アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

芒種のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

2024-05-31 15:12:56 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎身体バランス練習、シニア向け

 

すっきりと晴れない日が続いています。

今頃の季節は若い頃から不調なことが多かったのですが、それを思い出しました。

 

屋外散歩20分を2~3回にして、Olivia Lawsonの室内散歩20分を1回に減らしたら、てきめんに膝回りが弱くなってきましたので、Olivia Lawsonの室内散歩20分は最低2回はやるように変えたばかりです。

30 MIN BOOSTED WALKING WORKOUT FOR WEIGHT LOSS- No Jumping Fat Burning - YouTube

 

日がなマウスとキーボードの生活で、左手の弱体化が著しいのと、字を書くのもおっくうになってきたので、ボールペンで字を書く練習とロープ結び(昔ボーイスカウトの教本に複雑極まりないのが載っていたが、そういうのをやってみたい。)の練習を始めることにしました。

 

最初は、もやい結びを何回も練習するのから始めたいと思います。ロープ結びは、船舶、登山、ワイルドライフなどで必要で、ネットにもいろいろ上がっています。しかし狙いはあくまで手指のリハビリです。

字を書くのも、「最近の若い女性は手書きの字がきたない」などと他人のことは言えないほどに、自分の手指が退化してしまいました。将棋駒を積むリハビリもあるようですが、当面ロープ結びとペン字をやろうと思います。

ペン字も千字文でもやろうかと思いましたが、当面は住所氏名で。

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すべての次元にガイドがいる

2024-05-31 04:50:45 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-11-12

◎世界樹-10

◎ヘルメス、猿田彦命

 

霊界探訪記を見ると、霊界のどこにいても霊界太陽が見えるとあるものだ。人は霊界において神たる霊界太陽に常にリンクしている。この世においては逆に極めて稀な人しか神仏を目撃、あるいはコンタクトできない。しかしこの点は、この世でもあの世でも神仏にコンタクトできるという可能性を保証していると見るべきだろうと思う。

世界樹は、世界全体のシンボルだが、七つの次元のどこからでも神仏・ニルヴァーナに接することができるための親切なガイドさんがいる。そのガイドが、古代ギリシアではヘルメスと現れ、古事記では猿田彦命として現れる。

 

ピュタゴラスの冥界めぐりのエピソードにヘルメスが登場する。

『魂を一つにつなぎとめている紐帯は、血管や動脈や腱である。しかし魂の力が強くて、自分だけで静かに落ち着いているときには、魂(内部)の比(均衡)と活動がこれを一つにつなぎとめているのである。

しかし、(肉体との結合が解けて、)魂が地上へ放り出されると、魂は空中を肉体と同様にさ迷うことになる。そしてそのときには、ヘルメス(神)が魂たちの監視者になるのである。それゆえに、(地下の世界まで死者たちの魂に)「付き添うヘルメス」とか、「門の前に立つヘルメス」とか、「地下の世界のヘルメス」というような言い方がなされているわけである。

このヘルメスが、肉体から(分離した)魂たちを、陸からも海からも(定められた場所へと)送り届けるからである。

そして清浄な魂たちは、最も高い場所へ連れて行かれるが、不浄な魂たちは、清浄な魂たちにも、あるいはお互いにも近づくことが許されないで、エリュニス(復讐鬼)たちによって破ることのできない束縛のなかにつながれるのである。』

(ギリシア哲学者列伝(下)/ディオゲネス・ラエルティオス/岩波文庫P34-35から引用)

 

このようにヘルメスは至るところに登場する。地獄でも、中有の入り口でも、死んだばかりの取り込み中のところにも、ヘルメスが同伴している。

 

これは、人が七つの次元にあり、人が肉体レベル、エーテル体レベルなどのどの次元にいたとしてもヘルメスを目撃できることを言うのであって、それを「ヘルメスが魂に付き添う」かのように見えるせいではあるまいか。

 

よく真正なグルを真摯に求めればかならず出会えるというが、それもこの伝なのだろうと思う。

 

また日本の神話なら別れ道に立つ猿田彦命である。皇孫二々岐命が豊葦原瑞穂中国の主として降臨あらせられた時に、猿田彦命は、天の八衢(やちまた)に出迎え奉り、日向の奇振るの峯に天孫を導きたまい、また伊勢の大神の先導に立ちたまいし忠勇無比の神様である。

天の八衢とは、中有のこと。中有から先も自分で進まねばならないが、猿田彦命はそこでガイドを務め、正しい道を指し示してくれる。これぞヘルメスと同様のさまよえる魂を善悪立て分けて、相応の場所に送り届けるという役割である。

これを世界全体で俯瞰すると、無数の人が猿田彦命にエスコートされて、世界樹の幹や枝を上昇し或いは下降している様となる。

 

こうして「世界樹はエスカレーターとも見える」という見方があることがわかる。

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17 星

2024-05-31 04:03:42 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-12-10

◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-10

◎明星を見る釈迦、空海、日蓮、クリシュナムルティ

 

有名覚者の悟りシーンには、星が登場することがままある。

 

釈迦は6年間の苦行を捨てて、ヨーグルト(乳糜)を食べて体力を回復し、菩提樹下でメディテーションに入った。そして、『明星が出た時、釈迦は廓然として大悟し、無上の正真道を得た。』(中国に伝わった最古の仏伝とされる修行本起経)とする。

 

空海はあらゆる経法の文義を暗記する力を得るために、高知県室戸崎で虚空蔵菩薩求聞持法を修した。すると谷響を惜しまず、明星が来影した。ごうごうたる阿吽(オーム)の響きたる谷響のうちに、明星がやってきた。

 

日蓮は十二歳で、安房小湊に近い天台宗清澄寺に入り、その年からこの寺の虚空蔵菩薩に願をかけ、「日本第一の智者となし給え」と祈っていたという。一六歳で出家。清澄寺の本尊は虚空蔵菩薩。虚空蔵求聞持法は、虚空蔵マントラの連唱。清澄寺から旭の森に行く途中の切り立った崖の下に小屋があって、これこそ慈覚大師円仁の求聞持修行の地であり、日蓮の法華修行の霊場だという。

『五十五歳の日蓮が、身延から清澄寺の大衆へ書き送った手紙『清澄寺大衆中』の中

にこういう言葉がある。

「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思(おぼ)し食(め)しけん。明星の如くなる大宝珠を給ひて右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば八宗竝に一切経の勝劣粗(ほぼ)是を知りぬ。」(『昭和定本日蓮聖人遺文』H・一一三三頁)』

(名僧列伝 3 念仏者と唱題者/紀野 一義/文芸春秋P210-211から引用)

日蓮は、明星のような大宝珠を得てあらゆる経典の優劣を理解し得た。

 

最後は20世紀の聖者クリシュナムルティ。

『勧められるままに木の下に行き、私はそこで座禅を組んだ。そのようにしていると、私は自分が肉体を離れ出るのを感じた。私は若葉の下に坐っている自分を見た。私の身体は東を向いていた。私 の前には自分の肉体があり、頭上にはきらきらと輝く美しい「星」が見えた。』

(クリシュナムルティの世界/大野純一P73から引用)

 

覚醒の確証としての星。それも釈迦からして、太陽でも満月でもなく、なぜか星。これはタロットの図柄の大きな星の方。

また大きな星の周辺には小さな七つの星が配置されている。これは、七つのチャクラ。七つの身体。

キリスト教も万人向けのオーソドックスな宗教なので、チャクラについての言及がある。以下は、ユクテスワの指摘。

『「振り向くと、七つの金の燭台が目についた」(ヨハネの黙示録1:12)

「それらの燭台の中央に、足まで垂れた上着を着、胸に金の帯を締めている人の子のようなものがいた。」(同上1:13)

「それらの右手に七つの星を持ち・・・」(同上1:16)

「あなたがわたしの右の手に見た七つの星と、七つの金の燭台の奥義はこうである。すなわち七つの星は、七つの教会のみ使いであり、七つの燭台は七つの教会である。」(同上1:20)

「右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の真ん中を歩く者が次のように言われる」(同上2:1)』

(聖なる科学/スワミ・スリ・ユクテスワ/森北出版p84から引用)

 

道教の聖典である太乙金華宗旨にも当然の如く、チャクラへの言及がある。それは悟りの確証の体験の説明の一部として現れる。

『確証の体験の第一段階は、観無量寿経の瞑想法に「太陽は、大いなる水に沈み、立ち並んだ木々が存在する現象として、形をとってくる」とのべられている体験であろう。「太陽が沈む」というのは、混沌(現象があらわれる以前の世界、つまり叡智界)の中に基礎が打ちこまれたことである。これが無極(対立する両極を超えた状態)である。

最高善の状態は、水のように清らかで汚れがない。これかすなわち「太極」(大いなる極)の主宰者である。

「震」(東方)から帝(神)が出現することである。「震」のシンボルは木である。したがって「立ち並んだ木々」のイメージが生まれてくるのである。七重の並木は、身体の七つの穴(あるいは心臓の七つの穴)が光輝くことを意味する。』

(黄金の華の秘密/CGユング/Rウィルヘルム/人文書院P203から引用)

 

さて七つの身体の基本的な説明は次のとおり、

①第一身体

肉体。 物質。

②第二身体

エーテル体。経絡に相当する。エネルギー・コードの骨格(傘の骨みたいな形)というものに近いと言われる。

気合、意思力、勇気、体力などの根本的源泉。半物質。

③第三身体

アストラル体。幽体と呼ばれる。肉体に相似した形。これ以上は物質次元ではない。

④第四身体

メンタル体。高次の感情と精神活動を司る。透明で光輝いていると言われる。

⑤第五身体

コーザル体。肉体と世界を形作っている最後の個別性。球形の光と見えると言われる。

⑥第六身体

アートマン。個別性即ち我はなくなったが、『在ること』=有が残っている状態。

⑦第七身体

ニルヴァーナ。涅槃。なまえもなく、言葉では説明できない。

 

七つのチャクラが存在するのはメンタル体までなので、七つのチャクラが世界全体を示すシンボルというわけにはいかない。世界全体を示すには、七つの身体論こそが必要かつ十分なのである。

そして七つの身体があるということを俯瞰できるのは、第七身体ニルヴァーナに到達した者だけということも重要。

カモワン・タロットの17星の絵柄で説明されていない要素は、沐浴。次元を貫いてオームの川は流れるが、そこに沐浴する裸身の太母。沐浴は、西洋錬金術文書にも支那内丹書にもよく出てくるテクニカル・ターム。

ユクテスワは、沐浴とは聖音オームの川の流れで沐浴することで、最終的に神のもとに帰る途中のワン・クッションという説明だが、その意味するところは重い。ユクテスワの説明は「11 力」で示したとおり。

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悟りが夢であるように

2024-05-31 03:55:52 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-12-7

◎ニルヴァーナ-7

◎ニルヴァーナとその実感-7

◎神よ、「何もかもなし」それ自身よ、私自身よ

 

ダンテス・ダイジ遺稿の一つ老子狂言から『悟りが夢であるように』を引用。

 

悟りが夢であるように

 

 

迷いが一場の夢であるように

悟りもまた場を持たぬ一場の夢

 

悟りが夢であるように

迷いが夢であるように

7つのスペースから

熱と光は去り

私は未知以外の未知を知らぬ

 

かつての情熱は今や消え去り

私の夢は

私自身である「何もかもなし」それ自身を夢見る

 

一つの夢が終わり

新しい夢は始まっているはずだが

悟りが夢であるように

私には何一つ

つかまえるものが見えない

 

私の眼がくもってしまったのか

新鮮な何かを私は

なおかつ、待ち続ける

 

神よ、

「何もかもなし」それ自身よ

悟りが夢であったように

私という夢をことごとく

あなたの中に消し去りたまえ

 

神よ、

「何もかもなし」それ自身よ、

私自身よ』

 

 

あらゆる情熱はあたかも終わったかに見え、そこに七つの次元を縦横無尽に駆け回った欲望の激しい動きはもはや消え失せた。

そこには神にしてニルヴァーナなる「なにもかもなし」であった、私自身が残っている。

 

迷いは第五身体以下の神知らぬポジション。悟りは第六身体と第七身体の神。

悟ってみれば、迷いは一場の夢。有なる悟りである第六身体アートマンである『在ること』を棄ててしまえば、悟りも一場の夢と化す。

 

『7つのスペース』と言える位相は第七身体ニルヴァーナ。『在ること』を棄ててしまってニルヴァーナに居れば、既に未知となって、『私自身である「何もかもなし」それ自身を夢見る』。

 

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