵器の実在は確認されていないが、存在するならば、非人間的な兵器である。非人間的な兵器は他にもあって核兵器もそうである。地震兵器は、謀略論好きで空想たくましい人たちのいわば想像の産物に過ぎないかに見えるのだが、必ずしもそうとも言えないところがある。

出口王仁三郎のつぶやきによれば、東洋全体に火の雨を降らすことを研究している手合いがいるそうなので、そんなことが人力で可能ならば、地震兵器などはそれに比べてはるかに簡単にできるのではないかと思われるからである。

出口王仁三郎は、大本事件の時に大勢の信者が逃げたように、日本魂が腐っているから、いざという国難の時、ほとんどの日本人は逃げると見ている。外国にも大勢逃げるだろうし、日本魂を捨てて、アメリカナイズや中国化される人が主流となるということだろう。最後には、古神道や仏教など日本固有の信仰を持っているだけで摘発されるような時代になることを、出口王仁三郎は見ているのではないか。

終戦後、さる信者の前で、出口王仁三郎が、玉串を最初は座布団の上に出し、次に座布団の下に隠し、最後は自分の懐にねじ込んだ。信者がどうしてそんなことをするのかと問うと、出口王仁三郎は、「今に見い、こういう時代が来る」と語ったそうな。

原発事故処理の延長で言論封殺が行われ、そういう時代が来る可能性はある。放射能被害の問題は万人共通の生活の問題となるからである。

 

大本神諭に日本の立替は三四月、八九月とあり、果たして三月に火蓋が切られたのだろうか。立て替えるには、一度は元のをつぶさないと新しいものは建たないが・・・・。始まったら半年みたいだし。

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