アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

閻浮樹

2024-05-23 04:55:48 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-11-8

◎世界樹-6

◎閻浮樹の根には黄金が埋まっている

 

仏教の世界観では、世界は四州からできているが、インドの所在する南の州を閻浮提と呼び、その中央に巨大な世界樹がある。これを閻浮(Jambu)樹という。

 

室町時代の禅僧一休の別号は、めくらのロバである。しかし、臨済の後継者三聖は臨済の後継者に値しなかったが、自分こそそれに値すると意気高い。一休には、それほど厳しく修行してきたという自負がある。

生真面目とは言えない破格の詩集狂運集において、彼は閻浮樹という世界樹について詩を残している。

 

 

閻浮樹(えんぶじゅ)

 

閻浮樹 乾坤に逼塞し

葉々枝々 我が脚跟

太極 梅花 紙窓の外

暗香 疎影 月黄昏

 

『閻浮樹 乾坤逼塞

葉々枝々 我脚跟

太極 梅花 紙窓外

暗香 疎影 月黄昏』

 

(大意)

時間のない世界で、天地の中央にある閻浮樹は、天地を塞(ふさ)ぎ、

たわわな葉も繁れる枝も、私の足の下にある。

陰陽の分かれる以前の万物の根源(太極)のシンボルである梅花は、障子の外にある

どこからともなく漂う香りと障子に映る梅花のまばらな影をたそがれの月が映じている。

 

閻浮樹は、世界樹であり、北欧神話のイグドラシルである。世界樹は、根の側が頭頂サハスラーラ・チャクラに当たる。だから閻浮樹の根には黄金が埋まっているともいわれる。

 

世界樹を足元に置いている一休の立ち位置は現象世界の外側に立つ。これはつまり、合気道植芝盛平の言う天の浮橋に居るということなのだろうと思う。

 

太極である梅花が、障子(紙窓)の外にあるというのも同義。

その障子に、現象世界の転変が、シネマのように月の光を受けて映写されるのだ。

 

これはとても秘教的な詩だが、一休自身が、生死も超え、現象の相対性をも超えた外側を生きていることを自分で説明している印象的でロマンチックな詩に仕上がっている。

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13 死神(名無し)

2024-05-23 04:12:25 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-12-6

◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-6

◎身体も心も二つながら共に死ぬ

 

男が吊るされるためには、男は死なねばならないと言っても、この死は肉体の死ではないから自殺ではない。自我の死、自己の死、個なる自分の死のことである。禅でよく言うところの大死一番の死である。

逆にまた肉体が死んでも誰もが自我が死ぬわけではない。ごく一握りの人しか肉体死に際して自我は死なない。臨終正念と言って、肉体の死に際して自我が死に悟りが開けるケースが多いと言っても、全体からすれば微々たるものだろう。

 

絵柄では、骸骨が大鎌を持って手を刈り足を刈り首を刈っている。これはまさに肉体に随伴する自我を根こそぎにしてしまうということ。肉体死は、それまでの金も財産も人間関係も、地位も名声も、一瞬にしてわやにしてしまうが、実は自我の死も同様の実感を伴うものであって、さらに自我のある世界・宇宙すら刈り払ってしまう。

宗教修行、冥想修行の初手は、古来先入観をなくすことからはじめるもの。現代人ならマスコミ、学校教育、スマホなどから来るあらゆるマインド・コントロールを断つところから始めることになる。その先入観を断つというのが、大鎌で刈り払うということ。

古神道の大祓祝詞でも乱れきった麻の如き想念たる天津菅曾(すがそ)を『天津菅曾を本苅絶末苅切て、八針に取裂きて天津祝詞の太祝詞言を宣れ』と先入観を断つことを言う。

 

以下は、出口王仁三郎の説明。

『△天津菅曾  周易の筮竹に相当するが其数は七十五本である。これは七十五声を代表するのである。長さは一尺乃至一尺二寸、菅曾は俗称『ミソハギ』と称する灌木、茎細長にして三四尺に達す。之を本と末とを切り揃へて使用する也。

 

△八針に取裂て  天津菅曾の運用法は先づ総数七十五本を二分し、それから八本づつ取り減らし其残数によりて神算木を配列するのである。

 

△天津祝詞の太祝詞  即ち御禊祓の祝詞の事で、正式に奏上する場合には爰で天津祝詞を奏上するのである。大体に於て述べると、あの祝詞は天地間一切の大修祓を、天神地祇に向つて命ぜらるる重大な祝詞である。太(フト)は美称で、繰返して、天津祝詞を称へた迄である。』

(霊界物語第39巻附録 大祓祝詞解から引用)

かくして大鎌で刈り払う。

 

また一休は、骸骨やどくろを比喩として好んで用いたが、身体も死ぬが、ここではやはり心も死ぬのだと言う。

『多くの人がみな迷いの眼で、身体は滅びるが魂(心)は永遠不変であるとするのは、大きな間違いである。悟りを開いた人の言葉に拠れば、身体もその根源である心も二つながら共に死ぬということである。仏というのも虚空そのものである。天地国土のあらゆるものが、『本分の田地』に帰すべきものである。』

(一休和尚全集 第4巻 一休仮名法語集/春秋社P155引用)

※本分の田地:アートマン

 

そこでOSHOバグワンは我が骸骨と釈迦の骸骨の違いを説く。

『ブッダの骸骨とあなたの骸骨は基本的に変わらない。でも、あなたとブッダは絶対的に異なっている。進化は水平に働くが、方法や技法や宗教は垂直に働く。

 

人間の体は停止した―――すでにある一点に達した。終点だ。もはやこの先、何の成長もない。水平的には、進化は停止した。そして今、垂直的な進化が始まる。今現在、あなたがどこにいようと、あなたは垂直に飛躍するしかない。

 

その垂直的進化は、意識の進化であって、体の進化ではない。そしてその責任はあなたにある。

 

自然に対して「なぜ」と尋ねることはできない。しかし、自然はあなたに対し尋ねるだろう――――「なぜまだ悟っていないのか」と。

 

なぜなら今や状況はすべて整っているからだ、体には必要なものすべてが備わっている。あなたはブッダの体を持っている。ブッダが起こるのに必要なものすべては、すでに備わっている。

 

すでに備わっている要素のすべてを、新たに案配し、綜合するだけで、ブッダはあなたに起こる。だから自然はあなたに問うかもしれない―――「なぜ、まだ悟っていないのか」と。なぜなら自然はあなたにすべてを与えているからだ。』

(ヴィギャンバイラブタントラ8存在と一つに/OSHOバグワン/市民出版社P68-69から引用)

絵柄の骸骨は、死んだ他人のことではなく自分のことだったのだ。

 

死神(名無し)のアルカナは13番目。

ダンテス・ダイジ座談では、アトランティスでは、神の宮という中央官庁兼最高神殿みたいなのがあり、その奥殿がアメンティ。そこにトースを中心とする12人の超人がいて、彼らは組織宗教を体現していた。そしてもうひとりダンテス・ダイジは13番目の超人としてそこにいたが、彼は遊戯者であり、宇宙を遊び戯れる超人であった。

アトランティス末期に、ダンテス・ダイジは、神の宮を後にして、トース系の12人と袂を分かった。この抑圧をバネとして悟りに至るメカニズムの、アトランティス以後の長い中有風の時代に13番目の死神は必要だが、名前は与える必要がないと見たのはタロット作成者の意図なのだろうと思う。

 

一休骸骨から

しばし げに息の一筋(ひとすじ)通う程

野辺の屍(かばね)もよそに見えける

(わずかの間でも本当に息の一筋が通っている間(生きている間)は、野辺に晒されている死骸もよそよそしく思える)

 

さらに、

慈鎮和尚

仮の世に又旅寝して草枕

夢の世にまた夢を見る哉

 

引き寄せて結べば草の庵にて

解くれば元の野原なりけり

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夢窓疎石のアートマン

2024-05-23 03:55:39 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-11-14

◎アートマン-14

◎第六身体アートマンの様々なアスペクト-6

◎アストラルでの支那トリップなど

 

夢窓疎石は、天龍寺と相国寺の開山であって、日本の禅的芸術の源流でありながら、自分のことは、出来損ないのガキ(蕩子)と称していた。

 

夢窓疎石の詩

 

『客中偶作(旅にあってたまたま作る)

 

蕩子の生涯、貯蓄無し、

山雲渓月、これ青氈(せいせん)。

東西白く踏む一条の路、

途中と家舎の辺に在らず。

 

客中偶作

蕩子生涯無貯畜、

山雲渓月是青氈。

東西白踏一条路、

不在途中家舎辺。

 

(大意)

 

ぐれた子に財産はない。

山の雲と谷を渡る月がわが宝物。

東西へ連なる一条の白い道を踏んでいくが、

どこが途中で、どこが家という区別もない。』

 

一条の白い道は、垂直ではないので、クンダリーニのことではない。

 

『一条の白い道を踏んでいくが、どこが途中で、どこが家という区別もない』とは、アートマン=空のイメージであって、あらゆるものが一つながりである“これ“を指す。

夢窓疎石の疎石という名は、彼がアストラル・トリップで、中国の名僧疎山と石頭に案内されて達磨像をもらった事件に由来する。

禅僧だが、そういうこともできたのだ。

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