アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

七つの身体 総論-4

2023-02-04 07:09:44 | 【七つの身体】【ザ・ジャンプ・アウト-04】neo

◎第五身体=コーザル体=両性具有

(2013-11-02)

 

第五身体=コーザル体は最後の個別性。これより男女の別がないということであるから、両性具有という日常性を完全に逸脱したシンボルが、ここに登場する。

 

両性具有とは男女の別がないということであり、二元性つまり生と死やあなたと私の違いを超えるということであり、既にある種の悟りと称して差し支えないだろう。かなり決定的なシーンである。

 

 

幕末の剣豪山岡鉄舟が行きついた男女の別を超えた境地が、激しかった女郎屋通いをやめた口実くらいにしか考えられていないとすれば不幸なことである。

 

OSHOバグワンによれば、第五身体に到達した人間は睡眠中でも醒めている。ここにウパニシャッドの有名な課題である「熟睡中の夢も見ない状態」の回答がここにある。

 

また彼によれば、コーザル体では無思考だから、第五身体に至った人のその思考なき実存の波動が、同じく思考なき猫などの動物を周辺に招き寄せるとするが、それを見て禅者は犬に仏性ありやなしやなどといじわるクイズをしかけたのではないか。犬は思考のないコーザル体のシンボルだとわかっている人間がその公案を置いたのかもしれない。

 

(2023-02-04)

OSHOバグワンが、コーザル体から男女の別はないというので、第五身体コーザル体を両性具有と書いたが、いまだに確信を持てず迷っているところがある。

というのは、両性具有の意味は、男女という極く限定的な意味ではなく、光と闇、天国と地獄、善と悪、天と地、太陽と月、陰と陽、快楽と苦悩、欲求と嫌悪、快と不快、寒と暑、貴と賤、聖と俗というようなあらゆる反対物の一致という意味であるからである。こうした反対物の一例として個人と宇宙全体が入って来れば事情はやや複雑になる。

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七つの身体 総論-3

2023-02-04 06:59:04 | 【七つの身体】【ザ・ジャンプ・アウト-04】neo

◎七つの身体はそれぞれ別次元にある

(2013-11-01)

 

七つの身体はそれぞれ別の世界、別の宇宙、別の次元に存在する。

 

七つの身体と呼びならわしているが、肉体からコーザル体までは個であり、個人であり、第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナは、個ではない。第六身体アートマンは世界は一つというようなものだが、第七身体ニルヴァーナ=神=仏=道は、そういうことですら表現できないようなしろもの、つまり言葉をも現象をも超えたものであると語られる。

 

第一身体である肉体は、物質宇宙に存在する。

 

第二身体であるエーテル体は、エーテル宇宙に存在する。19世紀の英国降霊術で出て来るエクトプラズムがそれにあたるが、人間の死後数時間でエーテル体は、通常は崩壊すると言われる。エーテル体は半物質であり、「気」「プラーナ」である。

 

OSHOバグワンはエーテル体を感情の次元とするが、ダンテス・ダイジでは、感情は、アストラル体、メンタル体と見ている。

 

第三身体であるアストラル体は、アストラル宇宙に存在するが、もはや半物質ですらもなく、物質でない宇宙である。感情の次元とされる。

 

OSHOバグワンは、アストラル体の機能を疑いと思考と言っているが、疑って何が正しいか判断し、それに向かって進むというのは自己実現self-expressionであり、この説明はアストラル体の説明というよりも、むしろマニピュラ・チャクラの説明であるように思う。

 

 

第四身体であるメンタル体は、アストラル体より微細な霊的宇宙つまりメンタル宇宙に存在するが、これも物質でない宇宙である。想念の次元とされる。

 

OSHOバグワンによれば男女の区分があるのはここまで(奇跡の探究2/市民出版社P180)。

この次元の特徴は想像と夢見、つまり想像することが完成までに達すると、物事はビジョンにとどまらず現実として実現する推進力を持つ。第三者がそれを目にした場合は、決断力・意志力に見える。

 

また遠隔透視・ビジョンの超能力もこのボディで起こる。マクモニーグルもこの能力でいろいろなことをやったのだろう。

 

このように想像を現実化する能力を手に入れればさぞ面白いだろうが、ダンテス・ダイジは、「そういうことが面白いということに留まっていれば、この世に生まれては来ない」という意味深なことを言っている。

 

またメンタル体は、夢見であると言うと、自分の日常のことだなどと誰も思わないが、OSHOバグワンは、ほとんどの人の日常が夢見にあって覚醒などしていないと指摘する。彼によれば人が本当に意識的であって覚醒しているのは、強盗にナイフを突きつけられて金を出せとやられているような時だけだという。(禅では醒めよ、覚醒せよと、この練習を繰り返すのだが・・・・)

 

こんなわけでOSHOバグワンは、この世は、完全に眠っている人の世界、夢遊病者の世界だと言う。メンタル体の夢見とは、我々の日常なのだった。ヤキ・インディアンの呪術師の下で修行したカルロス・カスタネダの小説でも夢見を盛んに言うが、それは単に観想法専修者の夢見を指すものではなかったのだ。

 

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七つの身体 総論-2

2023-02-04 06:52:49 | 【七つの身体】【ザ・ジャンプ・アウト-04】neo

◎チベット死者の書とニルヴァーナのプロセスとテクニック

(2013-10-31)

 

七つの身体論の輪郭について触れることのできる基本的な文書が2種類ある。一つはチベット死者の書であり、もう一つは、「ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ」である。

 

チベット死者の書では、人間の一生の終わりである死を題材にしている。人間の死から再生までの中有を含めた段取りが一歩一歩順序良く描かれており、人間のまとう身体の種類と登場する順番の概要を知ることができる。そして何よりも原初の光なる窮極に如何にワンタッチしていくかを、常に忘れずにトライすべきことが気配りされている。

 

これに対して「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」では、通常の誰にでも起こる死を題材に採るのではなく、ある特殊な冥想技法により、肉体死を意図的に発生させ、エーテル体宇宙を飛び出し、アストラル体宇宙を突破し、メンタル体宇宙をも超え、コーザル体をも振り捨て、世界が一つであるアートマンに入り、それすらも越えモクシャ、ニルヴァーナなる中心太陽に突入する。そしてその体験とはいえない体験の後、なんと個生命・個人として帰還してくるという七つの身体総まくりなエピソードが展開されている。

 

七つの身体を総覧する記述は残念ながらウパニシャッドにはなく、上昇というキーワードや微細身(エーテル体、アストラル体、メンタル体)は、ばらばらに散りばめられているが、全体の印象をつかめるというほどではない。

 

明治から昭和にかけての大クンダリーニ・ヨーギと言えば出口王仁三郎で、意図的な死の修行を6度も繰り返し、必ずやエッセンス中のエッセンスを把握していたに違いない。だが、時代的な背景もあるせいか、また教団が神を知る手段として最初のうち憑依・神懸などの技法を中心に据えていたせいか、ニルヴァーナである無我には言及されているものの、七つの身体の構造的な理解にはあまり関心が向けられなかったようだ。

 

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七つの身体 総論

2022-10-11 06:37:42 | 【七つの身体】【ザ・ジャンプ・アウト-04】neo

◎七つの身体 総論

 

七つの身体論は、現在の肉体人間だけが人間であるという、社会通念に基づく科学からすれば、キワモノにしか見えない。しかし通常の人間は肉体人間に止まるものではないことの証拠となる、とある超能力を有している。

 

それが背後から来る他人の視線を感じるという特殊な能力のことである。われわれが単なる肉体人間であれば、見えも聞こえも臭いも味もなく、触れもできない、背後から来る他人の視線を覚知するセンサーが肉体ではないことを、誰もが容易に想像することができるのではないかと思う。

 

さて七つの身体の基本的な説明は次のとおり、

 

 

①第一身体

肉体。 物質。

 

②第二身体

エーテル体 経絡に相当する。エネルギーコードの骨格(傘の骨みたいな形)というものに近いと言われる。

気合、意思力、勇気、体力などの根本的源泉。半物質。

 

③第三身体

アストラル体 幽体と呼ばれる。肉体に相似した形。これ以上は物質次元ではない。

 

④第四身体

メンタル体 高次の感情と精神活動を司る。透明で光輝いていると言われる。

 

⑤第五身体

コーザル体 肉体と世界を形作っている最後の個別性。球形の光と見えると言われる。

 

⑥第六身体

アートマン 個別性即ち我はなくなったが、『在ること』=有が残っている状態。

 

⑦第七身体

ニルヴァーナ 涅槃。なまえもなく、言葉では説明できない。

 

七つのチャクラが存在するのはメンタル体までなので、七つのチャクラが世界全体を示すシンボルというわけにはいかない。世界全体を示すには、七つの身体論こそが必要かつ十分なのである。

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