アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

道教の三つのレベル

2023-06-30 03:54:16 | 無限の見方・無限の可能性

◎ジョン・ブロフェルドの事績

 

ジョン・ブロフェルドは、日中戦争の最中に7年間中国大陸を放浪して後、母校ケンブリッジ大学に戻り道教・仏教の研究者になった。当時は、道教の地位低下は既に著しかったが、彼の出会ったさびれた道観の道士は、どうも道を承知していたらしい気配がある。

 

その道観の道士談。

『「あなたが友人の卞道士から見せてもらった『参同契』などの、錬丹術に関する解説書は、よく次の三つのレベルに関連していると解釈されます。

「第一が、丹砂と鉛を不老不死の奇蹟の霊薬に錬成すること。

第二が、自分の身体内のるつぼに黄金の秘薬もしくは胎児ともいうべきものを作り出し、これで年齢と死を克服すること。

そして第三が、性交から得られる成分にもとづいた、やはり内丹の一形態。

 

「このうち第二、第三は、『道』に根ざした同様の原理によって支配されており、政治活動、軍事戦略、個人的なレベルでの平和の達成にも適用できます。というのも、ことの大小にかかわらず、これらはすべて同じパターンやリズムに従って機能するものであるからです。

「わが中国の不思議な古典、『易経』("変化の書"の意)は、まさしくこの基礎の上に立脚して います。つまり、未来は――といっても、特定されているわけではありませんが、――一連の出来事を、未来が所属しているサイクルに関連づけることによって占うことができる、と見るわけです。』

(道教の神秘と魔術/ジョン・ブロフェルド/ABC出版P259-260から引用)

 

第一のレベルは、外丹。西洋錬金術でいう賢者の石。

第二のレベルは、内丹。

第三のレベルは、男女双修、房中術、カーマ・ヨーガ。

 

道経の経典は、無数にあるが、多くは以上の三つのレベルが区分されず混然となっていたり、究極を得ていない段階の修行者が書き残したものであったり、またそれにより間違いを書いていたりということがあるのだろうと思う。それはやはり無数にある西洋錬金術書も事情は似たり寄ったりであって、信頼するに足るテキストは、道教においても西洋錬金術においても極く一握りなのだろうと思う。

 

この道士は、その混乱ぶりを指摘し、真相が那辺にあるかをわかっているところが凄い。ブロフェルド自身の境涯もいい線行ってないとこういう話は引き出せない。

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夏の室内ウォーキング

2023-06-29 07:18:44 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎フレイル(虚弱)防止と冥想のための体力作り

 

最高気温が32度以上を記録するようになり、いよいよ屋外ウォーキングが大変な時期になってきた。

老年期の人間にとっては、筋肉の減少⇒血流量の減少(貧血の常態化)⇒運動量の減少⇒筋肉の減少という悪循環が、フレイル(虚弱)を発生させるということを痛感させられている。

 

医師がよく、一日一万歩歩けばよいと言うが、私なら日に2時間も歩く必要があることになる。実際、

朝の体操40分(五体操、八段錦、ハタ・ヨーガ、天の鳥船など)

ウォーキング 計55分(10分+25分+20分:買い物の時間も含まれている)

スクワット 10分(『14日間challenge StayHomeWorkout by 中野ジェームズ修一』) 

きくち体操 30分

と、一日合計2時間超だが、ウォーキングだけで二時間は、この猛暑の季節は困難である。

 

室内ウォーキングは、youtubeに上がっている竹脇まりなの室内散歩動画を中心にやっている。始めて3週間目。最初は10分だったが、最近は25分まで時間が延びた。竹脇まりなの室内散歩動画は、10分、15分、20分、30分とあって、本当に歩くだけのものもあるが、基本は飽きないようにステップを変えたり、腕の動きをつけたりするのがある。ピッチも最初ゆっくり後ハイピッチのものや、その逆のものがある。竹脇まりな動画の良いところは、彼女の明るい雰囲気とBGMである。なお画面内に全体経過時間やポーズだけの経過時間が細かく出るのは飽きないためにも便利。他の方の動画にも全部それが出ているわけでもない。

Cardio、ABS、 HIITとあるのは、きついので要注意。

※Cardioは有酸素。

※ABSは"abdominal muscles"の略で「腹筋」。

※HIITとは高強度インターバルトレーニングのこと。

 

竹脇まりな以外では、Olivia Lawsonが良さげだが、まだ実際には歩いてみていない。Olivia Lawsonは、アスリートなボディで強靭な感じの美人。

 

この他にランニングマシン用の風景動画のyoutubeもある(virtual run)。これは、世界各都市やトレッキングコースの風景がランナー視点で流れるもの。実際にニュージーランドのトレッキングコースで室内散歩してみたが、つい流れる風景に見入ると(疲れてくると)バランスを崩しそうになることもあって、一本道でなくて、ダウンタウンの広い街路の方が視点が広いので良いかもしれないと思った。渋谷、原宿、ロンドン、ニューヨーク、リオデジャネイロは勿論、富士山、森林公園なども上がっている。ところが中国の都市も観光地もなぜかほとんどない。峨眉山とか青城山とか歩いてみたいものだ。単純ウォーキングならこのようなものもよし。

 

なお、室内ウォーキングは基本足踏み。そこはウォーキングマシンとは違う。ただし筋力強化につながらない楽な歩き方で長時間散歩しすぎると、脚を過剰に動かしてしまうから関節が体重や地面からの衝撃を支えられなくなって痛みが出る場合がある由。要するに一定速度での室内ウォーキングも長時間やり過ぎはいけない由。

そこで通常の速度でのウォーキングと、速歩きを数分間隔で繰り返すのは、“インターバル・ウォーキング”で筋力アップにつながるとのことなので、竹脇まりな動画で、歩くピッチが変わるのは、筋力増強に役に立っていることがわかる。

 

老年になって冥想を継続するために、肉体調整に日々結構な時間が必要になるとはね。

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五種類の罪業を造ってはじめて解脱を得られる

2023-06-28 06:37:01 | 達磨の片方の草履

◎生きているこの身このままで悟りの姿

 

臨済録を読んでいると、ご飯を食べたり、トイレに行ったり、眠くなって寝てしまうのが、そのまま仏の姿、悟りの姿であるなどと書いているので、面食らう。そんなはずはないからである。

臨済はさらに一歩進んで、無間地獄に落ちる五種類の罪業を造って、はじめて解脱を得られるのだとまで言っている。

 

私は、これについて若い頃は、悟りを開けば五族昇天すと言うほどそれまでの悪カルマがどんどんと解消するのだから、悟りを開いた時点からカルマが全面的に善い方に逆転し始めることをいうのだろうと思っていた。

最近は、むしろOSHOバグワンの言うように、人間はすべて悟っているがそれに気づかないだけであるという説明の方が近いと思っている。

臨済の五無間業を犯してはじめて解脱を得られるというのは、なまなまに日々漫然と生活しているだけでは、自分が悟っていることに気がつくモチベーションが起きることはない。むしろ五無間業を犯してはじめて、人間として生まれたからには大悟覚醒せねばならないというきっかけが起きて来ることを言っていると考えている。

※五無間業:無間地獄におちる五種の重罪。母を殺すこと、父を殺すこと、阿羅漢(見仏経験者)を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけること。

 

そうした見解の下で、二人の僧が御簾を巻き上げたが、一人の僧はOKになったが、もう一人の僧はNGとなったとか、ある僧が居眠りしたのはNGだったが、臨済が居眠りしたのは師の黄檗に咎められなかったという話がある。

生きているうちには、必ずどこかで五無間業をしでかすようなことはあるものだが、ひとたび大悟すれば、二度と悪事を犯すことはないというのも真相なのだろう。諸悪莫作、衆善奉行(善いことをして、悪いことをしない)。

 

臨済録示衆13から。

『【大意】

師は大衆に示していった、「修行者たちよ、仏法は営為を用いるところのないものだ。平常で無事であって、大小便をしたり、着物をきたり、 飯をたべたり、疲れたらすぐに横になって休む、ただそれだけのことで ある。

愚かな人はそういうわしを笑う、しかし智者はこれをわかってくれる。古人もいった、『外に向って思慮をめぐらすのは、みんな大馬鹿ものだ』と。

まあ、諸君、どこででも自己が主人公となれば、立っている所はすべて真実である。どんな境がやって来ても、君たちを引き廻すことはできない。たとえこれまでの悪因縁の餘習や無間地獄におちる五つの行為があったとしても、それらは自然に解脱の大海になるだろう。』

(禅家語録Ⅰ 筑摩書房の臨済録P325から引用)

 

『【訓読】

師、衆に示して云く、「道流、仏法は功を用いる処無し。祇だ是れ平常無事、屙屎送尿、著衣喫飯、困じ来れば即ち臥す。愚人は我れを笑う、智は乃ち焉(こ)れを知る。古人云く、『外に向って功夫を作す、総に是れ痴頑の漢』と。你、且らく随処に主と作れば、立処皆な真なり。境来れども回換し得ず。縦い従来の習気、五無間の業有るも、自から解脱の大海と為らん。』

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リッチな父の家を捨てホームレスで流浪する

2023-06-27 06:24:55 | 覚醒のアーキテクチャー

◎捨父逃逝

 

捨父逃逝は、リッチな父の不肖の息子が、若い時分に家出をして、遠国で非正規の職を転々とし、最後はホームレスに落ちぶれ、父の邸宅の前で乞食をやっている。これに気づいた父親が、それとなく自家の簡単な仕事を斡旋してやり、何十年か続けさせたところで実家の家宰に取り立て、親子名乗りもするという物語。

 

これは、父をニルヴァーナに見立てた凡夫が悟りを開く物語。凡夫は、如来知の相続人である。

元々は法華経の信解品にある話であって、白隠禅師坐禅和讃にも、『長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず』と出てくる。

昔は、これをもともと彼の人生観が転倒していたと批判して、 あえて迷いから悟りへの修行の過程を見せたわかりやすい題材などと評価していた。

今見ると、この話では、親子名乗りをするところが大悟覚醒であるが、実家での日々の努力の果てに順調に涅槃に至るみたいであって、逆転の雰囲気がないところが引っかかる。昔は、こういうような一本調子なものでも役に立ったのだろう。

本来、この親子名乗り直前のシーンでは、息子はそれまで生きて積み上げてきた人間関係、財産、家族、名誉、資格など、自分と自分の生きて来た宇宙全体が一度死ななければならない。それから初めて感動の再生が起こる。それが親子名乗り。

 

これは、大逆転シーンであって、タロット・カードなら吊るされた男。(吊るされた男の【逆位置】というのは何の意味もないと思う。)

組織宗教にあっては、こうした逆転シーンを強調するのは都合が悪かったのかもしれないが、現代の戦争を知らない人々ばかりの時代には、“逆転”を強調するのは、むしろ必須なのではないかと思う。

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西郷隆盛の写真が残っていないこと

2023-06-26 10:55:21 | 時代のおわりneo

◎真相を暴露しない

(2016-04-30)

 

西郷隆盛の写真が残っていないことは、幕末ミステリーの一つとして数えられることもある。でもそれは、おそらくミステリーでも何でもないかもしれない。

西郷隆盛は、沖永良部島への島流しの時代にフィラリア症(象皮病)にかかった。

西郷隆盛は晩年は陰嚢が人の頭大に腫れ上がっていた。西南戦争に敗れ鹿児島城山で自刃したが、首のない屍体検視にあたり陰嚢水腫の存在から西郷隆盛本人と判定された。(愚直の一念/尾辻義人/斯文堂、空飛ぶ寄生虫/藤田紘一郎P53-55)

こういう人が写真を撮られたくないのは当たりまえ。マスコミや世間は何でも暴露したがる傾向があるが、暴露しない方が本人のため、世間のためになることはある。

 

昔NHKの大河ドラマで、西田敏行が健常者として西郷隆盛を演じていたが、あれも西郷のイメージ形成に影響を与えたことはあると思う。

それにしても世に稀な一等星に当たる人物に、神はこのような苦難を与えるものなのですね。

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覚者が他人の自殺に付きあうこと

2023-06-26 10:52:40 | 究極というものの可能性neo

◎西郷隆盛が僧月照の入水にお付き合いなど

(2012-01-08)

 

幕末物ドラマでは、薩摩錦江湾の船から、西郷隆盛が僧月照と海に飛び込み、西郷だけが助け上げられたエピソードが必ずと言って出てくる。僧月照は男性。

 

しかし僧月照は、薩摩藩のために京都で、将軍継嗣問題や斉彬の上京計画などにおいて、薩摩藩と朝廷との橋渡し役を務めていた人物で、清水寺成就院の住職。月照は、藩の機密を扱う立場であり、西郷とも既知の間柄だった。

 

そこで、月照は、西郷に一緒に死んでくれと持ちかけ、覚者はこうした本心からの求めに対しては決してことわることができないものだから、覚者である西郷は、本当に一緒に死んで上げたのだった。

 

西郷のような高位の人物が、気軽に主君でもなくさして重要とも思えない人物と心中することに多くの人は違和感を抱くもの。

 

私は、覚者であればこうした本気の求めがあれば、覚者は自分がどうなろうとそんなことは自分が知ったことではないという立場に立つものであるから、決してそうした求めを断るものでないものだと考えている。というのは、そうした立場以外に慈悲、大慈大悲、本当の愛を生きる立場はないと考えるからである。

 

類似例がもう一つある。

ダンテス・ダイジは、沖縄の竹富島にいた。半年前にさる青年が難病の筋ジストロフィーにかかって前途を悲観して、真夜中の便所で首をつった。

ある日ダンテス・ダイジが南無阿弥陀仏の念仏を繰り返していると、右斜め前にその青年の死霊が出現し、「一緒に死んでくれ」とせがんだ。

ダンテス・ダイジは、直ちに彼の求めに応じ、真夜中の竹富島に飛んで、家の外にある石造りの便所の換気用の隙間に棒を通して、その棒にひもを結び、首をくくり、死んだ。

(ダンテス・ダイジは、この時「その友人の人間の果てにある孤独感を理解した」と書いている。)

 

30年ほど前に、彼の著書「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」で、これを読んだ時には、生死を超越した覚者ともあろう人物が、親友でもない他人のために気軽に死ねることに違和感を覚えたものだった。

今なら、他人の求めに応じてフランクに自分を死ねる人だけが、本当の教祖であると断言できる。本当のグル、本当の救世主、本当のマスターとは、それができる人だけだ。

世の中には自分の金や自分の身の安全のために他人をさいなむ教祖、グル、先生があふれているが、どれも本物とは言えない。

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道を行う者:西郷隆盛

2023-06-26 10:47:47 | 究極というものの可能性neo

◎意の誠否は、須らく夢寐(むび)中の事に於いて之を験すべし。

(2018-02-26)

 

西郷隆盛は、西郷南洲遺訓の中で自分のことを「道を行う者」と見ている。

彼は、天に直接相対する姿勢のことを誠と呼び、あらゆる発想、行動の根本に置く。

 

西郷南洲遺訓の中に江戸時代の儒者佐藤一斎の言志四録から抜き書きした部分がある。

「意の誠否は、須らく夢寐(むび)中の事に於いて之を験すべし。」

【大意】やろうとしていること思っていることが誠か否かは、夢の中、寝入りばな、あるいは寝起きに浮かんでくるもので、これをチェックすべきである。

 

西郷隆盛は、若い時に盛んに禅をやったが、沖永良部島の流刑時代のように狭い獄舎で冥想するしかない時期もあったろうけれども、実務の忙しい時期には、毎日ある程度冥想する習慣があったかかどうかはわからない。

よって、このように誰でもわかる表現である、「夢でチェックせよ」と書いているが、実は意識と無意識の境目に、それが「誠」つまり天意・神意に適っているものかどうかわかるコツがあると言っているように思う。

儒家の言は、荘子が盛んに揶揄したりネタにしたりするところではあるが、易経繋辞伝のように時間のない世界から書かれたものもあり、全部が全部おろそかにしてよいわけではなく、このように採るべきものもある。中庸の未発の中などもその一つ。

 

※西郷南洲遺訓は、国会図書館デジタルアーカイブからダウンロードしました。ありがたい時代です。

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世界は核戦争をしなければならない、という見方とは

2023-06-26 10:44:52 | 究極というものの可能性neo

◎西郷隆盛の予感、ダンテス・ダイジの予感

(2021-06-05)

 

渋沢栄一の実験論語処世談の中に西郷隆盛の人物月旦がある。これに、日本は維新後戦争をしなければならないという見方がある。

 

明治になってからの1871年の高官の会議で、西郷不在のままさる案件を決議して、西郷が到着して後、諸公から判子だけ押してくれと頼んだが、西郷は納得せず結局押さなかった。

 

西郷はその理由について説明しなかったが、

『日本は維新後まだ戦をする事が足らぬ。もう少し戦を為(せ)ぬと可(い)かぬ。そんな事は己れは如何でも可(よ)い』とだけ述べ、結局その議案はお流れになった。

渋沢栄一は、同年廃藩置県があったので、その時になってようやく西郷の言っている意味がわかったとしている。

 

1868年:明治維新、戊辰戦争

1871年:廃藩置県

1876年:廃刀令、秩禄処分により、士族の乱が相次ぐ

1877年:西南戦争

 

戊辰戦争以来戦争をやるやらないは、実質的に西郷の胸先三寸にあったと言えるだろう。ここで着目すべきは、戦争をやらないと民心が落ち着かない、あるいは修羅を求める気持ちを現実化せしめないと次の段階に進まないと見ていたであろう部分である。士農工商から四民平等に進むには、最大の被害者である旧士族の不満、叫びを消化する必要があった。

 

次の時代は、何でも金、経済的メリットと便利優先の人類を、100%逆方向の神仏が第一でその次に自分という行動規範と価値観に持っていくのだから、その衝撃を昇華するには、国家間の核戦争の発生は必至と見ているのではないか。

 

翻って、西郷隆盛もダンテス・ダイジも戦争の予感というのをそういう文脈で見ていたのではないか。戦争の予感は、現状の人心を自分の机上の風景をきっかけに感じることもできるし、道路を過ぎ行く自動車を見て気づくこともできるし、飛び去る烏の声で知ることもできる。

 

核戦争の発生が確実と見ていたのはダンテス・ダイジ。出口王仁三郎は、その辺は、あまりにも悲惨なので書いていない(あまり悲惨でよう言われんわい。)。

 

戦争をしないと気が済まない人類の大多数を、マスコミなどによるマインド・コントロールでなく、本気で戦争なしで済ませることで納得させることができるかどうかが、この中距離核ミサイル何千発を構える虎狼の如き隣国やら西側勢力で核戦争が起きないために必要な条件だと思う。

 

ところで最近のスピリチュアルSNSでは、地震の予感は一生懸命やっているが、外国からの日本侵略の予感を上げていないのは奇妙で片手落ちなことである。既に相当に侵略されちゃっている?抱き込まれている?そもそもそういうSNSなら大三災(風水火)、小三災(飢病戦)すべてビジョンに乗ってくるはずなのだが。

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神がかりにだまされる者は、神の綱が切れる

2023-06-26 06:21:46 | 【アストラル体】【ザ・ジャンプ・アウト-07】neo

◎Coolな出口王仁三郎

(2014-04-18)

 

大本教の大立者であった出口王仁三郎は、音に聞こえたクンダリーニ・ヨーギ(行者)。雲にのってアストラル・トリップをしまくるなど、超能力を自由自在に使える人であった。また明治31年の高熊山の洞窟修行で、この世の行く末を見たようである。

 

『日本は二分、外国は三分になる。信仰のないものは助からぬ。経済界は目茶目茶になる。』

(新月の光/八幡書店/木庭次守編から引用。以下『』内は同様)

これは、大本神諭に人類は三分しか残らないとあるのを意識した発言。

それでは、信仰とは何か。

むらきもの心に神の宿るとき 三千世界一目に見えすく(王仁三郎)

『聖師を真渓涙骨氏の案内にて西本願寺の大谷光照法主が訪問されての一問一答

問:今後の宗教はどうしたら良いでしょうか。

答:拝みたい者には、富士山でも造って拝ましたらよいでしょう。』 

築山として富士山でも造ってとは、まだ自分以外の何かを拝むことが宗教だと思っている人もいるだろうから、そういう人には築山も必要。しかし本筋は、自分の内なる神、主神に自らアプローチすること。

『問:聖師様(王仁三郎)を友達のようにしては、いけませんね。

答:いやこのほうが王仁三郎は好きじゃ、神様は民主主義じゃからな』

預言者が、一般人の友人として現れる時代であることを肯定している。

 

『○○○には、○さんの霊がついている。

○(○○○)には○○の霊がついているのである。

神がかりにだまされる者は、神の綱が切れる。』

スピリチュアル系ブログでも、プレアデス、オリオンなど天体の名を冠した霊がかりをいう者あり、古代の聖人の霊をいうものあり、ガブリエルなどの天使や龍の名を語る霊がかりあり、多彩なことである。

出口王仁三郎も、 霊がかり、神がかりに騙されてはいけないと諭している。

霊がかり、神がかりは、ポジティブなインスピレーションを採用する程度で十分であって、懸かる霊の先に本流が流れているなどと見誤り、帰依してしまうと「だまされた」ということになりがちであることを言っている。

 

それを見分けるために王仁三郎は、審神(さにわ)をいうが、その違いの分かる人は、昔も今も少ないのだろう。

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組織宗教がすべて過去の記憶となる

2023-06-26 05:51:58 | 覚醒のアーキテクチャー

◎あなたのエゴと隷属をともに焼き尽くす火

 

OSHOバグワンは、アメリカ官憲に拘束されて毒(タリウムか?)を飲まされて、七週間苦しみ、その間7度脈拍が停止したこともあった。七週間後に痛みは引いたが、身体の不調は、亡くなるまでのあと一年ほど続いた。

彼の宗教コミューンを創造しようという運動は、アメリカ官憲からの追い出しによって破綻。当たり前だが、彼の宗教コミューンに参加したからといって、全員が神仏を知るわけではない。

以下の文章は、その頃の講話だが、構想の力点は、既に新宗教コミューン建設ではなく、既成組織宗教の崩壊の運命に移っている。

 

過去何千年の人類の歴史は、既成組織宗教が、抑圧を梃子として自分自身に向き合うことを促すことで、神仏を人間に気づかせるという形で行われてきた。

今や人間の精神も肉体も進化し、抑圧なしで神仏を知ることができるところまでやってきた。これを以て組織宗教の命脈の終わりとし、釈迦はこれを末法と見て、キリスト教の予言者マラキーは最後のローマ教皇を幻視し、ファティマ第三の秘密ではカトリックの終わりがささやかれ、ダライラマは自分が最後のダライラマだとしている。

利己主義と隷属は、抑圧を以て神仏を知るパターンを堅持する組織宗教の定番のやり方。万人が組織宗教を媒介とせず、直接神仏を知る時代となれば、組織宗教はすべて過去の記憶となる。

そうなれば、「拝みたい者には築山でも作って拝ませましょう。」などという軽口まで出てくる。

OSHOバグワンは、一歩進んで、組織宗教こそが、人類に抑圧を強制する構造を温存する古びた組織だから、これを破壊すべきだと踏み込んでいる。だが、組織宗教のステイク・ホルダーは多数いて、それは容易な道程ではない。

 

『私たちはここで新しい宗教を創ろうというわけではない。私たちはあらゆる手をつくして宗教すべてを破壊しようとしている。 諸々の宗教はもう十分、人類に害を及ぼしてきた。このうえ一日でもそれを許しておくことは、慈悲の意味を知る者、自分自身の存在の永遠性を知る者の意に反することだ。こういった組織宗教がすべて過去の記憶とならない限り、人間の生活からは、枷や、鎖や、様々な道徳がなくならない。そういったものは人間の意志に反して押しつけられたものだ。そのせいで人間は独立した一個人として生きることができない―――群衆に合わせて自己を制御しないといけない。それは醜い隷属だ。

何千年もの間、人間は様々な種類の隷属のうちに生きてきた。もう自由の味を忘れて いる。もう応答能力の美を忘れている。自分に翼のあること、大空が自分のものであることを忘れている。人間は動物のように棒につながれている必要はない。超越の鳥なのだから。

私はこれからもずっとみんなの中にどんどん火を起こしていく。その火はあなたのエゴと隷属をともに焼き尽くす。それによってあなたは自由になり、みずからの光となる。あなたの瞳にこそ、世界の希望がある。』

(ノーマインド 永遠の花々 和尚/講和 壮神社P87-88から引用)

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西郷隆盛と禅

2023-06-25 20:52:38 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎未発の中

(2006-07-19)

 

日本の政治は薩摩長州というのは、戦前だけではなく、戦後も連綿とその影を落としている。一例として、安倍晋三は長州閥代表である。

 

さて明治維新の大乱の中で、利害得失について大局観を失わずに物事を進めていくためには、個人や一国という人間を超えた立場、己れを捨て去った立場に立たないとならないものである。そこで、幕府方の一人が禅を極めた山岡鉄舟であり、かたや倒幕勢力の薩摩の西郷どんが、これまた禅に打ち込んでいたことはあまり知られていない。

禅なくして、明治新政府の時代を先取りした舵取りの一定の成功はなかったことだろう。新知識、新技術が洪水のように導入されたが、それがそれなりに成功したのは、禅によるバランスのとれた判断力があったと見るべきだろう。

 

西郷隆盛は、17歳から28歳までの間、一日も怠ることなく、誓光寺の無三住職について禅をしていた。大山巌が、朝早く西郷隆盛の家を訪れると、既に西郷は無三住職の下から帰って来ていたものだという。

ある日西郷隆盛は、無三和尚に言われた。

「貴下の学んでいる儒書には、喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中という、とあるが、未発の中とは何か。」

南洲(西郷隆盛)は、さっそくいろいろと説明した。

すると和尚はすかさず言った。「それは文字の講釈じゃ。朱子や王陽明など古人の残り糟をなめる死に学問だ。おまえさんの活きた本物を出して見せなさい。」

南洲は茫然自失し、唖然として答える言葉がなかった。それから一週間、猛然と禅に打ち込み、ついに未発の中を大悟した。

 

昨今は、知識だけつけて、良い大学に入りさえすれば、将来が開けるとか、難しい資格試験の勉強をして良い資格をとりさえすれば、一生安泰だと思っている人が多い。

ところが資格や高学歴の前に、人生の一大事である『何のために生きるか』について、一つの回答を持っていなければ、人生行路の途中で『うつ』になったり、心身のバランスを崩したりすることが多いのではないか。内面に出なければ、家庭崩壊などの外面に出ることもあるのではないか。

人は、人生のあらゆる局面を「資格」や「学歴」や「知識」や「金」で解決できるものではない。

あの大西郷ですら、10年以上『何のために生きるか』という大問題と格闘した。いわんや市井の凡人ならもっと努力が必要だろう。その方法は、何も臨済禅に限る必要はないけれど、自分にあった冥想によって、納得できるまでアプローチしていく人が増えなければ、日本の未来も、世界の平和も、個々の家庭の安穏もあるまい。

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西郷隆盛沖永良部で万事休す

2023-06-25 18:59:45 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎その冥想修業を語らず

(2019-07-27)

 

西郷隆盛は、流刑に2度遭遇し、一回目は奄美、二度目は、沖永良部。沖永良部は奄美と沖縄の間にある。

 

老西郷大島流竄中の事跡によれば、非常にお粗雑な造りで狭隘な牢(二間四方)に閉じ込められ、日光も浴びれず、脚を伸ばせば枕は便所に接し、臭気は我慢できるものでなかったほど(トイレは室内)。

 

また与えられる食事も粗末で量も少なく、もともと巨体で肥満していた西郷の肉体も日に日にやせ細り、ついに歩行の自由を失うに至った。

 

このような状態であるにも拘わらず、君命重しとして、敢えて牢を出ることなく、三度の食事以外は水も口にせず、端座し続け、読書や冥想をしていた。(出典:維新を創った男西郷隆盛の実像/粒山樹/扶桑社P144など)

 

こうした状態が2か月続き座敷牢に移してもらった。

 

狭い牢獄で暫く暮らすと歩けなくなるのは、黒田官兵衛の有岡城の土牢の件でも知られる。

 

こうした冥想しかできないような環境に置かれ、かつ絶望に陥らず冥想を続けるというのは、万事休したが、坐ることはできるので坐ったということ。

社会性は失ったが、冥想しかできなかったので冥想したということ。

 

簡単にできるが如く書いてはいるが、洞窟での感覚遮断実験のようなもので、自分が振れると気が触れる可能性はある。

 

飲まず食わずの冥想は長く続けられるものでなく、2か月で打ち止めとなった。イエスも荒野の冥想は40日。

 

その後、西郷隆盛は写真を残さないまま、戊辰戦争など明治維新前後の戦役をほとんど一人で主導し、西南戦争で没した。西郷隆盛は悟っているが、更に沖永良部でその冥想を深めることで、その後の人生と日本の維新を一気呵成に進めたというべきだろう。

 

覚者の長期の冥想修業は軽々に見るべきではなく、その間の出来事は、聞ける相手が出現して初めて語られるものであって、結局そういう相手は出ずに終ったのだろうと思う。

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明治政府と西郷隆盛

2023-06-25 18:56:41 | 時代のおわりneo

◎米欧回覧の再評価

(2011-11-23)

 

天皇陛下ご不例にあらせられる時ではあるが、「天皇の暗号/大野芳/学研」を読んだ。

この本は、幕末以来巷間にささやかれる天皇陛下周辺の異説を独自に取材して、裏付けをとろうとした試みの一つである。

明治初期の出来事で腑に落ちない事件はいくつかあるが、その一つが西郷隆盛が下野した理由である。歴史の教科書では、征韓論をめぐる対立で、西郷隆盛が下野したことになっている(武力征伐を主張した板垣らに対して、西郷が全権大使となって韓国派遣を進めたが、実現しなかった云々)。

この本では、西郷の下野について次のような推理をしている。

西郷は、福羽美静らの『纂輯御系図』を公表することで、天子の正統であることを明確にしたいという目論みがあったのに対し、大久保利通らは、そうすることで薩長同盟から今日に至るまでの偽勅、密勅などの欺瞞の経緯が白日のもとに晒されるのを嫌った。ましてこの時期、木戸、岩倉は米欧回覧で、国外にいる。・・・・この紛糾が決定的になったので、西郷は官職を辞して薩摩に帰った。

米欧回覧とは、木戸、岩倉、大久保らが、明治4年12月から1年9か月にわたり米欧を遊覧したもので、なぜか大久保だけが明治6年5月に帰国し、西郷にも会わぬまま箱根から京阪に姿をくらまし、木戸は同年7月に帰国、岩倉は9月に帰国。

そして、西郷は明治6年10月24日に辞職。翌25日、板垣退助、江藤新平、副島種臣も辞官、下野。更にこの3日の間に佐官級将校の辞職は46名に及んだという。

これ以後西南戦争に続いていくのだが、この流れを見れば、米欧回覧と西郷下野が連動していると見るのは自然であろう。

更に著者大野芳氏は、明治政府要人の米欧回覧は後世に言われるような西欧国家見学というようなものではなく、日本国内の不満分子からの反撃・復讐を避けるべく、ほとぼりが冷めるまでの海外高飛びではなかったかという卓見を披歴している。

 

明治政府は廃藩置県をやったが、これで幕藩体制の武士は一斉に失職したので、今日のギリシアならずとも、全国的なゼネストやら全国規模の反乱が起きなかったのは不思議ともいえる。その雰囲気の中で明治政府首脳が1年9か月海外に高飛びというのは、まんざらハズレでもないように思える。次の西郷隆盛の言はそれを裏打ちするかのようである。

米欧回覧使節団の横浜出港にさいし、西郷隆盛は、「嗟(ああ)、あの大使一行の乗船が万一太平洋の真中で覆没したらんには、それは却って国家の仕合せならん」と語った。

明治政府の中で、より欧米寄りだった人物が米欧回覧に出て行ったのだろう。

 

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関山慧玄が立ったまま世を去る

2023-06-25 06:21:54 | 達磨の片方の草履

◎雨漏りの部屋にざるを持ってくる

 

関山慧玄は、妙心寺の開山だが、語録はない。以下のようなエピソードがある。

『雨もりする丈室

妙心寺の関山大師の居室はいたみがひどく、雨の降るたびにすわる場所がないほどであった。その日もひどい雨であった。大師は傍に控えていた者たちに命じた。

「何か器を持って来て、雨の漏るところへ当てなさい」

すると一人の小僧はただちにざるを持って来た。大師はこれをはなはだ賞められ た。

ところが、その後にもう一人の小僧が桶を持って来たところ、大師は、「この馬鹿者め」と罵って、追い出してしまった。』

桶を持ってくるようでは、道は遠い。またこうして追い出された小僧でも、何度も追い出されてもあきらめずに冥想修行を続けた者の中に悟りを開いた者が出ている。関山慧玄を看取った授翁の後継者の峨侍者は、関山に25回もたたき出された。

 

『柏樹子の話に賊機あり

日、関山は「柏樹子の話」を指して、衆に示していわれた。

「柏樹子の話に賊機あり、諸人、看よ、看よ」 』

趙州禅師が、仏とは何かと問われて、庭の柏樹子であると答えた。この手の回答は多く、くそかきべらと答えた例もある。いわば回答は何でもよいのだ。そこで、関山は、この禅問答は簡単だが、全部持っていかれるぞと注意を与えている。

つまり、庭の柏樹子をありのままに見るということは、恐怖も、不安も、不満も、憎悪も、嫉妬も、憎しみも、喜びも悲しみもありのままに見るということであって、水平の悟りにつながっていく。

 

『立亡

ある日、関山は旅装を整え、笠をつけると、弟子の授翁を呼び、後に従えると、妙心寺山内の風水泉(井戸)のところまで来た。関山は傍の松の大樹によりかかると、授翁に遺誡を伝え、そのまま静かに立ったまま亡くなった。』

立ったまま亡くなったのは、禅の三祖僧璨だが、彼は、中風を病んでいた。俗には畳の上で死ぬのが大往生とされるが、死も超越した禅者にそのような形式はない。その死に様も公案として残したのだ。

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明治維新の元勲と禅

2023-06-24 07:15:32 | 時代にFace it

◎西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟

 

明治維新では、幕府方と薩長がいがみ合ってしばしば収拾がつかなかったが、それをまとめたのは、禅で悟った人物たちであった。

具体的には、西郷南洲、勝海舟、山岡鉄舟であった。三者とも見性は済んでいる。

 

西郷隆盛は、28歳までに、故郷誓光寺の無三和尚に参禅し見性した。誓光寺跡には彼が坐った坐禅石が残っているという。

 

勝海舟は、墨田区向島の弘福寺で修行。あの幕末の物騒な時に帯刀せず、生涯無刀だった。その結果、剣客に二十回も襲われて、その時の傷痕が、体中に残っていたが死ななかった。自分が死ぬとか傷つけられるということはどうでもよく、他人を傷つけたり殺したり決してしないということに徹していたのだろう。これは覚者の証拠である。

 

山岡鉄舟は、最後は明治天皇の侍従までやった人。静岡市にいくと西郷隆盛が薩長軍を率いて江戸城攻撃に赴いた際に、山岡鉄舟が幕府方の交渉相手として登場して、江戸を焼き討ちせず無血開城がここで決まったという立て看板が立っている。当時山岡鉄舟は、徳川慶喜の側近として交渉に当たった。剣の達人にして、禅も何回か大悟している。その際の歌。

晴れてよし 曇りてもよし富士の山

もとの姿はかわらざりけり

禅は川口市長徳寺の願翁和尚や、三島の龍沢寺の星定和尚に参じた。

 

明治維新ドラマと言えば、外国人の暗躍や薩長と幕府方の対決ばかりスポットライトを当てられがちだが、廃仏毀釈の嵐と欧米列強の圧力の中で、敵味方の区別なく人材を活用し、仏教を護持していった禅者たちの活躍はほとんど伝えられることはない。

 

今、再び世上は騒がしくなりつつある。そうした時代に生きる若い人の中からは、こうした剣と禅あるいは格技と冥想で、勇気と胆力を備えた人物が続々と出て来るのではないかと期待している。

それにしてもあまりにも、スマホ、マスコミなど広義のマインド・コントロールが厳しく、またカルトと詐欺グループの攻勢が厳しく、そうした人物が育ちにくい環境になってしまってはいる。

青少年教育の基本は、愛を信じて他人を信頼し傷つけないというポジティブな姿勢だと思う。だが、時代がここまで落ちれば、青少年といえども、世界にいくつかのネガティブな勢力があることは、スマホを手にした年齢から承知しておくべきだろうと思う。

一つは、世界全体、人類全体を核戦争や人口減少などで滅亡させようと図る勢力。

一つは、日本と日本人を、滅亡させようとする勢力。これは一般には反日教育をしている三か国だが、アメリカを含む欧米、グローバリズム勢力ですら油断できない時代となっている。

今後言論・思想の自由のない時代や軍人内閣の時代があることも予言されている。

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