アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

youtubeでの聖地巡礼:ヴィア・ドロローサ~聖墳墓教会

2023-08-25 06:39:33 | イエスと救世主たち

◎virtual walkingでイエスの最後のルートを辿る

 

キリスト教徒でもないので、イエス・キリストが、鞭打たれながら十字架を背負わされ、ゴルゴタの丘まで歩いたヴィア・ドロローサ=苦難の道を、今生で見ることはないと思っていた。酷暑の室内散歩のついでに、ヴィア・ドロローサをyoutube検索してみるとあるわあるわ。https://www.youtube.com/watch?v=UhCBB_hCIeY&t=4s

ヴィア・ドロローサは山を登り山を下りる道であって、ゴルゴタの丘は、今は建物がびっしり建っている区画にあるんですね。本の挿絵やTVで編集されて断片的に見るのと違い、ヴィア・ドロローサのどこを曲がると聖墳墓教会(ゴルゴタの丘)に着くのかがわかる。途中にはイエスに倣って巡礼者が担ぐ大型の木製十字架まで何本か置かれている。

パックツアーなどでリアルでここを観光すれば、ひったくりと物売りに注意しながら、また聖墳墓教会の昇天した祭壇の前では立ち止まれないだろうから、落ち着いて見れやしない。よってyoutubeの聖地巡礼の効用は大。このyoutubeでもイエスが昇天した祭壇の部分が一番再生されているなどとコメントが出る。

 

出口王仁三郎は、アストラル・トリップで、エルサレムに行き、嘆きの壁を見たりしているのだが、それは、現界のエルサレムでなく、霊界のエルサレムであることを自ら明かしている。その点でもvirtual 動画による聖地巡礼では現界を見れて、画期的でありがたいことだと思う。

 

敬虔なキリスト教信者は、イエスの一生を順々に観想していくが、その最後のクライマックス直前のシーンがヴィア・ドロローサ~聖墳墓教会。ヴィア・ドロローサでイエスは十字架の重さで三度止まる。

イエスの後に大勢の悲しみ嘆いてやまない女たちの群れがついて行ったが、イエスは彼女らに『エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。『不妊の女と子を産まなかった胎と、ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』と言う日が、いまに来る。』。』と世紀末的世界観を披露している(ルカ-23)。彼はこの段階でも明日にも終末が来ると思っていたのだろう。

 

また“聖者を殺してしまわない雰囲気”は、そこにはなかったのだ。

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ユダヤ教エッセネ派

2023-06-07 06:29:59 | イエスと救世主たち

◎エッセネ派は富を悪とする

 

イエスの時代、ユダヤ教は、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派の三派があり、イエスは、エッセネ派出身だと言われる。

 

イエスの超能力の行使ぶりを見ると、エッセネ派は、超能力志向集団かと思いきや、そうではないようだ。

 

数少ないエッセネ派に関する描写がユダヤ戦記Ⅱにあるが、教団内の資産や物は信者による共有。快楽を悪とし、自制することと情欲に溺れないことを徳とする。

現代人には信じられないかもしれないが、エッセネ派は富を悪とする。

これにより、教団全体に貧困による屈辱はない代わりに傑出した富者もいない。

 

注目すべきは、子供を親から引き離し教団で育てていること。イエスは前半生が謎だが、そのように幼いうちから教団に育てられた一人がイエスであって、特に優秀な人物だったのではないか。

 

エッセネ派では、死後も霊魂を不死と見るが、転生してくるかどうかは定かでないが、死後天国も地獄もある。

 

ユダヤ戦記では、物やしきたりの話が多く、教義や冥想修行の話は少ないが、エッセネ派から出て来たイエスが、超能力を駆使し得たことを見れば、ユダヤ教正統の伝統の承継者の一人だったのだろうと思う。

 

ユクテスワやパラマンサ・ヨガナンダは、洗礼のヨハネ、イエス、パウロが、一定水準を越えたクンダリーニ・ヨーギだったと見ている。同一の時代に覚者を連続して出せるノウハウと組織と師を備えていたのがエッセネ派だったのだろうと思う。

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救われるリッチな者は誰か

2023-05-20 06:50:28 | イエスと救世主たち

◎アレクサンドリアのクレメンス

 

スーパーリッチであることが、尊敬や賞賛を呼ぶ微妙な時代。政府にとっては、スーパーリッチな者は必ずしも多額納税者ではないので、昔と違ってスーパーリッチだから歓迎するということはない。

 

しかし、不思議なことにキリスト教の支配する西洋世界では過去二千年、リッチな者は天国に入りにくいと言われてきた。

 

アレクサンドリアのクレメンスは、2世紀の教父の一人。彼もリッチな者は天国に入りにくいとする。

 

ただし、彼の言う悟りとは、永遠の生命を得ること。イエスが持ち物をすべて売り払えと言っているのは、外形的な財産をすべて放棄せよといっているのではなく、霊魂が情念から解放されることを言っている。リッチになると倨傲、虚偽、虚栄、他の人を軽蔑することに陥りやすいのだ。

 

また以下のマルコによる福音書は、リッチな者は天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しいと言っている有名な部分だが、字義どおりなら、人間の求める究極はあの世で天国に入ることだが、アレクサンドリアのクレメンスは、そうではなく、神を知り、永遠の生命をこの世で得ること。つまり悟ることが究極とする。

 

マルコによる福音書10-17-31による「富める若者の物語」

『(4)「イエスが旅に出ようとすると、

ある人が走り寄って、跪いて尋ねた。〈善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか〉。

イエスは言った。〈なぜ私を「善い」というのか。神おひとりのほかに善い者は誰もいない。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ〉。

 

(6)すると彼は〈先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました〉と言った。

イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。 〈あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい〉。

 

(7)その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産をもっていたからである。

 

(8)イエスは弟子たちを見回して言われた。 〈財産のある者が神の国に入るのは、なんとむずかしいことか〉。

 

(9)弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスはさらに言葉を続けられた。〈子たちよ、神の国に入るのは、なんとむずかしいことか。金持ちが神の国に入るよりも、駱駝が針の穴を通るほうがまだやさしい〉。

 

弟子たちはますます驚いて、〈それでは、誰が救われるのだろうか〉と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。〈人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。

 

(10)ペトロがイエスに、〈この通り、私たちは何もかも捨ててあなたに従ってまいりました〉と言い始めた。

イエスは言われた。〈はっきり言っておく。私のためまた福音のために、家、両親、兄弟、財産を捨てた者は誰でも、それを百倍受けることであろう。今この世で迫害を受けながら、畑、財産、家、兄弟を有したところで何になろうか。来たるべき世での生命は永遠のものである。しかし先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になるであろう〉」〔マコ一〇:一七:三一〕。』

(中世思想原典集成  1  上智大学中世思想研究所/編訳・監修/平凡社P424-425から引用)

 

山上の垂訓で、「幸いなるかな心の貧しき者、天国は彼らの者である。」の心の貧しき者とは、「霊魂が情念から解放された人」のことであって、OSHOバグワンの言い方では、マインド(頭)がない人、ノーマインドの人のことである。

 

誠に21世紀になっても、心の貧しいということは、人間の生き方の重要なテーマではある。

 

なおイエスのグループには、アリマタヤのヨセフというリッチな支援者もいたことも忘れられない。

 

また富、財産は、それ自体白でも黒でもないが、白として扱うことが極大化したゆえの反作用はある。

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初代ローマ教皇ペトロの最期

2023-04-20 06:47:27 | イエスと救世主たち

◎逆さはりつけの密意

 

初代ローマ教皇ペトロは、エルサレムでイエスが十字架にかけられる際に、大祭司の家の庭で、女中がペトロを見て「この人もイエスと一緒に居ました。」と証言したのに、ペトロは、「わたしはあの人を知らない。」ととぼけた。

イエスは振り向いてペトロを見つめた。

 

その朝ペトロは、外に出て激しく泣いた(ルカ伝22章)

 

そんなみじめで情けないペトロは、以後イエスの第一の高弟として、病気治癒などの超能力を使いまくるなど、それなりの実力を備えていった。

 

さてローマの有力者の美人妻クサンチッペが夫と同衾しなくなった。その原因がペトロの宣教にあることで、使徒ペトロは、ローマ官憲による捕縛が近づいているという情報を得て、ローマから脱出すべくアッピア街道を急いでいた。

 

『ペトロが市の門まで来た時、主がローマに入って来られるのを見ました。

主の姿を見て、ペトロは尋ねました。「主よ, ここからどこへ行かれるのですか」。

主はペトロに答えました。「わたしは十字架につけられるためにローマに行く」。

そこでペトロは主に尋ねました。「主よ, 再び十字架につけられるおつもりなのですか」。

主は彼に答えられました。「そうだ、ペトロ, わたしは再び十字架につけられるのだ」。

 

それを聞いた時、ペトロはわれに返って、主が天に昇っていかれるのを見ました。そして大喜びで主を賛美しながら、ローマに戻っていきました。なぜなら、主が言われた「わたしは十字架につけられる」ということは、ペトロの身に起こるはずのことだったからです。

 

ペトロ行伝 第35章』

(ローマ教皇歴代誌 P.G.マックスウェル‐スチュアート/著 創元社P12から引用)

 

当時の人々は、今のような情報氾濫の時代とは異なり、情報が少ないので、見たことや聞いたことがすんなり心に入ってきやすい心性にして、いまのような細かい道徳規範を守らない荒くれた行動パターンの人々だった。

 

そこに自らを捨ててまで、神に殉ずる伝説を二度までも作りに行ったわけだが、ペトロも、十字架にかかる覚悟ができるまでは時間がかかり、イエスの磔刑以後30年以上を要した。

 

ペトロは、逆さ磔けとなったが、タロットカードの吊るされた男のように上下逆転せねば大悟覚醒しないと十字架上で述べたとされる(ペトロ行伝 第38章)。

(カラッチ/Quo vadis, Domine)

 

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