アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

少年宗峰妙超、ペットの子犬を難詰する

2024-06-24 04:50:37 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎播磨の悪童

(2017-11-11)

 

今の日本の禅は、曹洞宗と臨済宗に分かれ、臨済の方は大燈国師宗峰妙超の系流だけが残っている。

宗峰妙超は、大徳寺の開山だけあって、日本人の精神性に相当に大きな影響を残してきた。

 

少年宗峰妙超は、ある時子犬を綱でつないで引っ張ったが、犬はついてこようとせず、一歩も動かなかった。

彼は怒り、子犬を竹杖でたたいた。あわれ子犬は、悲しそうにキャンキャンと吠える。なおも彼は「畜生のくせに死を恐れるのか」と子犬を叱る。

これを見かねた通りすがりの人が、「お前だって死を恐れるだろう。まして子犬のことだ。」

宗峰妙超は、「生あれば必ず死がある。人が死を恐れるようでは、犬と何ら異なることはないではないか。」と。

通りすがりの人は、この小童の言葉を聞いて舌を巻いて驚いたという。

 

一日、ある人が刀を磨いていた。その人に向かって少年宗峰が、「刀を磨いて、いったいどうするのか」と問うた。その人は「よく切れるようにするためさ」と答えた。

宗峰「切れないところに、却って切れるところがあるのを知っているか」

その人がおやっと思って刀を磨く手を休めたところ、宗峰は呵々大笑した。両親がこれを見てはらはらして「もうやめなさい」というと、宗峰は逆に親のことを棒でたたいた。

 

宗峰妙超は、播磨に育ったが、少年の頃から相当にキテいた人物であって、いわゆる前世で相当に修行の進んだ人物と見える。禅をやりに来たのだ。

いまでもこういう子供は、動物虐待で親にも暴力を振るうとんでもないガキだが、当時はもっと悪評だったのだろう。

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白隠の和風公案

2024-06-22 04:52:42 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎男も女も、恋愛に、ライフ・プランに惑う

(2020-06-18)

 

本木くんの出演する映画ファンシィダンスの法戦式シーンでは、華麗な禅問答が漢語で次々と戦われるのだが、初めて聞いてわかる人は相当に禅籍を読みこなせている人だけだろう。

事ほど左様に中国の禅問答は、よほど古代中国の歴史と仏教の歴史、禅僧の来歴、中国の風俗、生活習慣に詳しくないと意味がとれないところがある。十牛図であってもそう。

そこで、中国公案では単なる記憶力ゲームになるとして白隠が和風公案を出してきた。

 

「海上の帆掛け船をここにいて止めなさい」

 

「印籠の中から富士山を出してみなさい」

 

「東海道に一人も人が通らないのはなぜか」

 

「両手をうてば声がするが、隻手(せきしゅ)(片方の手)には何の音があるか」

 

こうして漢文の素養のない者でもストレートに疑団に取り組むことができるようになったが、帆掛け船とか、印籠とか、東海道を足で歩くとか、今見れば大時代な用語である。

 

そこで隻手の公案の優秀性がわかる。ダンテス・ダイジもこれで見性した。

 

離婚3割で生涯未婚率も男性23.4%、女性14.1%。一生涯一職業は成り立ち難く、専業主婦はいまやほとんど絶滅危惧種。男も女も、恋愛に、ライフ・プランに惑う。かくして今の日本に生活すること自体が疑団となった。そして中国の狡猾な侵略と北朝鮮の核による恫喝、韓国のいいがかりと居並ぶ反日国家群の攻勢が米軍の弱体化を後目にかまびすしくなっている日々。

 

世界の未来と日本国民の運命は切り離せないが、日々冥想を。

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中国ドラマ「花散る宮廷の女たち」

2024-06-22 04:49:13 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎禅の六祖壇経

(2020-09-21)

 

東京12チャンネルで中国宮廷ドラマ「花散る宮廷の女たち」を放映している。

中国宮廷ドラマは、時々見ることがあるのだが、今回のドラマの特徴は、キスシーンが多いこと。それと、いつも必ず出てくる「皇帝が何枚もある夜伽の女性札から一枚をひっくり返すと、簀巻きにされた当の女性が皇帝の寝室に運び込まれるシーン」がないこと。

 

康熙帝には、35男20女の子がいて家康もびっくり。後継者争いは年長の9男くらいで争ったが、後継者争いのしこりは、四男雍正帝が即位してからも残った。

 

雍正帝は自らの後継者問題を防止するために皇太子を置かず、後継者の名は錦の箱に入れて乾清宮の正面の額の裏に置いて、皇帝の死後に衆人立会いの下でこれを開くという「太子密建の法」を採った。

 

この方法で後継者争いは起きなかったとされるが、太子密建の法は先帝が何度も中身を変更できるというメリットはあるものの、大盗賊やら有力宦官やら大物政治家が密かに中身を変更しても、開いた中身が先帝の意図したものだったかどうかは死後ではわからない。

 

一方日本の将棋タイトル戦においてすら封じ手を書いた封筒は三枚用意するもので、まだ太子密建の法よりも公正のように思われる。

 

もっとも仏教の信仰厚いチベット密教でもダライラマ後継者選定は毎度問題になっていて金瓶掣定というくじ引きをやっていたので、清朝のことは笑えない。

 

おやっと思わされたのは、四男が禅の六祖壇経の

『菩提本(もと)樹無く

明鏡も亦(また)台に非ず

本来無一物

何れの処にか塵埃を惹かん』を読み上げるシーンがあったこと。

 

これは、禅の五祖弘忍禅師の最上位の弟子神秀が、「この身は悟りの本だからいつも努力して汚れを掃除していないければならない」と偈を出して来たのに対し、一介の米つき男慧能が、「本来無一物なのだから元々汚れなどない」と大逆転シュートを放った故事。

 

清王朝はラマ教であり、禅籍を学ぶことはまずないはずなのだが、後の禅僧弾圧からヒントを得たのだろうか。中国人がアメリカに大勢渡りアメリカの禅ブームに刺激を受けたのか。アメリカでは、小粋くらいの意味の形容でzenが使われるのだが、そういう逆輸入か。

 

禅は日本に入って、臨済系と只管打坐系で残っているが、中国でも禅僧禅刹が残っているから禅が残っているとは言わない。禅で大悟した人がいてなんぼである。

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破竈堕(はそうだ)和尚

2024-05-16 12:41:15 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎竈の神が成仏する

(2015-04-30)

 

破竈堕和尚は、唐代中期の人、嵩岳(すうがく)の慧安国師の法嗣である。

破竈堕和尚は、嵩岳に隠棲していたが、嵩岳の近在のある霊廟に祟りをなす竈の神がいると聞きつけた。

ある日和尚は、侍者を連れてその霊廟に入り、杖でその竈を三回叩いて言った。「こら、この竈はただ泥と瓦でできているだけだ、お前はどこからきて、祟りをなすのだ。」

そしてまた竈を三回叩くと、たちまち竈が崩れ落ち、青い衣と高い冠をつけた人物が出現し、和尚を礼拝した。

 

和尚がお前は誰だと問うと、その人物は、「私はもともとこの竈の神で、長い間カルマの報いを受けていた。本日和尚の説法のおかげで、竈を脱し、天に生まれ変わることができた。そこでここに戻って謝意を表するものです。」

和尚は、「これはあなたの本有(ほんう)の性(本来の自己、アートマン、十牛図の牛)です。私の説法の力などではない」

竈の神は一度礼拝して、姿を消した。

以後和尚はこの故事を以って破竈堕和尚と呼ばれた。この話は除霊のことではない。

竈の神ですら、自分が本当は一個の神であることを悟る。いわんや人間をや、いわんや仏弟子をや。その悟りは他人から教わるものではない。

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地獄へ落ちろクソ婆あ

2024-02-26 17:37:39 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎世界が異なる

(2012-05-14)

 

唐代の禅僧趙州は、どうして「地獄へ落ちろクソ婆あ」みたいなセクハラ発言をしたのだろうか。

まず最初のケース、ある僧が禅僧洞山に問うた。「暑さ寒さがしんどくてたまりません。どう逃げればよいでしょうか。」
洞山「暑さ寒さのないところに行くとよい。」
ある僧「暑さ寒さのないところとはどのような場所ですか。」
洞山「寒ければ、お前を凍りつかせるし、暑ければ、お前を蒸し上げる。」

次のケースでは、ある僧が「四方から山々が押し寄せて来ます。どう脱出すれば良いでしょうか。」
趙州「脱出した様子もない」とだけコメントした。

でもって流れは同じだが、この件。
あるとき、一人の老婆がやって来て、趙州に質問した。
老婆「仏教では、男性に比べ、女性は5つの障(さわり)が重いとされています。だとすれば、女性であるわたしが天上に生まれるには、どうすればいいのでしょうか?」
 趙州は老婆に
 「願わくば、すべての人が天上に生まれるように。そして願わくば、この老婆が永く地獄に沈まんことを」と答えた。

これが、『地獄へ落ちろクソ婆あ』である。

自分が女だろうが男だろうが、そんなことは関係ない。天上に生まれるとか地獄に落ちるだとかそんなことは本質ではない。そこから脱出したかどうかだけを問題にしている。

失礼な!・・・・で終わっては何も起きない。だから、禅は一触即発、一瞬の油断もできないところで戦っているから、機鋒が鋭いとかって表現になる。禅には段階はない、ステップはない。できたかどうかだけだ。

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ろうそくの光を消す

2024-02-03 02:51:02 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎漆黒の闇と光

(2018-01-05)

 

『蝋燭を持って歩きながら、私はある子供に、

「この光は、何処から来たか?」と訊ねた。

その子は、即座に蝋燭を吹き消した。

「僕に光が何処ヘ行ってしまったか教えよ。

そうしたら、それが何処から来たかあなたに教えてあげるよ」。

(バスラのハサン)』

(スーフィー 西欧と極東にかくされたイスラームの神秘 イドリース・シャー/著 国書刊行会P289から引用)

 

これは、まったく禅問答である。無門関第二十八則で、似た話がある。

 

龍潭和尚が徳山に、「夜も更けたので、帰ったほうがいいだろう。」

徳山は別れの挨拶をして簾を上げて出たものの、あまりに暗いのでわざわざ戻って行って、龍潭に「外は真っ暗です。」と云うと、

龍潭はすぐに蝋燭に火をつけて渡した。

 

徳山が取ろうとした瞬間に龍潭はふっとその火を消したところ、あたりには漆黒の闇が迫ってきた。

 

この時徳山は、大悟した。

 

この再びの漆黒の闇こそ人生の裂け目、隙間である。ろうそくの光はどこへ行ってしまったのだろう。宗派の違いはどこへ行ってしまったのだろう。

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肥田春充の丹田強化-6

2023-11-26 20:29:16 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎爪先の踏み込み

◎丹田を錬る-14

(2021-03-12)

 

踵の踏みつけとつま先の踏み込みはペア。肥田春充は、脚の働きから腰を据え、千変万化の自由を得るのがつま先の踏み込みだと唱える。これは、合気道開祖植芝盛平が、『左は発し右は之を受ける、左足は豊雲野神でありますから、これが千変万化の無量無限、神変、神秘を表す』などというように、片足が軸で、自由な運用が他の片足と言うのに似ている。

 

『(イ)上体の力をスッカリ抜き。

(ロ)両足は爪先で立つ。

(ハ)右膝を曲げて、十分右側方に上げ、右足で右前に、円を描くように廻し、左足の左真横に踏み込む。

 

(ニ)右足が地に着くや否や、左足をつま先で立ったまま、五寸ばかり後へ引く

(ホ)それから右足の時と同様に、左脚を高く左側方に上げて、左前に円を描き右足の右真横に踏み込む。こうすると、足の位置はいつでももとのところにいる。』

(川合式強健術/肥田春充P157-158から引用)

これは、つま先を軸に上げた足を180度回して踏み込み、シザーズのようになるもの。肥田春充はコツとして、踏み込んだ時には息を吐き出す、とする。曰く、動作の敏捷はつま先。速度はつま先、重量は踵、と。

 

アキレウスはトロイア戦争で踵をパリスに射られて死んだが、その際につま先の動きでかわせなかったのだろうか。

クラシック・バレエは、つま先立ち偏重だが、バレエでは、下腹が大きく出ているのは良しとはされないので、丹田は気にしないのだろう。だが、バレーでもヌレエフ、ニジンスキーなどの達人が出ている。達人と大悟覚醒したかどうかはよく区別して見るべきである。

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肥田春充の丹田強化-5

2023-11-24 05:54:48 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎踵の踏みつけ

◎丹田を錬る-13

(2021-03-11)

 

肥田春充は、実家の姓は川合。彼の『川合式強健術/肥田春充』に踵の踏みつけの詳細の記述がある。

『(イ)自然体で独立

(ロ)全身どの筋肉にも力を入れない。踵と踵の間は、約五寸位離して居る。

(ハ) 規定の如き拳(こぶし)を作り、軽く握る。

 

(ニ)腹に力を入れ、グイと首を上げて眼光を定める。

(ホ)重心が両足の中央に落ちる様に、腰を据える。

(ヘ)右足で軽く地を踏み、続いて左足でも軽く踏み、すかさず右足つま先を、右側方に向けて、踵を強く踏み附ける。

 

(ト)同時に左脚は、膝を曲げないで、左側方に上げる。その上げる程度は、右脚と直角となる位である。そして左足と右足とは直角となる様にする。(右足踵と左足爪先が直角)

(チ)上体は力を入れずに、やや前に屈(かが)める。

(リ)左様すると下腹部だけが、石の様に固く緊張する。

 

(ヌ)右脚の踏みつけと同時に、左脚を上げるから、上から来た上体の重さと、下から行った衝動力とは、腹筋でぶつかり合う。そして一つの力となり、腹筋を緊張させる其の緊張力の強弱は、踏み附けの強弱に比例する。その間(かん)実に秒時である。

(ル)左脚の踏み附け方も、要領は之(これ)に同じ。』

(川合式強健術/肥田春充P155-156から引用)

 

これに続いて、『最後の踏み附けは全生命を打ち込むの気合でやる』と注意書きがある。全体として相撲の四股に似ているが、彼はそれについて、『脚から行って腹をしっかりさせるため』とコメントしている。

若い人ならいざ知らず、中高年が四股を踏むのはバランス的にも筋力的にもおいそれとはいかない場合があり、ある程度の練習期間が必要なのだと思う。大相撲はTVでずっと流されているが、腹なる丹田を脚を動かしながら踵の踏み附けで定め固めていくとは、実際にやらないがために気がつくこともなかった。

だが丹田の強化は、丹田をターゲットにした観想法ではないので、このやり方もよくチャレンジしてみるべきだろうと思う。

※拳(こぶし)の作り方は今後書きます。

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肥田春充の丹田強化-4

2023-11-23 06:39:30 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎足の踏みつけと踏みこみ

◎丹田を錬る-12

(2021-03-10)

 

肥田春充によれば、踏み込みはつま先でやり、踏みつけは踵でやる。踏み込みは敏捷を司り、踏みつけは強固を司る。彼は特に踵の踏みつけが最強として重視する。

そしてつま先のアングルは正面を向くこと。踵の踏みつけの強弱は中心力(丹田)の強弱に正比例する。その上で、眼光を定め、呼吸を整え、精神を集中したのが真の気合だと説く。

この修練により、頭寒足熱を実現できる。

また肥田は、観劇、スポーツ観戦などで観客が感情が激して立ち上がることをして、『激烈な感情は(意図せず)足に来る』と見る。この原理から合理的な足の踏みつけは、意志力の養成となるとまで推論している。

彼は、足の使役と目の支配は、面白い課題であって、禅の修行法の根幹もここに隠れているのではないかと見ている。

また動作のスタートでは足は0度だが、三船八段の空気投げの姿勢も踊りの名人の両足の開いている角度は90度になるとも語っている。

(以上参照:聖中心道肥田式強健術 肥田春充/著 壮神社P132-137)

 

禅では、半眼で目の支配のレベルを半分にする。一方で、作務と経行で足を動かさせる。その上で、公案禅や無字などのマントラ禅に取り組ませる。

また現代のライフ・スタイルは、『目の支配』が強烈であって、足を動かして丹田強化がそれを緩和させる機能を持っている可能性があると思う。

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肥田春充の丹田強化-3

2023-11-18 19:21:44 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎丹田を錬る-11

◎丹田の位置

(2021-03-08)

 

肥田春充の丹田論は、まず精神集中と気合を込めるのが前段。そこで心気なる気を足の親指まで行き渡らせる。これは、出口王仁三郎の振魂の前段が、渾身の力を込めて云々などとなっているのと同じ。

そこで次に丹田の位置の話となる。

丹田の位置:

①臍から垂直下方に一本直線を引く。

②臍から背中方向に水平な直線を引く。

③その直線の背中(椎骨と仙骨の接合部)上の点から恥骨下端方向に斜めに直線を引きそれを延長すると①に交わる。

この直線①②③からできる直角三角形に内接する円を描く。この円の中心が身体の重心。

この円と直線①の交点が臍下丹田。

振魂では臍下丹田の前で手のひらを振る。振魂では、神名マントラも同時に唱えるが、肥田流にはそれはない。

『呼吸を計り、気合を込め、筋肉の緊張と共に、精神を集中することにしたから、一挙一動、無限の趣味を伴うと共に活力全身に漲り、回数を多くやる必要がなくなった。』(聖中心道肥田式強健術 肥田春充/著 壮神社P61から引用)

『踵で息するとは心気を足端に注ぐことである。』

(上掲書P99から引用)

足端に注ぐとは、

『足の親指で踏みつける』(上掲書P106から引用)

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肥田春充の丹田強化-2

2023-11-18 19:14:03 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎丹田を錬る-10

◎丹田強化の効果

(2021-03-07)

 

昭和の日本人は、戦後から昭和50年頃まで、“モーレツ社員”、“エコノミック・アニマル”など、経済復興に向けて、精神よりも戦災からの復興と豊かな家電(三種の神器: 白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)に囲まれた“一億総中流”への生活向上が共通目標だったことは否めない。

そうした社会通念下では、生存競争を生き抜くためには、丹田、すなわち肥田春充の言う正中心の開発強化による気合とか気力充実が必須であって、現代人のように敢えてモチベーションを喚起する必要はなかったのだと思う。

逆にそうした時代には、敢えて“優しさ”やら“知性”やら“しっくりくる”などの感性を強調することがバランスをとることにつながり、OSHOバグワン、クリシュナムルティなどもそのような傾向で出て来たところがある。

さはさりながら丹田強化の効果は、健康増進、体力回復にとどまらず、スワジスターナ・チャクラ(丹田)の開顕(大安心)から、大悟覚醒に至る大道への入り口でもあることは、無字の公案など臨済宗系の禅などでも見られるとおりである。

 

まず肥田春充の丹田強化の効果と意義から、

『1. 正中心の鍛錬

(1) 心身修養の最捷径

(2) 健康衛生の本源

(3) 体力増進

(4) 威容発現

(5) 肉体美、彫刻美、姿勢美、活動美の第一条件

(6) あらゆる芸術の根底

(7) すべての武道の妙諦

(8) 能率増進の基礎

(9) 社交上の要訣

(10) 処世の一大利器

 

  1. 正中心養成の必須条件

(1) 腰腹を堅固にする

(2) 脊柱を伸ばす

(3) 上体柔軟

 

  1. 正中心養成の効果

(1) 気力充実、精力旺盛、正義に強い真勇を得る

(2) 平静にして仁愛の情自ずから起こる。

(3) 内臓諸機関の機能を完全にする。

(4) 身体各部の成長発達を順調にする。

(5) 強健に導き、能率を増進させる。

(6) 正しい姿勢により精力の濫費を防ぐ

(7) 攻撃防御共に変化自在となる

(8) 宗教上、悟道の極致に躍入させる。』

(参照:聖中心道肥田式強健術 肥田春充/著 壮神社P127-128))

 

上記『3.(1)』には、正義などという凡そ宗教系の経典ではあまり見かけない用語がある。こういうのを残しているところが、徹底しなかった気配ではある。

この文章に続いて、天台の摩訶止観からの引用がある。ここは冥想修行にも丹田強化が大いに効果があることを語っている部分。坐ってばかりだと代謝が落ちて病気になりやすいものだ。

『(病因を論ずること甚だ尽くせり。治法を説く事も亦甚だ精密なり。十二種の息あり、よく衆病を治す)。

臍輪を縁して豆子を見る法あり。その大意、心火を降下して、丹田及び足心に収むるを以て至要とす。但だ病を治するのみにあらず。大ひに禅観を助く。』

(ここは、摩訶止観からの引用だが、白隠禅師の夜船閑話からの孫引きか?)

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肥田春充の丹田強化-1

2023-11-18 19:07:08 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎虚弱者から強壮者へと変貌

◎丹田を錬る-9

(2021-03-06)

 

肥田春充(1883年- 1956年)は、戦前軍部や皇族とも近い関係を有していた肥田式強健術の創始者。

ダンテス・ダイジは彼を、悟ってはいないが、丹田のあらゆる可能性を開いたと評価している。いわゆる肉体の可能性とは肉体オンリーで単独で成るものではなく、エーテル体レベル、気レベルの連動があるもの。

肥田春充は丹田を正中心と呼び、腰腹同量(腰腹に等分に力が入る)の正中心の強化を以って人が健康を獲得する道であることを確認した。特筆すべきは特定の師を持たず、多方面の書を読みながら様々な実験、研鑽を積みながら独自開発の『聖中心道肥田式強健術』を編み出したことである。

曰く、腰腹同量とは、身体の重さがつま先にもかたよらず、かかとにも偏らず、腰と腹が等分の緊張をした姿勢である、と。

 

彼の強健術メニューには、

呼吸法、

筋肉練修法、

気合術、

休養法

等によって構成されている。

また曰く、足を正しくすれば、腰は自ずから据わり、腰が据わると腹は自ずからしまる。腰と腹が決まれば上体は自ずから崩れない、と。(聖中心道肥田式強健術 肥田春充/著 壮神社P91)

まず足から定めるのだが、足、腰、腹、上体は連動している。

人間には10チャクラあって、建木の十太陽とか、十種神宝とかで表象されるものだが、最下方三チャクラは脚に存在している。

40年ほど前には、足の三チャクラは動物レベルのものだから、あまり気にしなくてよいなどと言われていた。

ところが、自分自身が虚弱者で半病人だった肥田春充も、臍下丹田を鍛えるには、まず足というのは、

図らずも現代人と当初虚弱だった肥田春充の状況はシンクロしていたわけだ。

肥田春充当時の70年前の人間と今の人間では、足の退化の具合が文明化、機械化の進展により予想外に進展したことがあるのではないか。それと長寿化。

若い人には、足の骨折が多いと聞く。丹田を鍛える前に足の強化というのは、意外に現代人の盲点かもしれない。

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芭蕉の師仏頂和尚のこと

2023-09-16 09:50:16 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎仏頂の純粋な道心をしのぶ

(2012-12-18)

 

一休の狂雲集も相当な禅的学識のほとばしる作品であるが、芭蕉の俳文集も相当に禅的素養がないときちんと読み込めないように思う。片言切句に、禅の故事などが散りばめられているからである。そういうところは大学受験にはまず出ないだろうが。

 

芭蕉の師仏頂和尚は、常陸郡鹿島郡札村の人。32歳で鹿島根本時住職となり、鹿島神宮との所領争いの調停のため、江戸深川の臨川庵にしばしば滞在。この頃、松尾芭蕉と師弟の関係となったようだ。

おくのほそみちで下野の国黒羽に芭蕉が、仏頂和尚が庵を結んで修行した旧居を訪問する件りがある。仏頂和尚が、その狭い庵住まいの時に

「竪横(たてよこ)の五尺に足らぬ草の庵

むすぶもくやし雨なかりせば」という歌を炭で近くの岩に書きつけたと聞き、この旧居跡を訪ねてみたのである。庵は、谷沿いの道をはるかに進んだ雲巌寺の奥にあり、岩屋を背にして、石の上に小さい庵が作ってあるのを、後ろの山の上から見つけた。

これを見て、南宋の原妙禅師は、杭州天目山の張公洞に入り「死関」の扁額を掲げて15年間出なかったことなどを思い起こした。

 

木啄(きつつき)も庵はやぶらず 夏木立

 

夏木立のしんと静まりかえったなかにきつつきの音だけが響いている。庵の姿が往時と変わらないことに芭蕉の時間を超えた静謐さを感じさせる。

 

山形立石寺の

 閑さや岩にしみ入蝉の声 

が聞こえそうな句である。

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一休という名の由来

2023-08-03 19:28:44 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎祇王寺

(2005-11-06)

 

京都の祇王寺に参ると次のような説明を目にする。

「平清盛の寵愛を受けていた祇王は、仏御前に寵愛が移ったことにより、清盛に捨てられ、祇王は母と妹と共に出家して、この祇王寺に移り住んだ。

後にやはり清盛に見限られた仏御前も祇王を追い、四人の女性はここで尼としての余生を過ごした。」

 

そこで「女所帯のわび住まいの場所なのだろうが、出家して納得したところがあったのだろうか。そういえば、平安文学に、悟りの概念などなかった」などと感慨を新たにしたものだ。

 

さて一休が25歳の時、ある日盲目の琵琶法師が、平家物語の祇王が清盛の寵愛を失うの段を歌うのを聞いている時、公案の『洞山三頓の棒』のことで突然悟るところがあった。このことで、師匠の華叟は、一休の二文字を与えた。(祇王の悲話と公案にはストーリー的に何も関係はない。)

 

『洞山三頓の棒』の公案とは、これ。雲門、洞山とも中国の有名な禅匠。曹洞宗の洞の字は、洞山の名から来ている。雲門は、肝心なことをわかっていない禅僧が来ると、親切にも棒で20発たたいてあげた(棒を食らわすとは、このこと)。

 

******

「雲門は洞山が初めて参じたとき、いきなり尋ねた。「何処からやって来られたか」

洞山「査渡からやってきました」

 

さらに「この夏(安居)は何処で過ごされたか」

「湖南の報慈寺でございます」

「いつそこを出てこられた」

「8月15日であります」すると、

「お前さんに三頓の棒(六十棒)を食らわせてやりたいところだよ。」とすげない応えが返って来た。

翌朝洞山は雲門和尚の室に行って、「昨日は六十棒を食らわせたいと言われましたが、私のどこが間違っているのでしょうか」と尋ねた。すると雲門が言った。「この大飯食らいの能無しめ、江西だの湖南だの、お前はいったい何処をうろついていたのじゃ」

洞山はその途端に大悟した。」

*****

 

大悟するしないは、薄皮一枚の差とは承知しているが、そこに飛び込む勢いがないと飛び込めるものではないのではなかろうか。現代はテレビやブランド漁りを始めとして、その勢いを消耗させるものがあまりにも多い。

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危機感の薄い日本人に求められるもの

2023-08-01 12:37:39 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎どこかでどん底まで落ちるしかないのかも

(2012-02-21)

 

嶋野栄道氏の続き。これは阪神・淡路大震災後に日本人の無覚醒を憂えた文。

 

『危機感の薄い日本人に求められるもの

 

こんなに文明が発達し、こんなに物質的に恵まれた時期がかつて世界の歴史の中であっただろうかと思うほど、現在の日本は成熟しています。

 

日本に帰ってきて新幹線に乗るといつも驚かされます。十五分ごと、時間どおりに発着して、しかも実に丁寧なアナウンスがあります。あまりにも丁寧すぎて、もうやめてくれと言いたくなるほどです。とにかく、きれいで、速くて、素晴らしい。私が知る限り、物質的にこれだけの文明を有する国はありません。アメリカにもヨーロッパにもない。日本だけです。

 

その半面、日本人はアメリカの悪い面ばかりを真似しているように見えます。自国にある素晴らしい文化的伝統を躊躇することなく捨ててしまっているように感じられてなりません。「捨てるべきもの」を間違っているのです。

 

先に情緒の話をしました。言葉にはできないけれど、感情が伝わってくるというのは、日本人に独特のものでした。しかし最近の人たちは、日本人でありながら、情緒というものがわからなくなっているようです。それは日本人が自国の文化の集大成である古典を読まなくなったこととも関係しているかもしれません。

 

私は長く日本を離れていた分、余計に日本を愛しています。それは愛国心というより祖国愛です。それだけに、この素晴らしい国がいつまで続くのだろうかと心配します。同時に、

一禅僧の目から見て、日本人の心が枯れてしまっているのが気がかりです。日本人にはそういう危機感があまりに少なすぎるように思うのです。もし日本人が今のまま目覚めないとすれば、どこかでどん底まで落ちるしかないのかもしれません。

 

一九九五年に阪神・淡路大震災があった時、たくさんの方がお亡くなりになりました。その時に被災者の方たちは、地震のすごさを体感されました。頭で理解したのではなく、目で見ただけでもなく、まさに身をもって感じたのです。地震に遭遇した方にお話をうかがうと、今でも大きな音を聞くと、思わず身構えてしまうそうです。

 

天災は避けようとして避けられるものではありませんが、一度ああいう極限状態を体験すると、それ以前とそれ以後とでは人間が変わってしまいます。それまでは何でも買い集めていた人が、一遍上人のように「捨てて捨てて」という気持ちになったという話も聞きました。

 

本当は、日本人自らが気づいて自分たちのあり方をあらためるのが一番なのですが、もしそれが不可能ならば、いつ何らかの力によって厳しい状況に遭遇することになるやもしれないということを肝に銘じておくべきでありましょう。そうなる前に、なんとか日本人が目覚めることを願います。』

(愛語の力/嶋野栄道/到知出版社P232-235から引用)

 

自分も今の日本が恵まれていることには、相当に見方が甘かったことは自戒したい。心ある日本人のみるところ、「日本は、いままでが良すぎた。それを当然・普通と思っている。」という声をしばしば聞くようになった。

 

そこに来て東北関東大震災があって、日本人はどんぞこまで一回落ちないとという嶋野さんの懸念が現実化しつつある。

 

中国人の悪いところは目につきやすいが、アメリカ人の悪いところは宣伝・マスコミ対策のせいかわかりにくくなっている。その延長線上に、つまりアメリカのカルチャー、音楽(ヒップポップ、ラップ、ロック)、映画、核家族なライフ・スタイル、ファースト・フードの受け入れは盛んである一方、日本の情緒的な映画、演歌、大家族なライフ・スタイルはどんどん捨て去られていく。

 

一言で言えば、アメリカン・カルチャーは愛の薄いドライなカルチャーで、日本の文化は、愛あふれる情緒的なウェット・カルチャー。日本がそれを捨てすぎれば、源流は枯れる。それでも日本がどんぞこまでいくのであれば、その落ち目の運命は、政治家や官僚だけのせいではなく、われわれ自身のせいであることに間違いない。

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