アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

出口王仁三郎の祖父-1

2022-12-30 05:29:18 | 古神道の手振りneo
◎賽の川原で賽拾う

出口王仁三郎の祖父の吉松は、明治四年の冬十二月二十七日に59歳で帰幽した。彼の実家の上田家は、七代毎に偉人が出るとして、円山応挙より七代目の出口王仁三郎が偉人となることを遺言したことで知られる。

だが、その吉松の博徒な性向は、今見てみると非常に興味深いものがある。
以下は、出口王仁三郎著作集第5巻人間王仁三郎第1部故郷の二十八年から。

祖父の吉松は至って正直で、清潔好きであったが、無類のサイコロ博打好きだった。そして酒も呑まず煙草も吸わず、農作業の合間には丁半々々と戦わして勝負を決するのが、三度の飯よりも好きであった。それが為に祖先伝来の上田も山林も残らず売り払い、只153坪の屋敷と破れ家と、33坪の買い手の無い蔭の悪田が一つ残った丈であった。祖父は死ぬ時も賽を放さず、死んだら賽と一所に葬って呉れと言ったそうである。

その時の辞世に、「打ちつ、打たれつ、一代勝負、可愛賽(妻)子に斯の世で別れ、賽の川原で賽拾う、ノンノコサイサイ、ノンノコサイサイ」。

祖母によれば、女房が米が無くて困って居ようが、醤油代が足るまいが、借金取りが攻め寄せて来ようが、平気の平左衛門で、朝から晩まで相手さえあれば賽を転がし、丁々半々と日の暮れるのも夜の明けるのも知らず、打ちまくり、臨終の際に成っても、博奕の事を云っていた気楽な爺さんだったという。
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