アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

最初から追い込まれた生い立ち-1 法然

2023-01-13 10:20:58 | 【クンダリーニ・ヨーガの全貌】【ザ・ジャンプ・アウト-02】neo

◎最初から追い込まれた生い立ち-1 法然

◎若くして虚無を見る

 

二段階目のモチベーションというのは、そのままでも十分わかりにくいのだが、有名覚者の生い立ちというものにそのヒントを捜すことができる。

 

法然は、若くして岡山県久米の故郷を出て、比叡山の僧となった。法然にも父母の死にまつわるトラウマがある。

 

法然は10歳の時に母秦氏(はたうじ)の兄弟観覚の下で既に僧となっていたが、極めて優秀であったので、15歳の時比叡山で学ばせようということになった。

 

法然が両親に別れを告げに行ったところ、父漆間時国(うるまのときくに)は、「私は、まもなく殺されることになるだろう。殺されたら私の菩提を弔ってくれ」と思いがけないことを語った。

 

そして母は、これが比叡山に登る法然との今生の別れとなることを予感し、都に発つ法然をしばらく送って行き、歌を詠んだ。

 

かたみとてはかなき藤のとどめてし、この別れさえ又いかにせん

(名残の藤は咲き残っているが、この別れだけはどうすることもできない)

 

親が子に対する思いやりをかなぐり棄てて、殺されるというようなことを実子法然に語るのはよほど切羽つまっていたのだろう。法然が比叡山に登ると、まもなく父時国が夜討ちに遇って殺害されたという知らせがやってきた。母秦氏はこの後記録に出て来ないので、父時国とともに殺害された可能性があるとされる。

 

父が殺害されて絶望した法然は、修行僧をやめて隠遁しようとしたが、師匠叡空に諭されて叡山に留まった。

 

南無阿弥陀仏と唱えれば、どんな人間でも救われるとは、阿弥陀仏に出会ったこともない人は、いわば悪人であるので、ひたすら(専修)念仏するしか救済の方法はないというのが法然の考え方である。専修念仏の中にアナハタ・チャクラが開顕し、もはや人間の領分ではない愛に出会うことを救済と見たのだろうか。

 

法然が、それを求めるモチベーションとしては、15歳の父母の遭難というトラウマがあったと想像するのはさほど難しいことではない。岡山県久米の誕生寺では、毎年4月に父時国と母秦氏の追恩供養が行われ、両親を極楽浄土に迎えるセレモニーが催されるという。親鸞もこのようなことをしないので、これは、法然には両親の死によるPTSDがあった証拠とも考えられる。

 

思春期にあって、両親を失って天涯孤独の身となるのは、いかに絶望的なものか、その心境について赤裸々に語る者は少ないが、3.11東日本大震災を経験した日本人ならば容易に想像はできよう。

 

法然にあっては、10歳にして2段目のモチベーションに追い込まれたのだ。そういう環境を自分で選んできたということもあるだろう。こうした両親早世の環境では、生活を維持していくのも厳しい。心の安定を保持していくのも厳しい。それでも前向きのシャレンジにトライしたのだ。

 

世間的には、ここまで追い込まれた人は多くはないので、二段目のモチーベーションというのは、こうした特殊な生い立ちの人にしか起き得まいという先入観を与えることもあるが、更にこうした覚者の生い立ちを見ていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白魔術とは-2

2022-12-30 10:07:31 | 【クンダリーニ・ヨーガの全貌】【ザ・ジャンプ・アウト-02】neo

○天意を読み順う

さらに唐代の禅僧普化の例を挙げる。彼は臨済録で知られる臨済の同僚である。

ある時普化が、「俺もそろそろ冬支度なんかで、ちゃんとした服装がほしくなった。」と言い出した。すると周りの本当に普化の価値をわかっている檀家が、きれいな衣を普化にあげるが、普化は「そんなもの駄目だ」と断る。

そうすると臨済だけがわかって、棺桶を作ってあげた。
普化は「臨済が俺の服を作ってくれた。」
「臨済が俺の服を作ってくれた。」と言って棺桶にひもをつけて、引きずりながら、村中を練り歩く。
それを見に村の野次馬が集まったところで、普化は、「俺は、明日北の門で死ぬことになる。俺は午後3時に死ぬぞ」と宣言する。

翌日午後3時、物見高い村人が、北の門にそれはそれは大勢集まった。ところが普化は大分遅れてやってきて「今日はちょっと日が悪いな。うん明日にしよう。俺は、明日南門で死ぬから。」とまたも予告する。

その翌日午後3時、好奇心旺盛な村人が、南の門にそれは大勢集まった。ところが普化は大分遅れてやってきて「今日はちょっと肌寒いしな。うん明日にしよう。俺は、明日東門で死ぬから。」と予定変更する。

そのまた翌日午後3時、本当に物好きな村人が、東の門に若干名集まった。集まった村人は、「普化は、きちがいだとか聖者だとか言われているが、さっぱりわからないけれど、死ぬ時にはわかるかもしれない。」などと考えている。
ところが普化は遅れてやってきて「今日もちょっと調子悪いなあ。うん明日にしよう。俺は、明日西門で死ぬから。」とまたも延期する。

そのまた翌日午後3時、西門には誰も来なかった。普化が棺桶を引っ張ってきて、周りを見ていると、一人の旅人が通りかかる。普化がその旅人に「頼むからここに穴を掘って、俺が棺桶に入ったら、そこに釘を打って、それから埋めてくれればいいから。」と頼む。
それで、普化が棺桶に入って、釘を打ってもらって、土をかけてもらった。

旅人はびっくりして、「なんか乞食坊主みたいなのが、西の門の原っぱで生き埋めにしてくれって言うから、そのとおり、棺桶に入れて生き埋めにしたけれど、あれどうなっているんだ。」などと言うと、村人は、驚いて西門に駆けつけて、掘ってみると棺桶に釘が打ってある。それをこじ開けて中を見ると草履が片方残っているだけで、もぬけの空。そして突然ちりーん、ちりーんと音がして、ずっと空の方に上がっていって、『ワッハッハッハ』なんて大笑いが聞こえてくる。

これは、もともと臨済録に出てくる話で、それをダンテス・ダイジが座談で語っているのをアレンジしたもの。(素直になる/ダンテス・ダイジ講話録4)


普化は、「北の門で死ぬ」と天意を図り、翌日になると、「日が悪いから明日南門で死ぬ」と天意の変化を告げた。また次の日になると、「肌寒いから明日東門で死ぬ」と天の予兆が変わったことを告げた。最後に「今日は調子悪いから明日西門で死ぬ」とさらに変化した前兆に順うことにした。

もとの文を素直に読めば、観客がいなくなるまで、日を変え、場所を変えたのだろう程度にしか読めない。しかし真相は、神意、天意の転変に随って死すべき場所と時間を何度か変えたのだと思う。

こういうのはバカバカしいとか児戯に等しいと思う人も多いかも知れないが、白魔術師の作法というのは、冷厳、精密である。臨済を超えるほどの悟境の普化の死が、適当な気まぐれで起こるはずはない。

時には質の違いがある。それを利用して、中国の禅者ホウ居士は、時を選んで坐脱し、日本中世の虚空蔵求聞持法修行者は、満行に時を選んだ。もっとも時を選ぶのは白魔術師だけではないのだが・・・・。

またアヴィラのテレサの言うように、奇蹟には時を選ぶタイプのものと時を選ばないタイプのものがある。白魔術師は、時を選ぶタイプの奇蹟に熟達しているのだ。

そして私たちは生まれてくる子宮を自らセレクトし、生まれてくる時刻を自らセットして誕生してきた。この生誕というある種の魔術については、万人自ら執り行ってきたわけである。

最後に、白魔術師と黒魔術師を見分けるということについていえば、自分が悟らなければそれはわかるまい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白魔術とは-1

2022-12-30 06:36:45 | 【クンダリーニ・ヨーガの全貌】【ザ・ジャンプ・アウト-02】neo

◎白魔術とは-1
○天意を読みしたがう

一般論として、現代人がオカルティックなものにかかわって生きると、まともな人生にはならない。

アストラル・トリップしたいとか、エーテル体のエクトプラズム出したい、神降ろししてモダンなシャーマンしたいとか、動機はいろいろあるのだろうが、自分が死なない者がそうした死の世界の技術であるオカルティックなパワーにかかわることは、現代の社会人にとっては、ほとんど自殺行為のようなものではないか。

知らぬが花ということはある。一度知ってしまったがゆえにその後思わぬ不満をかこつということもある。そんなものとしては、飛行機でファースト・クラスに乗ったばかりに、以後ビジネス・クラスやエコノミーに乗れなくなるなど枚挙にいとまはない。

飛行機の座席であれば、それに追われると言うことはないが、オカルティック・パワーになれば、足抜けするのは厳しい。クンダリーニ・ヨーガでいえば、悪霊を信じない者は、彼らに殺されることは決してないのだ。

黒魔術とは、自分の都合で、巨大なオカルトパワーを利用しようとするものであった。

それに対して、白魔術ホワイトマジックとは、先に天意があって、その天意に逆らったオカルトパワーの行使は絶対にしないこと。つまり白魔術師は、必ず天意を読む、天意を窺ってそれを感じ取る能力があること。そしてその天意に沿って動く性質があるものだということ。

典型的な白魔術師としては、明治から昭和にかけて活躍した古神道の出口王仁三郎や在野の神秘的大陸浪人笹目秀和、カルロス・カスタネダの小説に登場するドン・ファン・マトゥスなどがある。

彼らは、まず前兆あることを捉えて、次に初めてミスティック・パワーの行使を行うものだ。

出口王仁三郎は、昭和6年9月8日綾部の鶴山に三体の歌碑を建てて言うには、「これが建ったら満州から世界が動き出す」と。
果たしてその十日後の9月18日に満州事変が起こった。出口王仁三郎は更に日本の行く末を詠みこんだ「「瑞能神歌」の実現期に入った」と語ると、まもなく「瑞能神歌」は発売禁止となった。

これも先に「これが建ったら満州から世界が動き出す」という神意があったことを示す。

※瑞能神歌:
『『瑞能神歌』(大本神歌)(三)に「いよいよ初段と相成れば、西伯利亜線を花道」のシベリヤ線とあるのは、アラスカ、シベリヤ、モスコーの線のことで、シベリア鉄道のことではない。天羽英二内閣情報局総裁も言っていた。それならば鉄路とか線路とか書くのである。

昭和16年12月8日から初段目が開かれたのである。「天の鳥舟天を蔽ひ、東の空に舞い狂ひ、ここに二段目幕が開く」とあって、次に「三段いよいよ開くとき三千余年の昔より、国の御祖の選まれし、身魂集まる大本の・・・・とあって、途中(二段目)が書いていないのは、あまり悲惨だからである。」(昭和18年3月)』
(新月の光(下)/八幡書店/木庭次守編P65から引用) 

初段は、第二次世界大戦。二段は、第三次世界大戦であり、シベリヤ線を花道にして、天の鳥舟舞い狂う、熱核ミサイル戦争なのだろう。三段は、戦後の新時代。とあるが、二段目はあまり悲惨なので、聖マラキも、王仁三郎も詳述していない。二段目を幻視してショックを受ける人もあるやに聞く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古今東西-1 ウパニシャッド・ヘルメス文書

2022-11-21 10:18:11 | 【クンダリーニ・ヨーガの全貌】【ザ・ジャンプ・アウト-02】neo

◎クンダリーニ・ヨーガの全貌-2
◎古今東西-1 ウパニシャッド・ヘルメス文書

『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の記載ほど明快に書いているわけではないが、文章で一言触れられているものには次のようなものがある。

まずはウパニシャッド。
『世界古典文学全集/ヴェーダ・アヴェスター/チャンドーグヤ・ウパニシャッドのサナートクマラの章』
(彼がこの肉身から出ていく場合、彼はこれらの光線とともに上昇する。彼はオームと言う、あるいは〔一言も発しないまま〕上に連れ去られる。意が消滅する間に、彼は太陽に達する。それは、実に〔ブラフマンの〕世界の門であり、知者達の入口であると同時に、無知なる人々の入るのを拒む門扉である。)

次に古代のヘルメス文書。
『ヘルメス文書/朝日出版社の中のヘルメス選集XIの部分』
『次に、自らかくのごとく知解するがよい。お前は、自分の霊魂に、インドへ赴くように命ずるのだ。すると霊魂は、お前の命令よりも速やかにかしこに居るであろう。

また霊魂に大洋(オーケアノス)へ向かうように命ずるのだ。すると霊魂は、再び同様に速やかにかしこに居るであろう。それは場所から場所へと移動して行くようにではなく、あたかも(いきなり)かしこに居るようである。

また霊魂に天へと翔けるように命ずるのだ。すると翼さえも必要としないであろう。いや霊魂を妨げるものとてないであろう。大洋の火も天空(アイテール)も、天の回転も、他の星辰のなす天体も(妨げはしないだろう)。

霊魂はもろもろの天体を突き抜けて翔けり、最後の天体にまで達するだろう。しかし、もしお前がそれ(最後の天体)をも完全に突き抜け、その外にあるもの・・・・世界(コスモス)の外に何かがあるとしてだが・・・・を眺めたいと思うなら,それも許されている。』

更に古代ギリシアのプロティノス。
ギリシャの哲人プロティノスの末期の場面。エウストキオスはプロティノスの弟子。

『さて彼がまさに逝去しようとして----エウストキオスがわれわれに語ったところによると----エウストキオスはプテオリに住んでいて、彼(プロティノス)のもとに到着するのが遅れたので、「君をまだ待っていたのだ」と彼は言って、それから「われわれの内にある神的なものを、万有の内なる神的なもののもとへ上昇(帰還)させるよう、今自分は努めているのだ」と言い、一匹の蛇が彼の横たわっていた寝台の下をくぐって壁にあいていた穴に姿を隠したときに息を引き取った。』
(プロティノス/中公クラシックスから引用)


このようなほのめかしに近い表現はギリシア神話のパエトーンの天の車を始め古今東西に多数存在する。

クンダリーニ上昇から神人合一の秘儀は、世間に公開することをついこの間まで許されていなかったので、大半がほのめかしなのである。錬金術書でも直接表現ができないので、卑金属を黄金に変えるという話にすりかえて、連綿と研究が続けられてきた。中国の仙人譚では、同様の事情で白日昇天という比喩にすり替えて世間の目をくらましてきた。仏教でもクンダリーニ・ヨーガは密教とされ、その核心部分は秘密なので、「密」教である。

当たり前のことだが、これは学問のための学問ではないので、ノウハウが必ず文書に残されているのものでもないし、しばしば口伝で伝わってきた。口伝は伝えられた本人が真意がわからずとも、いつかその口伝を伝えられた者の中にその真義を理解する者が出ることがあるという便利な?ものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死の世界・死の技術

2022-11-21 10:06:24 | 【クンダリーニ・ヨーガの全貌】【ザ・ジャンプ・アウト-02】neo

◎クンダリーニ・ヨーガの全貌-1
◎死の世界・死の技術

クンダリーニ・ヨーガとは、人間あるいはアートマンが中心太陽(神・仏・ニルヴァーナ・大日如来・道)なるブラフマンと合一することを最終ステージにおいて目的としている冥想手法群のことである。

クンダリーニ・ヨーガなる冥想手法の特徴は、その進歩が全く漸進的であって、一気呵成にゴールを目指す只管打坐とは異なった風光となる。

クンダリーニ・ヨーガとは、ずばり死の世界をクリアすることで生の世界を完遂する技術のこと。その前提として、この世は大半が死の世界であり、その死の世界のごく一部に生の世界が存在しているというクンダリーニ・ヨーガに共通した世界観がある。それは彼らにとって一つの見方としての世界観ではなく、紛れもない現実そのものである。

よってクンダリーニ・ヨーガとは死の技術なのである。死の技術は、現代人なら髑髏を使ったパンク・ロックのファッションみたいなものを思い浮べるかもしれないが、もっと厳粛で純粋でまじめで、精密なものである。

またクンダリーニ・ヨーガの窮極というものは、あまりにも日常体験とも日常生活ともかけ離れているので、過去具体的にこうこうこういうものであると描写してきたものはかなり限定される。それは以下のようなものである。

『ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ/森北出版』
(プロセスも含め端的に記載。肉体を出でて、アートマンが無限の垂直道を上昇し、絶対光に合一することを活写)

『慧命経/柳華陽/たにぐち書店』
(これは道教の文献。粉砕図がそのものズバリである。)


『黄金の華の秘密/ヴィルヘルム/人文書院』
(これは太乙金華宗旨by呂洞賓を訳したもの。逍遥訣の部分がメイン・イベント部分と思われ、具体的な描写なのかもしれないが、現代社会の常識人にとって、そのものズバリとまでは言えない。

『【逍遥訣の後半部分】
そして 天のエネルギー(天心)は、上方の乾頂(中心太陽)に昇る。
天上(中心太陽)に遊び帰って行き、死の世界の至福(坤徳)を味わう。
そして奥義中の奥義をしめす一句がある。
どこにもない場所こそ真の家である。』)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする